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自由の学府がサヨクの大学になってしまった 1

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私の母校である立教大学に対する評価がゆれている
のだが。


「正論」という雑誌がある。
2018年6月号には「大学政治偏向ランキング」という
記事があった。
「まあ、西の立命館、東の法政だろうなー。」
と思って読んでみたら、なんと、立教大学が
堂々の1位となっているではないか。

かつては、自由の学府といわれた。
校歌にも、そう歌われているし。
しかしながら、現在はサヨクの大学というイメージが
すっかり強くなってしまったね。


このブログでは、何度か書いたけど、
私は立教大学の出身である。
母校がサヨクの大学と言われるのは、
OBとしてはガマンができないし、
そのように書くマスコミにも、大きな誤解が
あると思うので、すこしだけ、実情を説明
させていただきたいと思う。



まずは、立教大学(以下、立教)がどういう学校なのか
について、すこしだけ紹介させていただく。
立教は、東京6大学のなかで、いちばん小さい大学である。
学生数は、約2万人。
5万人以上いる早稲田や、7万人以上いる日大にくらべると
ひときわ少ない。
それでも、志木キャンパスの拡充などにより、増えたほうで、
私らの頃は、1万2,000人くらいであった。

関西在住の人にとっては、ほとんど知らないだろう。
私の家内の母は、私のことを、“聞いたこともない大学”
の出身である、と思っている。
2年前に家内の妹の娘が、関西学院大学に進学した。
そのとき、
「あんたも、もっとがんばって、関学くらいの大学に
行ったらよかったんや。」
と言われてしまった。ま、いまさら誤解を解いても
仕方がないので、
「そうですね。○○ちゃん、がんばりましたよね。
合格できて、よかったですね。」
と言っておいたけど。

実際には、立教はMARCHといわれる早慶に次ぐ
東京の私立大学グループのなかでは、
いちばん偏差値が高い。
だいたい60~65(河合塾調べ)である。
とりわけ、女子には人気がある。

ネットの世界では、私立大学出身=バカという
レッテルが貼られるし、ま、私自身はたしかに
バカなんだけど、
立教は、入るのはそれなりに難しい大学なのである。

立教は伝統的に推薦入学をあまり取らないから、
(だからスポーツが弱い!)
高校から受験するには、きびしい一般入試を
突破しなければならないし。

入学してから、周囲の者に聞いてみると、
松本深志とか、膳所とか、野沢北といった
県下トップクラスの公立高校で、
上位20位以内にはいた、というやつが多かった。
あるいは、女子学院とか、浦和明の星といった
女子の名門私立校出身の子も多かったね。

私自身は、大阪のトップではない公立高校から
一浪して立教に入った。ま、バカである。
予備校の模試では、偏差値65には達していなかったけど
英語と地理が得意だったから、
たまたま、合格できたのであった。
(立教は英語と地歴科目の配点が大きく、
しかも英語は長文読解の問題が4問も出る。
英語を英語として読んで、サクサクと回答して
いかないと、時間が足りなくなるので、
英語が苦手な者は、まず合格できない)

あ、それから、立教はキリスト教の大学であり、
日本最古のミッション・スクールである。



立教がサヨクの大学といわれる要素としては、
経済学部に伝統的にマルクス経済学(マル経)の
先生が多いことがあげられる。
私自身は経済学部経営学科(現在の経営学部)
の出身なのだが、当時は経済原論(=マル経)は
必修だったね。

とはいえ、先生はそれほど厳しくなくて、
マルクスの「資本論」の内容のうち、
「労働には具体的有用労働と抽象的人間労働がある」
ということと、
「資本主義社会の根本的矛盾は、生産の公的性格
と領有の私的性格にある」ということが
試験できちんと書ければ、だいたいBをもらえた。
(立教の評価はABC。優良可の「良」にあたる)

私の経済原論の先生は、有名なマル経学者である
山本二三丸(やまもとふみまる)先生であった。
学生たちからは尊敬されていたな。

当時の立教の先生たちは、サヨクというよりも、
社会に対して批判的なのであった。
立教では、他学部の授業も卒業の単位に加える
ことができたので、私は社会学部の観光学という
授業も取ったけど、その先生は、
「日本の温泉観光地は、資本主義社会の出す
膿(うみ)の吸い取り紙的な機能を果たしてきた。」
とか言っていたな。www

