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井川(いかわ)ダム、畑薙(はたなぎ)第一ダム

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井川ダムと畑薙第一ダムのダムカードをゲットした。


hatana1.jpg
畑薙第一ダムにて


2017年10月1日 日よう日のことである。
7月から抱えていた仕事が一段落したので、
3ヶ月ぶりに休むことにした。

金谷(かなや)から、国道473号線を北上し、
井川にむかう。
オートバイに乗るのは、6月2日に丸沼ダムに行った
とき以来だから、およそ4ヶ月ぶりである。
ひさしぶりだから、怖いのなんのって。
(^^;ゞ

実際の速度と体感速度にビミョーなズレがあるためである。
下り坂の左カーブでRを読み間違えて、
ちょっと、オーバースピード気味に入ってしまった。
カリカリカリッ!とステップを擦する。
心臓がとまるかと思ったよ。

もう、40年ちかくオートバイに乗っているのに、
いまだに、こんなにどヘタである。www

接阻峡温泉(せっそきょうおんせん)駅を通りがかったとき、
ちょうど、列車が走っていた。
大井川鐵道の井川線は、接岨峡温泉駅―井川駅間が
2014年9月より不通となっていたのであるが、
2017年3月11日より、平常運転している。

午前10時25分、井川ダムに着く。
長い階段をのぼって、中部電力井川展示館に
登っていった。ダムカードをもらうためである。
入り口をはいると、職員さんと目が合った。

職員さん「いらっしゃいませ。ダムカードですね。」
私   「は、はい。お願いします。」

ということで、ノートに「東京都立川市 tak」と
記入し、ダムカードをいただく。

私 「どうもありがとうございます。
   最近、ダムカードを集めに来られる方は
   多いんですか?」
職員「そうでもないです。でも、雰囲気で
   すぐわかりますよ。かならず、ひとりで
   いらっしゃいますから。」
私 「かならずひとりで、ですか。」
職員「はい。何人かのグループで来られる方
   というのは、めったにないですね。」


なるほど。



ikawa.jpg
井川ダムのダムカード


私が、これから畑薙第一ダムまで行きます、と言うと、
「道が悪いですから。どうかお気をつけて。」と
アドバイスをくださった。
すこし館内を見学して、午前11時に出発した。


畑薙第一ダムまで行くのは、今回で2回めである。
大井川鐡道沿線には、何回も来ているのだが、
いちばん奥まで行くと、さすがに帰ってくるのが
大変である。

それと、このあたり、通行規制がすごく多いのである。
南アルプス登山の玄関口になっているせいであろう。
この日は時間帯通行規制(1時間のうち5~10分くらいしか
クルマを通さない)は行われていなかった。

午前11時50分、畑薙第一ダムに着いた。
ダムカードをもらうため、証拠の写真を撮る。
そして、4kmほど下ったところにある白樺荘(しらかばそう)
に行く。

入っていくと、職員さんと目が合った。

職員さん「いらっしゃいませ。ダムカードですね。」
私   「は、はい。お願いします。」


ということで、ノートに「東京都立川市 tak」と
記入し、ダムカードをいただく。

私 「どうもありがとうございます。
   最近、ダムカードを集めに来られる方は
   多いんですか?」
職員「そうでもないです。でも、雰囲気で
   わかります。(あなたのように)バイクで
   来られる方は、めずらしいですけど。」
私 「そうなんですか。」
職員「はい。ほとんどの方はクルマで
   いらっしゃいます。ひとりで来られる
   方が多いですね。」
私 「ほほう。」
職員「(ダムカードを)集めに来られる方は、
   礼儀正しい若い方が多いですね。」



hatanagi.jpg
畑薙第一ダムのダムカード


白樺荘で温泉に入り、昼寝をしてから、食事をする。
午後3時に出発し、立川にもどった。
クタクタになるまで走る→温泉に入る→寝る→食う
という、私の休みのスタイルを、ひさびさにやってしまったね。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
井川ダムのダムカードは中部電力井川展示館、
畑薙第一ダムのダムカードは白樺荘で配布している。
奥大井は、これからの季節、紅葉がきれいであるから、
訪ねてみるのもいいかもしれない。その際、ダムカードを
もらうのを、どうかお忘れなく。


CB750(RC42)のウィンカー交換

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ウィンカー(正確な英語ではブリンカー or ターンシグナル)
を交換したった。

original3.jpg
オリジナルのウィンカー


私のオートバイは2004年型のCB750(RC42)なんだけど、
新車で購入して、初めて見たときから、私は、
「ウィンカーがダサイなー。」
と思っていた。やたらとでかいし、かたちは四角いし、
ゴムでできたステーが長いし。

それでも13年間、ずっと交換しなかったのは、
私にとっては、オートバイのウィンカーよりも、
もっと大事なことが、いっぱいあったからである。
家族のこと、仕事のこと、自分自身のこと...。
それらのことにくらべれば、オートバイのウィンカー交換
の優先順位は低かった。
もっとはっきりいうと、どうでもよかった。

ところが、先日、立川駅ちかくの駐輪場にとめていたとき、
心ない人にイタズラされて、ウィンカーをポッキリと
折られてしまったのである。とりあえず接着剤で
くっつけたけど、さすがにカッコ悪い。
しかたがないので、交換することにした。


で、選んだのがこれ。
クリアレンズ仕様で、現行のCB1300風である。
ちょいとナウい(死語)感じにしてみたね。
amazonで買ったのだが、2個入り1,830円
1個あたり915円。前後4個で3,660円である。
オレンジの電球がついて、この値段。やすい。

winker1.jpg
amazonで買ったウィンカー


全体の長さは、約17センチ(ステー+レンズ)。
純正品の長さとほぼ同じ。ていうか、レンズの部分は
むしろ、大きい。
個人的な趣味としては、前に乗っていたオートバイGB250に
ついていたような、小さめの円形のウィンカーが好きである。
だが、大きなウィンカーには視認性がいいという、
なにものにも代えがたいメリットがある。
ということで、カッコよさよりも安全性を優先し、
大きなウィンカーにした。

winker10.jpg
全体の長さ (上が純正品)


品質については、やはり値段なりである。
とりわけ、気になったのが反射板。
なんと、うっすらと銀色に塗装されているだけ。www
しかたがないので、ダイソーで買ってきたアルミテープ
を貼りまくる。

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銀色に塗装されただけの反射板

winker4.jpg
アルミテープを貼りまくる


それと防水性であるが、ゴムパッキンもなーんもなし。
しかたがないので、いちばん底になる部分に直径5ミリの
水ヌキ穴をあけた。

winker5.jpg
水ヌキ穴をあける


アース(マイナス極)線については、なんと、バネに
銅線が巻きつけてあるだけ。思わず笑ってしまった。
しかたがないので、自分でハンダ付けした。

winker11.jpg
バネに銅線が巻きつけてあるだけ

winker12.jpg
ハンダ付けする


私はプラスチックまるだしの外観が好きではないので、
全体を黒く塗装した。これについては、私の個人的な趣味
ですので、あまり気になさらないでください。

winker6.jpg
黒に塗装する


接続はテスターを使って、確認しながらつないでいく。
配線を切ったりするときは、バッテリーターミナルを
はずして作業した方がいいね。
フロントはポジション付きなので、3本のコード、
リアはポジションなしなので、2本のコードである。
参考までに、コードの色は以下のとおり。
ただし、車体側は年式により異なるかも。
リアウィンカーの白(ポジション)コードは使わないので、
短く切って、絶縁、防水処理をしておく。

ウィンカー
 青(ウィンカー)・白(ポジション)・緑(アース)

車体
フロント左
 オレンジ(ウィンカー)・オレンジ/白(ポジション)・緑(アース)
フロント右
 空(ウィンカー)・空/白(ポジション)・緑(アース)

リア左
 オレンジ(ウィンカー)・緑(アース)
リア右
 空(ウィンカー)・緑(アース)

winker7.jpg
フロントの片側だけ交換したところ

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左ウィンカー点灯/右ポジション点灯でウィンクさせたところ

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交換後(フロント) 非点灯

winker13.jpg
交換後(フロント) ハザードを点灯

winker12.jpg
交換後(リア) 非点灯



ということで、今回の記事のまとめであるが、
CB750(RC42)のウィンカーの交換は簡単である。
参考になれば幸いである。


交換球についてなのだが、面白いことに気がついた。
ダブル球って、ふつう、ピンが段違いになっていて、
W数を間違えないようにしているよね。
でも、この製品についているダブル球って、
ふつうの平行ピンなんだよね。
だから、どっち向きでも入ってしまう。

s25or.jpg
ピンが段違いになっていないダブル球???

不思議である。
中国のダブル球って、みんな段違いになっていないんだろうか。
調べてみると、S25球にはダブル球の平行ピンっていう製品は
ないけど、G18球にはあった。amazonで689円(1個入り)
であった。

交換球
 メーカー M&Hマツシマ
 電球番号 5610OR
 定格 12V 23/8W
 記号 G18 BA15D(平行ピン)



LED化は考えなかったのですか。
というご意見をいただいた。

→ウィンカーリレーを交換しなければならないのでコスト高になります。また、市販のLED電球は問題が多いと聞きます。

ウィンカーをLED化しようとすると、ウィンカーリレーをLED対応のものに交換しなければなりません。これが、だいたい3,000円くらい。白熱球にくらべて、コスト高になります。

さらに、LED電球ですが、これが1個1,000~3,000円くらい。コスト高のうえ、現在、市販されている製品は問題が多いと聞きます。SMD(表面実装)タイプのLEDを使ったものは、ハンダのはがれによる断線が多いと聞きますし、粗悪品になると、一発で煙を出して終わり、だそうです。

LEDは、だいたい5Vで点灯するようにつくられています。が、オートバイやクルマのバッテリー電圧は12V。つまり、12V→5Vに変換しなければなりません。ツェナーダイオードなどを使った定電圧回路が必要なのですが、安物だと、そんなものは使わず、単に抵抗器をかますだけなのでしょう。で、その抵抗器もコストダウンのため、定格電力の低いものを使ったりすれば、そりゃ、当然、燃えますわ。

スタンレー電気や小糸製作所といった一流メーカーの製品で、耐振動タイプのLED電球でもあれば使ってみようと思いますが、そんなものが売っているのは見たことがありません。まだまだこれからの商品なのでしょうね。



これって、とんでもない粗悪品じゃないですか。
というご意見をいただいた。

→そうですね。でも、オートバイ用パーツのサードパーティ品なんて、こんなもんでしょう。

まだ、この製品は組み立て時のコストダウンに徹しているだけで、レンズや本体のプラスチックはそれなりのものを使っていますから、好感がもてます。

一発で煙を出して発火するLED電球なんか、抵抗器が定格電力を超えれば発火することくらい、電気工作に詳しい小学生でも知っていますから、まちがいなく確信犯でやっています。そういったモノをつくっているメーカーは、それを使うことにより、ライダーが死のうがどうなろうが、知ったことではない、という姿勢が見え見えです。底知れぬ悪意を感じますよ。

アルミテープを貼ったり、水ヌキ穴をあけたり、ハンダ付けしたりするのがイヤな方は、純正品を買えばいい。それだけの話です。

静岡県湖西市(こさいし)まで移動してきた

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東京から湖西市まで、オートバイで往復してきた。

2017年12月4日月よう日のことである。
仕事が一段落したので、2ヶ月ぶりに休むことにした。
2ヶ月間、ずっと、土日も働いていた。
だから、とにかく休みたい。

ということで、クタクタになるまで走る→温泉に入る
→寝る→食う→走る、という、私の休みのスタイルを
またやることにする。

朝5時に出発。とりあえず、国道1号線を西に。
小田原、三島、富士、静岡、掛川、浜松と走る。
そして、午前11時ごろ、湖西市の国道1号線沿いにある、
とある駐車場に着いた。

beach.jpg
湖西市にある、とある駐車場にて


ここは、すぐ近くが海なので、私がよく来るところだ。
いい波が立つので、サーファーたちが集まるポイント
になっている。夜は、たくさんのサーファーたちが
車中泊していて、夜明けとともに、サーフボードを
かかえて、海に出ていく。
「あんたら、ふだん、どんな仕事してるのよ。」
と思わず尋ねたくなるけど、まあ、とにかく、
遊び人がたくさん集まるところは、気分がいい。

けれども、今日は波がないので、誰も海に出ていなかった。
釣り人たちが、海にむかってメタルジグを投げている。
たぶん、ヒラメを釣っているのだろう。
けれど、超高級魚であるヒラメが、そんなに簡単に
釣れるわけもなく、私が見ているあいだ、誰も
釣り上げていなかった。

釣り人をボーっと見ていると、雨が降ってきた。
天気予報では晴れだったのだが...。
今夜は近くにある渚園キャンプ場か、あるいは、
伊良湖岬に行くまでの海岸のどこかでキャンプをしよう
と思っていたのに...。

しかたがないので、雨がしのげるところに移動する
ことにした。すぐ近くに、浜名湖競艇場がある。
私はギャンブルをする施設には、行ったことがない。
馬券も車券も舟券も、買ったことがない。
けれども、おもしろそうなので入ってみた。

入場料100円を支払う。さっそく、舟券を買おう。
とりあえず、出走間近の7レースを買うことにした。
マークシートになった投票カードを手にするが、
はじめてなので、よくわからん。

競艇は、1コースが圧倒的に有利である。
そのことは素人の私でも知っている。
ということで、1コースの宮武英司選手が1位になると予想。
2位は全コース買ってやろうか、と思った。
そういう買い方を「蛭子(えびす)買い」というのだそうだ。
漫画家の蛭子能収さんが、そういう買い方をするらしい。
けど、それだとお金がいくらあっても足りないし、
勝っても大した儲けにならない。
ということで、2位になるのは出走選手のなかで
唯一のA1選手である2コースの廣瀬将亨選手と予想。
2連単で1-2を1,000円買った。

ということで、舟券を握りしめて、観客席に行く。
もし当たれば5,900円になるから、4,900円の儲けである。
わーい、賭けごとって、楽しいなっと。

レースの結果は、1コースの宮武選手が1位であった。
これは予想どおり。
けれども、2位は4号艇の柳瀬興志選手。
私が買った2号艇の廣瀬選手は3位であった。
1ターンめで5号艇の選手に追突されて、
バランスを崩しているあいだに、4号艇の柳瀬選手に
先に行かれてしまったのであった。

ちっ!

