「takさんはFacebookのアカウントを持っていないんですか?」
という質問を受けたのだが。
...はい、持ってます。
が、公開はしていません。
そもそも、現在の私はSNSに、あまり熱心に参加していません。
他人の行動を、いちいち読まされるのに
疲れましたから。(笑)
インターネットが普及したのは、1990年代後半。
以降、ブログ、mixi、ツイッター、Facebookなど、
さまざまなサービスが登場した。
それ以前からのPC-VAN、niftyなどといった、いわゆる
パソコン通信も含めると、日本におけるネット文化というものは、
早いもので、もう30年以上もの歴史をもつことになる。
私自身も、パソコン通信時代からネットをやっている。
そして、インターネットの時代になってからも、
いろいろなSNSに参加し、そして逃げ出してきた。(笑)
最初に参加したのは「この指とまれ!」だね。
登録することにより、中学、高校の同窓生とコミュニケーション
ができるというのは、非常におもしろかった。
中学の卒業生なんか、卒業後、もう30年以上経過していたのに、
一瞬で、あのころに戻ることができたからなあ。
けれども、すぐに飽きた。
中学・高校時代の友人とは、すごく仲が良かったけど、
その後、それぞれがいろいろな人生を歩んできたわけである。
そして、卒業後は同じ時間を共有していないから、
話題が合わないのである。
どうしても昔話に終始するし、すぐにネタが尽きてしまう。
ということで、いつのまにか、行かなくなってしまったな。
その後、mixiにはまった。
ひどいときは、1日3時間くらい、
mixiをやっている時期があったね。(笑)
あの頃、なぜ、mixiに夢中になったかというと、
「ゆびとま」が過去の人間関係の復活だけだったのに対して、
mixiは新しい人間関係をつくる機会
を提供してくれたからだと思う。
同じ趣味をもつ人間の集団「コミュニティ」を利用すること
によって、確実に新しい人間関係はひろがった。
パソコン通信のCUGに近いものがあったな。
でも、すぐにうっとうしくなった。
新しい人間関係をつくるというと聞こえはいいけど、
決して、いい人だけが参加してくるわけではない。
どうしたって、苦手なタイプの人も参加してくる。
それについては、大人だから、まあ、我慢して付き合う
わけだけど、あまりにも稚拙なことを言われると、
カチンとくることもある。
それにmixiって、たいして新しい情報が得られないんだよね。
延々と日記みたいなことを書いてくるやつが多くて。
で、コミュニティに参加していると、そのすべてにコメント
を入れなくてはいけない。
まさしく、mixi地獄だった。
そんなことに1日3時間くらい、時間をつかっていると、
他のことにも支障が出てくるし。
で、逃げ出してしまった。(笑)
次にブログをはじめた。
これは長続きしている。その理由は、みなさんもよく理解
していただけると思う。
書きっぱなしだから。(笑)
私のブログにRSS登録をしてくれている読者なんて、4人しかいない。
大半は検索エンジンから来てくれる読者だから。
要するに、不特定多数の読者に対して、延々と情報を発信している
だけであり、特定の人と交流をしているわけではない。
だから長続きしているのだと思う。
それでも、最初はうまくいかなくて。
So-netブログのシステムには、niceとコメントというのがあり、
私もかつては、いちいち、コメントに対する返事を書いていた。
また、“niceのお礼まいり”という暗黙のルールがあり、
私の記事を読んで、niceとコメントをくださった読者のブログを訪問し、
その記事を読んだうえ、niceとコメントを返す、ということになっていた。
そしたら、やはり1日3時間くらい、そんなことをするようになってしまった。
これじゃあ、mixi地獄の二の舞だ、と思って、逃げ出したのである。
そして、ほとぼりがさめたころ、また再開した。
こんどは、niceとコメント欄を閉鎖して、受け付けないようにして。
以来、うまく行っている。
次にツイッター。
これは微妙だよなー。
例えば、ロサンゼルス・レイカースをフォローしているだけで、
ゲームの経過、結果を逐一知ることができるというのは、
私にとっては大きなメリットである。だけど、それだけだね。
そして、Facebook。
これって感じとして、ゆびとまとmixiとツイッターを
合わせたようなシステムだよね。
SNSとしての完成形に近いと思う。
けれども、それなりにデメリットはある。
最大のデメリットは、ある程度、社会的に成功している人
(あるいは自分で成功していると思っている人)でないと、
参加しづらいってことだと思う。
そもそも、Facebookって、ハーバード大学の学生が始めて、
エール、プリンストンなど、いわゆるアイビー・リーガーの学生と、
その卒業生のためのもんだったわけで。
要するに、アメリカ社会をリードするエリートたちが、
再就職などの情報も含めて、実名で交流するための場だったのである。
そりゃ、有意義だわな。
そんな経緯を知っている者にとっては、日本でFacebookが
始まった頃は、旧帝大+つくば、東工大、一橋、