社会に批判的なのは、キリスト教の学校だからである。
キリスト教の自由、平等、博愛の精神は、
社会主義、共産主義とむすびつきやすい。
それと、マルクス経済学の先生が多かったことから
自然とリベラルの方向に行ったのだろうな。

(長くなったから、次回につづく)


自由の学府がサヨクの大学にされてしまった 2

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私の母校である立教大学が、最近はサヨクの大学
と言われているのだが。


午後1時ごろ、立教大学キャンパスの中心部。
本館である時計台のある校舎の裏、
通称「四丁目」といわれるあたりには、
大勢の学生たちが、授業に出るでもなく、
図書館で勉強するでもなく、
おしゃべりを楽しんでいる。
ゆるい。なんともいえず、ゆるい。

どこがサヨクの大学やねん!

と、ツッコみたくなるくらい、ゆるい。


私は仕事で池袋に行くことがあると、
自分の原点を確かめたくなって、
ときどき、立教のキャンパスに散歩に行くのだが、
私の在学時代から続いている、このゆるさは、
すこしも変わっていないな、と思う。

このゆるさは、OBとしては、心地よい。
けれども、このゆるさのなかで、4年も過ごして
しまったからダメなんだ、と思うこともある。

社会人になってから、ITベンチャー企業の社長とか、
外資系企業の社長とか、多くのエネルギッシュに
生きている人たちと知り合ったけど、
そういう人たちのなかには、立教出身の人は、
ひとりもいなかったな。www

私の息子たちは、立教よりも偏差値が上の大学に
行ったのだが、親として入学式に出席したときに
思ったのは、そういった大学の学生たちは、
立教の学生たちよりも、ずっと、生きること、
学ぶことに一生懸命、という感じだった。



立教のゆるさは、どこからくるのか。
まずは、ちいさな大学であるということが
影響していると思う。

立教の学生は、入学式を終えると、まずは、
クラスごとに教室に行く。
私は、経済学部経営学科N組だった。
立教の場合、一般教養の外国語、専門課程の
外書購読などの必修科目は、40人くらいの
クラス単位で受講するのである。
まずは、このクラスのメンバーは、すぐに
全員が友だちになったね。

そこから、すこしずつ人間関係がひろがって、
1年くらいすると、経営学科の約400人は、
だいたい、顔見知りになる。
卒業までには他学部の友人も多くなるね。

学生数5万人を超える大規模な大学だと、
周囲はほとんど他人。
サークルとかゼミに所属しないと、
友人もできないだろう。
立教の場合、学生数がすくないから、
小規模の集団に所属しなくても、
だいたい、顔見知りか友人になる。

で、授業が終わると、次の教室に行くのに、
必ず四丁目を通るから、そこで知り合いか友人に
会うと、おしゃべりが始まり、
「つぎの授業、出席を取らないんだけど。」
「じゃ、さぼって喫茶店でもいくかー。」
みたいなハナシになるのである。

ゆるい。なんともいえず、ゆるい。

良くも悪くも、自由でのんびりとした
牧場のような学校なのである。
もちろん、入学してきた時点では、全員、サヨク思想
とは無縁である。

(長くなったから、次回につづく)

自由の学府がサヨクの大学にされてしまった 3

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私の母校である立教大学が、最近はサヨクの大学
と言われているのだが。

立教大学が、最近、サヨクの大学と言われる
ようになったのは、中指を立ててわめいている
精神科医の教授の動画が、SNSで拡散された
ことの影響が大きいと思う。

しかしながら、彼女は立教を代表する教授
ではない。有名人だから採用されたタレント
教授である。
それに彼女はサヨクではない。
もちろん、リベラルでもない。
単純に日本、および日本人がきらいなだけである。

ここで、サヨクとリベラルの違いについて
明確にしておきたい。

サヨクとは、社会主義、共産主義のこと。
リベラルは自由主義のことである。
近年、サヨクがリベラルを偽装している。
だから、わかりづらくなっているけれど、
サヨクとリベラルは、本質的には異なる
ものである。