浜名湖競艇 JESCO杯7Rの動画
http://livebb.jlc.ne.jp/bb_top/new_bb/index.php?tpl=06


7レースが終わると雨が上がった。
天気はいまひとつで、キャンプはできそうにない。
スマホで弁天島温泉とか、舘山寺温泉など、
このあたりの有名な温泉地の宿を検索してみたけど、
なんとなく、ちがう感じがする。
どうも、こういった温泉地の宿は、社員旅行とか、
団体で宴会をするための場所であり、ひとり旅の
オートバイ乗りに来られても困る感じである。

しかたがないので、東京にむかって戻りつつ、
どこかで泊まれるところをさがすことにする。

静岡市に入ったところで、国道150号線にむかう。
大浜海岸にある駐車場にオートバイを止め、
夕暮れの海を見ながら、しばし、ボーッとした。
スマホを使って、安いビジネスホテルが空いていないか
さがしたけれど、あいにくどこも満室であった。
結局、この日は国道1号線沿いにある駿河健康ランドで
仮眠をした。



翌朝、目がさめたら、午前11時だった。
サウナに入ったあと、12時間、ずっと眠り続けていた
ことになる。自分でもびっくりである。
チェックアウトの時刻は午前10時であったので、
入場料1,700円を、もう一度、取られてしまった。
昨日の舟券1,000円とあわせて、2,700円もムダ使いして
しまった。

とりあえず、走り始める。
宮島東の交差点を左折。国道139号線に入る。
道の駅 朝霧高原で休憩した。
富士山が目の前に見えている。

fuji1.jpg
朝霧高原からみた富士山


あさぎりフードパークというところで、
あさぎり牛乳を飲む。
価格は忘れたけど、たしか180円だったと思う。
低温殺菌の牛乳なので、美味しかった。

さらにすすむ。
河口湖町にはいった。いつもは、河口湖インターから
中央道に入る。そうすれば、1時間以内で立川に帰る
ことができるから。
けれども、今回の旅では2,700円もムダ使いしているので、
高速代を節約することにした。
山中湖から国道413号線に入り、道志経由で帰ることにする。

fuji2.jpg
山中湖からみた富士山


道志村を走ると、やたらと寒かった。
午後4時の時点で、気温は5℃くらいである。
知らなかった。このあたりって、こんなに寒いところ
だったんだ。
青山の交差点を左折。三ケ木(みかげ)を右折で、
津久井方面へ。橋本から八王子バイパスを通って帰った。


ということで、今回の記事のまとめであるが、
立川から湖西市まで往復してきた。
それだけ。www


2日間で約670kmくらい、走った。
その間、観光をするとか、美味しいものを食べるとか、
そういったことは、まったくしなかった。
ただ単に、移動しただけ。
舟券は買ったけど、当たらなかったし...。

バカなことをしている、という自覚はちゃんとあります。
どうか、ご心配なく。

要するに、私は移動することが好きなのである。
そのことに、あまり意味を求めてもしかたがない。
このごろ、そう思うようになったのである。

輪行の方法について

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輪行の方法について。


2017年12月27日から30日にかけて、岡山から広島まで
自転車で走ってきた。
その話は、またこんどにして、今回は輪行の方法について、
述べることにする。輪行の方法によっては、今後、
交通機関から自転車が締め出されるおそれがあるからである。
とりわけ、東海道新幹線で輪行するのは、むずかしくなって
きている。

自転車を分解してバッグに入れ、鉄道などで移動する
ことを輪行(りんこう)という。自転車はきわめて
大きな荷物だけに、他の乗客に迷惑がかからないように
運ぶためには、それなりのノウハウがある。

まずは、輪行をするに向いている乗り物と、
そうでないものがある。東海道新幹線は、
現在、もっとも輪行に不向きな乗り物である。
現行のN700系には、大きな荷物を置く場所がない。
これには自転車乗りだけでなく、大きなスーツケースや
楽器などを持ち込んだ人も、みんな困っているけど。

ということで、東海道新幹線で輪行するには、
自転車をデッキに置くしかなく、すいているときなら
ともかく、混んでくると他の乗客の邪魔になる。
迷惑をかけないようにするためには、自分もずっと
デッキに立って、停車駅ごとに自転車を
ドアが開かない方に移動させるしかない。

東北、上越、北陸新幹線のE1系、E2系、E3系、
およびJR西日本の700系レールスターには、
デッキに荷物置き場がある。ここには、自転車が
余裕ではいるから、利用すればいいと思う。

在来線はどうか。

大きな荷物を置ける場所は、やはり少ない。
けれども、最前部および最後部の乗務員室の前ならば
なんとか他の乗客に迷惑をかけないで運ぶことが
可能である。

26001007_722683677934561_1174115849401379641_n.jpg
乗務員室の前の壁に固定した私の自転車


JR東海の313系は、いろいろなバリエーションが
走っているので、いちがいにはいえないけれど、
豊橋~大垣間の新快速に使われているタイプは
クロスシートの座席のうしろにスペースがあり、
ハンドルをはずした状態で輪行バッグに入れた
自転車を入れることができる。

ま、とにかく、以上のようなわけで、今回、私は
立川から岡山まで輪行するのに、
東海道新幹線ではなく、在来線を使った。
約13時間かかったね。
乗り換えは、熱海、興津(おきつ)、浜松、豊橋、
大垣、米原および姫路のじつに7回。
青春18きっぷを使ったから、やすく移動することが
できたけど、結構、きつかった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
東海道を輪行するためには、新幹線ではむずかしく、
在来線を使う方が無難である。


なお、高速バスは、ほとんどが700Cサイズの
自転車を受け入れていない。昼行の空いている
バスならば、運転手さんとの交渉次第だと思うけど、
夜行バスでは、たぶんアウトだと思う。

意外とおすすめなのは、飛行機である。
現在は、ほとんどの航空会社が自転車を受け入れており、
受託手荷物でのせることが可能である。
※ピーチ航空だけは、おりたたみ自転車のみ受け入れ可能

空港ラウンジを利用したい、のだけど

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長年、旅をしている。けれど、どうしても入れない場所がある。
それは空港ラウンジ。



みなさんは、飛行機に乗る前、どこで待っていますか。
え、長椅子に横になって寝ている?

なるほど、なるほど。
(^_^)

じつは、空港ラウンジという場所があるのである。
利用できるのは、社会的なヒエラルキーが、かなり上の人。

空港ラウンジには2種類あって、ひとつはクレジット
カード会社のゴールドカードを持っている会員を
対象としたラウンジ。
もうひとつは、国際線のファーストクラスおよび
ビジネスクラス、国内線のファーストクラスの乗客
を対象とした航空会社のラウンジ。

カード会社のラウンジは、ふつうのテーブルと椅子。
パソコン用のコンセントが用意されているだけ。
飲食は無料。といっても、出すのはせいぜいコーヒー、
シュースなどのベバレッジと、マフィンなど軽食くらい。

それに対して、航空会社のラウンジは、ふかふかの
ソファーとテーブルが用意されていて、美味しい料理
が食べ放題。ビールとかワインが飲み放題だとか。
なんというか、夢のような場所らしい。

私自身は、両方とも、利用した
ことがないね。www



利用するチャンスはあった。
若いころ、ビジネスマンとして、バリバリ働いていた
時期には、米国急行のゴールドカードを持っていたし、
仕事での海外出張では、ビジネスクラスに乗っていた。

けれど、その頃の私は、なんというか、すこし斜に構えて
生きていたところがあり、空港ラウンジのようなところに
入るのが苦手であった。

「オレは偉いんだ。他のやつらとは違うんだ。」
というようなことを、行動や態度に出すことは
下品なことだと思っていた。
また、そういうことをする人が嫌いであった。
同じような意味で、一流ホテルに外車で乗りつける
ような人も、私は苦手である。

こういうことって、その人の生まれ、育ちが明確に
影響するよね。

子どもの頃から空港ラウンジだとか、一流ホテルを
利用していて、家のクルマがベンツだった、
とかいう人だと、そういうことが平気でできる
のかもしれない。けれども、私は、そういう環境で
育っていない。

私の父は、私なんかとちがって、一流の大学を出て、
一部上場企業の管理職だったけど、しょせんは
サラリーマン。給料は安かった。

また、三重県人独特の実直さというか、なんというか、
他人よりも優れているとか、豊かであるということを
ひけらかしたり、自慢してはいけない、と教わった。
だから、私の家では、持ちもの、着るものは、
それなりの品質のものを選ぶんだけど、
どちらかというと地味であった。

ということで、よくいえば清貧なんだけど、
悪くいえば、ビンボーな家庭だった。
だから、私はいまだに、他人よりもいい服を着たり、
高価なものを持ったりするのが苦手である。
空港ラウンジを利用しなかったのも、その延長線上にある。


50代になってからは、年会費を2万円以上も払うのが
惜しくなって、米国急行を退会してしまった。
私の若い頃は、海外に出るときは、米国急行か主人を
持っていないと不安だったけど、現在では、
JCBがふつうに使えるし。

ということで、カード会社のラウンジには入れなくなったね。

航空会社のラウンジも、バブル崩壊後は、非常に経費に
厳しくなり、出張でビジネスクラスには乗れなくなった。
個人の旅行では、もともと、ファーストクラス、
ビジネスクラスには、縁がないし。

ていうか、いまとなっては、LCCしか乗ったことないもんな。www

ということで、航空会社のラウンジも利用できなくなった。
もう、60年以上、生きているけれど、空港ラウンジには
入ったことがない。


最近では、だんだん体力がなくなってきており、
空港で待つ時間が、つらくなってきている。
そういったことから、空港ラウンジを利用したいな、と思う。

空港ラウンジを利用するだけのために、
JCBのゴールドカードに加入しようかな、とも思う。
私の場合、amazonやETC、電気代から電話代まで、
ぜんぶJCBにまとめているから、もらえるポイントで、
1万円の年会費くらい、すぐにもとがとれてしまうし。

けれども、やはり、ああいう場所に入るのは抵抗がある。
また、友人がいっしょのときには、ゴールドカードなんか
見せたくないし。

あいかわらず、斜に構えて生きているのである。

世の中の動きが早すぎてついていけないわ www

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今回は旅とは関係ない雑文なんで、
興味のない方は読まないで、
ほかの方の記事に行ってくださいね。www


米朝首脳会談が実現することになった。
もちろん、戦後初のことであり、私らの世代にとっては
胸熱である。まさか、私が生きているあいだに、
米朝の首脳が会う日が来るとは、夢にも思わなかったわ。

正直いって、また時間かせぎではないのか、
騙されるのではないのか、という気もするけれど、
まあ、大きな1歩であることには違いない。
なんとか、目に見える結果を出してほしいものである。

それにしても、ちかごろ、世の中の動きがはやい。
はやすぎるね。
とてもではないが、ついていけないわ。www
私自身は、いま、昨年末に自転車で岡山から広島へ
行ったときの旅行記を書いているのだが、
いろんなことがありすぎて、集中できない。

また、世界がこんなに大きく動いているときに、
バカな旅行記など書いていていいのか、という気もする。
時間のムダ使いではないのか。

ま、世界が大きく動こうが、動くまいが、ブログを書く
ということが時間のムダ使いであることは、間違いない
んだけどね。

それと、実世界における私の周囲には、わりと頭がいい
人間が多くて、みんな政治とか国際関係に関心を持っている。
そんななかで、自他ともに認めるバカである私は、
いってみれば、仲間うちでは ニュース女子
における、重盛さと美的なポジション

なのである。wwwww

そんな状況で、のほほんとした自転車旅行記なんか書いて、
ブログに上げたりしたら、みんなになにを言われるか、
わかったもんではないのである。


まあ、それにしても、大変だよな。

現在の状況を整理すると、

1.北朝鮮が長距離弾道ミサイルを完成目前。
 核兵器は、すでに完成させている。
2.韓国では親北左派の大統領が就任し、
 北朝鮮との宥和(ゆうわ)をめざしている。
3.文在寅とドナルドトランプ大統領は、
 5月にも北と会う意向を示している。

今後、いろいろなケースが考えられるが、
最良のケースとしては、北朝鮮と米国が
平和条約を締結し、非核化が実現すること。

けれど、最悪のケースとしては、北朝鮮が核兵器と
日本まで届く中距離ミサイル(ノドン)を
保持した状況で、米国が米国本土まで届く
長距離弾道ミサイルの廃絶を条件に、
朝鮮半島から手を引くこと。
要するに、日本にとっては、米国に逃げられて
しまうことだね。

