岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。
今回走ったコース
1日め |
岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート |
71km |
2日め |
瀬戸大橋スパリゾート~尾道 |
73km |
3日め |
尾道~呉 |
83km |
4日め |
呉~玖波 |
58km |
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合計 |
285km |
※常石(つねいし)~尾道間の航路は除く
使用した自転車 ロードスポーツ改造車
チェーンリング 44T-32T (2段)
カセットスプロケット 11-34T (8段)
1日め 岡山駅~瀬戸大橋スパリゾート 約71km
2017年12月27日午前7時30分、私はJR岡山駅にいた。
これから、広島まで、自転車で走ろうと思う。
岡山駅からスタートしたという証拠として、駅前にある
桃太郎の像の前で記念写真を撮ろうとしているのだが、
ハトが邪魔をして、なかなかどいてくれない。
結局、ハトが入ったまま、記念写真撮影を終了した。
岡山駅前の桃太郎像の前にて (ハトといっしょに)
午前7時40分、岡山駅をスタート。
しばらく、路面電車と並行して走る。
この電車は市電ではなく、岡山電気軌道という私鉄である。
規模が小さいながらも、ずっと廃止されることなく
存続している。がんばっている鉄道のひとつだ。
「MOMO」と書かれた近代的な車両が、颯爽と走っていった。
国道250号線に入って、新京橋で旭川(あさひがわ)を渡る。
途中、中洲のようなところがあり、人が住んでいた。
大雨とか台風でも来たら、さぞや不安だろうなと思うけど、
慣れてしまえば、案外、平気なのかもしれない。
新京橋を渡り終えたところで、旭川に沿って南下する。
広島をめざすならば、西に向かえばいいではないか、
と思われるかもしれない。けど、私の旅は、
「なるべく海岸線沿いに日本を一周する」という
ことがテーマなので、児島半島を無視するわけには
いかないのである。午前8時40分、児島湾大橋をわたる。
児島湾大橋にて
児島半島は、昔は大きな島だった。
わが国最古の文献である「古事記」(こじき=712年に編纂)
において、伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)は、
淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、
本州の順につくったとあり、ここまでを大八洲(おおやしま)
とした。そして、大八洲をつくったあと、
最初に吉備(きび)の児島をつくったという。
まあ、もちろん、古事記の記述は、神話伝説の域を出ない。
けれども、8世紀初頭において、大和朝廷は日本の国土について、
かなり正確に把握していたことがわかる。そして、児島は、
当時から交通の要衝として、重要視されていたのである。
時計回りに児島半島をまわる。
小串(こぐし)というところをすぎると、
ちいさな峠にさしかかった。
ロードに乗った自転車乗りが後ろから来たな、と思うと、
あっというまに抜かれてしまった。
玉野市(たまのし)に入ったところで、携帯電話が鳴った。
画面をみると、知らない番号からの着信である。
すこし考えてから出た。
私 「...はい、もしもし。」
相手「もしもし、〇〇ホテルですが。」
私 「あ...昨夜はどうもお世話になりました。」
相手「部屋のカギは、戻していただけましたか?」
私 「あ、はい。キーボックスにもどしてから出たと
思いましたが。」
相手「もどっていないですよ。」
私 「え...?(ポケットの中をさぐる)
あ...すみません。持ったままでした。」
相手「困りますねー。」
私 「どうも申し訳ありません。いま、玉野市という
ところにおりまして。自転車の旅なので、
すぐには戻れません。速達で送りますので、
どうか、それでご容赦いただけないでしょうか。」
相手「...すぐに送り返してくださいよ。」
私 「はい、どうも申し訳ありません。」
ということで、なんとか、ことなきを得た。
玉野市街にはいったところで、コンビニで封筒を購入。
スマホで郵便局をさがして、玉野田井郵便局から、
速達でホテル宛にカギを送った。
やれやれ。
長年、旅をしているが、こんな失敗をしたのは、
はじめてである。ボケの初期症状かもしれないな、
と思って、すこし、気が重くなった。
部屋のカギをフロントに返すのを忘れた原因は
はっきりしていて、出発直前にロビーで他の客に
話しかけられたからである。
「水島に行くには、どうしたらいいか。」
という質問であった。
仕事で来たにもかかわらず、事前に調べておかない
そのオヤジが悪いのだから、適当にあしらっておけば
よかったのだが、
「倉敷まで行って、水島臨海鉄道に乗り換えて...。」
みたいな案内をしているうちに、フロントにカギを返す
