旧東海道を歩いた。(大森町~保土ヶ谷)
DAY3 大森町~保土ヶ谷 約21.6km
![hodoga.gif]()
2020年2月1日午前8時20分、私は大森町の駅にいた。
このところ、新型コロナウィルスが猛威をふるっている。
ということで、マスクで完全防備である。
![ohmori.jpg]()
大森町駅にて
国道15号線(第一京浜)に出て、南へすすむ。
このあたり、旧東海道は残っていないので、
国道を歩くしかない。
梅屋敷、京急蒲田、雑色(ぞうしき)と京急の駅をすぎて、
多摩川につきあたった。
徳川家康は、多摩川に六郷大橋を架け、
江戸に自由に往来できるようにした。
以来、六郷大橋は、江戸への物資の流通における
要衝であったが、1688年の大洪水で流されてしまい、
以来、渡し船による渡しとなった。
再び、橋がかけられたのは、
明治になってからである。
現在の六郷橋は、1984年に完成した。
片側3車線の広大な橋となっており、
京浜間の物流における大動脈となっている。
![s-rokugo1.jpg]()
六郷橋
六郷橋をわたり終えて、すぐのところを、
右に入ったあたりから、川崎宿である。
むかしから遊郭の多かったところで、
現在も風俗営業のお店が多い。
「川崎堀之内」として、全国的に有名である。
まあ、ぶっちゃけ、あまり治安のいいところ
ではないので、気をつけて通った方がいい。
東海道川崎宿交流館という施設があったので、
トイレを借りて、飲みものを買った。
![s-kawasaki.jpg]()
東海道川崎宿交流館
駅前の大通りを信号でわたり、さらにすすむと、
八丁畷(はっちょうなわて)の駅に出る。
JR南武線の浜川崎支線と京浜急行の乗り換え駅である。
長年、鉄道ファンをやっているが、
私はいまだかつて、この駅を利用したことはない。
それくらい、地味な乗り換え駅である。
![s-haccho.jpg]()
八丁畷駅
八丁畷駅をすぎたところで、道に迷った。
鶴見周辺の旧東海道は、わかりづらい。
前回、オートバイで走ったときも、
このあたりで、迷ってしまったな。
地図ソフトのMAPS.MEを起動し、
旧東海道のGPSデータを表示させる。
この組み合わせは、非常に便利であり、
旧東海道を歩いて旅しようとされる方は
ぜひとも活用されることをおすすめする。
![maps.jpg]()
MAPS.MEに旧東海道のデータを表示させたところ
※赤い線が旧東海道のデータ
鶴見駅をすぎ、第一京浜をわたって、
しばらく行くと、JR鶴見線の国道駅がある。
国道との交点にあるから国道駅で、
味もそっけもない駅名である。
ガード下のアーチは、スペインのグラナダ郊外にある
アルハンブラ宮殿を思わせる。
が、そこにある飲み屋さんには、昭和の雰囲気が漂う。
すでに営業をしていないお店も多く、なんだか、
廃墟のような駅であった。
![kokudo01.jpg]()
JR国道駅
![s-kokudo2.jpg]()
国道駅ガード下
さらにすすむと、生麦事件の発生現場がある。
1862年9月14日、乗馬中のイギリス人4名が
薩摩藩の島津久光の行列を妨害したとして、
殺傷された事件である。発生現場の看板は、
意外なことに、個人宅の塀にかかげられていた。
また、斬られた英国人が逃亡し、
絶命した場所には、生麦事件碑が建っている。
キリンビール横浜工場の近くである。
![s-namamu01.jpg]()
生麦事件の発生現場
![s-namanu2.jpg]()
生麦事件碑
ふたたび国道15号線にもどり、
京急新子安、子安、神奈川新町、仲木戸といった
駅をすぎる。神奈川公園で、ベンチにすわって
お弁当を食べた。
ハトが寄ってきて、じっと私を見つめる。
なんだか、プレッシャーである。
![s-kanaga.jpg]()
神奈川駅
神奈川宿は、現在の神奈川駅の近くである。
旧東海道は、横浜とは逆の方向に登っていく。
多くの方にとっては、意外に思われるだろうけど、
江戸時代においては、横浜は寒村であった。
もともとの横浜は、現在の元町中華街駅から
馬車道駅あたりまでのびていた砂州である。
「横に出た浜」、つまり、横浜であった。
現在の中心街である関内(かんない)の
あたりは、完全に海の中。
反対側の山の手地区は、かつては岬であり、
海食崖が続いていた。石川町からフェリス女学院
あたりに登る道には、その頃の名残が残っている。
旧東海道は、神奈川宿から、かつての海食崖を登り、
むかしの海岸沿いをすすむ。
浅間神社(せんげんじんじゃ)に参ってから、
さらに歩く。相鉄の天王町駅ちかくで、
カモメに餌をやっているおばさんがいて、
橋のうえに、いっぱい、カモメがとまっていた。
午後2時すぎ、保土ヶ谷駅に着いた。
![s-seagull.jpg]()
カモメ
20kmをすぎたあたりから、ひざが痛くなってきた。
私はむかし、バスケットボールをやっていたので、
ひざに古傷をかかえている。
運動をするときには、いつもサポーターをしているのだが、
今回は、平坦なところを30kmくらい歩くだけだから、
サポーターなんかいらないだろう、と思って、
してこなかったのだ。
いわゆる油断である。
がまんしながら歩いていたのだが、樹源寺(じゅげんじ)
をすぎたあたりで、とうとう、がまんができなくなった。
ここから戸塚までは6kmくらいあり、権太坂の登りもある。
無理をせず、ここでやめておけば、家に帰ってアイシングを
するだけで、なおるだろう。
でも、まだ午後2時すぎだから、ここでやめるのはもったいない。
どうしようかな、と思って、考えていた。
すると、タイミングよく、路線バスが来た。
思わず乗ってしまった。www
絵に描いたような途中リタイアである。
次回は、保土ヶ谷駅から続きをやろうと思う。
DAY3 大森町~保土ヶ谷 約21.6km