その状態で、北朝鮮主導で南北が統一されると、
日本をいつでも核攻撃できる状況になり、
日本は南北朝鮮(および、その背後にいる中国)の
言いなりになって、生きていくしかなくなる。

それを防ぐためには、憲法を改正し、日本も核を持つ
しかないが、おそらく、日本の左派がそれを許さない。
ま、以上は私が考えたことではなく、私の周囲の友人の
分析の受け売りなんだけどね。

私はバカだから、そんなむずかしいこと、
わからないし、また、自分に直接、関係ないことは
なるべく考えないようにして生きているから。
その方が、ストレスなく過ごせるからね。www

それにしても、わからないことが多いよね。

こういってはなんだけど、北と南が本当に統一したい
のなら、日本としては文句を言う筋合いはない。
ぶっちゃけ、これは、ほとんどの日本人がそう思って
いると思う。ていうか、基本、どうでもいいし。

けれども、北は現在の体制を崩すつもりがないのは
明白なんだし、親北左派の大統領が統一を主導している以上、
赤化統一となるのは既定の路線。
そうなると、「粛清」という名の大量殺戮が始まる。
なんたって、自分の身内ですら、粛清してしまうんだもんな。

ま、南の人は、ざっと一千万人は死ぬんじゃないかな。

南の人にとっては、本当にそれでいいのかよ、と思う。
私としては、南の人が何万人死のうが、自分たちが
選択したことなんだから、基本的にはどうでもいいけど、
すぐそばにそんな国ができると、物騒でイヤだなと思う。
要するに、それがごく普通の日本人の本音ではないのか。

けど、誰もそんなこと、言わないんだよなあ。

韓国のメディアも日本のメディアも、そういったことは
書かない。不思議である。
いっておくけど、私自身は、決してネトウヨではないよ。
なんたって、中指を立てた精神科医の女性が教授をしている
大学の出身なんだから。www
基本的には、リベラルな考え方をする人間なんだけどね。


ま、最悪のケースになってしまったら、そのときは、
私らの世代の責任かもしれないね。
正直いって、私らの世代は、韓国のことなんか、
考えたこともなかった。長く冷戦時代が続いていた時代には、
北朝鮮という、よくわからないけど怖い国があって、
背後には、ソ連と中国がついている。
韓国はその緩衝役、くらいにしか考えていなかった。

韓国が反日である、ということは、なんとなく知っていた。
けれど、朴正煕大統領(朴槿恵のお父さん。われわれの世代は
「ボク大統領」と言っていた)と日本政府が申し合わせて、
あえて、韓国国民を反日にする教育を行うことにより、
大量の密航者が日本に来ないようにしているんだ、
と思っていた。

要するに、日本のことを憎く思っている韓国と、
東アジアで覇権をとりたい米国がゆるやかに連携する
ことにより、ソ連、中国といった共産主義国とのあいだの
防波堤になってくれていればそれでいい、と。
私らの世代は、それくらいにしか考えていなかったのである。

韓国がそういった位置づけになったのは、
同じ民族同士で、勝手に内戦を起こして、
勝手に分裂したのだから、自分たちが悪い。
それは明白なんだし、それについて、日本および日本人が
負い目を感じる必要はない。そう思っていた。


さらにいうと、当時の韓国は、現在では考えられないくらい、
経済規模が小さかったから、複雑な関係が問題となる日が来る
とは、私らの世代は、思ってもみなかった。

要するに、私らの世代は、米国と日本が今後も
世界の2トップとして、経済をリードしていくのは
動かしがたいと思っていた。だから、あまり、
周辺国との関係について、深く考えてはいなかった。
多少、問題があっても、米国との関係さえ、
うまくいっていれば、べつにどうってことはない、
と思っていたのである。

(長くなったから、次回につづく) ←気分がのればであるが www

DYデミオのブレーキホース交換

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デミオの走行距離が14万kmを超えたので、
ブレーキホースを交換した。


brake1.jpg
ブレーキホース


いまどきの若い人は、ブレーキホースの交換なんか
やらないらしい。ブレーキホースが寿命をむかえる前に、
たいがい、クルマを買い替えてしまうからだ。

その方がトクだもんな。

クルマの残存価値は、5年で約半分になる。
だから、5年ごとに新車に買い替えれば、
約半額で新車に乗ることができる。

もちろん、5年ごとに50~100万円くらい出さなければ
いけないのだから、金銭的負担はそれなりに大きい。
けれども、古いクルマに乗り続けている自分を、
他人はどう見るか、を気にされる方にとっては、
少々、お金がかかっても、5年ごとに新車に
買い替える方がトクである。

私自身はクルマなんか、好きでもなんでもない。
私にとってクルマは、旅をするための道具
にすぎない。だから、多少古くても、走ればいい。
また、2006年式 走行距離14万キロのデミオに乗っている私を、
他人がどう見ようが、私はまったく気にならない。
そんなことで、ごちゃごちゃ言う人とは、
付き合わなければいいのである。

ということで、ブレーキホースの交換をして、
デミオに乗り続けることにした。
なお、ブレーキホースを交換したい、と言ったとき、
マツダの営業の人はイヤな顔をしていたな。www
メカニックの人は、喜んでいたけど。



で、ブレーキホースの交換であるが、いまついている
ホースを新しいものに付け替えるだけのハナシである。
だから、整備の難易度としては低い。
オイル交換ができる人であれば、ふつうにできるんじゃないかな。
けれども、生命にかかわることだから、
多少、慎重にやらないといけない。

2006年式のデミオ(DY3W)の場合、必要な工具は
以下のとおりである。

・フレアナットレンチ  10ミリ、11ミリ、13ミリ
・メガネレンチ  7ミリ、9ミリ
・ペンチ、プライヤ

フレアナットレンチとは、ブレーキホースをはずすための
専用工具である。amazonで600~700円くらいで売っているね。

DYデミオの場合、前輪がわのホースをはずすには、
10ミリおよび13ミリのフレアナットレンチが必要である。
後輪がわのホースをはずすには、10ミリおよび
11ミリのフレアナットレンチが必要である。
また、エア抜きをするには、前輪がわ9ミリ、
後輪がわ7ミリのメガネレンチが必要である。

なんでこうなっているのか、よくわからん。

とりわけ、11ミリとか13ミリのフレアナットレンチに
ついては、国産車にはふつう使わないサイズであるし、
私は、そのサイズのフレアナットレンチを持っていない。
ということで、ふつうのオープンレンチで代用してしまった。
でも、ナットをナメてしまったら、それで終わりなので、
できれば、フレアナットレンチを買った方がいいね。

意外と便利なものだし。

とりわけ、10×12ミリの両口フレアナットレンチは、
メガネレンチとかソケットレンチが使えない場合、
私はよく使っている。


交換の手順については、以下のとおり。
いろいろなところに書かれているから、他のサイトも
参考にしてください。

liftup.jpg
ジャッキアップしてスタンド(ウマ)をかける

front2.jpg
上がわのナットをゆるめる

front1.jpg
下がわのナットをゆるめる

brake3.jpg
上がわのプレートを引き抜く

plate2.jpg
下がわのプレートを引き抜く
※地味にやりづらい作業。ペンチである程度引き抜いたら
 オープンレンチのアゴをつかって、テコの原理ではずすといい。

plate1.jpg
新しいホースを付けたあと、プレートを入れる
※プライヤではさみこむようにすれば、パチンという感じで入る。

air.jpg
エア抜き


エア抜きは、2人で協力してやる。
私の場合は、家内が助手である。
私の合図で、家内にブレーキペダルを押したり放したり
してもらう。
「また、エア抜きかいな。」
とか言いながら、しぶしぶ手伝うけど。www

なお、大量のブレーキフルードが必要である。
最低でも1リットルは買っておくこと。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
ブレーキホースの交換は簡単である。
10万キロを超えた時点で、そのクルマに乗り続けようと
される方は、交換をされた方がいいだろう。


注意事項をひとつ。
いまどきのクルマには、ABSがついているから、
エア抜きのときにリザーバータンクを空にしてしまって、
ABSユニット内にエアが入ってしまうと、
やっかいなことになるね。

もし、ABSユニットにエアが入ってしまった場合、
どうすればいいのか、私にはわからん。
ディーラーに持って行って修理してもらうことになる
と思うけど、おそらく、高い修理になるね。
だから、作業は慎重にやった方がいいと思う。

リアブレーキパッドを焼結合金(シンタード・メタル)系にかえてみた

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CB750(RC42型)のリアブレーキパッドを
焼結合金(シンタード・メタル)系にかえてみた。


pad4.jpg
デイトナ製「ハイパーシンタードパッド」をセットしたところ


私のオートバイは、2004年式のホンダCB750(RC42型)
である。ブレーキパッドは、これまで、デイトナさんの
「赤パッド」を使ってきた。なかなかいいタッチというか、
フィーリングなんだけど、欠点としては、ライフが短くて...。

とりわけ、私の場合、リアブレーキパッドの減りが激しい。
5,000kmくらいしか、持たないもんなあ。

これはたぶん、私の運転がどヘタなせいだと思う。
運転が上手な人は、リアブレーキなんか、ほとんど使わない
らしいけど、私の場合、リアブレーキに頼りきりだからなあ。

これではたまらん、ということで、
対策を考えた。

ブレーキパッドの材質には、いくつかの種類がある。
ブレーキパッドのトップメーカーである曙ブレーキ工業さん
のホームページによると、以下のように分類されるようだ。

ph04.jpg
摩擦材の種類    出所:曙ブレーキ工業株式会社


このうち、オートバイに使われるのは、主として、
セミメタリック系と焼結合金(シンタード・メタル)系である。
競技用車両には、コンポジット系も使われるようだけど。

デイトナさんの製品でいうと、赤パッドとハイパーパッドが
セミメタリック系で、ゴールデンパッドおよび
ハイパーシンタードパッドが焼結合金系である。
そのディスク攻撃性とライフの関係は、
以下の図のようになっている。

life.jpg
出所:株式会社デイトナ Webページ


いろいろなレビューを読んでいると、
最上級製品であるゴールデンパッドの評価は高いね。
とりわけ、走り屋といわれる人には、
圧倒的な支持を得ているようだ。
けれども、私の場合、運転がどヘタだから、
そんなにいいパッドは必要ない。
それよりも、ツーリング主体で使って、できれば
1万キロは、もってほしいね。
ということで、デイトナさんのハイパーシンタードパッド
を購入してみた。

CB750対応の品番は72439。
IHCモノタロウで2,257円であった。
で、さっそく、交換してみたね。

akapad.jpg

pad1.jpg

上の写真が、約6,000km走った赤パッド。
こんなに減るまで、使ってはいけないね。www
下の写真が、新しいハイパーシンタードパッド。
金属の基板は、熱伝導性の高い銅を使っているのかな。

pad3.jpg
ピストンをみがいてセットしたところ

パッドピンを入れて、組み立てたところの写真は
撮り忘れた。www


で、すこし走ってみたんだけど。
うーん、どうなんだろ。(汗)
私のドンくさい走りだと、正直いって、
赤パッドとの差が、よくわからん。wwww

CB750って、じつはリアブレーキがすぐにロックする。
だから、ブレーキ操作にはビミョーな力加減が要求
されるんだけど。
けれども、赤パッドにくらべてロックしやすいとか、
そういうことはなかったな。

それと、ツーリング主体でオートバイを使っている私に
とっては、雨天時の効きも、気になるところである。
ま、もう少し使ってみてから、問題があるようであれば
レポートするね。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
CB750のリアブレーキを焼結合金(シンタード・メタル)系
に替えてみた。セミメタル系の赤パッドとの差は
あまり感じない。
また、いまのところ、問題は出ていない。
以上である。


岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その1

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

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今回走ったコース


1日め 岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート 71km
2日め 瀬戸大橋スパリゾート~尾道 73km
3日め 尾道~呉 83km
4日め 呉~玖波 58km
  合計 285km
 ※常石(つねいし)~尾道間の航路は除く


  使用した自転車   ロードスポーツ改造車
  チェーンリング    44T-32T (2段)
  カセットスプロケット  11-34T (8段)



1日め  岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート  約71km

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2017年12月27日午前7時30分、私はJR岡山駅にいた。
これから、広島まで、自転車で走ろうと思う。
岡山駅からスタートしたという証拠として、駅前にある
桃太郎の像の前で記念写真を撮ろうとしているのだが、
ハトが邪魔をして、なかなかどいてくれない。
結局、ハトが入ったまま、記念写真撮影を終了した。

okayama.jpg
岡山駅前の桃太郎像の前にて (ハトといっしょに)

午前7時40分、岡山駅をスタート。
しばらく、路面電車と並行して走る。
この電車は市電ではなく、岡山電気軌道という私鉄である。
規模が小さいながらも、ずっと廃止されることなく
存続している。がんばっている鉄道のひとつだ。
「MOMO」と書かれた近代的な車両が、颯爽と走っていった。

国道250号線に入って、新京橋で旭川(あさひがわ)を渡る。
途中、中洲のようなところがあり、人が住んでいた。
大雨とか台風でも来たら、さぞや不安だろうなと思うけど、
慣れてしまえば、案外、平気なのかもしれない。

