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マイナス15℃のなか車中泊をしてみた 1

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北海道で、マイナス15℃のなか、車中泊をしてみた。


2017年2月5日午後7時30分、苫小牧フェリーターミナルに
着いた私は、網走をめざして走り始めた。
出発するまえ、ネットにより、流氷が網走に接岸している
という情報は得ていた。それゆえ、私はできるだけ早く、
網走に着きたかった。流氷は、風向きや海流により、
簡単に流され、岸から離れてしまうからである。
ということで、苫小牧から網走までの370kmを、
途中、どこかで車中泊をして、仮眠をとり、
ぶっとおしで走ろうと思っていた。

けれども、出発前に、さすがの私も考えた。
厳冬期の北海道で車中泊は可能なのだろうか。
外気温は、マイナス5℃から10℃くらいまで下がるはずである。
テント泊ではなく、車中泊とはいえ、大丈夫なのだろうか。

私は、大学時代からの付き合いである、
山に詳しい友人に相談した。
すると、いきなり、
「ばかやろう。」
と言われた。
「北海道、なめてんのか。」
って、おまえ、埼玉出身じゃん。

こいつには、北岳に登ったときも相談したのだけど、
やはり、「ばかやろう。山、なめてんのか。」と言われた。
どうも、こいつは自分と意見が異なるやつが、みんな、
バカに見えるらしい。

彼は、毎年、東大に何十人も入る名門高校の出身である。
ま、彼にくらべれば、私はたしかにバカだし、
なーんのとりえもない人間である。
そもそも、私と彼が同じ大学の同じ学部にいるのは
不思議なくらいであった。ということで、私は在学中から、
彼には、まったくアタマが上がらなかった。
その人間関係は、卒業して40年ちかく経過した現在もなお、
継続中なのである。www

けれども、ばかやろう、と言われて、さすがにカチンときた。
意地でも、厳冬期の北海道での車中泊を成功させてやる!



電話をきって、早速、考えてみる。
車中泊の条件として、エンジンは切り、ヒーターはかけない
こととする。夏だと、窓をすこし開けた状態で寝るけれど、
厳冬期ということで、なるべく窓を閉め切った状態にしたい。

それと、今回は暖房として、使い捨てのカイロを使おうと思う。
シュラフとエアマットレスのあいだに、10コくらい、
貼り付けよう。
使い捨てカイロの出す熱は、167,500ジュール。
つまり、約40キロカロリーで、電気に換算すると、
だいたい1コで5Wくらい。10コで50W。
ということで、電気毛布くらいの熱が出るね。

それで、酸素は足りるのか。

計算してみた。
デミオの場合、室内長は1.8メートル、室内幅が1.4メートル、
室内高が1.3メートルである。そこに入っている空気の量は
だいたい3.3立法メートル。つまり、約3,300リットル。
酸素の量は1/5だから、約660リットルとなる。

人間が消費する酸素の量は、安静にしているときで、
1時間に約100リットルである。
つぎに、使い捨てのカイロであるが、鉄が酸化する
ときに発生する熱を利用するものであるから、
大量の酸素を消費する。調べてみると、40gのカイロで
1時間に約1リットルの酸素を消費するという。
カイロを10コ使うとなると、だいたい、
1時間に約10リットルとなるね。

つまり、乗用車の窓を閉め切った状態で、人がひとり寝て、
なおかつ、使い捨てのカイロを10コ使っていると、
 660÷(100+10)= 6
つまり、6時間くらいで酸欠になって死ぬ。


ということで、4つある窓の1つを、5ミリくらいあけて、
換気をすることにする。外の風の状況にもよるけれど、
空気の量は、それで十分だろう。


つぎは寝具である。
私のシュラフは、モンベルのバロウバッグ#4。
カタログスペックでは、使用可能限界温度-6℃
となっている。が、それは、山でもやっている人が死なない、
という意味であり、ふつうの人にとっては、5℃以下だと、
よゆーで寒い

そこで、シュラフのなかに、イスカのシュラフインナー
を入れ、カインズホームで買ってきたマイクロフリースの毛布
(780円)を2枚かける。さらに、その上に、いつも使っている
掛け布団をかけることにした。
これで寒いようだったら、あきらめてエンジンをかけ、
ヒーターを入れよう。

2017年2月5日午後11時。
道の駅当麻(とうま)に着いた私は、車中泊の準備をはじめた。
(つづく)


マイナス15℃のなか、車中泊をしてみた 2

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北海道で、マイナス15℃のなか、車中泊をしてみた。
そのつづき。


2017年2月5日午後11時。旭川のちかく、国道39号線沿い
にある、道の駅当麻(とうま)に着いた私は、
車中泊の準備をはじめた。
この夜の当麻付近は非常に寒く、午後11時の時点で
気温はマイナス10℃であった。夜明け前には、
さらに冷え込むに違いない。

そんななかでも、駐車場には、車中泊をしているクルマがいた。
仲間がいると、なんだか、こころ強いね。
まあ、もちろん、共倒れというか、みんなで仲良く凍死する
可能性も、ないとはいえないけど。www

シートをフルフラットにして、段差を服でうめる。
さらに、エアーマットを敷き、使い捨てのカイロを10コ、
貼り付けていく。予想どおり、このカイロは非常に暖かく、
一晩中、寒さを感じることはなかった。

kairo.jpg
マットレスに使い捨てのカイロを貼り付けていく

さらに、窓の内側に銀色のシートとプチプチを貼り、
断熱を高めることにする。そうして、最後に掛け布団をかけ、
横になった。

shachu.jpg
車中泊のようす

うんうん、あったかい。
私はすぐに、眠りについた。



午前3時ごろ、目がさめた。
なんだか、顔が痛い。
温度計をみると、マイナス15℃になっている。
ここまで気温が下がると、寒いというよりも肌が痛く感じる。

やばい。これ以上、気温が下がると、肺が凍ってしまう
かもしれない。私は自作のキャンドル・ストーブを取り出し、
火をつけた。
ライターは、ターボ式のボォーッというやつ。
大洗港に行く途中、ダイソーで買ってきた。
ふつうのライターだと、ガスが気化せず、火がつかない
ことがあると聞いたから。

candle.jpg
自作のキャンドル・ストーブ
(アルミの空き缶を利用している)


せまいクルマの中なので、キャンドル・ストーブをつけると、
すぐに気温が上がる。ただし、酸素の消費量が急速に増える。
通気性のいいテントの中なら、このまま寝てしまうのだが、
クルマのなかだから、そうはいかない。
換気用にあけている、窓のすきまを10ミリにひろげて、
用心のため、しばらく起きて、炎を見ていた。

しずかな夜であった。
ああ、ひとりだな、と思う。
午前4時ごろには起きて、走りはじめるつもりだったのだが、
キャンドルの炎をみているうちに眠くなり、
深いねむりに落ちてしまった。

目がさめると、午前8時だった。
9時間も眠ってしまったことになる。
「どこが仮眠やねん!」
と自分でツッコむ。
いっしょに車中泊をしていたクルマは、すでに、
みんな出発していた。

温度計をみると、気温はマイナス10℃。
ボトルのなかに入れていたお茶が、カチンコチンに凍っている。
そんな寒さのなかではあるが、あたたかい寝具と、
10コの使い捨てカイロのおかげで、一晩中、寒さを感じる
ことは、まったくなかったな。

バッテリーの能力が低下していないか、心配だったけど、
セルフスターターをまわすと、一発でエンジンがかかった。
よしよし。えらいぞ。
とりあえず、エンジンをあたためて、ヒーターを入れる。

demi.jpg
一発でエンジンがかかったデミオ

前の日に買っておいた、朝食のサンドイッチは
凍っていて、食べるとシャリシャリという。
低体温症になるとまずいので、すぐ近くにあるローソンに入り、
あたたかいコーヒーとおにぎりを買った。
「おにぎり、あたためますか?」
という、店員さんの一言が、とてもありがたかった。



ということで、今回の記事のまとめであるが
マイナス15℃のなか、車中泊をすることは可能であった。
けれども、十分な装備を持っておく必要がある。
また、マイナス15℃以下に気温が下がると、
本当にやばいかもしれない。
ということで、あまり、おすすめできることではない。
やられるとしたら、自己責任でお願いします。


東京に帰ってから、この車中泊のことを、
北海道で暮らした経験のあるmicyuさんに話したら、
こっぴどく、怒られてしまった。
なんでも、北海道では、毎年、何人かの人が、
吹雪(ふぶ)いた状態で、クルマのなかに閉じ込められ、
死ぬんだそうだ。

「天気がよかったから無事ですんだけど、
吹雪いていたら、どうするつもりだったんですか。」
と言われてしまった。

まあ、たしかに。
北海道をなめると、本当にまずいのかもしれない。
真冬に車中泊をやるのなら、東北までだね。
(^^;

知床フレベの滝は外国人だらけだった

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知床フレベの滝までのトレッキングコースを
歩いてみたのだが。


流氷が接岸するのを待っているあいだ、ヒマだったので、
知床自然センターに行ってみた。
とくになんの目的もなかったのだが、
入り口のところに、

 フレベの滝までのトレッキングコース
 所要時間 約1時間(往復)
 スノーシュー、ブーツ貸します


といった内容のことが書いてあった。
私はフレベの滝に、夏に1度だけ、行ったことがある。
けれど、冬には行ったことがない。
現在は、部分的に結氷しているという。
おもしろそうだな、と思った。

カウンターに申し出ると、女性職員が対応してくださり、
「今日は、スノーシューは必要ないです。
ブーツだけで十分ですよ。」と言われた。
ということで、ブーツだけ借りた。500円であった。

boot.jpg
知床自然センターで借りたブーツ 500円

 知床自然センター  http://center.shiretoko.or.jp/


スマホのGPS機能をONにして、歩きはじめる。
万一、道に迷ったら、記録されたトラックをたどれば
もとの場所に戻ってくることができるから。
知っている道とはいえ、雪が積もった状態で歩くのは
はじめてだし、急に吹雪いて、視界が悪くなったら
終わりだから。
私は臆病なのである。
幸い天気はよく、展望台までの道は、問題なく、
歩くことができた。


結氷したフレベの滝は、なかなかのものだった。
氷が水色に輝き、きれいである。
海には、濃紺の水に真っ白な流氷が浮き、幾何学的な
模様が描かれていた。私は、来てよかったな、と思った。

furebe.jpg

furebe2.jpg
フレベの滝展望台より


ふと見ると、オジロワシが上昇気流にのって、飛んでいた。
ほんの2時間ほど前、地元の人に教わるまでは、
私はしっぽの白いトンビだと思っていたのだが。
思わず、先に展望台に来ていたご夫婦に、
「おーっ、オジロワシですよー。」
と声をかけた。

すると、返事がない。
あれっ、と思って、ご夫婦を見ると、片手を振って
言葉がわからない、という手振りをする。
見ためは日本人と変わらないので、わからなかったのだが
外国人だったのである。

「あー・・・、ザット・イズ・ア・ホワイトテールイーグル。」
と言うと、オー!とかなんとか言って、何度も頷いた。

すこし話してみると、タイから来たご夫婦だそうで、
わざわざ、知床まで、雪を見に来たのだそうだ。
私   「ほー、それはそれは。」
タイ夫婦「写真を撮ってくれませんか。」
私   「もちろん、いいですよ。」
ということで、フレベの滝が入るアングルで3枚撮って、
モニターを見せた。

私   「これでいいですか。」
タイ夫婦「とてもいいです。どうもありがとう。」
タイ夫婦「きれいですね。」
私   「ええ、きれいですね。でも、ちょっと寒いですけど。」
と答えると、奥さんが、くくく、と笑った。

タイ夫婦「どっちの方から来ましたか。」
私   「東京からです。」
タイ夫婦「いや、そうじゃなくて。どこから歩き始めましたか。」
私   「あー、知床ビジターセンター? からです。」
タイ夫婦「知床自然センターですね。私たちは、いまからそこに
     戻るんですけど、スノーシューなしで歩けますか。
     灯台をまわってきたのですが、ちょっと苦労した
     ものですから。」
私   「ああ、問題ないです。私は知床自然センターから、
     これで来ましたから。」
と言って、レンタルされたブーツを指差すと、安心したようだった。

