札幌から青森まで、自転車で走った。つづき。
4日め 瀬棚町(せたなちょう)
~松前町 約113km
翌朝は、午前5時ごろ起きた。クルマで車中泊をしていた
人たちは、すでに起きて活動している。いったい、なにを
する人たちなのかな、と思っていたら、釣り人であった。
カレーパンと野菜ジュースの朝食を食べていると、
釣り人のひとりがやって来て、私に、
「いやあ、すごいのが釣れちゃったよー。」
と、興奮した感じで話しかけてきた。
聞くと、40センチくらいあるアメマスが釣れたという。
イワナの降海型で、本州ではめったに見ることができない
魚である。それが、ちょっと竿を入れただけで、簡単に釣れて
しまったものだから、釣った本人もびっくりしたようだ。
川崎から来たという、その人は、車中泊をしながら、
クルマで日本全国の川をまわり、釣りをしているそうだ。
「もう退職して、子どもたちも大きくなったから、
好きなことをやっている。で、前からやりたいと思っていた、
釣りをしながらの日本一周をしているんだ。」
という。
私は出発の支度を整え、出発する。
「どちらまで行かれるの?」
「今日は松前町まで。最終的には青森まで走ります。」
「そう。気をつけて。」
「どうもありがとうございます。」
国道229号線を南に走る。道の駅「ルート229元和台
(げんなだい)」で休憩。巨大なオブジェの下で写真を撮った。
釣り針かな、と思ったら、「潮笛」なのだそうだ。
潮笛とはなにか。説明が書いてあったような気もするが、
忘れてしまった。
![genwa.jpg]()
道の駅 ルート229元和台のモニュメント「潮笛」
さらに南に走る。
朝、会った釣り人のことを考えていた。
「もう退職して、子どもたちも大きくなったから、
好きなことをやっているんだ。」と話したあの人は
いきいきとしていた。
年齢的には、私よりも少し上、65才くらいだと思う。
団塊の世代が引退するにつれて、ああいった旅人が
増えている。
「余生」という言葉がある。「盛りの時期を過ぎた
残りの生涯」とか、「残された人生」といった意味である。
平均寿命が短かった時代には、余生は静かに送るもの、
という感じであったけど、いまは平均寿命が飛躍的に伸び、
男性でも、だいたい83才まで生きる。定年退職したあと、
20年以上も生きるのである。この時期は、なにか目標がないと
地獄である。
道の駅「江差繁次郎浜」(えさししげじろうはま)で、
ようやく天気が回復したので、レインウェアを脱いで
自転車にかけて干した。
![esashi.jpg]()
道の駅 江差繁次郎浜にて
近くに温泉施設がある。2日間、風呂に入っていないので
かなり魅力的だった。けれど、入浴してしまうと、
もう、走れなくなりそうなので、やめておいた。
江差の港は、公園になっており、開陽丸という幕末の軍艦
が係留されていた。こんなところにあったのか、と思った。
たしか、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で出てきたと思う。
江差の沖に沈んでいたのを引き上げたそうだ。
![kaimei.jpg]()
開陽丸
JR江差駅に行ってみる。
すると、すでに廃止されていた。
うっかりしていたのだが、JR江差線の木古内~江差間は、
2015年4月をもって、廃止されたのであった。
さらに南に走る。
江差から松前にかけての日本海は、なんだか荒涼としていた。
私自身、ビジネスマンとしての盛りは、とうに過ぎてしまった。
けれども、働かなければ食べていけないので、働いている。
それも、上の子が大学院、下の子が大学を卒業してしまうと、
「もう、いいか。」という気になってくる。
目標を失ってしまうと、人生は、ただ、死を待つだけの日々になる。
折戸浜キャンプ場に着いた。今日はここでキャンプをする。
3日間、風呂にはいっていない。気持ちがわるいが、
濡れたタオルでからだを拭き、乾いたTシャツに着替えて
寝袋に入ったら、いつのまにか寝てしまった。
4日め 瀬棚町(せたなちょう)
~松前町 約113km
翌朝は、午前5時ごろ起きた。クルマで車中泊をしていた
人たちは、すでに起きて活動している。いったい、なにを
する人たちなのかな、と思っていたら、釣り人であった。
カレーパンと野菜ジュースの朝食を食べていると、
