岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。
1日め 岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート 約71km
(前回よりつづき)
下津井(しもつい)は、古くから港町として栄えた。
街中には、江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の
面影が残っている。下津井吹上町周辺は、
倉敷市の町並み保存地区に指定されている。
頭の上を瀬戸大橋が通っている。
とんでもなく巨大である。よく、こんなもんつくったな、
と思う。
瀬戸大橋は、1988年(昭和63年)に開通した。
約10kmはなれた児島と坂出(さかいで)を6つの橋により
むすんでいる。これにより、宇高連絡船で約1時間かかっていた
本州と四国のあいだが、約10分で渡れることになった。
私自身は、瀬戸大橋がつくられているのを、
リアルで見て、知っている世代である。
1980年ごろには、海底にしずめられた土台の上に
ピア(支柱)が立てられていくのを、1984年ごろには、
ピアとピアのあいだをケーブルがわたされていく様子を見た。
ケーブルにかけられた足場の上で、人が働いていた。
おそろしく高いところであった。高所恐怖症の私には
とてもできない仕事だな、と思った。
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瀬戸大橋にて
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下津井港より
瀬戸大橋が開通した1988年には、青函トンネルも開通している。
まったくの偶然ではあるが。
ということで、1988年は北海道、四国が本州と事実上、
陸続きになった歴史的な年であった。日本がいちばん
元気だったころの出来事である。
瀬戸大橋および青函トンネルが開通したのときの
JTB時刻表(1988年3月号)は、わが家の家宝となっている。
![timetable.jpg]()
「JTB時刻表 1988(昭和63)年3月号」
さて、そろそろ陽が暮れてきた。
まだ、午後3時すぎだけど、冬の日は短く、午後4時半
ごろには、日没となってしまう。きょうは朝からまだ、
63kmしか走っていない。けれど、この時期のツーリングでは、
距離が伸ばせないのは、しかたがないと思う。
今回は、テントもシュラフも持たずに出てきたので、
なんとか宿を確保しなければいけない。
スマホで検索して、瀬戸大橋スパリゾートという施設を
見つけた。
ホテルのシングルルームだと、7,000円。
スパリゾートの仮眠室だと、2,100円+深夜料金1,000円。
どっちにしようかな、と思った。
とりあえず行ってみて、現物を見て決めよう。
約8km走って、日没前に瀬戸大橋スパリゾートに着いた。
現物をみて、結局、仮眠室に決めた。
ホテルも悪くなかったけれど、そんなに新しくもないので、
7,000円はすこし高いかな、と思った。
2日め 瀬戸大橋スパリゾート~尾道 約73km
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2017年12月28日水よう日、午前6時に出発。
まだ、夜は明けていない。ようやく、東の空が明るく
なってきたところだ。
しばらくは、国道430号線を走る。
片側2車線なので走りやすいけど、
みんな、おそろしく運転マナーが悪い。
赤信号でも、平気で行ってしまう。
ウィンカーを出さないで、レーンチェンジするクルマも多い。
自転車で走っていると、少々、こわかった。
まあ、工業地帯の運転マナーは、概して悪いものである。
だから、かならずしも岡山県人の運転マナーが悪い
とはいえないと思う。関東でも、川崎あたりは相当なものだし。
広江一丁目という交差点で左折。
コンビニを見つけたので、おにぎり1個と烏龍茶を買い、
朝食にした。
倉敷みなと大橋をわたる。
2017年3月に開通した、2,564メートルのあたらしい橋である。
このあたり、水島コンビナートの中心であり、
大企業の工場が多く、交通量がすごく多い。
今日はもう、年末年始の休日に入っているから、
トラックも少ないけれど、ふだんは慢性的な渋滞
なんだろうな。
![mizushi.jpg]()
倉敷みなと大橋にて
県道398号線(水玉ブリッジライン)にもどり、
玉島大橋をわたる。渡り終えたところで、
県道47号線にはいろうと思ったが、立体交差であった。
なんとかして、降りなければならない。
自転車をかついで階段を降り、すみません、ちょっと
通してくださいね、という感じで、家と家のあいだの
狭い道をぬける。ずいぶんと苦労したけれど、
こうしないと2kmくらい遠回りになるから、仕方がない。
通ってみて思ったのだけど、玉島大橋からの階段と
それを降りた先の道は、私道なのかもしれない。
約5kmほど走ると、きれいな海岸に出た。
沙美海岸(さみかいがん)といって、日本の渚百選に
選ばれている。昨日の渋川海岸もきれいだったけれど、
ここも負けず劣らず、きれいな海岸である。
![sami2.jpg]()
![sami.jpg]()
沙美海岸にて
笠岡(かさおか)市にはいった。
カブトガニ繁殖地という案内看板がある。
自転車をとめて、干潟を見てみたが、一匹もいなかった。