タイ夫婦「じゃ、いい旅を。」
私   「どうもありがとう。あなたがたも。」
と言って、わかれた。



私は外国人と話すと、緊張して、脇の下にびっしょり汗をかく。
ほっとして、ふたたび、フレベの滝を見る。
ベンチにすわって、ボーッとしていると、
中国語を話す、さわがしい年配の女性グループが来た。
展望台に登ってきて、私を見て滝を指差しながら、
ハオハオ、ハオハオとか言っている。
私は「ニーハオ」と言って、ちょっとひきつりながら、
にっこり笑った。

おお、日本人だ、日本人がいるぞ、という感じで、みんなに
いろんなことを聞かれた。一人、英語が達者な人がいたので、
なんとか、コミュニケーションをとることができた。
どこから来たのか、どうやって来たのか、とか、
知床までなにをしに来たのか、とか、ひととおり聞かれた。

私も、みなさんはどこから、どうやってここまで来たのですか、
と尋ねてみた。すると、一昨日、北京から東京に着いて、
昨日、札幌に移動した。そこからバスに乗って、ここまで来たのだ、
とかいう。すごいスケジュールだ。
しかも、このあと京都に行くという。日本には、7日間、滞在する
ということだった。
「東京、札幌、京都の3都市周遊と世界遺産知床で流氷を見る7日間の旅」
みたいなツアーなのだろうな。なんだか、おそろしく
エネルギッシュである。

集団から、ようやく解放されると、マンフロットの三脚
を立てて、ニコンのD5で滝を撮っていた女性が、
私に英語で話しかけてきた。

女性「樹氷がない。いつ、樹氷をみることができるか。」
私 「樹氷ですか。今日は、暖かいですから無理ですね。
   残念ですけど。」
女性「夜に来れば、樹氷をみることができるか。」
私 「夜にここに来るのですか? 天気がよければ
   いいですけど、霧になったり吹雪いたりしたら、
   危険だと思いますよ。」
女性「そうですか...。」

その女性は、なんだかグループから、すこし浮いている
感じだった。そんな話をしていると、ガイドらしい男性が
苦笑しながら、私に会釈した。



中国人の女性グループと別れて、知床自然センターに帰る。
途中、エゾシカを見た。モモンガは見ることができなかった。
知床自然センターに向かう坂をのぼっていると、
スノーシューをはいた一団が、広東語を話しながら
降りてきた。
日本人は、おらんのかい!
結局、フレベの滝までの往復で、私は日本人とは
ひとりも出会わなかった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
冬の知床、フレベの滝までのトレッキングコースは、
大勢の外国人が訪ねてくる。おそろしくエネルギッシュな
人たちで、話しているとおもしろいけど、
ちょっと騒がしいので、静かに過ごしたい方にとっては、
注意が必要である。

糖尿病、その後

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「糖尿病の具合はいかがですか?」
というお便りをいただいたのだが。

まあまあ、順調です。
とはいっても、なおる病気ではないですけど。

病院から、自己測定用の血糖値計をもらっているので、
週に1回、自分で血糖値を測定している。
その結果、空腹時でだいたい120~140mg/dl、
食後2時間で180~190mg/dlであるので、
ふつうの人より、やや血糖値が高めかな、
というレベルである。
HbA1Cは、6%台をキープしている。
血糖値を下げる飲み薬は、もう飲んでいない。

aviva.gif
自己測定用血糖値計


ふだんの生活で気をつけていることというと、
1日の摂取カロリーを、1700kcal以下におさえているくらい。
正直いって、いつも、おなかをすかせているね。
最初は、けっこうストレスだったけど、
もう、すっかり、慣れてしまった。

困るのは、外食ができないこと。
たとえば、ファミレスでハンバーグ定食を食べて
しまうと、それだけで1000kcalくらい、
簡単にいってしまう。

私の場合、朝食と夕食は必ず家で食べることにしている
ので、朝食500kcal、夕食800kcalは摂ることになる。
ということで、昼食は400kcalまで。
コンビニで、おにぎり2個とお茶を買ってすますことが多い。
そんな生活をしている。

ということで、若干、不便ではあるが、まあまあ、
順調である。

糖質ダイエットだとか、いろんな本が出ているけれど、
読んだことはない。要するに、食事を1日1700kcal以下
にすれば、人は痩せていく。
それがつらいから、食べても痩せないようにするんだろうけど、
血糖値が下がりすぎると、人間は死んでしまうから、
からだは、なんとかして糖分をつくり出そうとする。
ということで、食べている限り、痩せるわけはないんだよね。

いつも、おなかをすかせていることについては、
そもそも、日本人は縄文時代には狩猟と採集生活を
していたわけだから、それが自然だったのである。
それから、まだ2300年も経過していないのに、
必要以上に食べることができる時代がきたもんだから
そういう環境に、まだ、からだが適応していないんだよね。

そういうわけで、縄文人型の遺伝子をもつ日本人
(私はその典型である)にとって、糖尿病は、
もっともなりやすい病気らしい。
私の場合は、たまたま、早期に発見できたから
よかったけど、糖尿病は自覚症状がほとんどないから、
見過ごしやすい。
だから、しばらく健康診断を受けていないという方は、
注意が必要であろう。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
糖尿病であっても、1日の食事を1700kcal以下におさえて
いつもおなかをすかせるようにしておけば、大丈夫だから。
食べる楽しみというものは、なくなったけれど、
旅を続けることに支障はないから。


ところで、1日1700kcal以下におさえるメリットとして
食費が安くおさえられるということがある。
現在の私が食べる量は、40代の1/3程度。
50代の1/2程度である。家内によると、
「おかげで、食費が助かるわ。♡」
ということである。
家族にとっては、私の糖尿病が発覚してよかった
のかもしれない。

正方形の写真が流行っているそうだけど

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インスタグラムの影響により、正方形の写真が
流行っているそうだ。
NHKのニュースでいっていたけど。
なんだか、おもしろい現象が起きているもんだね。

写真には、いろんなサイズがある。
そのうち、正方形を採用しているのは、
スケッチ判と6×6センチ判、そしてインスタントカメラの
instax squareとポラロイドのみである。(下表のピンク色の部分)

photo.gif
※2017年4月現在、フィルム・カメラの入手および撮影可能なサイズのみ。


スケッチ判というのは、ほとんどの方は見たことがない
だろうけど、日本では唯一、「マミヤスケッチ」という
機種が発売された。
じつは、私の父が昔、持っていたカメラがこれであった。
ということで、私の子どもの頃の写真は、みーんな正方形。(笑)
構図もへったくれもなく、全部、私と兄がど真ん中に写っている。
いま見ると、すっごい違和感があるけど、
子どもの頃は、こんなもんだ、と思っていた。

scketch.jpg
マミヤスケッチ


6×6センチ版は、ブローニーフィルムを使う中判カメラの
標準フォーマットである。私が最初に就職した会社は
広告代理店だったんだけど、当時、モデルさんの撮影は、
ほとんどが、6×6センチ判だった。ハッセルブラッドを使う
カメラマンが多かったね。

あのカメラ、シャッターを押すと、シュッボコンという、
ものすごく、でっかい音がする。
「レンズシャッターなのに、なんで、あんな音がするんだろ。」
と思っていたら、じつはバックシャッターという、フィルム面の
前に開閉する幕があり、その作動音だったんだね。

モデルさんの撮影に使うストロボは、バルカーという
でっかいやつで、チャージするとピピーッと音が鳴る。
大きな音量で音楽を鳴らしながら、モデルさんにポーズをとらせ、
シュッボコン...ピピーッ、シュッボコン...ピピーッ。
なんだか、やたらうるさかった。

グラフィックデザイナーがポラを見ながら、あーだこーだと
カメラマンに指図する。私はというと、はやく終わってくれよー、
と思いながら、スタジオの片隅で、じっと待っていたなあ。

hassel.jpg
ハッセルブラッド500C/M
出所:Hasselblad Group
http://www.hasselblad.com/

それはともかく、6×6センチ判のいいところは、
タテ、ヨコがないから、構図を考えなくてもいいことである。
カメラマンとしては、モデルさんを真ん中において、
四隅を広めに撮っておいて、
「あとはデザイナーさんのほうで、勝手にトリミングしてね。」
という感じであり、構図の問題でグラフィックデザイナーと
カメラマンがもめることは、ほとんどなかった。
ということで、早く帰ることができたから、ラクだったな。


インスタント写真のうち、instax squareは、いま正方形が
流行っているもんだから、新しくできた規格である。
また、ポラロイドは77×79ミリだから、昔からほぼ正方形。
ま、インスタント写真だと、構図に凝る必要性がほとんどないから、
正方形がむいていたんだろうね。

インスタント写真っていうと、大滝詠一さんの「君は天然色」の、
 ♪ 机の端のポラロイド
という一節が思い出される。歌詞のなかに、これほど大胆に商品名
が入っている例は、ほかに思い浮かばない。
当時、「ポラロイド」という言葉は、それほど一般的であり、
インスタント写真の代名詞になっていた。

正方形のポラロイドが、時間が経過するにつれて、
色褪せてくる。それは、記憶がうすれていくことを意味して、
色をつけてくれ、という思いがよくわかる。
とてもビジュアルな詩だよね。

cheki.jpg
“チェキスクエア” instax SQUARE SQ 10
出所:富士写真フイルム
http://instax.jp/square/

pola600.jpg
ポラロイド600
出所:ポラロイド
http://www.polaroid.com/

以上のように、スケッチ判と6×6センチ判、インスタントカメラ
の一部以外の写真は、ほとんどが長方形である。
つまり、写真の歴史のなかでは、正方形というサイズは、
例外的なのである。これは写真にかぎらず、絵画でもそうで、
ほとんどの絵画は長方形である。
さらにいうと、カメラを構えるとヨコ長の長方形になる
ことが多い。人間の眼はヨコに付いているから、
それがいちばん、自然なんだろうね。

けれども、正方形の写真だと、構図のことは考えなくてもいい。
だから、撮りたいものを、すなおに真ん中に持ってくるといい。
単純明快で、気軽に撮る写真には、むいている。
インスタグラム(インスタント+テレグラムの造語)の主旨から
考えて、
「構図とか、そんなのどうでもいいからさー。
気軽に撮って、どんどんアップしてね ♡」
ということなんだろう。それはそれで、写真のひとつの
楽しみ方なんだろうね。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
現在、正方形の写真が流行っているけれども、
それは写真の歴史のなかでは、かなり例外的である。
けれども、正方形のフォーマットは、構図を気にしなくても
いいので、気軽に写真を楽しむにはむいているといえる。

長島ダムに行ってダムカードをゲットしてきた

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静岡県大井川上流の長島ダムに行って
ダムカードをゲットしてきた。


nagashima.jpg
長島ダムのダムカード


ダムカードというものがあるのだが。
旅が好きな方にとっては、説明不要であると
思われるけれど、いちお、一言で説明しておくと
全国のダムで配布されているカードのことである。
ダムカードについて、詳しく知りたい方は、こちらにどうぞ。

国土交通省「ダムカード」
http://www.mlit.go.jp/river/kankyo/campaign/shunnkan/damcard.html


こういうものを配られると困るんですけど。

どうしたって、集めたくなってしまうじゃないですか。
最初に手に入れたのは、神奈川県の宮ヶ瀬ダムであった。
私は、「ぜったい、集めたりしないもんねー。」と思っていた。
けれど、いつのまにか机のなかに10枚くらいのダムカードがある。
(-_-;


2017年4月29日午後2時ごろ、私は静岡県の長島ダムにいた。
奥多摩と丹沢方面のダムカードは、だいたい集めたので、
ちょいと遠征してみようと思ったのだ。
私は大井川鐵道沿線によく行く。
ひさしぶりに訪ねてみたいと思っていたし。

長島ダム管理所に行くと、閉まっていた。
そこで、長島ダムふれあい館にまわる。
入館すると、最初に住所と氏名をノートに記入するように
求められた。東京都立川市 takと記入する。
連休の最初の日なので、館内には子どもたちがいっぱいいた。
そこに、60才を超えた中年のオートバイ乗りが入っていく。

あきらかに場違いである。

怪しい人に思われても困るので、ダムカードを手に入れたら、
さっさと帰るつもりであった。
しかしながら、なかなか見つからない。
だいたい、案内カウンターのあたりに置いてあるのだが。
うろうろしていると、職員に声をかけられた。