立教は伝統的にキリスト教の精神に基づく
自由主義の大学である。
そこは間違えないでほしい。



とはいえ、立教には経済学部に伝統的に
マルクス経済学の教授がいる。
そのことは事実である。
私らの頃は、2年生になると経済原論(=マル経)
が必修であったことから、全員が「資本論」を読む。
で、経済学部の学生たちのなかには、一時期、
マルクス主義に染まる者が出てくる。
かつては、私もそうであった。

そりゃ、そうである。

「資本家が独占する資本を、社会の共有財産とし、
低賃金労働を廃するとともに、協同、協力によって
運営する社会を目指すべき」
なんてことが書いてあれば、
「そうだよなー」と思うじゃないですか。

私はバカだから、 基本的にえらい先生が書いた
本には正しいことが書いてあると思う方である。
ということで、人間にとって理想の社会は社会主義
であると、自然に思うようになってしまった。

そんなあるとき、外書購読の授業だった。
資本論の解説書(英語)をみんなで読むという
授業であったが、私の番になり、本文を音読して
日本語に訳したあと、先生に質問をした。
「結局、資本主義は人を幸せにしないって
ことなんですか。」

私はバカだから、 基本的にわからないことは、
すぐに人に聞くタイプである。
女子学生からは、くすくすっと笑われた。

先生は、じっと私の顔を見て、それから言った。
「そんなことはない。資本主義は現代においては
社会主義よりも、より多くの人を幸せにする
と思うよ。
いまは、企業が商品や行動を消費者の嗜好や
価値観に合わせていく時代だ。それによって、
多くの人が幸せになると思う。」

マルクス経済学者、まっさお
である。wwwwwwwwwwwwwwwwww


基本的に、立教の経済学部はマル経が主流
なのだが、そこに所属していながら、
こんなことを言う先生もいたのである。
いろいろな思想を持った教授がいて、
大学はそれを受け入れる。
立教が自由主義の学校である、というのは、
要するにそういうことなのである。
立教は、けっしてサヨクの大学ではない。

それにしても、当時の立教には、いい先生が
多かったな。

ちなみに、先生のこの一言は、私にマーケティング
というものに興味をもたせ、その後の私の人生に
大きな影響をあたえている。

(長くなったから、次回につづく)

自由の学府がサヨクの大学にされてしまった 4

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私の母校である立教大学が、最近はサヨクの大学
と言われているのだが。

一連の記事に対して、読者から、
「長い。3行でまとめろ。」
という要望が来た。

立教大学はサヨクの大学ではありません。
キリスト教精神にもとづいた
自由主義のいい大学です。


要するに、そういうことなんだけどね。www



1991年12月にソ連が崩壊。
社会主義、共産主義の時代は終わった。
1993年に日本の55年体制は終了。
現在の社会主義者、共産主義者たち(=サヨク)は
居場所を失い、政党組織は存在意義を失っている。

そのため、自分たちを自由主義者(=リベラル)
と言い換え、政党名もあいまいなものに変えて、
B層という、よくわかっていない中間層からの
支持を得ることにより、生き残りをかけている。

けれども、サヨクとリベラルはちがう。
ていうか、根本的に相容れないものである。

私も若い時期にサヨク思想に染まりかけたから
わかるんだけど、サヨクの原点は選民思想である。
「オレは難しい本を読んで理解できる。
おまえらバカとはちがうんだ。」
というのが、サヨクのはじまりなのである。

2年ほど前、大学生を中心とした政治活動団体
が注目されたことがある。ああいった政治活動
をしている若者たちを見て、
「資本論を読んだこともないようなバカ若者が
サヨクのまねごとをやってるよー。」
と思うのが、ホンモノのサヨクである。

それに対して、リベラルというのは、
個人の自由や多様性を尊重する考え方であり、
その基本思想は、人間とは平等なものである、
ということ。まったく違う。


現在のサヨクたちが、意図的にサヨクとリベラルを
混同させ、よくわかっていない若者たちをだまし、
組織の生き残りをはかろうとするのは勝手である。
けれども、そのために140年の伝統を誇る
自由の学府である立教を、自分たちと同じ勢力扱い
するのは、スジ違いもはなはだしいと思う。