「模型でもいいから、一匹くらい、置いておけよ。」と思う。
笠岡市カブトガニ博物館が近くにあるけれど、
以前にはいったことがあるので、今回はパス。
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カブトガニ繁殖地にて
国道2号線に入り、しばらくすすむと、
笠岡ベイファームという道の駅があった。
しばし休憩する。
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笠岡ベイファームにて
休憩室でボーッとしていると、若い長髪の旅人に
話しかけられた。
旅人「どちらから来ました?」
私 「東京からです。今回は岡山から走り始めたのですが。」
旅人「ずっと、自転車で旅をしているんですか。」
私 「いえ。オートバイだったり、クルマだったり。
今回は自転車でまわっていますけど。」
旅人「私はヒッチハイクです。」
私 「へー。すごいですね。いまは、ヒッチハイクの旅って、
なかなかむずかしいでしょう。搭乗者傷害保険の関係で、
プロのドライバーは絶対に乗っけてくれないし。
一般の乗用車ドライバーは、もともと乗せてくれない
でしょうし。」
旅人「そうでもないですよ。世の中、いい人が多いです。
あなたはもうすこし、人を信じた方がいいですよ。」
えらく上から目線であるが、これはヒッチハイカーに
ありがちなことである。きびしい旅を続けているぶん、
オートバイや自転車などで旅をしている者よりも、
自分はランクが上であると、勝手に考えているらしいのだ。
ちなみに、私はヒッチハイカーがあまり好きではない。
他人の善意をあてにして旅をする、というスタイルには、
賛成できないのである。お金がないならば、徒歩か自転車で
移動して、テントを張って寝ればいいと思うのだ。
そうではない。出会った人とのふれあいこそが旅なのである、
という意見もあるだろう。が、私のスタイルではない。
なおも、話していると、案のじょう、お金の話を
もちかけられた。
旅人「じつは、私は旅行作家でして。」
私 「そうなんですか。なんとおっしゃるのですか。」
旅人「◯◯ ◯◯と申します。」
私 「そうだったんですか。東京に帰ったら、amazonで
検索して、拝読させていただきますよ。」
旅人「いや、amazonでは売っていません。旅先で会った人に
手売りしています。『チャリ旅日本一周』という本です。」
私 「ほう。ぜひ、拝見させてください。」
旅人「いま手持ちの本がないんですが、住所と名前を
書いてくれれば送りますよ。」
私 「...いくらですか?」
旅人「1冊1,000円になります。」
現物も見せないで、1,000円はないだろう、と思った。
かぎりなくあやしい、と思ったけれど、その一方で、
たかが1,000円のお金を手にいれるだけのために、
こんな手のこんだ話をつくるだろうか、という気もした。
少額のお金がほしいならば、「ヒッチハイクで旅をしている
のですが、多少、カンパをお願いできないでしょうか。」
と言えば、それですむ話である。
それだと乞食になってしまう、と言われるかもしれない。
けれども、そんなプライドがあるならば、最初から
ヒッチハイクなんか、しなければいいのである。
私はいちおう、その旅人の話を信じることにした。
私 「...1,000円ですね。」
旅人「『徒歩旅日本一周』というのもありまして。
2冊でしたら、2,000円になります。」
私 「いや、『チャリ旅日本一周』だけでお願いします。」
結局、1,000円を出した。
私にしては、めずらしい。けれど、12月24日の有馬記念で、
キタサンブラックを単勝で1万円買って、9,000円儲けた
ばかりだった。それで多少、気が大きくなっていたのと、
私なりに、若い旅人を応援したい、という気持ちもあった。
だまされたのではないか、と思う一方で、その旅人を信じたい
という気持ちもあった。しかしながら、まことに残念なことに、
2018年5月9日現在、『チャリ旅日本一周』は、私のもとに
送られて来ていない。
午前11時50分、道の駅笠岡ベイファームを出た。
福山を経由して、鞆(とも)にむかう。
(つづく)
1日め 岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート 約71km
(前回よりつづき)
下津井(しもつい)は、古くから港町として栄えた。
街中には、江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の
面影が残っている。下津井吹上町周辺は、
倉敷市の町並み保存地区に指定されている。
頭の上を瀬戸大橋が通っている。
とんでもなく巨大である。よく、こんなもんつくったな、
と思う。
瀬戸大橋は、1988年(昭和63年)に開通した。
約10kmはなれた児島と坂出(さかいで)を6つの橋により
むすんでいる。これにより、宇高連絡船で約1時間かかっていた
本州と四国のあいだが、約10分で渡れることになった。
私自身は、瀬戸大橋がつくられているのを、
リアルで見て、知っている世代である。
1980年ごろには、海底にしずめられた土台の上に
ピア(支柱)が立てられていくのを、1984年ごろには、
ピアとピアのあいだをケーブルがわたされていく様子を見た。
ケーブルにかけられた足場の上で、人が働いていた。
おそろしく高いところであった。高所恐怖症の私には
とてもできない仕事だな、と思った。