職員「なにかご用ですか。」

すこし、緊張した声であった。
千葉県の方で、ベトナム国籍の少女誘拐殺人事件が
あったばかりである。なんだか、怪しいやつだな、
と思われたのかもしれない。

私 「ダムカードをいただきたいのですが。」
職員「あ、なーんだ。そうおっしゃっていただければ。(笑)」


そう言うと、その職員は、カウンターの机のなかから、
ダムカードを出してくれた。

職員「はい、どうぞ。」
私 「どうもありがとうございます。」
職員「立川から、ダムカードを手に入れるために、わざわざ、
   ここまで来られたのですか。」
私 「はい。」
職員「ほう、それはそれは。井川ダムには、これから行かれる
   のですか。」
私 「そのつもりです。」
職員「そうですか。では、お気をつけて。」


ということで、無事に長島ダムのダムカードを手に入れた。
怪しいやつという誤解は解けたようだけど、
あきらかに、変わった人だな、と思われてしまった。
ま、たしかに。
ダムカードを手に入れるだけのために、私は立川~長島ダム間
210kmをオートバイで往復したのだから。

長島ダムのあとは、井川ダム、畑薙第一ダム、大間ダムに
まわるつもりであったのだが、天気がくずれてきた。
どうも上流の方は、雨の模様である。
ということで、残りのダムに行くのは、またこんどにした。
大井川にはよく来る。つぎに訪れる目的ができるし。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
長島ダムのダムカードは、長島ダム管理所および
長島ダムふれあい館で配布している。
また、ダムカードは全国のダムで配布しているから、
集めがてら、訪ねてみるのもいいかもしれない。


現在、ダムカードは約600ヶ所で配布されている。
基本的には、そのダムに行かないと手に入れることができない。
そういうことになっているのである。

ま、仕方がない。
コンプリートすることは、たぶんできないと思うけれど、
ぼちぼちと集めることにしよう。
カードを保存するためのバインダーも買ったし。www

41gTkOgqt4L.jpg
やのまん コレクションカードバインダー 4ポケット ブルー
http://amzn.asia/9fwnhpR

合角(かっかく)ダム、下久保ダム

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合角ダムと下久保ダムのダムカードをゲットした。


kakkaku.jpg
合角ダムのダムカード

shimo.jpg
下久保ダムのダムカード

ダムカードを集めることにした。
そのことは、前の記事に書いたとおりである。
けれども、日本全国のダムカードを全部集めるというのは、
とてもではないが、無理。
それはわかっているけれど、「集める」と言った以上、
とりあえず、近隣のダムくらいは集めないと、
格好がつかない。

ということで、私は当面の目標を
「東京都、神奈川県、埼玉県、群馬県の
ダムカードをすべて集める」

ということに設定した。

これだって、けっこう大変である。
けれども、やってやれないことはないと思う。


ダムを訪問するのは、それなりに楽しい。
まず、ダムは山奥にあるから、自然が多い。
それに、ダムは巨大な土木構造物なので迫力があるし、
きれいなダム湖であれば、景色も楽しむことができる。

また、山奥であっても、安全に訪ねることができる。
60才を超えたオートバイ乗りにとって、これは重要である。
同じ山奥でも、オフロードの林道ツーリングとなると、
かなり危険である。オートバイが故障したり、
うっかり、谷底にオートバイを落としたりすると、
人のいる集落まで、何十キロも歩く、ということに
なりかねない。若いころならともかく、この年齢になると、
それは命がけである。
林道を歩いているあいだに転落したり、あるいは動物に
襲われたりしたら、死ぬしかない。

林道にくらべると、ダムまでの道路は広いし、
ほとんどの場合、舗装されている。
これは、ダムを建設する際、大型のダンプやトラックが
入ったことによる。
ダムをつくるために、道路を改良するというのは、
1970年代から1980年代にかけて、日本全国で行われてきた。
現在、ダムまでの道路は、その多くが古くなってはいるものの、
それでも、林道にくらべれば、ずっと安全に走ることができる。



2017年5月4日午後2時ごろ、私は埼玉県の合角ダムにいた。
大型連休のさなかであり、ここに来るまでに、
大勢のオートバイ乗りたちと、すれちがった。
仲間といっしょに、秩父や奥多摩の観光地をめぐるのであろう。
さぞや、楽しいだろうな。

私はというと、たったひとりで、ここまで走ってきた。
しかも、その目的はというと、ダムカードを集めること。
それだけ。

ま、それはともかく、合角ダムは、荒川上流ダム群のひとつである。
比較的、新しいダムで、2001年に完成している。
私は地図をみるのが趣味という、ちょっと変わった人間なので、
合角ダムのことは、建設中のときから地図で見て、知っていた。
そのころ、私が思っていたのは、
「こんなに細い川にダムをつくって、どうしようというのか。」
ということであった。

合角ダムのできる吉田川は、荒川の支流であるが、
どうみても、そんなに流量があるようには見えない。
しかも、ダムができるあたりは、大きく蛇行しており、
地形が複雑である。ダム湖がどんなかたちになるのか、
想像するのが、むずかしかった。

ダムが完成して水が入ると、細い川であるにもかかわらず
思いもかけないほど、大きなダム湖ができた。
川の流量と貯水量は、関係がないのかもしれない。
けれども、川が蛇行した部分は、大きな岬となった。
ということで、合角ダムのダム湖は、非常に複雑な
かたちをしている。
貯水量という観点からみて、どうなのか、とは思うけれど、
合角ダムが計画・建設されていた1980年代から90年代
にかけては、ダム建設に対する反対運動がさかんだった
時期である。無事に完成しただけでも、よしとするべき
なのかもしれない。

現在、ダム湖に張り出した大きな岬には、斜張橋がかかり、
美しい。また、ダム周辺には駐車場やトイレなどがきちんと
整備されているので、訪問しやすい。
なかなか、いい雰囲気のダムであった。

kakkaku2.jpg
合角ダムにて



合角ダムの見学を終え、ダムカードをゲットしたあと、
私は下久保ダムにむかった。
下久保ダムは、利根川水系の神流川(かんながわ)に
建設されたダムである。堤高は129メートルと高い。
神流川は水質がいいので、ダム湖である神流湖(かんなこ)は
美しい湖になっている。

地図でみると、このダム、かたちが特徴的であり、
くの字型に折れ曲っている。理由は、よくわからん。
その折れ曲った堤体の上を、ダム管理事務所をめざして走る。
ダム湖に面した管理事務所に着いた。が、閉まっていた。

はて、おかしいな。
スマホを使って、ダムカードを配布しているところを調べる。

すると、若いオートバイ乗りが来た。
やはり、怪訝そうな顔をして、案内看板を見ている。
ダムカードをもらいに来た仲間なのかな?

話しかけて、ふたりで協力して調べようか、とも思ったが、
もし、ちがっていたりしたら、
「はぁ、ダムカード? なんすか、それ。
おっさん、アタマ、大丈夫っすか。」

とか言われるかもしれないので、黙っていた。

その若いオートバイ乗りは、案内看板で400メートルほど
先にある、もうひとつの管理事務所をみつけて、
そちらにむかって、走り始めた。
タッチの差で、私もスマホで同じ場所を見つけ、走りはじめる。
ダムカードの配布場所は、やはり、そこであった。
ということで、私も彼も、無事にダムカードをゲットする
ことができた。

もう、13ヶ所のダムを訪問し、13枚のダムカードを集めたが、
仲間と遭遇したのは、はじめてである。
ばつが悪いので、おたがい、知らん顔をしてわかれる。
ダムカード集めとは、かくも孤独な趣味なのである。www



ということで、今回の記事のまとめであるが、
合角ダムは、よく整備された、風景が美しいダムである。
下久保ダムは形が特徴的であり、ダム湖である神流湖は美しい。
どちらも、東京からそんなに遠くないので、訪ねてみるのも
いいかもしれない。もし、これらのダムを訪ねられたら、
ダムカードをもらうのを、お忘れなく。


結局、今回、ダムカードを集めるために、200km以上も走った。
バカなことをしているという自覚は、ちゃんとありますので、
どうか、ご心配なく。wwww

kakkaku.gif
今回走ったコース

寒川取水堰(さむかわしゅすいぜき)

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寒川取水堰に行って、ダムカードをゲットしてきた。


samukawa.jpg
寒川取水堰のダムカード

寒川取水堰は、相模川にある取水用の堰で、
ここで取った水は、神奈川県内の上水道に
利用されている。
取水堰でもダムカードを配布しているのか、
と思われるかもしれないけど、ダムと堰に
はっきりとした違いはなく、基本的には高さによって、
その呼称が変わるようだ。

東京は、毎年、夏になると渇水が心配されるけど
神奈川県では、そんなハナシ、聞いたことがない。
それもそのはずで、相模川とその支流である道志川の水が
じゃんじゃん供給されるから。
道志川の水は、いまだにそのまま飲めるほどきれいである。
神奈川県の人は、水のことで悩んだことなんかないの
ではないか。
その神奈川県の水を供給する重要な施設のひとつが、
寒川取水堰というわけ。


ダムカードを配布しているのは、管理事務所ではなく
神奈川県水道記念館である。私が行ったときには、
踏切近くの道路を工事していたので、行き方が非常に
わかりづらかった。以下の地図を参考にしてください。

mapion.gif
神奈川県水道記念館

水道記念館に行ってみると、なかなか風情と歴史のある
建物であった。調べてみると、昭和11年(1936年)に
建てられた送水ポンプ場であり、土木遺産に認定されている。
ここは、神奈川県の水道の発祥の地であるとのことである。

kanag.jpg
神奈川県水道記念館


周囲は、せせらぎのあるきれいな公園になっていて、
近くには、テニスコートやプールもあり、幸せそうな
家族連れであふれている。

そういったところへ、あきらかに場違いな60才をすぎた
オートバイ乗りがひとりでやって来て、記念館に入ると、
まっすぐに受付へ。そこにいた女性職員に、いきなり、

「ダムカードをいただきたいのですが。」

と申し出る。

その女性職員は、内心、かなりとまどったと思うのだが、
さすがに場馴れしている。にこにこ笑いながら、
机のなかからダムカードを取り出し、私に渡すと、
「どうもありがとうございました。」
と言って、ふかぶかと頭をさげた。

これまで、何枚ものダムカードを集めてきたが、
こんなに丁寧に応対されたのは初めてである。
今度は、私の方が恐縮してしまい、
「あ、いえ。こちらこそ。どうもお手数をかけて、
申し訳ありませんでした。」
と、思わず謝ってしまった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
寒川取水堰のダムカードは、神奈川県水道記念館で
配布している。受付には、親切な女性職員がいて、
中高年のオートバイ乗りが、ひとりでダムカードを
もらいに来ても、丁寧に対応してくれた。
以上である。


玄倉(くろくら)ダム・熊木ダム

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丹沢の玄倉ダム・熊木ダムのダムカードをゲットした。

kurokura.jpg
玄倉ダムのダムカード

kumaki.jpg
熊木ダムのダムカード


5月4日の記事で、私は「東京都、神奈川県、埼玉県、群馬県
のダムカードをすべて集める」という目標を設定した。
この1都3県にあるダムのうち、もっとも行くことが困難なのは、
丹沢にある玄倉ダムと熊木ダムであろう。

なんたって、歩いていくしかないんだから。www

玄倉林道の入り口から、熊木ダムまでは約11km。
標高差は約450メートルある。所要時間は3時間ほど。
けっこう、きついよね。
林道をずっと歩いて行けばいいので、登山の技術や装備が
要求されるわけではない。それでも行くのが困難なダムである
ことには変わりはない。

ダムカードを集める人のために、いちおう、救済措置が
とられており、管理者である神奈川県のホームページには、

「ダムカードの配布に当たり、必ずしもダムを
訪問していただく必要はございません。以下の
企業庁関連施設のいずれかに訪問いただいた方に
ダムカードをお一人様1セット(2種類各1枚)
配布いたします。」


と掲載されている。そして、関連施設として、玄倉第1発電所、
玄倉ダム、玄倉第2発電所、熊木ダムの名があげられている。
つまり、林道の入り口のところにある玄倉第1発電所に行きさえ
すれば、玄倉ダム、熊木ダムのダムカードをあげますよ、と。
要するに、そういうことである。

玄倉ダム・熊木ダムカードの配布方法
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f8018/p1077131.html
リンク先:神奈川県