新京橋を渡り終えたところで、旭川に沿って南下する。
広島をめざすならば、西に向かえばいいではないか、
と思われるかもしれない。けど、私の旅は、
「なるべく海岸線沿いに日本を一周する」という
ことがテーマなので、児島半島を無視するわけには
いかないのである。午前8時40分、児島湾大橋をわたる。

kojima1.jpg
児島湾大橋にて


児島半島は、昔は大きな島だった。
わが国最古の文献である「古事記」(こじき=712年に編纂)
において、伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)は、
淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、
本州の順につくったとあり、ここまでを大八洲(おおやしま)
とした。そして、大八洲をつくったあと、
最初に吉備(きび)の児島をつくったという。

まあ、もちろん、古事記の記述は、神話伝説の域を出ない。
けれども、8世紀初頭において、大和朝廷は日本の国土について、
かなり正確に把握していた。そして、児島は、当時から交通の
要衝として、重要視されていたことがわかる。

時計回りに児島半島をまわる。
小串(こぐし)というところをすぎると、
ちいさな峠にさしかかった。
ロードに乗った自転車乗りが後ろから来たな、と思うと、
あっというまに抜かれてしまった。


玉野市(たまのし)に入ったところで、携帯電話が鳴った。
画面をみると、知らない番号からの着信である。
すこし考えてから出た。

私 「...はい、もしもし。」
相手「もしもし、〇〇ホテルですが。」
私 「ああ、昨夜はどうもお世話になりました。」
相手「部屋のカギは、戻していただけましたか?」
私 「あ、はい。キーボックスにもどしてから出たと
   思いましたが。」
相手「もどっていないですよ。」
私 「え...。(ポケットの中をさぐる)
   あ...すみません。持ったままでした。」
相手「困りますねー。」
私 「どうも申し訳ありません。いま、玉野市という
   ところにおりまして。自転車の旅なので、
   すぐには戻れません。速達で送りますので、
   どうか、それでご容赦いただけないでしょうか。」
相手「...すぐに送り返してくださいよ。」
私 「はい、どうも申し訳ありません。」

ということで、なんとか、ことなきを得た。

部屋のカギをフロントに返すのを忘れた原因は
はっきりしていて、出発直前にロビーで他の客に
話しかけられたからである。
「水島に行くには、どうしたらいいか。」といった
質問であった。適当にあしらっておけばよかったのだが
「倉敷まで行って、水島臨海鉄道に乗り換えて...。」
みたいな案内をしているうちに、フロントにカギを返す
という行動が、頭のなかからとんでしまったのである。

玉野市街にはいったところで、コンビニで封筒を購入。
スマホで郵便局をさがして、玉野田井郵便局から、
速達でホテル宛にカギを送った。

やれやれ。

長年、旅をしているが、こんな失敗をしたのは、
はじめてである。ボケの初期症状かもしれないな、
と思って、すこし、気が重くなった。
気をとりなおして、先にすすむ。

JR宇野駅に着いた。
かつて、四国に行くには、ここから宇高(うこう)連絡船で
高松にわたったものである。この宇野駅には、
東京からの寝台特急「瀬戸」が発着し、賑わっていた。

1988年に瀬戸大橋が完成してからは、旅客の流れが変わり、
宇野駅はさびれてしまった。広大だった構内は縮小され、
ホームが1面だけの小さな駅になってしまった。
日中は、1時間に1本の普通列車が発着するのみ。
しかも、瀬戸大橋線との分岐駅である茶屋町止まり、という、
さびしい状況になっている。

uno1.jpg
JR宇野駅

uno2.jpg
宇野駅構内


宇野港に行ってみる。
かつては、ここから国鉄の宇高連絡船のほか、
宇高国道フェリー、四国フェリーなどが出ており、
かなり頻繁に発着していた。また、多くのトラックが
利用していた。私自身は1984年に国鉄の宇高連絡船
を利用したほか、2004年の5月には、オートバイで
宇高国道フェリーを利用している。

現在、残っているのは、四国フェリーのみ。
しかも、1日5往復という、かなりさびしい状況である。
宇野港は現在でも、小豆島(しょうどしま)、
豊島(てしま)、直島(なおしま)などの航路があり、
それらの島々に行く人にとっては、重要な港になっている。

また、旅客の流れがかわったといっても、
それは四国に渡る旅客が減っただけのこと。
玉野市は、人口が約6万人の都市であり、また大企業が多く
存在している。そのため、玉野市の中心地である宇野駅
の周辺は、それなりに賑やかである。

宇野駅から、国道430号線をすすむ。
玉野トンネルをぬけると、三井造船の大工場があった。
さらに、玉第一隧道、玉第二隧道、玉第三隧道とぬける。
このあたり道がせまいので、かなり危険である。
大型のトラックやトレーラーが頻繁に通るので、
自転車で走っていたら、轢き殺されても文句が言えない。
トンネルの手前で停止し、クルマが途切れるのを待ってから
すすむしかなかった。

日比(ひび)という交差点を右折し、しばらくすすむと、
きれいな海岸に出た。渋川海岸というところで、
「日本の渚百選」に選ばれている。

海岸に出てみた。
とおくに大槌島(おおつちじま)という円錐形をした島がみえる。
そのむこうは四国だろうか。さらに瀬戸大橋がみえる。

なかなかの絶景である。

瀬戸内マリンホテルという、大きなホテルがある。
部屋から見る景色は、なかなかのものだろうな。
ルームチャージは、かなり高そうだけど。

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渋川海岸にて

さらに国道430号線をすすみ、倉敷市にはいった。
右手に大きな岩が露出した、異様な形をした山が見える。
スマホで調べてみると、王子が岳(おうじがたけ)といって、
古い花崗岩が露出した独特の地形である。若い人にとっては
ボルダリングの名所となっているようだ。

ouji.jpg
王子が岳

児島(こじま)には、午後2時すぎに着いた。
私たちの世代にとっては、なんとなく、学生服の町
というイメージがある。菅公(カンコー)とか、
富士ヨットとか、トンボとか、有名なブランドの学生服は、
だいたい、この町でつくられているからだ。

私たちの世代にとっては、中学生になったら
男子は詰め襟の学生服、女子はセーラー服を着ることが
あたりまえだったけど、現在では、公立の中学は
ブレザー型の標準服(男女とも同じデザイン)で、
公立の高校は私服が多くなっている。

現在では、制服をみなおす動きもあり、都内の公立小学校で
アルマーニがデザインした制服を採用し、
話題になった。けれども、全体としては、学生服の需要は
減っている。そのため、現在、児島は「ジーンズの町」として
売り出しており、児島ジーンズストリートといった、
新しい名所もできている。

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JR児島駅にて


私自身は、そういった後付けの観光地には興味がないので、
まっすぐに、あるところに向かった。
JR児島駅から、西に800メートルほどすすむと、
現在は使われていない駅舎と、ちょっとした駅前広場がある。
下津井(しもつい)電鉄の児島駅にまぎれもない。

かつて、ここから下津井まで、鉄道が走っていた。
日本では数少ないナローゲージ(レールの間隔が762ミリ)
を使った鉄道であった。
現在は、廃止された線路の路盤をつかって、
「風の道」という自転車および歩行者の専用道が
整備されている。この風の道を走ることが、
今回の私の旅の、目的のひとつであった。

map5-2.jpg
風の道 出所:倉敷観光Web

旧駅舎を入ると、自転車のマークと矢印の案内に
したがって、かつてのプラットフォームを経由し
鉄道の路盤におりる。ここから約6.3km、
下津井電鉄の廃線跡が、ほぼ完全なかたちで
残されている。

途中、琴海(きんかい)、鷲羽山(わしゅうざん)、
東下津井(ひがししもつい)、下津井といった駅が
ほぼ、そのままのかたちで残っていた。
あっというまの6.3kmであった。

shimotsu.jpg
鷲羽山下津井ホテル前に保存されているクハ24形電車

(つづく)

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その2

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

1日め  岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート  約71km

前回よりつづき)

下津井(しもつい)は、古くから港町として栄えた。
街中には、江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃
の面影が残っている。下津井の吹上町周辺は、
町並み保存地区に指定されている。

頭の上を、瀬戸大橋が通っている。
とんでもなく巨大である。よく、こんなもんつくったな、
と思う。私自身は、瀬戸大橋がつくられているのを、
リアルで見て、知っている世代である。

瀬戸大橋は、1988年(昭和63年)に開通した。
世界最長の鉄道道路併用橋であり、これにより、
宇高連絡船で約1時間かかっていた本州と四国のあいだが、
およそ10分で渡れることになった。

seto2.jpg
瀬戸大橋にて

seto03.jpg
下津井港より


じつは、瀬戸大橋とほぼ同じ時期に、青函トンネルも
開通している。まったくの偶然ではあるが。
これにより、北海道、四国が事実上、陸続きになった。
日本がいちばん元気だったころの出来事である。
瀬戸大橋および青函トンネル開通のときのJTB時刻表
1988年3月号は、わが家の家宝となっている。

timetable.jpg
「JTB時刻表 1988(昭和63)年3月号」


さて、そろそろ陽が暮れてきた。
まだ、午後3時すぎだけど、冬の日は短く、午後4時半
ごろには、日没となってしまう。きょうは朝からまだ、
63kmしか走っていない。けれど、この時期のツーリングでは、
距離が伸ばせないのは、しかたがないと思う。

今回は、テントもシュラフも持たずに出てきたので、
なんとか宿を確保しなければいけない。
スマホで検索すると、瀬戸大橋スパリゾートという施設が
見つかった。
ホテルのシングルルームだと、7,000円。
スパリゾートの仮眠室だと、2,100円+深夜料金1,000円。
どっちにしようかな、と思った。とりあえず行ってみて、
現物を見て決めよう。

約8km走って、日没前に瀬戸大橋スパリゾートに着くことが
できた。結局、現物をみて、スパリゾートの仮眠室に決めた。
ホテルも悪くなかったけれど、そんなに新しくもないので、
7,000円はすこし高いかな、と思った。


2日め  瀬戸大橋スパリゾート~尾道  約73km

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2017年12月28日水よう日、午前6時に出発。
まだ、夜は明けていない。ようやく、東の空が明るく
なってきたところだ。

しばらくは、国道430号線を走る。
片側2車線なので走りやすいけど、
みんな、おそろしく運転マナーが悪い。
赤信号でも平気で行ってしまう。
ウィンカーを出さないで、レーンチェンジするクルマも多い。
自転車で走っていると、少々、こわかった。

まあ、工業地帯の運転マナーは、概して悪いものである。
だから、かならずしも岡山の運転マナーが悪いとはいえない、
と思う。関東でも、川崎あたりは相当なものだし。
広江一丁目という交差点で左折。
コンビニを見つけたので、おにぎり1個と烏龍茶を買い、
朝食にした。

倉敷みなと大橋をわたる。
2017年3月に開通した、2,564メートルのあたらしい橋である。
このあたり、水島コンビナートの中心であり、
大企業の工場が多く、交通量がすごく多い。
今日はもう、年末年始の休日に入っているから、
トラックも少ないけれど、ふだんは慢性的な渋滞
なんだろうな。

mizushi.jpg
倉敷みなと大橋にて



県道398号線(水玉ブリッジライン)にもどり、
玉島大橋をわたる。渡り終えたところで、
県道47号線にはいりたかったが、立体交差であった。
なんとかして、降りなければならない。

自転車をかついで階段を降り、すみません、ちょっと
通してくださいね、という感じで、家と家のあいだの
狭い道をぬける。ずいぶんと苦労したけれど、
こうしないと2kmくらい遠回りになるから、仕方がない。
通ってみて思ったのだけど、階段を降りた先の道は、
私道なのかもしれない。

約5kmほど走ると、きれいな海岸に出た。
沙美海岸(さみかいがん)といって、日本の渚百選に
選ばれている。昨日の渋川海岸もきれいだったけれど、
ここも負けず劣らず、きれいな海岸である。

sami2.jpg

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沙美海岸にて


笠岡(かさおか)市にはいる。
カブトガニ繁殖地という案内看板がある。
自転車をとめて、干潟を見てみたが、一匹もいなかった。
「一匹くらい、模型でもいいから置いておけよ。」と思う。
笠岡市カブトガニ博物館が近くにあるけれど、
以前にはいったことがあるので、今回はパス。

kabuto.jpg
カブトガニ繁殖地にて


国道2号線に入り、しばらくすすむと、
笠岡ベイファームという道の駅があった。
しばし休憩する。

kasaoka.jpg
笠岡ベイファームにて


休憩室でボーッとしていると、若い長髪の旅人に
話しかけられた。

旅人「どちらから来ました?」
私 「東京からです。今回は岡山から走り始めたのですが。」
旅人「ずっと、自転車で旅をしているんですか。」
私 「いえ。オートバイだったり、クルマだったり。
   今回は自転車でまわっていますけど。」
旅人「私はヒッチハイクです。」
私 「へー。すごいですね。いまは、ヒッチハイクの旅って、
   なかなかむずかしいでしょう。搭乗者傷害保険の関係で、
   プロのドライバーは絶対に乗っけてくれないし。
   一般の乗用車ドライバーは、もともと乗せてくれない
   でしょうし。」
旅人「そうでもないですよ。世の中、いい人が多いです。
   もうすこし、人を信じた方がいいですよ。」
私 「そうですか。いい旅をされておられますね。」