瀬戸大橋にて

下津井港より
瀬戸大橋が開通した1988年には、青函トンネルも開通している。
まったくの偶然ではあるが。
ということで、1988年は北海道、四国が本州と事実上、
陸続きになった歴史的な年であった。日本がいちばん
元気だったころの出来事である。
瀬戸大橋および青函トンネルが開通したのときの
JTB時刻表(1988年3月号)は、わが家の家宝となっている。

「JTB時刻表 1988(昭和63)年3月号」
さて、そろそろ陽が暮れてきた。
まだ、午後3時すぎだけど、冬の日は短く、午後4時半
ごろには、日没となってしまう。きょうは朝からまだ、
63kmしか走っていない。けれど、この時期のツーリングでは、
距離が伸ばせないのは、しかたがないと思う。
今回は、テントもシュラフも持たずに出てきたので、
なんとか宿を確保しなければいけない。
スマホで検索して、瀬戸大橋スパリゾートという施設を
見つけた。
ホテルのシングルルームだと、7,000円。
スパリゾートの仮眠室だと、2,100円+深夜料金1,000円。
どっちにしようかな、と思った。
とりあえず行ってみて、現物を見て決めよう。
約8km走って、日没前に瀬戸大橋スパリゾートに着いた。
現物をみて、結局、仮眠室に決めた。
ホテルも悪くなかったけれど、そんなに新しくもないので、
7,000円はすこし高いかな、と思った。
2日め 瀬戸大橋スパリゾート~尾道 約73km

2017年12月28日水よう日、午前6時に出発。
まだ、夜は明けていない。ようやく、東の空が明るく
なってきたところだ。
しばらくは、国道430号線を走る。
片側2車線なので走りやすいけど、
みんな、おそろしく運転マナーが悪い。
赤信号でも、平気で行ってしまう。
ウィンカーを出さないで、レーンチェンジするクルマも多い。
自転車で走っていると、少々、こわかった。
まあ、工業地帯の運転マナーは、概して悪いものである。
だから、かならずしも岡山県人の運転マナーが悪い
とはいえないと思う。関東でも、川崎あたりは相当なものだし。
広江一丁目という交差点で左折。
コンビニを見つけたので、おにぎり1個と烏龍茶を買い、
朝食にした。
倉敷みなと大橋をわたる。
2017年3月に開通した、2,564メートルのあたらしい橋である。
このあたり、水島コンビナートの中心であり、
大企業の工場が多く、交通量がすごく多い。
今日はもう、年末年始の休日に入っているから、
トラックも少ないけれど、ふだんは慢性的な渋滞
なんだろうな。

倉敷みなと大橋にて
県道398号線(水玉ブリッジライン)にもどり、
玉島大橋をわたる。渡り終えたところで、
県道47号線にはいろうと思ったが、立体交差であった。
なんとかして、降りなければならない。
自転車をかついで階段を降り、すみません、ちょっと
通してくださいね、という感じで、家と家のあいだの
狭い道をぬける。ずいぶんと苦労したけれど、
こうしないと2kmくらい遠回りになるから、仕方がない。
通ってみて思ったのだけど、玉島大橋からの階段と
それを降りた先の道は、私道なのかもしれない。
約5kmほど走ると、きれいな海岸に出た。
沙美海岸(さみかいがん)といって、日本の渚百選に
選ばれている。昨日の渋川海岸もきれいだったけれど、
ここも負けず劣らず、きれいな海岸である。