ま、立教にも油断と隙があったね。

大学に進学させる親としては、その大学が
サヨク思想にそまっていることを嫌う。
とりわけ、女の子の親はそうである。

サヨクの大学などと誤解されることにより、
今後の大学の発展にわるい影響がないことを
OBとしては祈っている。

三重県人のソウルフード

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三重県人のソウルフードというと。

ouchi1.jpg
大内山ミルクランドにて


三重県の名物というと、松阪牛とか、赤福とか...。
いろいろとあると思う。

けれども、ふつうの三重県人にとっては、
松阪牛なんか、口にする機会はない。
本物の松坂牛だと、100gあたり3,000円はするし、
松阪市内の有名なお店で食べたら、
ひとりあたり、2万円はかかるもんな。

赤福は、お土産にはいいと思うけど、
ま、そんなに何回も食べたいというものではない。

ということで、松阪牛も赤福も三重県の名物だけど、
三重県人は、あまり食べないね。
それでは、三重県人のソウルフードとはなにか
というと、ズバリ、大内山牛乳でしょう。(丸尾くんふうに)



大内山牛乳とは、紀勢本線の大内山駅ちかく
にある大内山酪農さんがつくっている牛乳である。
三重県内では、ほとんどのスーパー、食料品店で
取り扱っているし、三重県内の公立学校に
学校給食として、おさめられている牛乳の多くは、
大内山牛乳である。

ということで、大内山牛乳は、三重県人なら、
だれでも知っている。逆にいうと、三重県人以外は、
誰も知らないけど。www


私の子どもの頃、紀勢本線の列車が大内山駅に
着くと、立ち売りの売り子が、
「大内山名物の牛乳は、いかがでしょうか~。」
と言って、牛乳を売っていた。
結構、みんな買っていたように記憶している。

大内山駅は、急行も停まらない小さな駅だったけど、
大内山と紀伊長島のあいだには荷坂峠(にさかとうげ)
があるので、普通列車の多くは大内山駅で長時間停車した。

また、全国的にみて、牛乳の立ち売りというのは
珍しかったし、そのころの旅人は、みんな精神的には
飢餓状態であり、駅に立ち売りの売り子がいると、
弁当でも、団子でも、なんでも買った。

当時の紀勢本線の列車は、DF50型という最新鋭の
ディーゼル・エレクトリックの機関車に牽引された
客車だったから、かんたんに窓を開けることができたし。
結構、いい商売をしていたように思う。



現在でも、私は大内山牛乳を飲むと、美味しいと感じる。
特別な乳牛を使っているわけではないし、
特別なプロセスを採用しているわけでもないんだけど、
なぜか、美味しい。
牛乳本来の味がするね。

三重県人にとっては、大内山牛乳の味がデフォルトに
なっているから、都内のスーパーで売っている牛乳は
飲めない。
かといって、1リットルで900円くらいする低温殺菌牛乳
を買う気にもなれない。大内山牛乳は、1リットル入り
のパックが230円くらいで売っているから。

ということで、「○○の美味しい牛乳」などといった商品を
買うのだけど、やはり、大内山牛乳の方が美味しく感じる。
もう、大内山駅での立ち売りはいないけど、
国道42号線沿いにある大内山ミルクランドで
買うことができるね。

DF50型ディーゼル機関車のこと

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前の記事に対して、
「DF50、なつかしいですね」
というメッセージをいただいた。

「そこにツッコむか。」という感じも
しますけど。www

私自身は、鉄道ファンではありますが、
鉄道車両については、あまり興味がなく、
なにを見ても、さっぱりわかりません。
けれども、子どもの頃に見たDF50の
ドロンドロンドロンドロンドロンという
独特のエンジン音と、
ピヨーーーという、ちょっと寂しげな感じの
汽笛の音は、いまだによく覚えています。

ちなみにですけど、
「俺たちの旅」の最終回、
カースケとヨーコが余部橋梁の下で
話しているとき、橋梁の上を
DF50が重連で通過していきます。

俺たちの旅最終回.jpg
俺たちの旅 最終回より

長万部~大畑(おおはた)自転車ツーリング その1

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長万部から青森県の大畑まで、自転車で走った。

map_osha.gif
今回走ったコース


1日め 長万部駅~森 61km
2日め 森~恵山岬~道の駅なとわえさん 84km
3日め 道の駅なとわえさん~木古内駅 78km
4日め 新青森~横浜町 96km
5日め 横浜町~脇野沢 72km
6日め 脇野沢~大間 75km
7日め 大間~大畑 31km
  合計 497km