えらく上から目線であるが、これはヒッチハイカーに
ありがちなことである。きびしい旅を続けているぶん、
オートバイや自転車などで旅をしている者よりも、
ランクが上であると、勝手に考えているらしいのだ。

ちなみに、私はヒッチハイカーがあまり好きではない。
他人の善意をあてにして旅をする、というスタイルには、
賛成できないのである。お金がないならば、徒歩か自転車で
移動すればいいし、テントを張って寝ればいいと思うのだ。

そうではない。出会った人とのふれあいこそが旅なのである、
という意見もあるだろう。が、私のスタイルではない。
なおも、雑談を続けていると、案の定、お金の話を
もちかけられた。

旅人「じつは、私は旅行作家でして。」
私 「そうなんですか。なんとおっしゃるのですか。」
旅人「◯◯ ◯◯と申します。」
私 「そうだったんですか。東京に帰ったら、amazonで
   検索して、拝読させていただきますよ。」
旅人「いや、amazonでは売っていなくて。旅先でお会い
   した方に手売りしているんです。『チャリ旅日本一周』
   という本です。」
私 「ほう。ぜひ、拝見させてください。」
旅人「いま手持ちの本がなくて。住所と名前を書いて
   いただければ、お送りします。
私 「...いくらですか?」
旅人「1冊1,000円になります。」

現物も見せないで、1,000円はないだろう、と思った。
かぎりなくあやしい、と思ったけれど、その一方で、
たかが、カンパのお金を手にいれるだけのために、
こんなに手のこんだ話をつくるだろうか、という気もした。
カンパがほしいならば、「ヒッチハイクで旅をしている
のですが、1,000円カンパをお願いできないでしょうか。」
と言えば、それですむ話である。

それだと乞食になってしまう、と言われるかもしれない。
けれども、そんなプライドがあるならば、最初から
ヒッチハイクなんか、しなければいいのである。
私はいちおう、その旅人の話を信じることにした。

私 「...1,000円ですね。」
旅人「『徒歩旅日本一周』というのもありまして。
   2冊でしたら、2,000円になります。」
私 「いや、『チャリ旅日本一周』だけでお願いします。」


結局、1,000円を出した。
私にしては、めずらしい。けれど、12月24日の有馬記念で、
キタサンブラックを単勝で1万円買って、9,000円儲けた
ばかりだった。それで多少、気が大きくなっていたのと、
私なりに、若い旅人を応援したい、という気持ちもあった。

たぶん、だまされた、と思う一方で、その旅人を信じたい
気持ちもあった。しかしながら、まことに残念なことに、
2018年5月9日現在、『チャリ旅日本一周』は、私のもとに
送られて来ていない。

午前11時50分、道の駅笠岡ベイファームを出た。
福山を経由して、鞆(とも)にむかう。

(つづく)

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その3

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

2日め  瀬戸大橋スパリゾート~尾道  約73km

前回よりつづき)

2017年12月28日水よう日の正午、
私は広島県福山市にいた。
JFEスチール福山工場の前を通る。
私たちの世代にとっては、日本鋼管福山製鉄所といった方が
わかりやすい。現在でも、福山駅前から「鋼管町」とか、
「鋼管病院」といった行き先表示を出したバスが出ている。
福山の人にとっても、いまだに日本鋼管なんだろうな。

JFEスチールの専用鉄道がある。運が良ければ、
ちいさなディーゼル機関車が貨車をけん引するところを
見ることができる。が、この日は見ることができなかった。
いまはもう、ほとんど運行されていないのかもしれない。

「鞆の浦(とものうら)」という案内標識にしたがって
入江大橋北詰(いりえおおはしきたづめ)を左折。
さらに、芦田川大橋(あしだがわおおはし)をわたる。
県道22号線をずっとすすみ、午後2時すぎに鞆の浦に着いた。


鞆の浦は万葉集(まんようしゅう)に詠まれるほど、
古くからの港町である。鞆の浦を境にして、
風とか潮流がかわるらしく、瀬戸内海を航行する船の
多くが、ここに入港して風待ちをしたらしい。

tomo2.jpg
鞆の浦の町並み


鞆の浦のバス停の前に、ともてつバスセンターがある。
むかしは、ここから福山まで、鞆鉄道という鉄道が
はしっていた。ともてつという社名はその名残である。
ともてつバスセンターのなかには、鞆鉄道ミニ資料館があった。
煙突の長い独特な形状をしたタンク型機関車の図面が
興味深かった。

ところで、私にとって、鞆の浦に来るのは、
これがはじめてである。有名な常夜灯は、
どこにあるのだろうか。
バスセンターのなかに、大きな観光案内地図があった。
それをみると、どうやらこのまま、まっすぐにすすむと
つきあたりが港になっており、そのあたりにあるらしい。
ということで、そこまで行ってみることにした。

ともてつバスセンターから約500メートルすすむと、
鞆港(ともこう)というバス停があった。
どうやら、ここがバスの終点のようだ。
道はせまい。おそろしくせまい。
乗用車が離合するのも苦労するほどであり、
そんな道をバスが走っている。

有名な常夜灯の前には、記念写真の順番待ちの列が
できていた。私は母と娘という感じの観光客に
iPhoneを渡され、「シャッターを押してください。」
と頼まれた。
「はい。それじゃ、私もお願いしますね。」と言って、
コンパクトデジカメを渡し、写真を撮ってもらった。

tomo.jpg
鞆の浦の常夜灯にて


午後2時40分ごろ、鞆の浦を出る。
市街地を出ると、すぐに登りがはじまった。
標高80メートルくらいまで上がると、頂上のトンネルである。
阿伏兎(あぶと)隧道と書いてあった。
なんだか、かっこいい名前である。

さらにすすむと、沼隈(ぬまくま)というところに出る。
ハローズとか、ジュンテンドーとか、いかにも中国地方
という感じのチェーン店がならんでいる。

午後3時25分、常石(つねいし)に着いた。
港には尾道行きの船がいた。
出港時刻をきいてみると、午後3時30分ということであった。
すばらしいタイミングである。

tuneishi1.jpg
常石港~尾道港をむすぶ高速船「ニューびんご」(備後商船)


けれども、私の旅では「なるべく海岸沿いに走って
日本一周をする」という自分ルールを決めている。
ここで船を使うのは、ルール違反ではある。
このまま、まっすぐ自転車で走れば、松永に出るし、
そして、松永から国道2号線を走れば尾道である。
航路を使う必然性がない。

ま、いいか。
船で尾道まで渡るというのも面白そうである。
ラクだし。

私は尾道までのきっぷを買って、自転車をのせた。
きっぷには、乗船券ではなくて「上陸券」と書いてあった。
東京の人間からすると、不思議な感じがする。
けれど、このあたりの人にとっては、
「え、船に乗ったら、ふつう上陸券だよな。」
という感じなのかもしれない。

tuneishi2.jpg
自転車をのせる

tuneishi3.jpg
上陸券



午後4時04分、尾道港着。
常石~尾道間の所要時間は34分であった。
着いたのは尾道駅前のポートターミナルである。
電車やバスに乗りかえるのも、すぐ。

めっちゃ、便利やんか。

海の上だから、渋滞することはないし。
これなら、常石とか、途中の百島(ももじま)から
尾道や福山あたりに通勤、通学するのは、十分、可能である。

尾道駅は、建て替え工事を行っていた。
2018年の夏には、新しい駅舎が完成するらしい。
これまでの駅舎は、オレンジ色の屋根の明るい感じで
私は好きだったのだが。

「サイクリストの聖地にふさわしく、生まれ変わります」
とかいう、宣伝文句が書いてあった。
そういうことは考えなくていいから、と思う。
しかたがないので、仮駅舎の前で写真を撮った。

ono1.jpg
尾道駅にて


サイクルコンピュータをみると、今日はここまで
73kmを走っている。(航路を除く)
すこし早いけど、今日はここで泊まることにする。
スマホで検索して、ゲストハウスをみつけた。
ここから1kmの距離にあり、1泊2,500円であった。

(つづく)

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その4

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

3日め  尾道~呉  約83km

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2017年12月29日木よう日午前6時30分、私は尾道にいた。
昨夜は、フジホステルさんというゲストハウスに泊まった。
シンプルな設備でありながら、清潔であり、オーナーは
とてもいい人であった。1泊2,500円という低料金でありながら、
快適にすごすことができた。

fuji_ono.jpg
尾道のフジホステルさん


ローソン尾道東御所町店で、おにぎり2個と野菜ジュース
を買って、朝食にした。
店の前に単管パイプでつくったロードスポーツ用の
自転車置き場がある。尾道では、これをよく見かける。
私の自転車は、輪行をするため、キックスタンドを
つけていないので、ちょっとだけありがたい。
まあ、これがなくても、壁に立てかければいいだけの
ハナシなんだけど。

bicycke.jpg
単管パイプでつくった自転車置き場


国道2号線を西にすすむ。
道路に「呉 Kure→」と書いた自転車向けの案内がある。
しかも、迷わないように、ずっと水色に塗られている。
ずいぶんと、お金がかかったことだろう。
なにも、自転車乗りをここまでバカ扱いしなくても
いいのではないか、と思うけど、外国人のサイクリストも
多く来ている現在、必要な対策なのかもしれない。

road_paint.jpg
呉と書いた道路案内標識


三原市に入る。
糸崎(いとざき)駅には、むかしは機関区(機関車の整備
などを行う施設)があった。C62型、C59型など、
呉線の列車をけん引する大型の蒸気機関車が多数所属し、
鉄道ファンの聖地であったところだ。

呉線の蒸気機関車は、1970年9月まで運転された。
当時、私はまだ中学生であったが、大阪から山陽本線に乗って、
糸崎機関区のC62を見に来たことがある。
そんなことを思い出した。

現在の糸崎駅は、その頃の面影はない。
糸崎機関区があったあたりには、現在は貨物駅となっているが、
それほど活用されている感じではない。
ひっそりと、静まり返っている。
「大型蒸機の基地? そんなこともあったかな。」
という感じで、静かに余生を楽しんでいる感じであった。

itozaki.jpg
糸崎駅にて


三原で国道2号線から国道185号線に入った。
須波(すなみ)駅のちかくで、海沿いに走る。
瀬戸内海は、まるで池のようで、波はほとんどない。
幹線国道でありながら、堤防の高さは3メートルくらいしかない。
こんなの、太平洋岸では考えられない。
そのぶん、海をまぢかに見ることができる。

すぐそこに、島がある。
ほんとうに、500メートルから1kmくらいの距離である。
瀬戸内海を旅しているな、という感じがする。

r185.jpg
国道185号線 須波付近にて


忠海(ただのうみ)に着く。
ここから、大久野島(おおくのじま)に行く船が出ている。
大久野島は、戦時中、陸軍の毒ガス製造を行っていた
という暗い過去がある。当時、島には6,500名もの人が
働いていた。

近年では、多数のウサギが生息することから、
ウサギの楽園として売り出している。
島には年間約10万人もの観光客が訪れるようになったようだ。
行ってみたいけど、あまり寄り道ばかりしていると、
広島まで行けなくなってしまう。
船の乗り場で、写真だけ撮った。

tadanoumi1.jpg
忠海港にて


JR忠海駅に行く。
待合室は、椅子とテーブルがあって、無料の無線LAN
も備えられていた。隣接するファミリーマートで
コーヒーを買って、ちょいと休憩させてもらう。
駅舎のなかに、「ふれあいステーションただのうみ」
という福祉施設が併設されている。
お役所は「ふれあい」という言葉が大好きである。


竹原市の観光ポスターが貼ってあった。
ALICE'S ADVENTURE in Takehaland、
つまり、竹原市(含む大久野島)におけるアリスの冒険、
というキャッチフレーズであった。
ビジュアルは、女性と時計を持ったウサギ。
つまり、明確に不思議の国のアリスを意識したものに
なっている。
ただし、モデルさんは少女ではない。
大人のおねえさんである。しかも、網タイツをはいている。

alice.jpg
ALICE'S ADVENTURE in Takehalandのポスター


いかがなものか、と思う。

やはり、ここは10才くらいの白人の美少女を使って、
水色のエプロンドレスを着せないと、アリスらしくない
のではないか。
なんでもかんでも、ディズニーアニメのイメージに
合わせなければならない、ということではないけれど、
アリス=白人の美少女というイメージが浸透している
現状に対して、いきなり大人の日本人女性を使われても、
見る方はピンとこないと思うのだ。

※と思ったら、動画では竹原の日本酒を飲むシーンがあった。
 大人の女性を使わざるをえない事情があるのであった。(笑)


竹原市公式チャンネル (動画)
https://www.takeharakankou.jp/movie

(つづく)

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その5

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

3日め  尾道~呉  約83km

前回よりつづき)

午前11時、道の駅たけはらに着いた。
竹原は、江戸時代前期に塩や酒づくりで栄えた。
豪商の屋敷や由緒ある寺が美しい町並みをつくっている。
ほかの観光客の迷惑とならないよう、自転車を押して
町を見学する。重要文化財である松阪(まつさか)家住宅
の前で写真をとった。

takehara1.jpg
道の駅たけはらにて

takehara2.jpg
重要文化財松阪家住宅の前で


さらにすすむと、竹原市歴史民俗資料館という洋館があり、
その前に竹鶴政孝・リタ銅像というのがあった。
NHKの朝の連続ドラマ「マッサン」のモデルとなった夫婦
である。