なんとなく、釈然としない。
ダムカードは現地に行った人に一人一枚配布する、という、
厳格なルールがあるのである。であるにもかかわらず、
行かなくてもいいよ、と言われると、なんだかズルをしている
ような感じである。
私はバカであるが、バカにはバカの美学がある。
やはり、なんとしても、熊木ダムまで行かないといけない。

kurokura2.gif 玄倉ダム・熊木ダムまでの道


地理院地図

玄倉ダム・熊木ダム周辺の地形図




2017年5月24日午前6時35分、私は丹沢湖ビジターセンターにいた。
ここまでオートバイで来たが、ライディングブーツでは歩きにくいので、
トレッキングシューズに履き替える。ついでに軽登山用の服装に
着替えた。それと、これは山に詳しいmicyuさんに教わったのだが、
丹沢はヤマビルが多いので、スパッツで足首を覆い、肌を露出しない
ようにする。
ヘルメット、ブーツなどの荷物は、リアボックスに入れて、
カギをかけておいた。午前6時55分、歩き始める。

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丹沢湖ビジターセンターにて(ライディングウェアバージョン)

kuro0002.jpg
丹沢湖ビジターセンターにて(軽登山バージョン)


玄倉林道は、1997年10月にオートバイで走ったことがある。
当時は、とても景色がよく、水がきれいであった。
もう、20年も昔の話である。
現在はというと、そのときにくらべて、若干、水の透明度が
おちたような気がする。もっとも、川の水の透明度は、
雨が降れば一発で変わってしまうから、いちど通ったことが
あるくらいでは、なんともいえないけれど。
午前7時10分、玄倉第一発電所に到着。
ダムカードをもらうための証拠写真を撮る。

午前8時20分、まだ新しい新青崩隧道(しんあおざれずいどう)に着く。
もとの青崩隧道は、素掘りのトンネルで、途中の岩壁に穴が開いていた。
そこから下をのぞくと、深い谷底が見えた。
おもしろいところだったけれど、現在は崩落の恐れがあるので閉鎖され、
新しいトンネルにつけかえられている。
新青崩隧道は、327メートルという短いトンネルだけど、
途中でカーブしているので出口が見えず、なかは真っ暗である。
ヘッドライトを点灯して通過する。

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新青崩隧道

午前8時40分、玄倉ダムに着いた。
20年前に来たときには、ダム湖は透明な水をたたえ、
浅いところはターコイズ、深いところは群青(ぐんじょう)色
であった。このあたり、ユーシン渓谷ということから、
「ユーシンブルー」というのだそうだ。
けれども、今日はダムの水が抜かれており、ターコイズのみ
であった。少し残念である。
ユーシン渓谷は新緑におおわれ、流れる水はきれいだった。

kurokur2.jpg
玄倉ダムの水の色

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新緑のユーシン渓谷


さらに歩くと、山小屋であるユーシンロッジへの分岐がある。
ユーシンロッジは、現在は閉鎖されている。
また、20年前の話になるが、当時のユーシンロッジは
年配の女性が管理していた。私がオートバイで行ったとき、
宿泊客でもなんでもないのに、
「お茶でも飲んで行きなさい。」
と言われた。そして、少しのあいだ、お茶を飲みながら
話をした。他に宿泊客はいなかので、まあ、ヒマだった
のかもしれないが、とても親切な方であった。

「もうすぐ、紅葉がすごくきれいになるから。
その頃に、また来るといいわ。いちおう、
バイクは林道を通行禁止だけど、それについては、
おばちゃん、なにも言えないから。(笑)」
と言われた。

この女性の言うとおりであり、当時から玄倉林道は
一般車は通行禁止なのであった。玄倉集落から3kmくらい
のところにゲートがあり、そこから先は、本当は入っては
いけなかったのである。
けれど、そのゲートはいつも開いていた。ということで、
クルマもオートバイも勝手にはいっていた。
要するに、黙認状態なのであった。

当時から、一般車通行禁止というタテマエの林道は多かった。
けれども、その実態は玄倉林道のように、多くは一般車の通行
について黙認状態であった。林野庁の管轄であるとはいえ、
いちおう、税金を使って建設しているわけだから、道路管理者
としても、一般のクルマやオートバイに対して、あからさまに
「通るな!」とは言いづらいという事情があったのである。
そういうわけで、オフロード車を使って林道ツーリングをする
オートバイ乗りは多かったし、私も250CCのオートバイに乗っていた
ときには、よくひとりで林道に入って、キャンプをしたものである。

現在は、ほとんどの林道は閉鎖されている。登山者のなかには、
いまだに、
「われわれの税金を使って建設した林道を、勝手に閉鎖する
とは、けしからん。」
と言って、ゲートのカギを壊して侵入する人がいるらしいが、
もともと、そういった理屈はおかしいのである。
その理屈が通るならば、自衛隊の基地も税金でつくったものだから、
一般の人が勝手に入ってもいい、ということになる。

林道が通行禁止になったのは、バカでかい四輪駆動車で
林道にはいる人が増えたものだから、路面が荒らされ、
また、通行の障害となり、仕事の邪魔になるから、
道路管理者に締め出された、というだけのハナシである。

ユーシンロッジから先は、私にとっては、はじめて通る道である。
ここから先は、20年以上前からゲートで厳重に閉鎖されており、
通ることができなかった。
ゲートの脇を通ると、道幅は一段と細くなり続いていた。
2kmほど行ったところに、小さな素掘りのトンネルがあり、
それを抜けると熊木ダムであった。
午前10時05分、到着。

途中、写真を撮ったり、休憩したりしながら来たので、
所要時間は3時間10分であった。
熊木ダムは立ち入り禁止であった。看板の前で証拠写真を撮る。

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素掘りのトンネル

kumaki.jpg
熊木ダムにて


熊木ダムの水は、玄倉ダムよりも、一段と澄んでいた。
玄倉ダムがユーシンブルーなら、熊木ダムは“熊木グリーン”
ともいうべき色であった。

kuro11.jpg
熊木ダムの水の色(熊木グリーン)

軽く食事をして、休憩することにより、血糖値を上げる。
10時40分出発。帰りは下りだったので、楽勝であった。
13時15分、丹沢湖ビジターセンターに到着。
帰りの所要時間は、2時間35分であった。

疲れていたけど、これからダムカードをもらいに
行かなければならない。丹沢湖の三保ダムの近くにある
ダム管理事務所に行く。
2Fにある事務所に行くと、みんな仕事をしていた。
いちばん近くにいる女性職員に声をかける。

私   「あのう、恐れ入りますが。」
女性職員「なんでしょうか。」
私   「ダムカードをいただきたいのですが。」


内心、やれやれ、また変人が来たわ、と思ったことだろう。
すこし顔に出ていたな。(笑)

女性職員「三保ダムだけでいいですか。」
私   「あ、いえ。熊木ダムまで、行ってまいりましたので、
     玄倉ダムと熊木ダムのカードもください。」


そう言いながら、熊木ダムの看板の前で撮った画像を見せる。
女性職員は、えっ、という顔をして、写真を確認した。
内心、おやおや、これは本格的な変人だわ、と思ったことだろう。
あきらかに顔に出ていたな。(笑)

女性職員は、私に熊木ダムと玄倉ダムのカードを手渡すと
「ごくろうさまでした。」と言った。
一般社会では、こういう場合は、おつかれさまでした、である。
ごくろうさまは、上からのもの言いなので、最近では、
私ら年配の者が、若い人をねぎらう場合でも使ってはならない、
とされている。
けれども、公務員の世界では、いまでもよく使われているようだ。
そこは理解しなければならない。私は、
「お仕事中、お手を煩わせて、申し訳ありませんでした。」
と、詫びとも礼ともつかない返事をした。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
丹沢の玄倉ダム、熊木ダムのダムカードは、わざわざ行かなくても
手に入れることができる。けれども、途中のユーシン渓谷は美しいし、
ユーシンブルー、熊木グリーンといった水の色を見ることができる。
片道約11キロメートルの軽いハイキングであるので、行ってみるのも
いいかもしれない。

有間ダム

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有間ダムのダムカードをゲットした。

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有間ダムのダムカード


サラリーマンがダムカードを集めるにあたって、最大の障壁
となるのは、「土・日・祝祭日および年末年始はダムカードの
配布をしていない」というダムの存在だろう。
調べてみると、以下のようなダムがある。

土・日・祝祭日および年末年始にダムカードの配布をしていないダム
(東京都、神奈川県、埼玉県、群馬県)
神奈川県 道志ダム(土日祝日は津久井湖記念館で配布)
埼玉県 有間ダム
群馬県 神水ダム、塩沢ダム、大仁田ダム、道平川ダム、相沢川取水ダム、屋敷川取水ダム、市野萱川取水ダム、中木ダム、坂本ダム、霧積ダム、黒坂石ダム、桐生川ダム、松田川ダム、高津戸ダム


ま、当然といえば当然であり、ダムに勤務する職員にとっては、
本来の業務は、あくまでもダムの管理なのである。
だから、職員の休日には、ダムカードの配布は行わない。
あたりまえのことである。
おそらく、ダムカードを集めるためにダムに来る人というのは、
現場の職員にとっては、迷惑このうえない存在なんだろうな。

ま、とはいえ、平日に来ればあげますよ、と言っているのだから、
行かない手はない。埼玉県の有間ダムは、ウチから近くにある
ことでもあるし、とりあえず、行ってみることにした。

え、会社は、仕事はどうしたのかって?
もちろん、休みましたよ。
(^▽^)


2017年5月30日火曜日午後1時20分、私は有間ダムにいた。
ダムの管理事務所に行くと、ドアは閉まっていた。
「ご用の方はインターフォンを押してください」と書いてある。
私がこれまでまわってきたのは、わりと観光客に対してオープンな
感じのダムばかりだったけど、そうでもないダムだと、たいがい、
こんな感じである。ボタンを押すと、ピンポン、と鳴る。

ダム職員「はい、なんでしょうか。」
私   「お仕事中、恐れ入ります。ダムカードをいただきたいのですが。」
ダム職員「何名ですか。」
私   「ひとりです。」
ダム職員「少々、お待ちください。」


平日の昼間、ひとりでダムカードをもらいに来る中高年というのも
めずらしいだろう。さぞや、面食らっただろうな。
しばし待つと、2階から職員が降りてきてドアをあけ、私にダムカードを
差し出しす。

ダム職員「はい、どうぞ。」
私   「どうもありがとうございます。お仕事中、お手間をかけて、
     申し訳ありませんでした。」
ダム職員「いえ。」


かくして、私はサラリーマンにとっては貴重な有間ダムのダムカード
をゲットすることに成功したのである。

ということで、もう、用事はない。
けれども、今日はすこし、寄り道をして行こうと思う。
有間ダムの周辺は、250CCのオートバイに乗っていたころ、
よく来ていたところである。広河原逆川(ひろがわらさかさがわ)林道
というのがあり、ここから秩父まで抜けることができるのである。
750CCのオートバイになってからは、なるべく悪路は避けるように
しているのだが、有間峠(ありまとうげ)までは、わりと走りやすい道
なので、もう一度行ってみたい、と思ったのである。

林道の入り口に来ると、「崩壊のため、秩父には抜けられません」と
書いてあった。スマホで調べてみると、飯能がわのすぐのところで、
法面(のりめん)が崩壊しており、有間峠までも行けないようであった。
残念である。
もちろん、ちゃんと調べてこなかった、私が悪いのであるが。
仕方がない。帰ろう。



ということで、仕事をやすんで、有間ダムまで行って、
ダムカードをもらって帰ってきた。
本当にそれだけのために、わざわざ会社を休んだのかって?
ええ、だって仕方がないじゃないですか。
バカじゃないのかって?
とくに否定はしませんが。

ま、かしこい人ならば、ダムカードを集めよう、なんて、
そもそも思わないだろう。また、かしこい人ならば、
休日であっても、有意義に過ごすことをめざすのだろう。
が、そんなことをして、休まるわけはない。
休みの日をどう過ごそうと、ヒトの勝手である。