という行動が、頭のなかからとんでしまったのである。
若いときの私であれば、ちょっと話しかけられたくらいで、
こんな、しょうもないミスなんか、しなかったけどな。
気をとりなおして、先にすすむ。
JR宇野駅に着いた。
かつて、四国に行くには、ここから宇高(うこう)連絡船で
高松にわたったものである。この宇野駅には、
東京からの寝台特急「瀬戸」が発着し、賑わっていた。
1988年に瀬戸大橋が完成してからは、旅客の流れが変わり、
宇野駅はさびれてしまった。広大だった構内は縮小され、
ホームが1面だけの小さな駅になってしまった。
日中は1時間に1本の普通列車が発着するのみ。
しかも、瀬戸大橋線との分岐駅である茶屋町止まり、という、
さびしい状況になっている。
JR宇野駅
宇野駅構内
宇野港に行ってみる。
かつては、ここから国鉄の宇高連絡船のほか、
宇高(うたか)国道フェリー、四国フェリーなどが出ており、
かなり頻繁に発着していた。また、多くのトラックが
利用していた。私自身は1984年に国鉄時代の宇高連絡船
を利用したほか、2004年の5月には、オートバイで
宇高国道フェリーを利用している。
現在、残っているのは、四国フェリーのみ。
しかも、1日5往復という、かなりさびしい状況である。
しかしながら、宇野港は現在でも、小豆島(しょうどしま)、
豊島(てしま)、直島(なおしま)などの航路があり、
それらの島々に行く人にとっては、重要な港になっている。
また、旅客の流れがかわったといっても、
それは四国に渡る旅客が減っただけのこと。
玉野市は人口が約6万人の都市であり、また大企業の工場が
多く存在している。そのため、玉野市の中心地である
宇野駅の周辺は、それなりに賑やかである。
宇野駅から、国道430号線をすすむ。
玉野トンネルをぬけると、三井造船の大工場があった。
さらに、玉第一隧道、玉第二隧道、玉第三隧道とぬける。
このあたり道がせまいので、かなり危険である。
大型のトラックやトレーラーが頻繁に通るので、
自転車で走っていたら、轢き殺されても文句が言えない。
トンネルの手前で停止し、クルマが途切れるのを待ってから
すすむしかなかった。
日比(ひび)という交差点を右折し、しばらくすすむと、
きれいな海岸に出た。渋川海岸というところで、
「日本の渚百選」に選ばれている。
海岸に出てみた。
とおくに大槌島(おおつちじま)という円錐形をした島がみえる。
そのむこうは四国だろうか。西の方角には瀬戸大橋がみえる。
なかなかの絶景である。
瀬戸内マリンホテルという、大きなホテルがある。
部屋から見る景色は、なかなかのものだろうな。
ルームチャージは、かなり高そうだけど。
渋川海岸にて
さらに国道430号線をすすみ、倉敷市にはいった。
右手に大きな岩が露出した、異様な形をした山が見える。
スマホで調べてみると、王子が岳(おうじがたけ)といって、
古い花崗岩が露出した独特の地形である。若い人にとっては
ボルダリングの名所となっているようだ。
王子が岳
児島(こじま)には、午後2時すぎに着いた。
私たちの世代にとっては、なんとなく、学生服の町
というイメージがある。菅公(カンコー)とか、
富士ヨットとか、トンボとか、有名なブランドの学生服は、
だいたい、この町でつくられているからだ。
私たちの世代にとっては、中学生になったら、
男子は詰め襟の学生服、女子はセーラー服を着ることが
あたりまえだったけど、現在では、公立の中学は
ブレザー型の標準服(男女とも同じデザイン)で、
高校は私服が多くなっている。
制服をみなおす動きもあり、最近、都内の公立小学校が
アルマーニがデザインした制服を採用し、話題になった。
けれども、全体としては、学生服の需要は減っている。
そのため、現在、児島は「ジーンズの町」として
売り出しており、児島ジーンズストリートといった、
新しい名所もできている。
JR児島駅にて
私自身は、そういった後付けの観光地には興味がないので、
まっすぐに、あるところに向かった。
JR児島駅から、西に800メートルほどすすむと、
現在は使われていない駅舎と、ちょっとした駅前広場がある。
旧下津井(しもつい)電鉄の児島駅にまぎれもない。
かつて、ここから下津井まで、鉄道が走っていた。
日本では数少ないナローゲージ(レールの間隔が762ミリ)
を使った鉄道であった。現在は、廃止された線路の路盤
をつかって、「風の道」という自転車および歩行者の専用道路
が整備されている。
この風の道を走ることが、今回の私の旅の目的のひとつであった。
風の道 出所:倉敷観光Web
旧駅舎を入ると、自転車のマークと矢印の案内に
したがって、かつてのプラットフォームを経由し
鉄道の路盤におりる。ここから約6.3km、
下津井電鉄の廃線跡が、ほぼ完全なかたちで
残されている。
途中、琴海(きんかい)、鷲羽山(わしゅうざん)、
東下津井(ひがししもつい)、下津井といった駅が
ほぼ、そのままのかたちで残っていた。
あっというまの6.3kmであった。
鷲羽山下津井ホテル前に保存されているクハ24形電車
(つづく)