私はテレビをあまり見ないので、
「へー、あの夫婦、竹原出身だったのか。」
と思った。
考えてみれば、醸造について、なんらかの知識、技術が
なければ、ウィスキーをつくろうなんて思わなかっただろう。
だから、竹鶴政孝が竹原出身で、家業が酒蔵を営んでいた
ことは自然なことである。
マッサンを見ておられた方にとっては、ここは有名な聖地
なのかもしれないな。

taketsuru.jpg
竹鶴政孝・リタ銅像


竹原を出発。さらに、国道185号線をすすむ。
正午になった。
どこからか、ヴェルナーの野ばらのメロディが聞こえてくる。
つい、心のなかで歌ってしまう。

♪ 童(わらべ)はみたり
 野なかのばら
 朝(あした)の野辺に
 清(きよ)らに咲ける
 飽かずながむ
 紅(くれない)もゆる
 やさし野ばら


野ばらには、よく知られているように、
シューベルト版とヴェルナー版があるが、
日本では、どちらかというとヴェルナー版の方が
好まれているように思う。私自身はヴェルナー版の
「紅もゆる」のところのD→G→F#m→Bmと展開する
コードの流れが好きである。

野ばらは、小学校高学年の音楽の授業で、かならず
習う曲だけど、その歌詞(訳詞)は、その人の年代とか、
使われた教科書によって、多少、異なるようだ。
私自身は上の歌詞で習ったけど、いやオレは違う、
とおっしゃる方も、少なからずいらっしゃることだろう。


午後2時30分、仁方(にがた)に着く。
JR呉線の仁方駅で、飲み物を買って休憩した。
そして、ちょっと考えてから、駅からすこしはなれた
ところにある、仁方桟橋に行ってみた。
じつは、もう、40年ちかく前になるけれど、
私は、ここから四国にわたったことがある。
国鉄時代の仁堀(にほり)連絡船があったときである。

仁堀連絡船は、呉線の仁方と予讃線の堀江をむすぶ
航路であった。しかしながら、その存在については、
たとえ鉄道ファンであっても、ご存じだった方は
めったにいないと思う。

利用者は、当時からほとんどいなかった。
仁方港から出港したのは、午前中と夕方の2便のみ。
そんな不便な航路を、いったい、誰が利用するというのか。
結局、仁堀連絡船は1982年7月1日に廃止された。

あのとき、私は四国ワイド周遊券を使って、東海道本線、
山陽本線、呉線を乗り継いでここまで来て、堀江にわたった。
夏の暑い日だった。
私が仁堀連絡船を利用したのは、当時、国鉄の全線
乗りつぶしをめざしていたからである。
それがなければ、こんな不便な航路に乗りにくることは
なかっただろう。
仁堀桟橋と書かれた建物は新しくなっていたけれど、
船が着くバースには、見覚えがあった。

nigata2.jpg
仁方桟橋にて


瀬戸大橋、しまなみ海道の開通により、本州と四国を
むすぶ航路は、年々、すくなくなっている。
2009年6月には、安芸阿賀と堀江をむすんでいた
呉・松山フェリーも廃止になった。
2009年3月に1,000円高速が開始されると、
その約1ヶ月に廃止を発表。3ヶ月後には廃止という、
あっという間の決断だったな。www

長いあいだ、赤字ぎりぎりでがんばってきましたけど、
1000円高速の開始で、一気にやる気をなくしましたわ、
という感じであった。
呉・松山フェリーは、料金が1,600円と安く、夜遅くまで
あったので、結構、便利だったんだけどな。

(つづく)

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その6

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

3日め  尾道~呉  約83km

前回よりつづき)

仁方(にがた)から、国道185号線にもどる。
仁方第二トンネルをぬけると、広(ひろ)に着く。
なんだか、ハワイ島にある町みたいな名前である。

広は呉(くれ)市の一部だけど、近年では広島の
ベッドタウン的な発展をしている。JR広駅からは、
通勤時間帯には1時間に5本くらい、列車が出ている。
広島までは約50分。マツダの本社がある向洋(むかいなだ)
までは約40分。

買い物はイオン広店など、いくつかのショッピングセンター
がある。ということで、交通は便利だし、ひととおりのものが
揃っている感じの町だ。

現在は、ネットでいろんなものが買えるようになったから、
これくらいの町に住むのが、いちばん快適そうである。
もちろん、クルマを持っていることが前提だけど。

休山(やすみやま)トンネル(1,706メートル)を抜ける。
透明な板で車道と歩道が分離されているので、
トンネル内で排気ガスを吸うことなく、走ることができる。

それはいいのだが、なんだか暗い。すごく暗い。
反対がわから、携帯電話を見ながら、前を見ずに
自転車をこいでいるおっさんが来た。
「いやだなあ。ぶつかりそうだなあ。こっちを見てほしいなあ。」
と思っていたら、案のじょう、ぶつかりそうになった。


午後4時。呉に着いた。
呉は言うまでもなく、旧日本海軍の軍港および工廠
(こうしょう)があったところ。要するに、戦艦大和が
つくられたところである。戦艦大和がつくられたドックは、
現在はジャパンマリンユナイテッド呉事業所となっている。

呉駅のちかくには、大和ミュージアムがある。
1/10スケールの大和は、わらってしまうくらい、でかい。
私は大和ミュージアムに入ったことがあるのでパス。
駅のちかくにある潜水艦の前で写真を撮った。

kure1.jpg
呉駅付近の潜水艦前にて


JR呉駅前に移動する。今日は、ここまで83km走った。
もう少し走って、坂(さか)あたりまで行こうかな、と
思っていたのだが、おなかがすいて、からだが震えてきた。

現在の私は、糖尿病と診断されているので、なるべく
食べることをひかえている。そのうえ、もともと食べることに
あまり興味がないので、食事はすくなくなりがちである。
そういえば、きょうは朝、おにぎりを2個食べたきりだったな。
現在の血糖値は、おそらく90mg/dlをきっている。
要するに、ハンガーノック状態である。

セブンイレブンJR呉駅店で、一口羊羹とビスケットを買って、
駅前にある船のプロペラのオブジェの近くにすわって食べた。
血糖値が上がって、からだのふるえはとまったけど、
こんどは動けなくなってしまった。

しばらく、すわってやすんでいると、警察官がやって来た。
なにか言われる前に、
「あ、すみません。すぐに移動しますから。」
と言って、さっと立ち上がる。
こういう場合、警察官の追求をかわすには、とりあえず
あやまって、その場からいなくなることである。

要するに、誰かが110番通報をしたのである。
「駅前に、きたない自転車乗りがすわって、
ものを食べている。目ざわりだから、
追い払ってください。」
などと、通報されてしまったのだ。
だからこそ、駅前の交番から警察官が来たのである。

自転車で旅をしていると、こういうことは、よくある。
もちろん、私にとっても、はじめてではない。
それはともかく、とにかく警察官の視界から消えないといけない。
私は駅の南口に移動した。

レクレという駅ビルの駐輪場に自転車を置いて、なかに入る。
とりあえず、屋内にいれば安心である。
そして、目立たないようにして、大勢の人のなかに
まぎれていればよい。

ひとまず、警察官から逃げきって、ほっとした。
すると、からだが鉛のように重くなった。
今日はちょっと早いけど、もう、ここで終わろう。

スマホで、ビジネスホテルを検索したのだが、
どこも満室だった。年末年始だから、
予約をしなくても余裕で大丈夫だろう、
と思っていたのだが、これは誤算だった。

レクレという駅ビルのなかには、大和温泉物語という
健康ランドがある。以前、呉に来たときに泊まったから、
知っていた。この日はベッドで寝たかったのだが、
ま、仕方がない。午後4時30分、大和温泉物語に入った。

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その7

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。

4日め  呉~玖波  約58km

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2017年12月30日金曜日午前4時30分、私は呉駅前にある
健康ランドの大和温泉物語を出た。
こんなに早く出発するのは、料金システムのせいである。
大和温泉物語は、最大10時間まで滞在して1,640円。
以降は1時間につき、210円の延長料金がついていく。
安いけど、どんどん延長料金がつく、というのが、
どうも落ち着かない。

昨日は午後4時30分に入館した。だから、10時間だと、
午前2時30分。さすがにそれだと早すぎるから、
午前4時30分まで滞在した。料金は合計で2,060円であった。

まだ、からだが重い。
昨日の夕方、一口羊羹とビスケットを食べて以来、
なにも食べていない。
かもめ橋をわたると、すき家があった。
朝ごはんを食べることにする。

すき家の朝定食には、たまかけ定食(生卵=なまたまご
がついている)と、おしんこ定食がある。
自転車乗りとしては、できれば卵を食べて、
動物性たんぱく質をとりたいところである。
けれど、私は生卵を食べることができない。
ということで、おしんこ鮭定食390円にした。
朝食を食べて、5分ほどやすむと血糖値が上がってきた。
ゆっくりと走り始める。

魚見山(うおみやま)隧道をこえると、吉浦(よしうら)
であった。またトンネルをこえると、かるが浜。
しばらく海沿いに走って、天応(てんのう)。
たぶん、景色がいいところを走っているのだろうけど、
まだ、真っ暗である。退屈であった。


生卵を食べることができないということは、
子どもの頃から、私を大いに苦しめてきた。
小学校5年生のとき、私は高野山に林間学校に
行ったのだが、そのとき、朝食に生卵が出た。
私は、はて、どうやって食べるのだろう?と思ったのだが、
みんな、器用に卵の殻を割って、なかの白身と黄身を出し、
箸でかきまぜ、しょう油をたらしたあと、ご飯にかけて
食べていた。

そのときに受けた私の衝撃は
筆舌につくしがたい。


結局、私は生卵を食べることができず、
ご飯とみそ汁だけで、朝食をすませた。すると、
「あー、こいつ、卵、食べてへん!」
と、ひとりの男子が騒ぎはじめた。
私は、ああ、しまった。隣のやつに押し付ければよかったな、
と、心のなかで思ったが、もはや、遅かった。

先生がやってきた。そして、
「どうしてtak君は、卵を食べへんの。」
と聞かれた。私は、まっ正直に、
「なまの卵を食べたことがないんです。」
と答えた。背後から、
「こいつ、アホちゃうか。」
という声が聞こえた。私は、おまえ、すこし黙ってろよ、
と思ったけど、先生の前なので黙っていた。

そのとき、ひとりの女子が、
「tak君は東京から来て、お上品やから、生卵なんか
食べへんのよー。」
と言った。クラスのみんなが、ゲラゲラと笑う。
当時、私は東京から大阪に転校してきて、
まもなかったのだ。

その子はお調子者で、高校生になったとき、暴走族の男の
オートバイにのせてもらって補導されるのだが、
それはまだ、先の話である。私は、
「いや、そういうわけではないです。
東京でも生卵を食べるのかもしれないですけど、
ぼくの家では、こういった食べ方をしないのです。」
と言った。われながら正確な事情説明だった。
背後から、「こいつ、やっぱアホやで。」という声が聞こえた。
いいから、おまえは黙ってろよ。

すると、べつの女子が、
「べつにええやんか。私も卵かけご飯、
大嫌いや。こんなん、旅館の人が手え抜いて、
卵焼きつくる手間、はぶいてるだけや。
給食ちゃうんやから、食べる、食べへんは、
私らの自由やで。」

と言った。

まさしく正論である。

これには、男子もみんな、だまった。
担任の先生は、まだなにか言いたそうだったが、
そのとき、すこしはなれたところにいた校長先生が、
「そうだねー。」
と言った。それで、その話は終わりになった。

その後、私は修学旅行などで、日本式の旅館に泊まり、
朝食に生卵が出るたびに、隣のやつに、
「おう。卵、食うか?」
と聞いて、返事も聞かず押し付けた。

ちなみに、林間学校で私の味方になってくれた女子は
その後、生徒会長になった。先生のウケもよく、
みんなの尊敬をあつめていた。
中学生になると、彼女は私に好意を持っていたようで、
校内で会って、目があうたびに微笑んで下をむいた。
けど、林間学校の生卵事件で、なにも言えなかった私を
彼女が救ってくれたという一件が、私の心の負い目になり、
結局、うまくいかなかった。

それと、うまく騒動をおさめた校長先生であったが、
先生のお膳の上には、手付かずの生卵が残っていたのを、
私は見逃さなかった。


そんなことを思い出しながら、広島にむかって走る。
そういえば、国道の番号が185から31にかわっている。
はて、いつのまにかわったのだろう。
坂(さか)で、ようやく夜が明けてきた。

(つづく)

釧路~長万部自転車ツーリング その3

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(2日め)


2日め  豊頃(とよころ)町~えりも町百人浜
    約101km

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2017年6月24日土曜日午前4時。私は長節(ちょうぶし)湖
キャンプ場にいた。

テントで寝ていると、クルマが来て、ドアを開閉する音が
バタン、バタンと響いた。そして、2~3人の人の声が。
こんなに早くから活動する人たちというと、おそらく、
釣り人であろう。めんどうくさいから確認しなかったけど。
朝5時ごろ起きたときに見ると、やはり釣り人で、
なにやら、長い竿で湖にむかって、ルアーを投げていた。