矢木沢(やぎさわ)ダム

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矢木沢ダムに行って、ダムカードをゲットした。


yagisaw.jpg
八木沢ダムのダムカード

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八木沢ダム50周年限定ダムカード


yagisaw.gif
八木沢ダムの位置


地理院地図
八木沢ダム周辺の地形図



首都圏では、毎年夏になると渇水になる。そのときには、
「矢木沢ダムの貯水量は、現在、○○%まで減っています。」
といったニュースが、よくTVなどでながされる。
ということで、首都圏に住む者にとって、八木沢ダムの名は
おなじみである。けれども、八木沢ダムの正確な位置を
知っている人は、意外とすくないのではないか。

私は地図をみるのが趣味という、ちょっと変わった人間なので、
八木沢ダムの位置は、もちろん、知っている。
八木沢ダムは利根川の最上流、どんづまりに近いところにあり、
ダム専用道路の終点には、ダム以外、なにもない。
そんなところに行くのは、釣りかカヤックでもやる人か、
さもなければよほどの変人、もしくはかなりのヒマ人である。


2017年6月1日午後2時、私は八木沢ダムにいた。
さ、寒い。
来る途中で寄った水上(みなかみ)駅では、暑いくらいだったのに。
すぐ近くにみえる山には、雪が残っている。
思わず、ぶるるっと震えてしまった。

とりあえず、ダムカードをもらいに、ダム管理事務所に行く。
インターフォンを押すと、すぐに職員さんが応答してくれた。

職員さん「はい、なんでしょうか。」
私   「お仕事中、恐れ入りますが、ダムカードをいただき
     たいのですが。」
職員さん「何名様ですか。」
私   「ひとりです。」
職員さん「少々、お待ち下さい。」


型どおりのやりとりであるが、職員さんは対応になれている。
八木沢ダムは超有名なダムだけに、ダムカードをもらいに来る人は
多いのだろう。しばし待つとドアが開き、職員さんが出てきた。

職員さん「はい、どうぞ。」
私   「どうもありがとうございます。
職員さん「それと、これは50周年限定のダムカードですが、
     よろしければ、お持ちください。」
私   「ありがとうございます。お仕事中、お手数をかけて、
     どうも申し訳ありませんでした。」

ということで、無事に八木沢ダムのダムカードをゲット。
また、とくにお願いしたわけではないのに、50周年限定の
ダムカードも付けてくれた。かたじけない。


ということで、もう用はない。あとは帰るだけである。
が、まあ、せっかく来たので、ダムの見学をしていこう。
矢木沢ダムはアーチ式コンクリートダムである。
堤高は131メートル。堤体はほぼ垂直なので、
天端(てんば)から下をみると、思わず腰が引けてしまう。

yagi2.jpg
八木沢ダム全景


びびりながら下をみていると、近くにいたクレーン車の
オペレータのおじさんに、笑われてしまった。

オペレータ「高けーだろ。ここまで高いと、俺らでも怖えよ。」
私    「そのクレーンで、なにか下ろすんですか。」
オペレータ「ああ。いま足場なおしているから、その資材よ。」
私    「足場、といいますと。」
オペレータ「ダムの壁に、保守用の足場が付いてるだろ。
      鉄板でできているんだけど、もう50年も経つから、
      ボロボロに腐ってるんよ。あぶないからステンレスに
      替えるんだ。」
私    「ほー、そうなんですか。」
オペレータ「昔は、対岸の山から索道(さくどう)を使って、
      おろしていたんだけど、危なくってなあ。
      このダムをつくるとき、27人くらい、死んでるもん。」
私    「そんなに亡くなってるんですか!」
オペレータ「ああ。50年も昔だもんなあ。いまとは安全に対する
      意識もずいぶん違ってたと思うし。いまだとクレーンで
      下ろすから、安全なんだけど。」


知らなかった。
ダムの建設現場っていうのは、そんなに危険な職場だったのか。
クレーンのオペレータのおじさんに教わって、殉職者の慰霊碑に
行ってみた。一礼して、手を合わせる。ミョーなものが写ると
イヤなので、写真は撮らなかったけど。

27人も死ぬ職場というのは、いまだと想像しづらい。
けれども、そのときの作業者、技術者の犠牲により、
現在、首都圏の水が安定して供給されているのである。

実際に行ってみないとわからないことって、あるもんである。
こういうことを知ってしまうと、「ダムはムダ」などとは、
言えなくなってしまうね。

利根川水系のダムの水は、水道水だけに使われているわけではない。
関東平野の農業用水にも使われており、その比率は、
農業用水80%、水道用水13%、工業用水6%である。
農業の衰退により、農業用水の需要は減りつつある。
それに対して、首都圏の人口増加により、水道用水の需要は、
年々、増えつつある。
ということで、農業用水の水を2%くらい、水道用水にまわして
もらえば、首都圏の渇水問題は一発で解決してしまう。

もちろん、水利権など、むずかしい問題があって、
そういったことは、すぐには実現できない。
けれど、水の需要増に対してダム建設が追いついていない、
ダムが足りなくて水が不足している、というのが本当かというと、
案外、そうでもなかったりするのである。

また、50年前ならともかく、現在では水処理技術が高度に
発達しており、海水ですら、瞬時に真水に変えてしまう。
そんな時代において、山奥に水を貯めておく必要があるのか、
というと、それはそれで、むずかしい議論になる。ダム建設には
膨大な自然破壊を伴うという、負の効果もあるのだし。

まあ、27人も亡くなっているという現実を知ってしまうと、
あまり、こういったことは言いたくなくなる。
ダムをつくった人たちに対して、素直に感謝したいと思うし、
犠牲になった方々に対しては、謹んでご冥福を祈ろうと思う。




ということで、今回の記事のまとめであるが、
矢木沢ダムは、利根川水系のもっとも奥にあり、
ダム以外、なにもないところであるが、131メートルの高さ
の堤体は迫力がある。もし、行かれた方は、ダムカードをもらう
のをお忘れなく。

矢木沢ダムを後にした私は、その日は、奥利根水源の森で
キャンプをした。

丸沼(まるぬま)ダム

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丸沼ダムのダムカードをゲットした。


marunum.jpg
丸沼ダムのダムカード


2017年6月2日午前5時、私は奥利根水源の森でキャンプをしていた。
昨夜は、午後9時ごろからぐっすりと眠ってしまったが、
午前3時ごろ、猛烈な雷雨となった。
だから、よく眠れたような、そうでもないような感じである。

軽く朝食を食べてから、すこし周囲を散策する。
奥利根水源の森は、キャンプ場なのか、ただの広場なのか、
よくわからないところである。
設備といっても、トイレしかないし。
けれども、みんなテントを張っているし、とくに問題はない。
私的には無料で宿泊できたので、大満足であった。

okutone2.jpg
奥利根水源の森1

okutone.jpg
奥利根水源の森2


このあたりの渓谷は、照葉峡(てるはきょう)という。
植林された形跡がまったくなく、自然の森林である。
水はきれいに澄んでいて、渓谷に立つと、水の流れる音以外、
なにも聞こえなかった。
こういうところで、1週間くらい滞在してみたいな、と思う。
ただし、しょっちゅう、クマが出るらしいけど。

teruha.jpg
照葉峡1

teruha2.jpg
照葉峡2


午前6時、出発した。
とりあえず、片品村(かたしなむら)方面にむかう。
標高1620メートルの坤六峠(こんろくとうげ)を越える。

峠からおりたあたりが、尾瀬観光の中心である。
数年前から、尾瀬はきびしいマイカー規制が行われており、
鳩待(はとまち)峠に行く県道との分岐点には、
早朝であるにもかかわらず、監視員のおじさんが
目を光らせていた。
いま、尾瀬ヶ原を訪れる人たちは、戸倉の駐車場にクルマを
置いて、鳩待峠までのバス(980円)に乗るのが普通である。

戸倉で右折し、国道401号線に入り、さらに片品で左折。
国道120号線に入る。有名な白根温泉を通過し、
日光白根山(にっこうしらねさん)ロープウェイを通過し、
丸沼方面へ右折。
すぐに丸沼ダムが見えたけど、あれ、このままだと行けないな、
と思って、もう一度、地図を確認。国道120号線からダムに
直接はいる道を見つけ、ようやく丸沼ダムに着くことができた。

marunuma.jpg
丸沼ダム



丸沼ダムは、1928年(昭和3年)に建設された古いダムであり、
土木遺産および重要文化財に指定されている。
さして大きくもない、地味なダムであるが、
そのように高い評価がされているのは、このダムがバットレスダム
という、とくべつな構造であるのが、その理由である。

バットレスというと「バット」というものがない、というように、
つい思ってしまうけど、そうではなくて、Buttressという単語
なのである。Buttressとは、建築用語で「控え壁」という意味らしい。

ま、むずかしいことはともかく、要するにかわった構造のダム
なのである。外見は、一見すると清水寺の舞台のようで、
ふとい鉄柱で櫓(やぐら)を組んだように見える。
なんだか華奢な感じで、こんなもんで、よく水圧を支えられるな、
と思う。

丸沼ダムの高さは、そんなに高くなくて、約30メートル。
水圧は10メートルにつき、1kg/cm平方センチメートルだから、
30メートルとなると、3kg/cm平方センチメートル。
つまり、1平方メートルあたり3トンもの水圧を支えなくては
ならない。
うっすいコンクリートの壁と鉄柱だけで、大丈夫なのかよ、
と思うけど、もう、90年ももっているのだから、
たぶん、大丈夫なのだろう。

それはともかく、このダム、東京電力の所有物であり、
サイト内は立入禁止である。ということで、なんだか、
よく見えない。木々のすき間からのぞくことができるが、
全体が見えないのである。
下に降りる道があるはずなのだが、よくわからん。
ま、いいか、と思って訪問を終了。
ダムカードをもらうため、ダムの看板の前で証拠写真を撮り、
ダムカードの配布場所である片品村観光協会にむかった。



ということで今回の記事のまとめであるが、
丸沼ダムは、大して大きくはないし、立入禁止だし、
地味なところだけど、バットレスダムという、変わった構造の
ダムである。もし、訪問されたら、証拠写真を撮り、
片品村観光協会に寄って、ダムカードをもらうのをお忘れなく。

丸沼ダムからの帰り道、薗原(そのはら)ダムと平出(ひらいで)ダム
にも寄って、ダムカードをゲット。1日めに、相俣(あいまた)ダム、
藤原ダム、矢木沢ダム、奈良俣(ならまた)ダムを訪問しているので、
2日間で7枚のダムカードをゲットした。

リアボックスにツーリングネットをつけてみた

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amazonで買ったリアボックス(トップケース)に
ツーリングネットをつけられるよう、改造した。


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リアボックスにツーリングネットをつけたところ1

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リアボックスにツーリングネットをつけたところ2



作り方
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ダイソーで買ってきたフック(2個入り✕3セット)


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ハンダゴテでドリルの刃が入る穴をあけて


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直系5.5ミリの穴をあける


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すると、こんなものができる


box1.jpg
ボックスにも5.5ミリの穴をあける


box2.jpg
ボックスにフックをM5のボルトで取り付けたところ


box3.jpg
完成


<かかった費用>
フック  ダイソー     @108✕3=324円
ツーリングネット40✕40cm      999円
M5ボルト/ナット/ワッシャ10本セット 120円
計                 1,443円


で、使い勝手はどうかというと...。
よくわからん。www

なんとなく思いついて、勢いでつくってしまった。
まあ、カギをかけるのを忘れても、リアボックスが走行中、
開いてしまうのを防止できるし、レインウェアやウィンド
ブレーカーなど、軽いものならば、いちいちボックスをあける
ことなく、ネットにはさむことができる。
ということで、便利かも。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
リアボックス(トップケース)にツーリングネットを
つけてみると、便利かも。以上である。

釧路~長万部自転車ツーリング その1

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釧路から長万部まで、自転車で走った。

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今回走ったコース


1日め 釧路駅~豊頃(とよころ)町 89km
2日め 豊頃町~えりも百人浜 101km
3日め えりも百人浜~新冠(にいかっぷ)町 116km
4日め 新冠町~苫小牧(とまこまい)市 75km
5日め 苫小牧~伊達(だて)市 109km
6日め 伊達市~長万部(おしゃまんべ)駅 50km
  合計 540km


  使用した自転車   ロードスポーツ改造車
  チェーンリング    44T-32T (2段)
  カセットスプロケット  11-34T (8段)