および早慶出身者でないと、参加しづらかった。
いまだに、Facebookの会員は、早慶および東大など、
yahooジオシティーズの大学ランキング でB1ランク以上
の大学出身者が圧倒的に多いのである。
出所:http://resemom.jp/article/img/2012/03/24/6964/25381.html
私自身は立教大学(注:C1ランクである)を卒業後、
平々凡々と生きてきた、ふつうの人である。
社会的に成功しているわけでもない。
ぶっちゃけ、Facebookでなにを言っても、相手にされなかったな。
ていうか、オートバイや自転車に乗って、旅をすることだけが
生きがいという単なる変わり者だし。
Facebookで私と交流しても、
なんのメリットもない。
それは理解できる。(笑)
現在のFacebookは、だいぶ敷居が下がったみたいだけど、
それでもネット上だけでなく、実生活も充実している
いわゆるリア充のためのSNSであることは否めない。
リア充でない私にとっては、2chを読んでいる方が、はるかに面白い。
そんな私が、どうしてFacebookのアカウントを持ち続けているのかというと、
ずばり、安倍首相の発言を読むため、である。
現在、いろんな人がメディアを通じた情報伝達よりも、
SNSを通じた情報伝達を重視し始めている。
それを読むために、Facebookのアカウントを維持し続けている。
自分が情報発信するためではない。
ま、いずれにしても、SNSというのは、延々と他人の自慢話、
もしくは日記を読まされるようなものであり、
相当がまん強い人でないと続かないから。
「なんで、友だちでもないやつの行動を読まされなければいけないんだ」
などと考えるような人は、SNSにはむいていないといえよう。
という質問を受けたのだが。
...はい、持ってます。
が、公開はしていません。
そもそも、現在の私はSNSに、あまり熱心に参加していません。
他人の行動を、いちいち読まされるのに
疲れましたから。(笑)
インターネットが普及したのは、1990年代後半。
以降、ブログ、mixi、ツイッター、Facebookなど、
さまざまなサービスが登場した。
それ以前からのPC-VAN、niftyなどといった、いわゆる
パソコン通信も含めると、日本におけるネット文化というものは、
早いもので、もう30年以上もの歴史をもつことになる。
私自身も、パソコン通信時代からネットをやっている。
そして、インターネットの時代になってからも、
いろいろなSNSに参加し、そして逃げ出してきた。(笑)
最初に参加したのは「この指とまれ!」だね。
登録することにより、中学、高校の同窓生とコミュニケーション
ができるというのは、非常におもしろかった。
中学の卒業生なんか、卒業後、もう30年以上経過していたのに、
一瞬で、あのころに戻ることができたからなあ。
けれども、すぐに飽きた。
中学・高校時代の友人とは、すごく仲が良かったけど、
その後、それぞれがいろいろな人生を歩んできたわけである。
そして、卒業後は同じ時間を共有していないから、
話題が合わないのである。
どうしても昔話に終始するし、すぐにネタが尽きてしまう。
ということで、いつのまにか、行かなくなってしまったな。
その後、mixiにはまった。
ひどいときは、1日3時間くらい、
mixiをやっている時期があったね。(笑)
あの頃、なぜ、mixiに夢中になったかというと、
「ゆびとま」が過去の人間関係の復活だけだったのに対して、
mixiは新しい人間関係をつくる機会
を提供してくれたからだと思う。
同じ趣味をもつ人間の集団「コミュニティ」を利用すること
によって、確実に新しい人間関係はひろがった。
パソコン通信のCUGに近いものがあったな。
でも、すぐにうっとうしくなった。
新しい人間関係をつくるというと聞こえはいいけど、
決して、いい人だけが参加してくるわけではない。
どうしたって、苦手なタイプの人も参加してくる。
それについては、大人だから、まあ、我慢して付き合う
わけだけど、あまりにも稚拙なことを言われると、
カチンとくることもある。
それにmixiって、たいして新しい情報が得られないんだよね。
延々と日記みたいなことを書いてくるやつが多くて。
で、コミュニティに参加していると、そのすべてにコメント
を入れなくてはいけない。
まさしく、mixi地獄だった。
そんなことに1日3時間くらい、時間をつかっていると、
他のことにも支障が出てくるし。
で、逃げ出してしまった。(笑)
次にブログをはじめた。
これは長続きしている。その理由は、みなさんもよく理解
していただけると思う。
書きっぱなしだから。(笑)
私のブログにRSS登録をしてくれている読者なんて、4人しかいない。
大半は検索エンジンから来てくれる読者だから。
要するに、不特定多数の読者に対して、延々と情報を発信している
だけであり、特定の人と交流をしているわけではない。
だから長続きしているのだと思う。
それでも、最初はうまくいかなくて。
So-netブログのシステムには、niceとコメントというのがあり、