長節湖は、冬になるとワカサギ釣りで有名だけど、
いまはシーズンではない。シーバスのような汽水域に
棲む魚でも、ねらっているのだろうか。

午前6時ごろ、出発した。国道336号線をすすむ。
コンビニどころか、なにも店がない。ときどき、牧場がある
だけである。

晩成温泉(ばんせいおんせん)という案内標識があった。
海を見ながら温泉にはいることができ、しかもキャンプが
できるという、言うことなしの環境である。
じつは、私の計画では、昨夜は晩成温泉に泊まる予定であった。
けれども、釧路のゲストハウスでフランス人と話し込み、
寝坊してしまって、着くことができなかったのであった。

大樹町(たいきちょう)にはいる。
道端にスペースシャトルの模型があり、大樹町宇宙交流センター
「SORA」と書いてある。

そうだった。
忘れていたけれど、大樹町にはロケットの打ち上げ施設があり、
民間による低価格の衛星打ち上げをめざす、インターステラ
テクノロジズ社が設立されているのである。この会社は、
ホリエモンこと、堀江貴文氏が関係している。

sora.jpg
大樹町宇宙交流センター「SORA」の案内


そういえば、もうすぐ、液体燃料のロケットの打ち上げが
行われるはずである。けれども、とくに盛り上がっている
感じではない。打ち上げに成功するとは、だれも思っていない
ようであり、町は静かであった。

午後1時、広尾町につく。広尾駅に行ってみた。
六本木のつぎの駅ではない。かつての国鉄広尾線の終着駅である。
私にとっては、35年ぶりの再訪であった。
旧駅舎は、現在はバスターミナルとして使われている。
なかに入ると、改札口の周辺などは、ほぼ昔のままであった。

hiroo.jpg
旧広尾駅の駅舎

ふたたび、国道336号線を走る。ここからは、えりも岬黄金道路
といわれる区間であり、日高山脈が海に落ち込む断崖絶壁に
そって走る。
フンベの滝というのがあった。何人かのオートバイ乗りが
写真を撮っている。が、20メートルくらいの細い流れであり、
滝というほどのものではない。こんなもん、パスである。
トンネルとスノーシェードが連続する。約20kmほど走ると、
いよいよ今回の旅のハイライト、「えりも黄金トンネル」に着く。

08ougon.jpg
えりも黄金トンネルにて

えりも黄金トンネルは、北海道最長のトンネルであり、
全長は4,941メートルにおよぶ。自転車が通ることができる
一般国道で、これよりも長いトンネルとしては、国道194号
の寒風山トンネル(5,432メートル)があるのみである。

はっきり言って、これほど長いトンネルを自転車で通るのは
命がけである。今回、私は、えりも黄金トンネル対策として、
反射材でできたタスキを2本かけているほか、
自転車に赤いピカピカを2個装着。
さらに、ヘルメットにも赤いピカピカをつけている。

ま、こんなもん、気休めにすぎないけど。

北海道のクルマは、一般道でも、時速80~90kmで走る。
だから、トンネル内で100メートルくらい先を走る私を
見つけても、4~5秒で追いつくことになる。
ちょっと、よそ見でもされたら、ひとたまりもない。

午後3時16分、えりも黄金トンネルに入る。
交通量はすくない。けれども、クルマは考えられない速度で
ぶっとんでくる。タイヤがアスファルトを噛むときに発生する
パターンノイズ(乗用車だとシャーッという音)の音程で、
だいたいの速度がわかるのだが、時速100kmをかるく超える
速度で、後ろからクルマが迫ってきたときは、なかなかの
恐怖であった。午後3時32分、えりも黄金トンネル通過。


庶野(しょや)で国道336号線かわかれ、北海道道34号線に入る。
ちいさな食料品店をみつけたので、食料を買っておく。
大したものは売っていなかったので、さんまの缶詰と
魚肉ソーセージだけを買った。この先には、食料品店がまったく
なかったので、ここで調達しておいて正解であった。

えりも岬にむかって、南に走る。地図のうえでは、百人浜に
沿って走っていることになっているけれど、浜までは遠く、
どうやって行くのだろう、と思うほどであった。
こんなところでもと言っては失礼だけど、大きな家が建っており、
人が生活している。どの家にも必ず、大きな灯油タンクが
備えてあった。人は灯油さえあれば、どこでも生活できる
のだろうか。午後5時、百人浜オートキャンプ場に到着。

百人浜オートキャンプ場は、フリーテントサイトが1泊310円
という、まことに良心的な価格であるうえ、環境はすばらしい。
言うことなしであった。

hyakunin.jpg
百人浜オートキャンプ場

私のほか、泊まっているのは、長期滞在している雰囲気の
老夫婦など。土曜日だけど、とても空いていた。
近くにある高齢者センターにあるお風呂に行く。
とても安い料金であった。
湯上がりに爽健美茶を飲み、テントで寝転がる。
静かな夜であった。明日はいよいよ、えりも岬に到達する。
午後8時ごろ、就寝。

釧路~長万部自転車ツーリング その4

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(3日め)


3日め  えりも百人浜~新冠町  約116km day3.gif


2017年6月25日日よう日午前6時。私は百人浜オートキャンプ場
にいた。

起きて、テントの外に出てみると、深い霧である。
えりも岬周辺は年間を通じて、非常に霧が発生しやすい
ところであるから、まあ、仕方がない。午前6時30分出発。
約8km南にある襟裳岬(えりもみさき)をめざす。

午前7時ごろ、旧えりも岬ユースホステルの前を通過した。
えりも岬ユースホステルは、北海道3バカユースホステル
(ふつうは礼文島・桃岩荘ユースホステル、知床・岩尾別
ユースホステルとえりも岬ユースホステルをさす)として
有名だった。私自身は、桃岩荘ユースホステルと
岩尾別ユースホステルに泊まったことはあるが、
このえりも岬ユースホステルに泊まったことはない。
なんでも、名物のおばさんペアレントがいて、宿泊客は
大漁旗で送迎のうえ、夜のミーティングに強制参加。
何時間も歌と踊りが続いたという。

ま、桃岩荘ユースホステルも、だいたい同じような感じ
だったけど、あそこはヘルパーが歌って踊っていた。
ペアレントが自ら率先して、歌って踊るというのは、
めずらしいと思う。

えりも岬ユースホステルは、その後、民宿となり、
つい先日、閉鎖された。
時代はかわった。
いまどきの若い人たちは、もう、あんな、バカなことは
しないんだろうな。

2017年6月25日午前7時15分、襟裳岬に到着。
あいかわらず霧が濃くて、展望台に立ったときには、
なにも見えなかった。

09erimo.jpg
襟裳岬にて

erimo2.jpg
襟裳岬灯台にて


私たちの世代にとって、襟裳岬というと、なんといっても
森進一のヒット曲を思い出す。調べてみると、1974年1月の
発売だから、私が18才のときであった。

作曲は吉田拓郎である。フォークソングと演歌歌手の異色の
組み合わせが大成功したことから、ポップス歌手および作曲家
である大滝詠一との組み合わせによる「冬のリヴィエラ」にも
つながっていくのだが。

それはともかく、襟裳岬の歌詞であるが、一部の人には、
どうも、誤解されているように思われる。というのは、
「襟裳岬にはなにもない」というように歌われている
というのである。

そうではない。まず、襟裳岬の歌い出しであるが、

♪北の町ではもう
 悲しみを暖炉で
 燃やし始めてるらしい


という部分で、この歌詞の登場人物には、とてもつらい、
悲しいことがあったことがわかる。そして、この人は、
「人は悲しみをいつまでも抱えているべきではない。」
と考えている。だから、そんなものは暖炉で燃やして
しまえばいいというのだ。そして、

♪えりもの春は
 なにもない春です


という歌詞につながっていく。「なにもない」というのは、
まっさらな状態、という意味である。
要するに、悲しみをのりこえ、まっさらな状態で新しい春を
迎えよう。そうやって、つらい人生を生きていこう。
そう言っているのである。
襟裳岬にはなにもない、などとは、ひとことも言っていない
のである。


朝が早かったせいで、店も観光施設もあいていなかった。
全身に付いた霧の水滴をタオルで拭いて、午前8時出発。
歌別(うたべつ)の集落で、ふたたび国道336号線に戻り、
様似(さまに)をめざす。コンブ漁が最盛期のようで、
ところどころで、軽トラが大量のコンブを積み込んでいた。

海をみると、おびただしい量のコンブが生えている。
ちょっとくらい、軽トラで採ったところで影響があるとは
思えない。夏になれば必ず生えるものを採って、乾燥すれば
売れるのだから、ラクな仕事である。三重県や高知県の漁師は
カツオを追い求めて、双眼鏡で海を見ながら、何日も航海する。
そのリスクとハードさは比較にならない、と思った。

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コンブが生えているところ

午前11時40分、JR日高本線の様似駅に着いた。
列車はいない。
東京の人は、ほとんどが知らないだろうけど、
日高本線は、2015年1月の高波による線路被害のため、
現在、鵡川(むかわ)~様似間が不通になっている。
JR北海道は、沿線自治体に復旧の費用負担を求めていた
ものの、交渉は難航。事実上、廃止が決まっている。

12時25分発の代行バスが入ってきた。ごくふつうの
いすゞエルガである。このバスは、約2時間かけて、
静内(しずない)まで行き、さらに、静内から鵡川までの
代行バスにつながっている。鵡川までの所要時間は、
約4時間もかかる。

samani.jpg
様似駅にて

JRbus.jpg
JR日高本線 列車代行バス


さらに国道336号線を北上。浦河(うらかわ)から
国道の番号が変わり、国道235号線になる。
午後3時、道の駅みついしに到着。
この道の駅には、オートキャンプ場が隣接しており、
さらには温泉施設がある。なかなか魅力的である。
サイクルコンピュータをみると、きょうはここまで、
約75km走っている。ちょっと早いけど、きょうは
ここで終わろうか、と思った。
オートキャンプ場の受付に行ってみると、利用料金は
1泊5,240円という値段であった。当然のことながら、
誰も利用していない。

ということで、さらにすすむ。
東静内の駅をすぎ、静内温泉と書いた看板にしたがって右折。
当初の予定どおり、静内温泉キャンプ場をめざす。
すると、「キャンプ場は現在、閉鎖されています」
と書いてあった。理由はよくわからない。

国道235号線にもどり、スマホを使って調べる。
5kmほどもどったところに「インフォメーションサイト
スペース新ひだか」という、無料で泊まれる施設がある。
自転車乗りやオートバイ乗りが、よく利用しているようだ。

けれども、5kmもどるというのがイヤだった。
私の性格で、すすむのはオッケー、戻るのはダメなのである。
調べてみると、11km先に道の駅、13km先にパーキングエリア、
15km先の判官館(はんがんかん)森林公園にキャンプ場がある。

とりあえず、前にすすむ。
けれども、ここまで、すでに100km走っており、
もう、脚が残っていない。やはり、お金をケチらずに、
道の駅みついしのオートキャンプ場に泊まればよかったかな、
と思った。

行ってみると、道の駅はダメだった。町なかにあるので、
テントを張ったりしたら、110番通報されてしまいそうである。
その先のパーキングエリアは、テントを張っても、
まあ、大丈夫そうだった。けれども、殺されて金品を
奪われても、文句が言えないような環境である。
ということで、判官館森林公園にあるキャンプ場まで走った。
走行距離110kmを超えて、最後に急坂を登ることになり、
もう、泣きそうだった。キャンプ場に着いたのは、午後6時を
すぎていた。

釧路~長万部自転車ツーリング その5

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(4日め)


4日め  新冠町~苫小牧  約75km tomakomai.gif


2017年6月26日月よう日。私は新冠町の判官館(はんがんかん)
森林公園にキャンプ場にいた。

昨日の夕方、キャンプ場に着いて、テントを張り終えるや
いなや、土砂降りの雨となった。雨は一晩中降り続き、
朝5時頃に起きたときも降っていた。その時点で、走る気をなくし、
この日はキャンプ場に滞在することを決め、二度寝してしまった。

午前8時ごろ、目をさますと、鳥のさえずりが聞こえる。
テントから出てみると、きれいに晴れていた。
あわててテントをたたんで、出発する。

昨日の到着は午後6時をすぎていたので、キャンプ場の
利用料をまだ払っていない。管理棟に行くと、
「管理人が不在の場合は、利用料をポストに投函してください。」
と掲示されている。ということで、住所、氏名を書いた
申込用紙に利用料600円を包んで、ポストに投入しておいた。

午前9時出発。
予定よりも3時間遅れである。今回の旅では、なんだか、
寝坊ばかりしている。
国道235号線は、不通となっているJR日高本線と並行して走る。
清畠駅付近では、線路が波に洗われて、ぐにゃぐにゃに
曲がっていた。レールというものは、こんなに簡単に
曲がるものなのか、と思って、すこし、びっくりした。

それにしても、線路が海に近いところを走りすぎている
感じがする。もともと、台風か、すこし高い波がきたら、
それでダメになるような感じの線路のようにみえる。
安全に運行するためには、路盤のかさ上げ工事が必要で、
それには多額の費用がかかるだろう。
これでは、廃線やむなし、という感じである。

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高波でぐにゃぐにゃに曲げられた線路


日高市に入る。
昨日、新日高市というところを通って、今日は日高市。
もちろん、別の自治体である。なんだかややこしい。
静内(しずない)、門別(もんべつ)のままでは、
いけなかったのだろうか。

