長万部から青森県の大畑まで、自転車で走った。
そのつづき。
1日め 長万部~森 約61km
長万部という駅名は、鉄道が好きな人ならば
誰もが知っているものと思われる。
ここから函館本線が、倶知安(くっちゃん)、
小樽(おたる)を経由して、札幌に伸びている。
札幌に行くのは、かつては函館本線ルート
(山線)がメインであった。
しかしながら、現在は室蘭本線から千歳線を経由して
札幌に行くルート(海線)が主力になっており、
特急列車は、すべて室蘭経由である。
函館本線(山線)は、いまや、すっかりさびれて
しまって、現在は、1日4本の普通列車のみが走る
(注:長万部~ニセコ間)ローカル線になっている。
かつて、長万部機関区があったところは、
広大な空き地となっており、なにもない。
長万部の町も、交通の要衝という機能を失ってから、
年々、人口が減っているように思われる。
長万部は、駅のちかくに温泉もあるし、
毛ガニも美味しいし、いいところなんだけどな。
駅から南に走ると、東京理科大学の長万部キャンパス
がある。青春時代の4年間、北海道の自然のなかで、
全寮制の学校で過ごすというのも、貴重な体験
なのかもしれない。
約30km走って、遊楽部川(ゆうらっぷがわ)を
渡ると、最初の大きな町、八雲(やくも)に着く。
「日本で唯一、2つの海をもつ町」と書いてある。
なんのことか? と思ったけど、
日本海と太平洋の両方に面している町は、八雲町だけ、
ということらしい。
「日本海側は、熊石(くまいし)町じゃね?」
と思ったけど、家に帰ってから調べてみると、
熊石町は現在、八雲町と合併しているのであった。
なるほど。
私は2015年6月に、札幌から木古内(きこない)まで
北海道の日本海側を自転車で走っている。
そのとき、旧熊石町も走ったけど、八雲町になって
いたことは、ぜーんぜん、気がつかなかった。
熊石漁港、熊石小学校、熊石郵便局。
どこにも八雲町なんて、書いていなかったけどな。
さらに、南にすすむ。
DF200型機関車が牽引する長大な貨物列車が
走っている。さきほどから、貨物列車がやたらと多い。
さすがに函館本線は、北海道経済の大動脈である。
北海道経済は、じつは本州に頼り切っている。
かつては、青函連絡船が3日欠航しただけで
物資が不足し、物価が上がったという。
現在は、青函トンネルが開通したので、
そういうことはなくなったけれど、
函館本線が北海道経済の命綱であることは
なんら、変わりがない。
そういえば、北海道新幹線が開通したら
この区間は、どうなるのだろうか。
貨物列車があるから、廃止にはならない
だろうけど、旅客の需要は激減するだろう。
第三セクター化しても維持できるとは思えない。
ということで、旅客列車のみ廃止になるのかもしれないな。
午後5時ちょっと前に、森(もり)にさしかかった。
ここで、大きなミスをしてしまった。
路面が荒れた部分があり、前輪をおおきく
とられてしまったのである。
晴れていたら、立て直せていただろう。
けれども、雨が降っていたので、
前輪をスリップさせてしまった。
前輪をスリップさせたら、ふつうは転ぶ。
それは自転車でもオートバイでも変わりはない。
私は右側、つまり、車道がわに転倒してしまった。
「あ、死んだな。」
と思った。
北海道のクルマは、トラックでも時速80km以上で
ぶっとんでいる。とまってくれるわけがない。
これは、もう、しかたがないね。
意外に落ち着いていた。
私は62才になる.。
子どもたちは、すでに独り立ちしているし、
いま、私が死んでも、大きな影響はない。
それにしても、こんなところで死ぬなんて、
いかにも、私らしいな、と思う。
家内は、すこし悲しむかもしれないけど、
結婚して、38年。
ま、十分、いっしょに生きた。
カンベンしてくれるだろう。
私は、タイヤがからだの上を通過するのを待った。
0.5秒、1秒、2秒...。
ん、通過しないな。
後ろを振り返ると、ヘッドライトをハイビームにした
大型トラックが停まっていた。
運転手は、目を大きく見開いていた。
私は急いで起き上がって、自転車を起こし、
運転手に、お礼の意味で手をあげてから、
路肩に逃げた。
プロのドライバーだと、荷が傷むのと、
追突されるのを嫌がって、ふつうは轢くんだけど。
いい人でよかったな。
ケガをしていないか、チェックする。
手の指は?