私もかつては、いちいち、コメントに対する返事を書いていた。
また、“niceのお礼まいり”という暗黙のルールがあり、
私の記事を読んで、niceとコメントをくださった読者のブログを訪問し、
その記事を読んだうえ、niceとコメントを返す、ということになっていた。
そしたら、やはり1日3時間くらい、そんなことをするようになってしまった。
これじゃあ、mixi地獄の二の舞だ、と思って、逃げ出したのである。
そして、ほとぼりがさめたころ、また再開した。
こんどは、niceとコメント欄を閉鎖して、受け付けないようにして。
以来、うまく行っている。
次にツイッター。
これは微妙だよなー。
例えば、ロサンゼルス・レイカースをフォローしているだけで、
ゲームの経過、結果を逐一知ることができるというのは、
私にとっては大きなメリットである。だけど、それだけだね。
そして、Facebook。
これって感じとして、ゆびとまとmixiとツイッターを
合わせたようなシステムだよね。
SNSとしての完成形に近いと思う。
けれども、それなりにデメリットはある。
最大のデメリットは、ある程度、社会的に成功している人
(あるいは自分で成功していると思っている人)でないと、
参加しづらいってことだと思う。
そもそも、Facebookって、ハーバード大学の学生が始めて、
エール、プリンストンなど、いわゆるアイビー・リーガーの学生と、
その卒業生のためのもんだったわけで。
要するに、アメリカ社会をリードするエリートたちが、
再就職などの情報も含めて、実名で交流するための場だったのである。
そりゃ、有意義だわな。
そんな経緯を知っている者にとっては、日本でFacebookが
始まった頃は、旧帝大+つくば、東工大、一橋、
および早慶出身者でないと、参加しづらかった。
いまだに、Facebookの会員は、早慶および東大など、
yahooジオシティーズの大学ランキング でB1ランク以上
の大学出身者が圧倒的に多いのである。
出所:http://resemom.jp/article/img/2012/03/24/6964/25381.html
私自身は立教大学(注:C1ランクである)を卒業後、
平々凡々と生きてきた、ふつうの人である。
社会的に成功しているわけでもない。
ぶっちゃけ、Facebookでなにを言っても、相手にされなかったな。
ていうか、オートバイや自転車に乗って、旅をすることだけが
生きがいという単なる変わり者だし。
Facebookで私と交流しても、
なんのメリットもない。
それは理解できる。(笑)
現在のFacebookは、だいぶ敷居が下がったみたいだけど、
それでもネット上だけでなく、実生活も充実している
いわゆるリア充のためのSNSであることは否めない。
リア充でない私にとっては、2chを読んでいる方が、はるかに面白い。
そんな私が、どうしてFacebookのアカウントを持ち続けているのかというと、
ずばり、安倍首相の発言を読むため、である。
現在、いろんな人がメディアを通じた情報伝達よりも、
SNSを通じた情報伝達を重視し始めている。
それを読むために、Facebookのアカウントを維持し続けている。
自分が情報発信するためではない。
ま、いずれにしても、SNSというのは、延々と他人の自慢話、
もしくは日記を読まされるようなものであり、
相当がまん強い人でないと続かないから。
「なんで、友だちでもないやつの行動を読まされなければいけないんだ」
などと考えるような人は、SNSにはむいていないといえよう。
ということで、今回の記事のまとめであるが、
SNSは、たしかに面白い。
けれども、はまりすぎると害があるし、
むいている人といない人があるから。(笑)
ま、私自身はいろんなネット、SNSに参加してきて、
楽しかったこともあり、あるいは痛いめにもあってきた。(笑)
その結論としていえることは、ネットの世界の人間関係は
実世界とは違う。あくまでも架空のものだ
ということである。
SNSの普及により、コミュニケーションそのものは、
非常に容易になった。離れていても、いつでも誰とでも
“つながってる感”がある。
しかしながら、それは人間関係が深まっているわけではない。
要するに、実世界の友人であれば、長い交流の歴史があり、
また、お互いによく知っているから、信頼関係があるのだ。
だからこそ、良好な人間関係を維持しようとして、
お互いに尊重し、努力するわけである。
それに対して、架空の人間関係は、信頼関係なんかない。
また、仮に修復が不可能になっても、すぐに新しい人間関係
ができるから、べつにかまわないのである。
だから、人間関係を維持するための努力なんかしない。
ということで、すぐに壊れる。あたりまえの話である。
そもそも、SNSによるコミュニケーションというのは、
往々にして、一方通行である。自分が相手に対して、
こうして欲しい、と感じていることを伝えるだけである。
それを断ったり、否定したら、それで終わり。
けれども、実世界の友人であれば、相手にも相手の都合
や意見があることは当然と考える。そして、それを尊重する。
だからこそ、人間的な交流が生まれるのだと、私は思う。