門別には競馬場がある。
競馬のことは、よくわからないのだが、意外と大きな施設であった。
東京近辺にある府中競馬場や中山競馬場とくらべても、
その規模は遜色ないかもしれない。周辺には、競走馬を飼育する
牧場がいっぱいあった。

10hore.jpg
競走馬の牧場

ししゃもという看板が多くなり、鵡川(むかわ)に着く。
10月~11月のししゃもの漁期には、このあたりでは、
ししゃもの寿司が食べられるという。
いつか、ししゃもの寿司を食べるためだけのために、
10月に鵡川を訪れたい、と思いつつ、もう、何年も過ぎている。

道の駅「むかわ四季の館」で休憩する。ホテルや温泉が併設
されている、大きな道の駅であった。おみやげコーナーには
「本ししゃも」が売っている。東京のスーパーで売っている
ししゃもの代用魚カペリンとはちがって、とても大きくて、
まるまると太っていた。

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道の駅「むかわ四季の館」にて

鵡川から先は、日高自動車道の無料区間と並行して走る。
この日は一日中、向かい風が強くて苦労したのだが、
とりわけ、この区間は風を遮るものがまったくないので、
非常に風が強く、こいでもこいでも、なかなか進まなかった。

苫東(とまとう)という看板がある。
なんのことかと思われるかもしれないが、
「苫小牧東部地域産業用地」の略である。
日本最大の産業地域であるが、工場を建設する企業は
ほとんどなく、原野のままである。
何キロかすすむと、ようやく、いすゞ自動車の工場があった。

沼ノ端(ぬまのはた)から、国道234号線に入る。
午後3時ごろ、苫小牧に着いた。
今日は一日中、向かい風のなかを走ってきたので、
つかれてしまった。少し早いけど、ビジネスホテル
に泊まって、ゆっくりとからだを休めようと思う。
楽天トラベルで検索して、シングルで1泊5,150円
の部屋を見つけ、予約する。
ほか弁を買ってチェックイン。夕方から朝まで外に出ず、
ぐっすりとねむってしまった。

釧路~長万部自転車ツーリング その6

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(5日め)


5日め  苫小牧~伊達市  約109km murosan.gif

2017年6月27日火曜日午前4時に起床。
今回のツーリングでは、朝寝坊ばかりしてきたが、
ようやく、自転車乗りにとって、ふつうの時刻に起きる
ことができた。けれども、4日間で走行した距離は、
予定していたよりも100kmほど距離が足りておらず、
この時点で、函館まで行くつもりだった計画の達成は、
もはや絶望的である。

まあ、いい。
茨城~新千歳空港までの航空券は安い。
また、北海道に来ることができる、と考えればいい。

午前5時に出発する。
苫小牧から国道の番号がかわって、国道36号線となる。
この道は室蘭まで続いている。4車線あるので、走りやすい。
けれども、大型トラックがやたらと飛ばしているので、
自転車で走るのは、命がけだけど。

虎杖浜(こじょうはま)という、しぶい温泉街を通る。
海岸沿いには、かに料理の店がならんでいる。温泉と海産物の
両方を楽しみたい方にとっては、いいところだと思う。

国道36号線沿いに、500マイルという名の民宿がある。
昔、ピーター・ポール&マリー(PPM)という
フォークバンドがあった。私たちの世代では、知らぬ者は
いないくらい、有名である。その代表的なヒット曲が
「500マイル」であった。マリー・トラヴァースさんの
美しい歌声とともに、ご記憶の方も多いと思う。

500Miles
 If you miss the train I'm on.
 You will know that I am gone.
 You can hear the whistle blow.
 A hundred miles.
 A hundred miles, a hundred miles.
 A hundred miles, a hundred miles.
 You can hear the whistle blow.
 A hundred miles.

500マイル
 あなたが私の乗った列車に乗り遅れたら
 私が旅立ったことを知るでしょう
 あなたは100マイル先で
 汽笛が鳴るのを聞くでしょう
 100マイル、100マイル、100マイル、100マイル先で
 あなたは汽笛が鳴るのを聞くでしょう

                   訳詩 tak

500Miles(ピーター・ポール&マリー)

※権利関係は不明です



そのマリー・トラヴァースさんも、2009年に白血病により
帰らぬ人となった。私が好きだった歌手、芸能人などが
次々と亡くなっていくと、自分が老いているのを、
ひしひしと感じるな。

午前10時すぎ、登別(のぼりべつ)駅につく。
有名な登別温泉の最寄り駅だけど、温泉に行くには、
ここから標高300メートルほどのところまで、
登らなければならない。バスで15分ほど。
さらに、クマ牧場に行くには、ロープウェイに乗る。

駅構内には、登別温泉のパンフレットが置いてあった。
英語、中国語、韓国語版はあったものの、日本語版はなかった。
現在の北海道観光事情を、よく反映しているのかもしれない。

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登別駅にて


さらに国道36号線をすすみ、東室蘭(ひがしむろらん)から、
室蘭市街方面に向かう。
午後0時10分、母恋(ぼこい)駅に着いた。
母恋駅は、青春18きっぷのポスターとパンフレットに
使われた駅なので、どんなところなのか興味があったのだ。

来てみると、なんてことはない駅であった。
母が恋しい、という駅名だけで決定された感じであり、
担当したカメラマンも、さぞや困っただろうなと思う。

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母恋駅にて

青春18きっぷPRポスターに室蘭・母恋駅の写真採用 (室蘭民報社)
https://this.kiji.is/210216708034478089


母恋駅から、急な坂を登る。
2017年6月27日午後1時10分、地球岬に着いた。
地球岬は、正式にはチキウ岬といい、アイヌ語で「断崖」という
意味だそうだ。たしかに100メートルくらいありそうな断崖が
続いている。きれいに晴れてくれたので、しばし景色に見とれる。

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chikyu01.jpg
地球岬にて



地球岬から東室蘭にもどり、こんどは北にむかって走る。
国道の番号が変わり、国道37号線となる。
東日本最大の吊り橋である白鳥大橋が見える。
渡ってみたいけど、自動車専用道路なので、自転車では
わたれない。

さらに国道37号線を北上。
午後5時ごろ、道の駅「だて歴史の里」で休憩する。
仙台の伊達家ゆかりの地であり、JRの駅名は
伊達紋別(だてもんべつ)である。

さて、そろそろ、寝る場所を決めないといけない。
この道の駅は、ひろいから車中泊にはよさそうだけど、
市街地なので、テントを張ったりしたら110番通報されそうだ。
11km先のアルトリ岬キャンプ場か、18km先の道の駅とようら、
あるいは、20km先の豊浦海浜公園キャンプ場か、という選択になる。
もう、函館まで行くのは諦めているので、無理をせず、
いちばん近いアルトリ岬キャンプ場に行くことにした。

アルトリ岬キャンプ場に行くと、ホンダのクロスカブに乗った
先客がいた。テントのなかで寝ているようで、姿はみえない。
すこしはなれた場所にテントを張る。
アルトリ岬は、意外と景色のいいところだった。
しかも、利用料は無料である。

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アルトリ岬キャンプ場にて


こういうところで、1週間くらい、滞在してみたいなと思う。
まあ、そんなことを言っていながら、いつも一晩すごしたら、
次の場所にむかって、出発してしまうのだけど。
つねに移動していないと気がすまない、損な性分なのである。

静かな夜であった。セイコーマート南有珠店で買った
幕の内弁当を食べ、すぐに寝てしまった。

釧路~長万部自転車ツーリング その7

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(6日め)


6日め  伊達市~長万部  約50km rebun.gif

2017年6月28日水曜日、私は北海道伊達市のアルトリ岬
キャンプ場にいた。
のんびりと、午前7時ごろ起きる。
きょうが、今回の旅の最終日なのであるが、函館まで行く
ことが絶望的になってしまったので、テンションが
下がりまくりであった。

クロスカブの旅人氏も、すでに起きていた。昨日はテントから
ずっと出てこなかったので、今朝になり、初めて見たのだが、
若い男性であった。私がおはようございます、と挨拶すると、
すこしびっくりしたような感じで、あ、おはようございます、
と挨拶を返された。それをきっかけに、すこしだけ話をした。

私 「このバイクで、日本一周をされておられるんですか?」
クロスカブ氏 「そうですけど。」
私 「すごいですね。私もバイクに乗りますけど、
   110CCだと長距離を走られるのはきついでしょう。」
ク氏「まあそうですね。そちらは...自転車で日本一周
   をやってるんですか?」
私 「いちおう、そうです。でも、コマ切れなんです。
   サラリーマンですから、一気に走る時間がなくて。
   今回は釧路から走りはじめて、今日で6日めですけど、
   明日には、東京に帰らないといけないんですよ。」
ク氏「ははあ。で、次回は、終わったところから、
   そのつづきをやると。」
私 「そういうことです。」
ク氏「いったい、何年かかることやら、ですね。」
私 「なんだかんだで、もう10年くらい、やってますが。
   まだ、半分をちょっと超えたくらいです。(笑)」


テントをたたんで撤収。荷物を自転車に積んで、出発しよう
とすると、こんどはクロスカブ氏のほうから、声をかけてきた。

ク氏「どっち方面に行くんですか。」
私 「長万部方面に行きますが。」
ク氏「トンネルが多いですから、気をつけて行った方が
   いいですよ。」
私 「どうもありがとうございます。あなたも気をつけて。
   どうか、いい旅を。」
ク氏「どうもー。」



午前8時に出発した。
まずは、国道37号線にもどり、北にすすむ。
洞爺(とうや)駅で休憩。ここには来たことがある。
20年以上前に、家族で洞爺湖にいったとき、利用した
のである。駅舎は新しく、大きくなっており、
かつての面影はなかった。
洞爺湖は、水はきれいだし温泉もあるし、札幌や新千歳空港
から近いわりには、なかなかいいところである。
2008年には、主要国首脳会議(G8=サミット)が開催されている。


さらに国道37号線をすすむ。道の駅とようらで休憩した。
この道の駅は海岸線からはなれており、静かなところである。
周囲に民家はなく、車中泊にむいていると思われる。
自転車の旅人も、まあ、大丈夫なのではないかと思われる。

礼文(れぶん)から登りになる。有名な礼文華峠(れぶんげとうげ)
であり、むかしから交通の難所である。さきほどクロスカブ氏が
「トンネルが多いから気をつけて。」と言ったのは、
この峠のことを言っているのである。

もちろん、私も礼文華峠のことは調べてきており、
トンネル通過にそなえて、反射材のタスキを2本かけて、
さらに赤いピカピカを2個、点灯させている。
が、それでも危険なことには変わりはない。

短い礼文トンネルを越えると、全長1,331メートルの
礼文華トンネルがある。それを過ぎると、
礼文橋、小幌橋(こぼろばし)の順に渡る。
このあたりが最高地点であり、標高は約230メートルであった。

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礼文トンネル

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小幌橋


小幌橋を渡るとき、海側を見てみた。
牛山隆信氏による秘境駅ナンバーワンの小幌駅(こぼろえき)
が見えるかな、と思ったのだが...。残念ながら見えなかった。
距離的には、ほんの300メートルくらいのはずなのだが。
駅におりる道らしきものは、まったくない。
さすがに秘境駅ナンバーワンである。
どうやったって、行けるわけがない。
まさしく、別格の秘境駅であった。

小幌橋をわたると、一方的な下りになる。
静狩(しずかり)トンネルをぬけると、噴火湾が
きれいに見えた。

hunka.jpg
静狩トンネルを越えた地点で


長万部駅には、午前11時に着いた。
すこし早いけど、今回の旅はここで終わりにする。
ここで終わる理由は、次回、旅を始めるとき、
来やすいからである。長万部は特急停車駅であるから、
新千歳空港から、約1時間半で来ることができる。

誰もいないローカル線の無人駅に着いて、ほっとひと息つき、
自転車を輪行袋に入れ、普通列車で帰るというのは、
旅の終わり方としては最高かもしれないが、
つぎにそこに来ることを考えると最悪である。

osha01.jpg
長万部駅にて

私は自転車を分解して、輪行袋に入れ、列車に乗る準備
をととのえた。そして、駅から歩いて2分の位置にある
かなや本店に行き、かにめし弁当(1,080円)を購入。
昔から、多くの旅人に愛され続けてきた逸品である。
列車に乗り、包み紙を開け食べる。隣にすわっている人が、
ちらっと、かにめしを見た。

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かなやのかにめし弁当



ということで、今回の記事のまとめであるが、
釧路から北海道南岸を通るコースは、
長大トンネルが多いうえ、霧が多く、風が強いなど、
条件の悪い日が多いけど、高低差が少なく、
高い峠といっても礼文華峠くらいであり、
おおむね走りやすい。60才を超えた体力でも、
自転車で走ることは十分に可能であるので、
ご興味のある方は、走ってごらんになるといいだろう。


アルトリ岬で会ったクロスカブの旅人氏に、
いったい、何年かかることやらですね、と言われて
しまった私の「日本外周自転車の旅」であるが、
これまでの途中経過は、以下のようになっている。

koremade.gif
※青い線がいままで走ったコース

計算してみると、合計で約7,000キロくらい走っている
ことになる。日本外周は、トータルで12,000キロくらい
だから、まだ半分をちょっと超えたくらい。
ま、がんばるしかないね。www
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