釧路まで
2016年6月22日午前7時、私は茨城(いばらき)空港にいた。
今日は、ここから新千歳空港に飛び、
さらには釧路まで、鉄道で輪行しようと思う。

圏央道の茨城区間が開通したおかげで、
立川から茨城空港まで、2時間20分くらいで
行けるようになった。
これは成田空港までの所要時間と大差ない。
むしろ、渋滞することが考えられないから、
安心して行くことができる。
国立府中インターから三宅坂ジャンクション、
箱崎ジャンクション経由で成田空港まで行くとなると、
いったい何時間かかるか、まったくわからないし。

自分のクルマで空港に行くのは、なれると病みつきに
なるくらい、便利である。北海道に1週間ほど行くとなると、
テント、シュラフなどの装備、着替えなどで荷物は10kgくらい。
これに、約10kgの自転車が加わるのである。
私くらいの年齢(61才)になると、これらすべてを持って、
電車で行くのは、きつい。

ま、いちばんきついのは、自宅から最寄り駅までの
約800メートルの歩きなんだけどね。

家族の者が、クルマで駅まで送ってくれればいいのだけど、
上の子は結婚して、家を出て行ってしまったし、
下の子は、毎日遅くまで、働いている。
「とーさんを駅まで送ってくれないか。」
という、そのひとことが言いづらい。

そんな私にとって、空港まで自分のクルマで行くのは、
なにものにも代えがたいほど、ラクである。
しかも、茨城空港は駐車場が無料である。
大事なことなので、もう一度いう。
無料である。

成田空港周辺の駐車場に1週間駐車すると、だいたい
5,000円くらいかかるし、羽田空港だと1万円を超える。
ということで、茨城空港発着のスカイマーク便で輪行するのは、
ラクだし、おトクだと思う。
今回、私は茨城空港~新千歳空港まで往復の航空券を
スカイマークの「いま得」を利用して、14,200円
(往路8,600円、復路5,600円)で手に入れた。

自動チェックイン機でボーディングパスを発券し、
自転車と手荷物をカウンターに預け、午前8時前、
ゲート前の待合室に入り、搭乗開始を待つ。
スカイマークのボーイング737は、午前8時50分、
定刻に出発した。

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茨城空港の駐車場でカートにのせた自転車と荷物

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スカイマークのボーイング737の窓から


新千歳空港には、定刻よりやや早い午前9時50分に到着。
ちょいと休憩して、南千歳 午後0:26発の釧路行き特急列車
「スーパーおおぞら3号」に乗る。
「スーパーおおぞら3号」は札幌始発だけど、たぶん自由席は
がらがらだろう、と思って、指定席は取らなかった。
列車が来てみると、思ったとおり、自由席の乗車率は
半分くらいだった。けれど、みんな窓側にすわって、
通路側の席に荷物を置き、他の乗客が座れないようにしている。

そうだった。
北海道の人独特の乗り方である。私は忘れていた。
北海道の人は、内地の人よりも、ずっと“パーソナルスペース”
が大きいのである。だから、隣の席に見知らぬ人が来ること
を好まない。ということで、自分の隣の席に荷物や
飲み物の空き瓶などを置いて、他の乗客が
座れないようにするのである。

東京でこれをやると、確実にトラブルになる。
けれども、北海道では、これがあたりまえなのである。
だから、内地の人間が、マナー違反などと、安易に文句を
言うべきではない。

私は若いときから、さんざん鉄道で旅行してきたから、
この北海道の人独特の乗り方については、知っていた。
けれども、ひさしぶりの北海道だったので、つい、
うっかりしていたのである。

スーパーおおぞらは、帯広で約半数の人が降りる。
だから、そこで座れるだろうけど、帯広までも2時間。
若いときの私なら平気だけど、現在の私にはつらい。
私は、自由席車両をうろうろした。
幸運なことに、東京から出張で来たとおぼしき、
中年の男性が、
「あ、申し訳ありません。どうぞ。」
と言って荷物をどけてくれた。ということで、
やっと座ることができた。

やれやれ。
たかだか520円を節約しただけで、地獄をみるところだった。
北海道で特急に乗るときは、必ず指定席をとるべきである。

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釧路行き特急「おおぞら」


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釧路駅にて

スーパーおおぞら3号は、定刻の午後3時56分に釧路に着いた。
釧路駅前の広場で自転車を組み立て、走りはじめる。

私の場合、ゴールした地点から次の旅を始めるという、
自分ルールを決めている。今回、釧路駅から走り始めるのは
前回(2016年6月9日から15日まで 遠軽~釧路591km)の
ゴールが釧路駅であったからである。
ということで、今回は釧路駅から始めて、函館まで走る
つもりである。とりあえず、この日は、釧路市内にある
ゲストハウスに泊まった。
(つづく)

釧路~長万部自転車ツーリング その2

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釧路から長万部まで、自転車で走った。そのつづき。


1日め  釧路~豊頃(とよころ)町  約89km
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1日めの走行コース


2016年6月22日午前9時、釧路のゲストハウスを出た。
しばらくは、国道38号線を走る。
大楽毛(おたのしけ)をすぎると、1車線に減少。
北海道の国道は、除雪の関係で路肩が広いので走りやすい。
道の駅しらぬか恋問(こいとい)で、1回めの休憩をした。

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道の駅しらぬか恋問にて


昨夜は、ゲストハウスで同室になった関西からの自転車乗りと
フランスから来た若者と、夜遅くまで話をしてしまった。
おかげで、午前5時ごろから走るつもりだったのに、
出発が9時になってしまった。

私は若い人と話すのが好きである。だから、夜遅くなって
寝坊してしまったことについては、まあいいと思う。
私にとっては楽しい時間だったし。また、私の旅は、誰とどこで
約束しているわけでもないのだから。けれども、フランスから来た
若者は議論が大好きだったので、ちょっと、閉口してしまった。

しかも、激してくると、日本人として、少々、かちんとくる
ことでも、平気で言う。日本と近隣国との歴史問題について、
「日本は周辺国に対する植民地支配について、謝罪すべきだ。
そして、良好な関係を構築しなければいけない。」
などと言われてしまった。

私としては、フランス人にそんなこと言われたくないよ、
と思うのだけど、それを言ってしまうと、せっかく日本に
来てくれたのに、悪い感情を持たれてしまうかもしれない。
だから、「そうかもしれませんね。」などと言って、
にこにこ笑っているしかない。
ということで、若干、ストレスがたまってしまった。
白糠(しらぬか)をすぎると、道は若干のアップダウンが
はじまった。

06r36.jpg
白糠~音別間の国道38号線


音別(おんべつ)を通過する。このあたりには大きな町は
ないと思っていたのだが、意外と大きな町であったので、
驚いた。セイコーマート音別店で、水と若干の食料を購入。

直別(ちょくべつ)駅をすぎたところに、ちいさなドライブイン
があり、ライダーハウスと書いてあった。営業しているのか
どうかは、よくわからなかった。
国道38号からわかれ、北海道道1038号線に入る。
道に入ったところで、タンチョウの親子を見た。
それほどめずらしくもないけれど、いちおう、写真を撮る。
丘をこえると、海岸に出た。すこし波が高い。
しばらく、根室本線と並行して走る。
午後4時、厚内(あつない)駅通過。

05tancho.jpg
タンチョウ

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直別~厚内の海岸線


さらに、海岸沿いに走り、厚内トンネルという短いトンネル
をぬけると、山のなかに入っていく。2012年に開通した
国道336号線の支線(浦幌道路=うらほろどうろ)にはいる。
浦幌十勝川、十勝川と渡って、北海道道911号線に。
大津の集落にはいった。

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十勝河口橋にて


今回の私の旅の目的のひとつは、この大津がどんなところ
なのか、実際に見ることであった。読者の方々にとっては、
さすがに、ここまでバカだと、読む気にもなれないかも
しれないけれど。

大津は、十勝川の河口にある集落であり、十勝発祥の地と
いわれるほど、歴史のふるいところである。
地図をみるのが趣味である私は、小学生の頃から、
この大津の集落を知っていた。その理由であるが、
十勝川には、河口から20キロほど上流まで、
まったく橋がなかったからである。このあたりの人たちは
どのようにして、暮らしているのだろうか、と
当時の私は思っていた。

で、実際に大津の人々はどうしていたのかというと、
渡船で対岸に渡るのであった。私の持っていた地図には、
十勝川をわたる、いくつかの渡船が描かれていた。
有名であったのは、旅来(たびこらい)の渡船で、
国道336号線の一部となっていた。渡船でむすばれた国道は、
全国でもここだけであった。旅来渡船は、さきほど渡った
十勝河口橋が完成する1992年まで、存続している。

私が印象に残っていたのは、この大津の集落から対岸に
渡る渡船であった。対岸は湿原であり、なにもなかった。
「いったい、どんな人が、この渡船を利用しているのだろう。」
と、当時、小学生だった私は、一生懸命考えたのだが、
まるで想像できなかった。

その渡船は、当然のことながら、現在はない。
1973年の地形図には掲載されているものの、
1985年の地形図には掲載されていない。
だから廃止されたのは、その間である。

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大津集落と対岸をむすぶ渡船 1973年地形図


その渡船があった乗り場の地点に行ってみる。
なにも残っていなかった。
うーむ、土手を登る階段くらい、残っているかな、
と思っていたのだが。

気を取り直して、集落のなかを走ってみる。
「十勝発祥の地」という碑があった。
ジュエリーアイス海岸という案内看板がある。
冬になると、十勝川を流れてきた氷が海岸に打ち上げられ
宝石のように輝く、という。いつか見てみたいな、と思う。

なんだか、さえなかったけど、50年間、見てみたかった
大津の集落を見ることができたので、私は満足した。
この日は、長節湖のキャンプ場に泊まった。

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長節湖キャンプ場にて

釧路~長万部自転車ツーリング その3

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釧路から長万部まで、自転車で走った。そのつづき。


2日め  豊頃(とよころ)町~えりも町百人浜
    約101km

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2017年6月24日土曜日午前4時。私は長節(ちょうぶし)湖
キャンプ場にいた。

テントで寝ていると、クルマが来て、ドアを開閉する音が
バタン、バタンと響いた。そして、2~3人の人の声が。
こんなに早くから活動する人たちというと、おそらく、
釣り人であろう。めんどうくさいから確認しなかったけど。
朝5時ごろ起きたときに見ると、やはり釣り人で、
なにやら、長い竿で湖にむかって、ルアーを投げていた。

長節湖は、冬になるとワカサギ釣りで有名だけど、
いまはシーズンではない。シーバスのような汽水域に
棲む魚でも、ねらっているのだろうか。

午前6時ごろ、出発した。国道336号線をすすむ。
コンビニどころか、なにも店がない。ときどき、牧場がある
だけである。

晩成温泉(ばんせいおんせん)という案内標識があった。
海を見ながら温泉にはいることができ、しかもキャンプが
できるという、言うことなしの環境である。
じつは、私の計画では、昨夜は晩成温泉に泊まる予定であった
のだが、ゲストハウスでフランス人と話し込み、
寝坊してしまって、着くことができなかったのである。

大樹町(たいきちょう)にはいる。
道端にスペースシャトルの模型があり、大樹町宇宙交流センター
「SORA」と書いてある。

そうだった。
忘れていたけれど、大樹町にはロケットの打ち上げ施設があり、
民間による低価格の衛星打ち上げをめざす、インターステラ
テクノロジズ社が設立されているのである。この会社は、
ホリエモンこと、堀江貴文氏が関係している。

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大樹町宇宙交流センター「SORA」の案内


そういえば、もうすぐ、液体燃料のロケットの打ち上げが
行われるはずである。けれども、とくに盛り上がっている
感じではない。打ち上げに成功するとは、だれも思っていない
みたいであり、町は静かであった。

午後1時、広尾町につく。広尾駅に行ってみた。
六本木のつぎの駅ではない。かつての国鉄広尾線の終着駅
である。私にとっては35年ぶりの再訪であった。
旧駅舎は、現在はバスターミナルとして使われている。
なかに入ると、改札口の周辺などは、ほぼ昔のままであった。

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旧広尾駅の駅舎

ふたたび、国道336号線を走る。ここからは、えりも岬黄金道路
といわれる区間であり、日高山脈が海に落ち込む断崖絶壁に
そって走る。
フンベの滝というのがあった。何人かのオートバイ乗りが
写真を撮っている。が、20メートルくらいの細い流れであり、
滝というほどのものではない。こんなもん、パスである。
トンネルとスノーシェードが連続する。約20kmほど走ると、
いよいよ今回の旅のハイライト、「えりも黄金トンネル」に着く。