沙美海岸にて
笠岡(かさおか)市にはいった。
カブトガニ繁殖地という案内看板がある。
自転車をとめて、干潟を見てみたが、一匹もいなかった。
「模型でもいいから、一匹くらい、置いておけよ。」と思う。
笠岡市カブトガニ博物館が近くにあるけれど、
以前にはいったことがあるので、今回はパス。

カブトガニ繁殖地にて
国道2号線に入り、しばらくすすむと、
笠岡ベイファームという道の駅があった。
しばし休憩する。

笠岡ベイファームにて
休憩室でボーッとしていると、若い長髪の旅人に
話しかけられた。
旅人「どちらから来ました?」
私 「東京からです。今回は岡山から走り始めたのですが。」
旅人「ずっと、自転車で旅をしているんですか。」
私 「いえ。オートバイだったり、クルマだったり。
今回は自転車でまわっていますけど。」
旅人「私はヒッチハイクです。」
私 「へー。すごいですね。いまは、ヒッチハイクの旅って、
なかなかむずかしいでしょう。搭乗者傷害保険の関係で、
プロのドライバーは絶対に乗っけてくれないし。
一般の乗用車ドライバーは、もともと乗せてくれない
でしょうし。」
旅人「そうでもないですよ。世の中、いい人が多いです。
あなたはもうすこし、人を信じた方がいいですよ。」
えらく上から目線であるが、これはヒッチハイカーに
ありがちなことである。きびしい旅を続けているぶん、
オートバイや自転車などで旅をしている者よりも、
自分はランクが上であると、勝手に考えているらしいのだ。
ちなみに、私はヒッチハイカーがあまり好きではない。
他人の善意をあてにして旅をする、というスタイルには、
賛成できないのである。お金がないならば、徒歩か自転車で
移動して、テントを張って寝ればいいと思うのだ。
そうではない。出会った人とのふれあいこそが旅なのである、
という意見もあるだろう。が、私のスタイルではない。
なおも、話していると、案のじょう、お金の話を
もちかけられた。
旅人「じつは、私は旅行作家でして。」
私 「そうなんですか。なんとおっしゃるのですか。」
旅人「◯◯ ◯◯と申します。」
私 「そうだったんですか。東京に帰ったら、amazonで
検索して、拝読させていただきますよ。」
旅人「いや、amazonでは売っていません。旅先で会った人に
手売りしています。『チャリ旅日本一周』という本です。」
私 「ほう。ぜひ、拝見させてください。」
旅人「いま手持ちの本がないんですが、住所と名前を
書いてくれれば送りますよ。」
私 「...いくらですか?」
旅人「1冊1,000円になります。」
現物も見せないで、1,000円はないだろう、と思った。
かぎりなくあやしい、と思ったけれど、その一方で、
たかが1,000円のお金を手にいれるだけのために、
こんな手のこんだ話をつくるだろうか、という気もした。
少額のお金がほしいならば、「ヒッチハイクで旅をしている
のですが、多少、カンパをお願いできないでしょうか。」
と言えば、それですむ話である。
それだと乞食になってしまう、と言われるかもしれない。
けれども、そんなプライドがあるならば、最初から
ヒッチハイクなんか、しなければいいのである。
私はいちおう、その旅人の話を信じることにした。
私 「...1,000円ですね。」
旅人「『徒歩旅日本一周』というのもありまして。
2冊でしたら、2,000円になります。」
私 「いや、『チャリ旅日本一周』だけでお願いします。」
結局、1,000円を出した。
私にしては、めずらしい。けれど、12月24日の有馬記念で、
キタサンブラックを単勝で1万円買って、9,000円儲けた
ばかりだった。それで多少、気が大きくなっていたのと、
私なりに、若い旅人を応援したい、という気持ちもあった。
だまされたのではないか、と思う一方で、その旅人を信じたい
という気持ちもあった。しかしながら、まことに残念なことに、
2018年5月9日現在、『チャリ旅日本一周』は、私のもとに
送られて来ていない。
午前11時50分、道の駅笠岡ベイファームを出た。
福山を経由して、鞆(とも)にむかう。
(つづく)