よかった。左右5本ずつ、ある。
首、肩、背中、オッケー。
足首、オッケー。
ひざは? おっと、ダメだ。
右ひざをすりむいて、すこし出血している。
でも、レインウェアを着ていたから、
大けがというほどでもない。
ラッキーである。
場所は、国道5号線の鳥崎川の橋梁の手前
100メートルくらいのところであった。
私は自転車をガードレールに立てかけ、
転倒の原因となった、路面の荒れを見に行った。
白線の内側であるにもかかわらず、
路面補修のあとがあり、3cmくらい、段差がある。
これは、ふつう、転ぶわ。
晴れていれば、気がついただろう。
けど、雨だったから、見えなかった。
気を取り直して、自転車に乗り、
歩道を500メートルほど走って、
道の駅「YOU・遊・もり」に行った。
トイレに行って、レインウェアを脱ぎ、
すりむいたひざを、水道水できれいに洗った。
マキロンで消毒し、大きめのキズテープで覆った。
やれやれ。
もう、40年以上、自転車とオートバイに乗っている
けれど、こんなにハデに転倒したのは初めてである。
それにしても、自転車で車道がわに転倒したら、
ふつうは、クルマに轢かれて死ぬんだけどな。
なぜか、私は生きている。
「なんでだろう。」
と思った。
まだ、やり残していることがあるのだろうか。
私は自分が生き残った理由を、このとき以来、
ずっと考えている。けれども、まだ、答えが
出せないでいる。
(つづく)
そのつづき。
1日め 長万部~森 約61km
長万部という駅名は、鉄道が好きな人ならば
誰もが知っているものと思われる。
ここから函館本線が、倶知安(くっちゃん)、
小樽(おたる)を経由して、札幌に伸びている。
札幌に行くのは、かつては函館本線ルート
(山線)がメインであった。
しかしながら、現在は室蘭本線から千歳線を経由して
札幌に行くルート(海線)が主力になっており、
特急列車は、すべて室蘭経由である。
函館本線(山線)は、いまや、すっかりさびれて
しまって、現在は、1日4本の普通列車のみが走る
(注:長万部~ニセコ間)ローカル線になっている。
かつて、長万部機関区があったところは、
広大な空き地となっており、なにもない。
長万部の町も、交通の要衝という機能を失ってから、
年々、人口が減っているように思われる。
長万部は、駅のちかくに温泉もあるし、
毛ガニも美味しいし、いいところなんだけどな。
駅から南に走ると、東京理科大学の長万部キャンパス
がある。青春時代の4年間、北海道の自然のなかで、
全寮制の学校で過ごすというのも、貴重な体験
なのかもしれない。
約30km走って、遊楽部川(ゆうらっぷがわ)を
渡ると、最初の大きな町、八雲(やくも)に着く。
「日本で唯一、2つの海をもつ町」と書いてある。
なんのことか? と思ったけど、
日本海と太平洋の両方に面している町は、八雲町だけ、
ということらしい。
「日本海側は、熊石(くまいし)町じゃね?」
と思ったけど、家に帰ってから調べてみると、
熊石町は現在、八雲町と合併しているのであった。
なるほど。
私は2015年6月に、札幌から木古内(きこない)まで
北海道の日本海側を自転車で走っている。
そのとき、旧熊石町も走ったけど、八雲町になって
いたことは、ぜーんぜん、気がつかなかった。
熊石漁港、熊石小学校、熊石郵便局。
どこにも八雲町なんて、書いていなかったけどな。
さらに、南にすすむ。
DF200型機関車が牽引する長大な貨物列車が
走っている。さきほどから、貨物列車がやたらと多い。
さすがに函館本線は、北海道経済の大動脈である。