08ougon.jpg
えりも黄金トンネルにて

えりも黄金トンネルは、北海道最長のトンネルであり、
全長は4,941メートルにおよぶ。自転車が通ることができる
一般国道で、これよりも長いトンネルとしては、国道194号
の寒風山トンネル(5,432メートル)があるのみである。

はっきり言って、これほど長いトンネルを自転車で通るのは
命がけである。今回、私は、えりも黄金トンネル対策として、
反射材でできたタスキを2本かけているほか、
自転車に赤いピカピカを2個装着。
さらに、ヘルメットにも赤いピカピカをつけている。

ま、こんなもん、気休めにすぎないけど。

北海道のクルマは、一般道でも、時速80~90kmで走る。
だから、トンネル内で100メートルくらい先を走る私を
見つけても、4~5秒で追いつくことになる。
ちょっと、よそ見でもされたら、ひとたまりもない。

午後3時16分、えりも黄金トンネルに入る。
交通量はすくない。けれども、クルマは考えられない速度で
ぶっとんでくる。タイヤがアスファルトを噛むときに発生する
パターンノイズ(大型車だとクォーッ、乗用車だとシャーッ
という音)の音程で、だいたいの速度がわかるのだが、
なかには、時速100kmをかるく超えてくるクルマもいた。
なかなかの恐怖であった。
午後3時32分、えりも黄金トンネル通過。


庶野(しょや)で国道336号線かわかれ、北海道道34号線に入る。
ちいさな食料品店をみつけたので、食料を買っておく。
大したものは売っていなかったので、さんまの缶詰と
魚肉ソーセージだけだけど。この先、食料品店がまったく
なかったので、ここで調達しておいて正解であった。

えりも岬にむかって、南に走る。地図のうえでは、百人浜に
沿って走っていることになっているけれど、浜までは遠く、
どうやって行くのだろう、と思うほどであった。
こんなところでもと言っては失礼だけど、大きな家が建っており、
人が生活している。そして、どの家にも必ず、大きな灯油タンク
が備えてあった。人は灯油さえあれば、どこでも生活できる
のだろうか。午後5時、百人浜オートキャンプ場に到着。

百人浜オートキャンプ場は、フリーテントサイトが1泊310円
という、まことに良心的な価格であるうえ、環境はすばらしい。
言うことなしであった。

hyakunin.jpg
百人浜オートキャンプ場

私のほか、泊まっているのは、長期滞在している雰囲気の
老夫婦など。土曜日だけど、とても空いていた。
近くにある高齢者センターにあるお風呂に行く。
とても安い料金であった。
湯上がりに爽健美茶を飲み、テントで寝転がる。
静かな夜であった。明日はいよいよ、えりも岬に到達する。
午後8時ごろ、就寝。

釧路~長万部自転車ツーリング その4

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釧路から長万部まで、自転車で走った。そのつづき。


3日め  えりも百人浜~新冠町  約116km day3.gif


2017年6月25日日よう日午前6時。私は百人浜オートキャンプ場
にいた。

起きて、テントの外に出てみると、深い霧である。
えりも岬は年間を通じて、非常に霧が発生しやすいところ
であるから、まあ、仕方がない。午前6時30分出発。
約8km南にある襟裳岬(えりもみさき)をめざす。

午前7時ごろ、旧えりも岬ユースホステルの前を通過した。
えりも岬ユースホステルは、北海道3バカユースホステル
(ふつうは礼文島・桃岩荘YH、知床・岩尾別YHと
このえりも岬YHをさす)として有名だった。
私自身は、桃岩荘YHと岩尾別YHに泊まったことはあるが、
えりも岬YHに泊まったことはない。
なんでも、名物のおばさんペアレントがいて、
大漁旗で送迎のうえ、夜のミーティングには強制参加。
何時間も歌と踊りが続いたという。

ま、桃岩荘YHも、だいたい同じような感じだったけど、
あそこはヘルパーが歌って踊っていた。ペアレントが自ら
率先して、歌って踊るというのは、めずらしいと思う。

えりも岬YHは、その後、民宿となり、つい先日、閉鎖された
というニュースを見た。時代はかわった。いまどきの若い人は、
もう、あんなバカなことは、しないんだろうな。
2017年6月25日午前7時15分、襟裳岬に到着。
あいかわらず霧が濃くて、展望台に立ったときには、
なにも見えなかった。

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襟裳岬にて

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襟裳岬灯台にて


私たちの世代にとって、襟裳岬というと、なんといっても
森進一のヒット曲を思い出す。調べてみると、1974年1月の
発売だから、私が18才のときであった。

作曲は吉田拓郎である。フォークソングと演歌歌手の異色の
組み合わせが大成功したことから、ポップス歌手および作曲家
である大滝詠一との組み合わせによる「冬のリヴィエラ」にも
つながっていくのだが。

それはともかく、襟裳岬の歌詞であるが、一部の人には、
どうも、誤解されているように思われる。というのは、
「襟裳岬にはなにもない」というように歌われている
というのである。

そうではない。まず、襟裳岬の歌い出しであるが、

♪北の町ではもう
 悲しみを暖炉で
 燃やし始めてるらしい


という部分で、この歌詞の登場人物には、とてもつらい、
悲しいことがあったことがわかる。そして、この人は、
「人は悲しみをいつまでも抱えているべきではない。」
と考えている。だから、そんなものは暖炉で燃やして
しまえばいいというのだ。そして、

♪えりもの春は
 なにもない春です


という歌詞につながっていく。「なにもない」というのは、
まっさらな状態、という意味である。
要するに、悲しみをのりこえ、まっさらな状態で新しい春を
迎えよう。そうやって、つらい人生を生きていこう。
そう言っているのである。
襟裳岬にはなにもない、などとは、ひとことも言っていない
のである。


朝が早かったせいで、店も観光施設もあいていなかった。
全身に付いた霧の水滴をタオルで拭いて、出発。
歌別(うたべつ)の集落で、ふたたび国道336号線に戻り、
様似(さまに)をめざす。コンブ漁が最盛期のようで、
ところどころで、軽トラが大量のコンブを積み込んでいた。

海をみると、おびただしいコンブが生えている。
ちょっとくらい、軽トラで採ったところで、影響があるとは
思えない。夏になれば必ず生えるものを採って、乾燥すれば
売れるのだから、ラクな仕事である。三重県や高知県の漁師は
カツオを追い求めて、双眼鏡で海を見ながら、何日も航海する。
そのリスクとハードさは比較にならない、と思った。

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コンブが生えているところ

午前11時40分、JR日高本線の様似駅に着いた。
列車はいない。
ほとんどの東京の人は知らないだろうけど、
日高本線は、2015年1月の高波による線路被害のため、
現在、鵡川(むかわ)~様似間が不通になっている。
JR北海道は、沿線自治体に復旧の費用負担を求めていた
ものの、交渉は難航。事実上、廃止が決まっている。

12時25分発の代行バスが入ってきた。ごくふつうの
いすゞエルガである。このバスは、約2時間かけて、
静内(しずない)まで行き、さらに、静内から鵡川までの
代行バスにつながっている。鵡川までの所要時間は、
約4時間もかかる。

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様似駅にて

JRbus.jpg
JR日高本線 列車代行バス


さらに国道336号線を北上。浦河(うらかわ)から
国道の番号が変わり、国道235号線になる。
午後3時、道の駅みついしに到着。
この道の駅には、オートキャンプ場が隣接しており、
さらには温泉施設がある。サイクルコンピュータをみると、
きょうはここまで、約75km走っている。ちょっと早いけど、
ここで終わろうか、と思った。
オートキャンプ場の受付に行ってみると、利用料金は
1泊5,240円という値段であった。当然のことながら、
誰も利用していない。

ということで、さらにすすむ。
東静内の駅をすぎ、静内温泉と書いた看板にしたがって右折。
当初の予定どおり、静内温泉キャンプ場をめざす。
すると、「キャンプ場は現在、閉鎖されています」
と書いてあった。理由はよくわからない。

国道235号線にもどり、スマホを使って調べる。
5kmほどもどったところに「インフォメーションサイト
スペース新ひだか」という、無料で泊まれる施設がある。
自転車乗りやオートバイ乗りが、よく利用している。
ここに来るまでに、いちおうチェックした。
今日はまだ、誰も利用していないようであった。

けれども、5kmもどるというのがイヤだった。
私の性格で、すすむのはオッケー、戻るのはイヤなのである。
調べてみると、11km先に道の駅、13km先にパーキングエリア、
15km先の判官館(はんがんかん)森林公園にキャンプ場がある。

とりあえず、前にすすむことにする。
ここまで、すでに100km走っており、もう、脚が残っていない。
やはり、道の駅三石のオートキャンプ場に泊まればよかったかな、
と思った。

行ってみると、道の駅はダメだった。町なかにあるので、
テントを張ったりしたら、110番通報されてしまいそうである。
その先のパーキングエリアは、テントを張っても、
まあ、大丈夫そうだった。けれども、殺されて金品を
奪われても、文句が言えないような環境である。
ということで、判官館森林公園にあるキャンプ場まで走った。
走行距離110kmを超えて、最後に急坂を登ることになり、
もう、泣きそうだった。キャンプ場に着いたのは、午後6時を
すぎていた。

釧路~長万部自転車ツーリング その5

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(4日め)


4日め  新冠町~苫小牧  約75km tomakomai.gif


2017年6月26日月よう日。私は新冠町の判官館(はんがんかん)
森林公園にキャンプ場にいた。

昨日の夕方、キャンプ場に着いて、テントを張り終えるや
いなや、土砂降りの雨となった。雨は一晩中降り続き、
朝5時頃に起きたときも降っていた。その時点で、走る気をなくし、
この日はキャンプ場に滞在することを決め、二度寝してしまった。

午前8時ごろ、目をさますと、鳥のさえずりが聞こえる。
テントから出てみると、きれいに晴れていた。
あわててテントをたたんで、出発する。

昨日の到着は午後6時をすぎていたので、キャンプ場の
利用料をまだ払っていない。管理棟に行くと、
「管理人が不在の場合は、利用料をポストに投函してください。」
と掲示されている。ということで、住所、氏名を書いた
申込用紙に利用料600円を包んで、ポストに投入しておいた。

午前9時出発。
予定よりも3時間遅れである。今回の旅では、なんだか、
寝坊ばかりしている。
国道235号線は、不通となっているJR日高本線と並行して走る。
清畠駅付近では、線路が波に洗われて、ぐにゃぐにゃに
曲がっていた。レールというものは、こんなに簡単に
曲がるものなのか、と思って、すこし、びっくりした。

それにしても、線路が海に近いところを走りすぎている
感じがする。もともと、台風か、すこし高い波がきたら、
それでダメになるような感じの線路のようにみえる。
安全に運行するためには、路盤のかさ上げ工事が必要で、
それには多額の費用がかかるだろう。
これでは、廃線やむなし、という感じである。

hidaka.jpg
高波でぐにゃぐにゃに曲げられた線路


日高市に入る。
昨日、新日高市というところを通って、今日は日高市。
もちろん、別の自治体である。なんだかややこしい。
静内(しずない)、門別(もんべつ)のままでは、
いけなかったのだろうか。

門別には競馬場がある。
競馬のことは、よくわからないのだが、意外と大きな施設であった。
東京近辺にある府中競馬場や中山競馬場とくらべても、
その規模は遜色ないかもしれない。周辺には、競走馬を飼育する
牧場がいっぱいあった。

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競走馬の牧場

ししゃもという看板が多くなり、鵡川(むかわ)に着く。
10月~11月のししゃもの漁期には、このあたりでは、
ししゃもの寿司が食べられるという。
いつか、ししゃもの寿司を食べるためだけのために、
10月に鵡川を訪れたい、と思いつつ、もう、何年も過ぎている。

道の駅「むかわ四季の館」で休憩する。ホテルや温泉が併設
されている、大きな道の駅であった。おみやげコーナーには
「本ししゃも」が売っている。東京のスーパーで売っている
ししゃもの代用魚カペリンとはちがって、とても大きくて、
まるまると太っていた。

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道の駅「むかわ四季の館」にて

鵡川から先は、日高自動車道の無料区間と並行して走る。
この日は一日中、向かい風が強くて苦労したのだが、
とりわけ、この区間は風を遮るものがまったくないので、
非常に風が強く、こいでもこいでも、なかなか進まなかった。