釣り人のひとりがやって来て、私に、
「いやあ、すごいのが釣れちゃったよー。」
と、興奮した感じで話しかけてきた。
聞くと、40センチくらいあるアメマスが釣れたという。
イワナの降海型で、本州ではめったに見ることができない
魚である。それが、ちょっと竿を入れただけで、簡単に釣れて
しまったものだから、釣った本人もびっくりしたようだ。
川崎から来たという、その人は、車中泊をしながら、
クルマで日本全国の川をまわり、釣りをしているそうだ。
「もう退職して、子どもたちも大きくなったから、
好きなことをやっている。で、前からやりたいと思っていた、
釣りをしながらの日本一周をしているんだ。」
という。
私は出発の支度を整え、出発する。
「どちらまで行かれるの?」
「今日は松前町まで。最終的には青森まで走ります。」
「そう。気をつけて。」
「どうもありがとうございます。」
国道229号線を南に走る。道の駅「ルート229元和台
(げんなだい)」で休憩。巨大なオブジェの下で写真を撮った。
釣り針かな、と思ったら、「潮笛」なのだそうだ。
潮笛とはなにか。説明が書いてあったような気もするが、
忘れてしまった。
![genwa.jpg](http://kokudoh2.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_337/kokudoh2/genwa.jpg?c=a0)
道の駅 ルート229元和台のモニュメント「潮笛」
さらに南に走る。
朝、会った釣り人のことを考えていた。
「もう退職して、子どもたちも大きくなったから、
好きなことをやっているんだ。」と話したあの人は
いきいきとしていた。
年齢的には、私よりも少し上、65才くらいだと思う。
団塊の世代が引退するにつれて、ああいった旅人が
増えている。
「余生」という言葉がある。「盛りの時期を過ぎた
残りの生涯」とか、「残された人生」といった意味である。
平均寿命が短かった時代には、余生は静かに送るもの、
という感じであったけど、いまは平均寿命が飛躍的に伸び、
男性でも、だいたい83才まで生きる。定年退職したあと、
20年以上も生きるのである。この時期は、なにか目標がないと
地獄である。
道の駅「江差繁次郎浜」(えさししげじろうはま)で、
ようやく天気が回復したので、レインウェアを脱いで
自転車にかけて干した。
![esashi.jpg](http://kokudoh2.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_337/kokudoh2/esashi-142a3.jpg?c=a1)
道の駅 江差繁次郎浜にて
近くに温泉施設がある。2日間、風呂に入っていないので
かなり魅力的だった。けれど、入浴してしまうと、
もう、走れなくなりそうなので、やめておいた。
江差の港は、公園になっており、開陽丸という幕末の軍艦
が係留されていた。こんなところにあったのか、と思った。
たしか、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で出てきたと思う。
江差の沖に沈んでいたのを引き上げたそうだ。
![kaimei.jpg](http://kokudoh2.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_337/kokudoh2/kaimei-16ca5.jpg?c=a0)
開陽丸
JR江差駅に行ってみる。
すると、すでに廃止されていた。
うっかりしていたのだが、JR江差線の木古内~江差間は、
2015年4月をもって、廃止されたのであった。
さらに南に走る。
江差から松前にかけての日本海は、なんだか荒涼としていた。
私自身、ビジネスマンとしての盛りは、とうに過ぎてしまった。
けれども、働かなければ食べていけないので、働いている。
それも、上の子が大学院、下の子が大学を卒業してしまうと、
「もう、いいか。」という気になってくる。
目標を失ってしまうと、人生は、ただ、死を待つだけの日々になる。
折戸浜キャンプ場に着いた。今日はここでキャンプをする。
3日間、風呂にはいっていない。気持ちがわるいが、
濡れたタオルでからだを拭き、乾いたTシャツに着替えて
寝袋に入ったら、いつのまにか寝てしまった。