北海道経済は、じつは本州に頼り切っている。
かつては、青函連絡船が3日欠航しただけで
物資が不足し、物価が上がったという。
現在は、青函トンネルが開通したので、
そういうことはなくなったけれど、
函館本線が北海道経済の命綱であることは
なんら、変わりがない。
そういえば、北海道新幹線が開通したら
この区間は、どうなるのだろうか。
貨物列車があるから、廃止にはならない
だろうけど、旅客の需要は激減するだろう。
第三セクター化しても維持できるとは思えない。
ということで、旅客列車のみ廃止になるのかもしれないな。
午後5時ちょっと前に、森(もり)にさしかかった。
ここで、大きなミスをしてしまった。
路面が荒れた部分があり、前輪をおおきく
とられてしまったのである。
晴れていたら、立て直せていただろう。
けれども、雨が降っていたので、
前輪をスリップさせてしまった。
前輪をスリップさせたら、ふつうは転ぶ。
それは自転車でもオートバイでも変わりはない。
私は右側、つまり、車道がわに転倒してしまった。
「あ、死んだな。」
と思った。
北海道のクルマは、トラックでも時速80km以上で
ぶっとんでいる。とまってくれるわけがない。
これは、もう、しかたがないね。
意外に落ち着いていた。
私は62才になる.。
子どもたちは、すでに独り立ちしているし、
いま、私が死んでも、大きな影響はない。
それにしても、こんなところで死ぬなんて、
いかにも、私らしいな、と思う。
家内は、すこし悲しむかもしれないけど、
結婚して、38年。
ま、十分、いっしょに生きた。
カンベンしてくれるだろう。
私は、タイヤがからだの上を通過するのを待った。
0.5秒、1秒、2秒...。
ん、通過しないな。
後ろを振り返ると、ヘッドライトをハイビームにした
大型トラックが停まっていた。
運転手は、目を大きく見開いていた。
私は急いで起き上がって、自転車を起こし、
運転手に、お礼の意味で手をあげてから、
路肩に逃げた。
プロのドライバーだと、荷が傷むのと、
追突されるのを嫌がって、ふつうは轢くんだけど。
いい人でよかったな。
ケガをしていないか、チェックする。
手の指は?
よかった。左右5本ずつ、ある。
首、肩、背中、オッケー。
足首、オッケー。
ひざは? おっと、ダメだ。
右ひざをすりむいて、すこし出血している。
でも、レインウェアを着ていたから、
大けがというほどでもない。
ラッキーである。
場所は、国道5号線の鳥崎川の橋梁の手前
100メートルくらいのところであった。
私は自転車をガードレールに立てかけ、
転倒の原因となった、路面の荒れを見に行った。
白線の内側であるにもかかわらず、
路面補修のあとがあり、3cmくらい、段差がある。
これは、ふつう、転ぶわ。
晴れていれば、気がついただろう。
けど、雨だったから、見えなかった。
気を取り直して、自転車に乗り、
歩道を500メートルほど走って、
道の駅「YOU・遊・もり」に行った。
トイレに行って、レインウェアを脱ぎ、
すりむいたひざを、水道水できれいに洗った。
マキロンで消毒し、大きめのキズテープで覆った。
やれやれ。
もう、40年以上、自転車とオートバイに乗っている
けれど、こんなにハデに転倒したのは初めてである。
それにしても、自転車で車道がわに転倒したら、
ふつうは、クルマに轢かれて死ぬんだけどな。
なぜか、私は生きている。
「なんでだろう。」
と思った。
まだ、やり残していることがあるのだろうか。
私は自分が生き残った理由を、このとき以来、
ずっと考えている。けれども、まだ、答えが
出せないでいる。
(つづく)