2020年2月1日午前8時20分、私は大森町の駅にいた。
このところ、新型コロナウィルスが猛威をふるっている。
ということで、マスクで完全防備である。

大森町駅にて
国道15号線(第一京浜)に出て、南へすすむ。
このあたり、旧東海道は残っていないので、
国道を歩くしかない。
梅屋敷、京急蒲田、雑色(ぞうしき)と京急の駅をすぎて、
多摩川につきあたった。
徳川家康は、多摩川に六郷大橋を架け、
江戸に自由に往来できるようにした。
以来、六郷大橋は、江戸への物資の流通における
要衝であったが、1688年の大洪水で流されてしまい、
以来、渡し船による渡しとなった。
再び、橋がかけられたのは、
明治になってからである。
現在の六郷橋は、1984年に完成した。
片側3車線の広大な橋となっており、
京浜間の物流における大動脈となっている。

六郷橋
![]() |
歌川広重作「川崎」(保永堂版) |
六郷橋をわたり終えて、すぐのところを、
右に入ったあたりから、川崎宿である。
むかしから遊郭の多かったところで、
現在も風俗営業のお店が多い。
「川崎堀之内」として、全国的に有名である。
まあ、ぶっちゃけ、あまり治安のいいところ
ではないので、気をつけて通った方がいい。
東海道川崎宿交流館という施設があったので、
トイレを借りて、飲みものを買った。

東海道川崎宿交流館
駅前の大通りを信号でわたり、さらにすすむと、
八丁畷(はっちょうなわて)の駅に出る。
JR南武線の浜川崎支線と京浜急行の乗り換え駅である。
長年、鉄道ファンをやっているが、
私はいまだかつて、この駅を利用したことはない。
それくらい、地味な乗り換え駅である。