苫東(とまとう)という看板がある。
なんのことかと思われるかもしれないが、
「苫小牧東部地域産業用地」の略である。
日本最大の産業地域であるが、工場を建設する企業は
ほとんどなく、原野のままである。
何キロかすすむと、ようやく、いすゞ自動車の工場があった。

沼ノ端(ぬまのはた)から、国道234号線に入る。
午後3時ごろ、苫小牧に着いた。
今日は一日中、向かい風のなかを走ってきたので、
つかれてしまった。少し早いけど、ビジネスホテル
に泊まって、ゆっくりとからだを休めようと思う。
楽天トラベルで検索して、シングルで1泊5,150円
の部屋を見つけ、予約する。
ほか弁を買ってチェックイン。夕方から朝まで外に出ず、
ぐっすりとねむってしまった。

釧路~長万部自転車ツーリング その6

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(5日め)


5日め  苫小牧~伊達市  約109km murosan.gif

2017年6月27日火曜日午前4時に起床。
今回のツーリングでは、朝寝坊ばかりしてきたが、
ようやく、自転車乗りにとって、ふつうの時刻に起きる
ことができた。けれども、4日間で走行した距離は、
予定していたよりも100kmほど距離が足りておらず、
この時点で、函館まで行くつもりだった計画の達成は、
もはや絶望的である。

まあ、いい。
茨城~新千歳空港までの航空券は安い。
また、北海道に来ることができる、と考えればいい。

午前5時に出発する。
苫小牧から国道の番号がかわって、国道36号線となる。
この道は室蘭まで続いている。4車線あるので、走りやすい。
けれども、大型トラックがやたらと飛ばしているので、
自転車で走るのは、命がけだけど。

虎杖浜(こじょうはま)という、しぶい温泉街を通る。
海岸沿いには、かに料理の店がならんでいる。温泉と海産物の
両方を楽しみたい方にとっては、いいところだと思う。

国道36号線沿いに、500マイルという名の民宿がある。
昔、ピーター・ポール&マリー(PPM)という
フォークバンドがあった。私たちの世代では、知らぬ者は
いないくらい、有名である。その代表的なヒット曲が
「500マイル」であった。マリー・トラヴァースさんの
美しい歌声とともに、ご記憶の方も多いと思う。

500Miles
 If you miss the train I'm on.
 You will know that I am gone.
 You can hear the whistle blow.
 A hundred miles.
 A hundred miles, a hundred miles.
 A hundred miles, a hundred miles.
 You can hear the whistle blow.
 A hundred miles.

500マイル
 あなたが私の乗った列車に乗り遅れたら
 私が旅立ったことを知るでしょう
 あなたは100マイル先で
 汽笛が鳴るのを聞くでしょう
 100マイル、100マイル、100マイル、100マイル先で
 あなたは汽笛が鳴るのを聞くでしょう

                   訳詩 tak

500Miles(ピーター・ポール&マリー)
https://www.youtube.com/watch?v=ADN1lLEp3H0
※権利関係は不明です



そのマリー・トラヴァースさんも、2009年に白血病により
帰らぬ人となった。私が好きだった歌手、芸能人などが
次々と亡くなっていくのをみると、自分が老いていくのを、
ひしひしと感じるな。

午前10時すぎ、登別(のぼりべつ)駅につく。
有名な登別温泉の最寄り駅だけど、温泉に行くには、
ここから標高300メートルほど、登らなければならない。
バスで15分ほどである。さらに、クマ牧場に行くには、
ロープウェイに乗ることになる。

駅構内には、観光協会があり、登別温泉のパンフレットが
置いてあったけど、英語、中国語、韓国語版はあったものの
日本語版はなかった。現在の北海道観光事情を、
よく反映しているのかもしれない。

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登別駅にて


さらに国道36号線をすすみ、東室蘭(ひがしむろらん)から、
室蘭市街方面に向かう。
午後0時10分、母恋(ぼこい)駅に着いた。
母恋駅は、青春18きっぷのポスターとパンフレットに
使われた駅なので、どんなところなのか興味があったのだ。

来てみると、なんてことはない駅であった。
母が恋しい、という駅名だけで決定された感じであり、
担当したカメラマンも、さぞや困っただろうなと思う。

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母恋駅にて

青春18きっぷPRポスターに室蘭・母恋駅の写真採用 (室蘭民報社)
https://this.kiji.is/210216708034478089


母恋駅から、急な坂を登る。
2017年6月27日午後1時10分、地球岬に着いた。
地球岬は、正式にはチキウ岬といい、アイヌ語で「断崖」という
意味だそうだ。たしかに100メートルくらいありそうな断崖が
続いている。きれいに晴れてくれたので、しばし景色に見とれる。

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地球岬にて



地球岬から東室蘭にもどり、こんどは北にむかって走る。
国道の番号が変わり、国道37号線となる。
東日本最大の吊り橋である白鳥大橋が見える。
渡ってみたいけど、自動車専用道路なので、自転車では
わたれない。

さらに国道37号線を北上。
午後5時ごろ、道の駅「だて歴史の里」で休憩する。
仙台の伊達家のゆかりの地であり、JRの駅の名は
伊達紋別(だてもんべつ)である。

さて、そろそろ、寝る場所を決めないといけない。
この道の駅は、ひろいから車中泊にはよさそうだけど、
市街地なので、テントを張ったりしたら110番通報されそうだ。
11km先のアルトリ岬キャンプ場か、18km先の道の駅とようら、
あるいは、20km先の豊浦海浜公園キャンプ場か、という選択になる。
もう、函館まで行くのは諦めているので、無理をせず、
いちばん近いアルトリ岬キャンプ場に行くことにした。

アルトリ岬キャンプ場に行くと、ホンダのクロスカブに乗った
先客がいた。テントのなかで寝ているようで、姿はみえない。
すこしはなれた場所にテントを張る。
アルトリ岬は、意外と景色のいいところだった。
しかも、利用料は無料である。

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arutor1.jpg
アルトリ岬キャンプ場にて


こういうところで、1週間くらい、滞在してみたいなと思う。
まあ、そんなことを言っていながら、いつも一晩すごしたら、
次の場所にむかって、出発してしまうのだけど。
つねに移動していないと気がすまない、損な性分なのである。

静かな夜であった。セイコーマート南有珠店で買った
幕の内弁当を食べ、すぐに寝てしまった。

釧路~長万部自転車ツーリング その7

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釧路から長万部まで、自転車で走った。(6日め)


6日め  伊達市~長万部  約50km rebun.gif

2017年6月28日水曜日、私は北海道伊達市のアルトリ岬
キャンプ場にいた。
のんびりと、午前7時ごろ起きる。
今日が今回の旅の最終日なのであるが、函館まで行くことが
絶望的になってしまったので、テンションが下がりまくり
であった。

クロスカブの旅人氏も、すでに起きていた。昨日はテントから
ずっと出てこなかったので、今朝になり初めて見たのだが、
若い男性であった。私がおはようございます、と挨拶すると、
すこしびっくりしたような感じで、あ、おはようございます、
と挨拶を返された。それをきっかけに、すこしだけ話をした。

私 「このバイクで、日本一周をされておられるんですか?」
クロスカブ氏 「そうですけど。」
私 「すごいですね。私もバイクに乗りますけど、
   110CCだと長距離を走られるのはきついでしょう。」
ク氏「まあそうですね。そちらは...自転車で日本一周
   をやってるんですか?」
私 「いちおう、そうです。でも、コマ切れなんです。
   サラリーマンですから、一気に走る時間がなくて。
   今回は釧路から走りはじめて、今日で6日めですけど、
   明日には、東京に帰らないといけないんですよ。」
ク氏「ははあ。で、次回は、終わったところから、
   そのつづきをやると。」
私 「そういうことです。」
ク氏「いったい、何年かかることやら、ですね。」
私 「なんだかんだで、もう10年くらい、やってますが。
   まだ、半分をちょっと超えたくらいです。(笑)」


テントをたたんで撤収。荷物を自転車に積んで、出発しよう
とすると、こんどはクロスカブ氏のほうから、声をかけてきた。

ク氏「どっち方面に行くんですか。」
私 「長万部方面に行きますが。」
ク氏「トンネルが多いですから、気をつけて行った方が
   いいですよ。」
私 「どうもありがとうございます。あなたも気をつけて。
   どうか、いい旅を。」
ク氏「どうもー。」



午前8時に出発した。
まずは、国道37号線にもどり、北にすすむ。
洞爺(とうや)駅で休憩。ここには来たことがある。
20年以上前に、家族で洞爺湖にいったとき、利用した
のである。駅舎は新しく、大きくなっており、
かつての面影はなかった。
洞爺湖は、水はきれいだし温泉もあるし、札幌や新千歳空港
から近いわりには、なかなかいいところである。
2008年には、主要国首脳会議(G8=サミット)が開催されている。


さらに国道37号線をすすむ。道の駅とようらで休憩した。
この道の駅は海岸線からはなれており、静かなところである。
周囲に民家はなく、車中泊にむいていると思われる。
自転車の旅人も、まあ、大丈夫なのではないかと思われる。

礼文(れぶん)から登りになる。有名な礼文華峠(れぶんげとうげ)
であり、むかしから交通の難所である。さきほどクロスカブ氏が
「トンネルが多いから気をつけて。」と言ったのは、
この峠のことを言っているのである。

もちろん、私も礼文華峠のことは調べてきており、
トンネル通過にそなえて、反射材のタスキを2本かけて、
さらに赤いピカピカを2個、点灯させている。
が、それでも危険なことには変わりはない。

短い礼文トンネルを越えると、全長1,331メートルの
礼文華トンネルがある。それを過ぎると、
礼文橋、小幌橋(こぼろばし)の順に渡る。
このあたりが最高地点であり、標高は約230メートルであった。

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礼文トンネル

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小幌橋


小幌橋を渡るとき、海側を見てみた。
牛山隆信氏による秘境駅ナンバーワンの小幌駅(こぼろえき)
が見えるかな、と思ったのだが...。残念ながら見えなかった。
距離的には、ほんの300メートルくらいのはずなのだが。
駅におりる道らしきものは、まったくない。
さすがに、秘境駅ナンバーワンである。
どうやったって、行けるわけがない。
まさしく、別格の秘境駅であった。

小幌橋をわたると、一方的な下りになる。
静狩(しずかり)トンネルをぬけると、噴火湾が
きれいに見えた。

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静狩トンネルを越えた地点で


長万部駅には、午前11時に着いた。
すこし早いけど、今回の旅はここで終わりにする。
ここで終わる理由は、次回、旅を始めるとき、
来やすいからである。長万部は特急停車駅であるから、
新千歳空港から、約1時間半で来ることができる。

誰もいないローカル線の無人駅に着いて、ほっとひと息つき、
自転車を輪行袋に入れ、普通列車で帰るというのは、
旅の終わり方としては最高かもしれないが、
つぎにそこに来ることを考えると、最悪である。

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長万部駅にて

私は自転車を分解して、輪行袋に入れ、列車に乗る準備
をととのえた。そして、駅から歩いて2分の位置にある
かなや本店に行き、かにめし弁当(1,080円)を購入。
昔から、多くの旅人に愛され続けている逸品である。
列車に乗り、包み紙を開け食べる。隣にすわっている人が、
ちらっと、かにめしを見た。

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かなやのかにめし弁当



ということで、今回の記事のまとめであるが、
釧路から北海道南岸を通るコースは、
長大トンネルが多いうえ、霧が多く、風が強く、
条件の悪い日が多いけど、高低差が少なく、
高い峠といっても礼文華峠くらいであり、
おおむね走りやすい。60才を超えた体力でも、
自転車で走ることは十分に可能であるので、
ご興味のある方は、走ってごらんになるといいだろう。


アルトリ岬で会ったクロスカブの旅人氏に、
いったい何年かかることやらですね、と言われてしまった
私の「日本外周自転車の旅」であるが、
これまでの途中経過は、以下のようになっている。

koremade.gif
※青い線がいままで走ったコース

計算してみると、合計で約7,000キロくらい走っている
ことになる。日本外周は、トータルで12,000キロくらい
だから、まだ半分をちょっと超えたくらい。
ま、がんばるしかないね。www
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