白内障の手術を受けてきたのだが。そのつづき。
2016年12月5日午前8時30分。手術の翌日である。
看護師さんが、眼帯をとる。
その瞬間、はっきりとした像がひろがった。
おおっ、見える、見えるぞ。
けれども、なんだか違和感がある。
像が青っぽいのである。
オリジナルの右眼で見える像の色温度が、
太陽光の5000K(ケルビン)だとしたら、
あたらしい左眼で見える像の色温度は、
ストロボ光の5500Kくらいである。
ホワイトバランス調整機能があるならば、
「曇天」に合わせたいくらいである。
けれども、まあ、贅沢は言ってられない。
視力検査をする。
もともと、私の左眼はかるい近視であり、
視力は0.5くらいであった。
けれども、新しい左眼は、1.0ほど出ている。
まさしく、♪見えすぎちゃってこまるの~、状態である。
医師の診察を受ける。
医師「どうですか。具合は?」
私 「おかげさまで、とてもよく見えます。」
医師「違和感はありますか。」
私 「なんだか、像が青っぽいですけど。」
医師「じょじょに慣れますよ。」
私 「そんなもんですか。」
医師「はい、そんなもんです。」
で、どうなったかであるが、たしかにじょじょに慣れてきた。
まず、像の色温度の差であるが、3日で慣れた。
左右の色の感じ方に差がなくなってきたのである。
それでも、厳密にいうと、ちょっと色温度が異なる。
だから、画家とかデザイナーなど、色を扱う仕事の人は、
入れる眼内レンズについて、医師と十分に相談した方が
いいかもしれない。
それと、手術後すぐは、夜間、点光源を見たときに、
スジが出た。眼内ケンコーバリクロス状態であったけれど、
これも1週間で消えた。ということで、手術後1週間で
不自然な感じはほとんどなくなった。
若干、不自由になったことというと、眼鏡が手放せなくなった。
眼内レンズは固定焦点だから、左眼のピント調整機能が
なくなったためである。
眼鏡は、2つ必要になった。
ひとつは、パソコンのディスプレイを見るとき用で、
+0.5という弱い老眼鏡(乱視矯正入り)。
もうひとつは、手元の本や書類を見るとき用で、
+1.5という強い老眼鏡である。
ということで、とても不便である。
けれども、フォーカスがあまい状態だと、脳がひじょうに
つかれるから、仕方がないと思う。
そのかわり、運転するときは眼鏡が必要なくなった。
2017年1月12日。手術後、1ヶ月経過し、ほぼ普通の生活に
もどることができた。
約9ヶ月ぶりに、オートバイに乗ってみる。
怖くて仕方がない。
(^^;
よく、こんなもんに30年以上も乗ってきたな。
もちろん、私の運転がどヘタなせいだけど。
けれども、なれるにしたがって、オートバイを操る楽しさが
よみがえってきた。
白内障が進行したことにより、バックミラーに映る像だけで、
後ろのクルマとの距離と速度差が判断できなくなった。
そのことがオートバイから降りる決心をした最大の理由であった。
が、どうやらもと通りになったようだ。
つい、楽しくなって、海まで走ってしまった。
海を見ながら、考えた。
私は父親としての役割を終え、そして年齢をとった。
そのことにより、生きることに消極的になっていたようだ。
もちろん、あと、何年かすれば、私は死ぬ。
さらにいうと、あと10年もすれば、いまほど自由に
からだが動かなくなるだろう。
けれども、残された時間、できるだけ楽しんで生きよう。
そのため、旅をするための道具として、オートバイを
復活させよう。そう思った。
2016年12月5日午前8時30分。手術の翌日である。
看護師さんが、眼帯をとる。
その瞬間、はっきりとした像がひろがった。
おおっ、見える、見えるぞ。
けれども、なんだか違和感がある。
像が青っぽいのである。
オリジナルの右眼で見える像の色温度が、
太陽光の5000K(ケルビン)だとしたら、
あたらしい左眼で見える像の色温度は、
ストロボ光の5500Kくらいである。
ホワイトバランス調整機能があるならば、
「曇天」に合わせたいくらいである。
けれども、まあ、贅沢は言ってられない。
視力検査をする。
もともと、私の左眼はかるい近視であり、
視力は0.5くらいであった。
けれども、新しい左眼は、1.0ほど出ている。
まさしく、♪見えすぎちゃってこまるの~、状態である。
医師の診察を受ける。
医師「どうですか。具合は?」
私 「おかげさまで、とてもよく見えます。」
医師「違和感はありますか。」
私 「なんだか、像が青っぽいですけど。」
医師「じょじょに慣れますよ。」
私 「そんなもんですか。」
医師「はい、そんなもんです。」
で、どうなったかであるが、たしかにじょじょに慣れてきた。
まず、像の色温度の差であるが、3日で慣れた。
左右の色の感じ方に差がなくなってきたのである。
それでも、厳密にいうと、ちょっと色温度が異なる。
だから、画家とかデザイナーなど、色を扱う仕事の人は、
入れる眼内レンズについて、医師と十分に相談した方が
いいかもしれない。
それと、手術後すぐは、夜間、点光源を見たときに、
スジが出た。眼内ケンコーバリクロス状態であったけれど、
これも1週間で消えた。ということで、手術後1週間で
不自然な感じはほとんどなくなった。
若干、不自由になったことというと、眼鏡が手放せなくなった。
眼内レンズは固定焦点だから、左眼のピント調整機能が
なくなったためである。
眼鏡は、2つ必要になった。
ひとつは、パソコンのディスプレイを見るとき用で、
+0.5という弱い老眼鏡(乱視矯正入り)。
もうひとつは、手元の本や書類を見るとき用で、
+1.5という強い老眼鏡である。
ということで、とても不便である。
けれども、フォーカスがあまい状態だと、脳がひじょうに
つかれるから、仕方がないと思う。
そのかわり、運転するときは眼鏡が必要なくなった。
2017年1月12日。手術後、1ヶ月経過し、ほぼ普通の生活に
もどることができた。
約9ヶ月ぶりに、オートバイに乗ってみる。
怖くて仕方がない。
(^^;
よく、こんなもんに30年以上も乗ってきたな。
もちろん、私の運転がどヘタなせいだけど。
けれども、なれるにしたがって、オートバイを操る楽しさが
よみがえってきた。
白内障が進行したことにより、バックミラーに映る像だけで、
後ろのクルマとの距離と速度差が判断できなくなった。
そのことがオートバイから降りる決心をした最大の理由であった。
が、どうやらもと通りになったようだ。
つい、楽しくなって、海まで走ってしまった。
海を見ながら、考えた。
私は父親としての役割を終え、そして年齢をとった。
そのことにより、生きることに消極的になっていたようだ。
もちろん、あと、何年かすれば、私は死ぬ。
さらにいうと、あと10年もすれば、いまほど自由に
からだが動かなくなるだろう。
けれども、残された時間、できるだけ楽しんで生きよう。
そのため、旅をするための道具として、オートバイを
復活させよう。そう思った。
ということで、今回の記事のまとめであるが、
白内障の手術は簡単である。
白内障の進行により、オートバイ、自転車などに乗るのを
あきらめておられる中高年の方は、ぜひとも手術をうける
べきであろう。
人生に対する考え方は、人それぞれである。
それは当然であるけれど、それでも、後悔しないように
生きることは、大事なことである。
私はそう思うのである。