八丁畷駅
八丁畷駅をすぎたところで、道に迷った。
鶴見周辺の旧東海道は、わかりづらい。
前回、オートバイで走ったときも、
このあたりで、迷ってしまったな。
地図ソフトのMAPS.MEを起動し、
旧東海道のGPSデータを表示させる。
この組み合わせは、非常に便利であり、
旧東海道を歩いて旅しようとされる方は
ぜひとも活用されることをおすすめする。

MAPS.MEに旧東海道のデータを表示させたところ
※赤い線が旧東海道のデータ
鶴見駅をすぎ、第一京浜をわたって、
しばらく行くと、JR鶴見線の国道駅がある。
国道との交点にあるから国道駅で、
味もそっけもない駅名である。
ガード下のアーチは、スペインのグラナダ郊外にある
アルハンブラ宮殿を思わせる。
が、そこにある飲み屋さんには、昭和の雰囲気が漂う。
すでに営業をしていないお店も多く、なんだか、
廃墟のような駅であった。

JR国道駅

国道駅ガード下
さらにすすむと、生麦事件の発生現場がある。
1862年9月14日、乗馬中のイギリス人4名が
薩摩藩の島津久光の行列を妨害したとして、
殺傷された事件である。発生現場の看板は、
意外なことに、個人宅の塀にかかげられていた。
また、斬られた英国人が逃亡し、
絶命した場所には、生麦事件碑が建っている。
キリンビール横浜工場の近くである。

生麦事件の発生現場

生麦事件碑
ふたたび国道15号線にもどり、
京急新子安、子安、神奈川新町、仲木戸といった
駅をすぎる。神奈川公園で、ベンチにすわって
お弁当を食べた。
ハトが寄ってきて、じっと私を見つめる。
なんだか、プレッシャーである。
![]() |
歌川広重作「神奈川」(保永堂版) |

神奈川駅
神奈川宿は、現在の神奈川駅の近くである。
旧東海道は、横浜とは逆の方向に登っていく。
多くの方にとっては、意外に思われるだろうけど、
江戸時代においては、横浜は寒村であった。
もともとの横浜は、現在の元町中華街駅から
馬車道駅あたりまでのびていた砂州である。
「横に出た浜」、つまり、横浜であった。
現在の中心街である関内(かんない)の
あたりは、完全に海の中。
反対側の山の手地区は、かつては岬であり、
海食崖が続いていた。石川町からフェリス女学院
あたりに登る道には、その頃の名残が残っている。
旧東海道は、神奈川宿から、かつての海食崖を登り、
むかしの海岸沿いをすすむ。
浅間神社(せんげんじんじゃ)に参ってから、
さらに歩く。相鉄の天王町駅ちかくで、
カモメに餌をやっているおばさんがいて、
橋のうえに、いっぱい、カモメがとまっていた。
午後2時すぎ、保土ヶ谷駅に着いた。

カモメ
20kmをすぎたあたりから、ひざが痛くなってきた。
私はむかし、バスケットボールをやっていたので、
ひざに古傷をかかえている。
運動をするときには、いつもサポーターをしているのだが、
今回は、平坦なところを30kmくらい歩くだけだから、
サポーターなんかいらないだろう、と思って、
してこなかったのだ。
いわゆる油断である。
がまんしながら歩いていたのだが、樹源寺(じゅげんじ)
をすぎたあたりで、とうとう、がまんができなくなった。
ここから戸塚までは6kmくらいあり、権太坂の登りもある。
無理をせず、ここでやめておけば、家に帰ってアイシングを
するだけで、なおるだろう。
でも、まだ午後2時すぎだから、ここでやめるのはもったいない。
どうしようかな、と思って、考えていた。
すると、タイミングよく、路線バスが来た。
思わず乗ってしまった。www
絵に描いたような途中リタイアである。
次回は、保土ヶ谷駅から続きをやろうと思う。