 ※木古内(きこない)~新青森間の新幹線区間は除く


  使用した自転車   ロードスポーツ改造車
  チェーンリング    44T-32T (2段)
  カセットスプロケット  11-34T (8段)



1日め  長万部~森  約61km

2018年6月21日午前8時、
私は成田空港第3ターミナルにいた。
これから函館まで飛んで、
自転車で北海道を走るつもりである。

旅に出るきっかけは、単純であった。
LCCのバニラエアがバーゲンセールを
やっていたのである。
成田~函館線が、2,980円で売っていた。

バニラエアは、自転車を2,000円で運んでくれる。
(成田~函館線の場合)
自転車以外の荷物は、20Kgまで2,000円。

つまり、2,980円+手荷物2,000円+自転車2,000円で、
しめて、6,980円。
さらに空港利用料だとか、決済手数料が追加され、
合計8,000円弱で、私と自転車を函館まで
運んでくれる。おそろしく安いね。

函館便を選んだのは、前回の旅(釧路~長万部、
2017年6月22日~28日)のつづきで、長万部駅から
走りはじめるからである。
長万部に行くには、新千歳空港から行くのと、
函館空港から行くのとでは、大差はない。
けれども、私は函館空港を利用したことがない。

バニラエアとピーチ航空の合併により、
成田~函館便はなくなる予定なので、
あるうちに乗っておこう、と思ったのであった。

terminal3.jpg
成田空港第3ターミナル バニラ空港カウンターにて

a320.jpg
バニラ空港のエアバスA320


成田空港から函館までは、あっというまであった。
エアバスA320は、午前9時30分に函館空港に着いた。
すぐに函館駅までシャトルバスで移動し、
函館駅10時05分発のスーパー北斗7号に乗車。
11時33分に長万部に着いた。

ticket1.jpg
スーパー北斗 乗車券+特急券

osha1.jpg
長万部駅にて

あいにくの雨である。
ほんとうは、雨の日に自転車で走りたくない。
自転車はクルマから見づらくなるし、
すべって、タイヤをとられたりしたら危険である。
かといって、雨の日は走らないという主義を貫くと
日本一周が完了するのは、いつになるのか、
わからなくなる。
自転車を組みたて、レインウェアを着込んで
国道5号線を、南に走りはじめた。

長万部~大畑(おおはた)自転車ツーリング その2

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長万部から青森県の大畑まで、自転車で走った。
そのつづき。


1日め  長万部~森  約61km

osha.gif


長万部という駅名は、鉄道が好きな人ならば
誰もが知っているものと思われる。
ここから函館本線が、倶知安(くっちゃん)、
小樽(おたる)を経由して、札幌に伸びている。
札幌に行くのは、かつては函館本線ルート
(山線)がメインであった。

しかしながら、現在は室蘭本線から千歳線を経由して
札幌に行くルート(海線)が主力になっており、
特急列車は、すべて室蘭経由である。
函館本線(山線)は、いまや、すっかりさびれて
しまって、現在は、1日4本の普通列車のみが走る
(注:長万部~ニセコ間)ローカル線になっている。

かつて、長万部機関区があったところは、
広大な空き地となっており、なにもない。
長万部の町も、交通の要衝という機能を失ってから、
年々、人口が減っているように思われる。
長万部は、駅のちかくに温泉もあるし、
毛ガニも美味しいし、いいところなんだけどな。

駅から南に走ると、東京理科大学の長万部キャンパス
がある。青春時代の4年間、北海道の自然のなかで、
全寮制の学校で過ごすというのも、貴重な体験
なのかもしれない。


約30km走って、遊楽部川(ゆうらっぷがわ)を
渡ると、最初の大きな町、八雲(やくも)に着く。
「日本で唯一、2つの海をもつ町」と書いてある。
なんのことか? と思ったけど、
日本海と太平洋の両方に面している町は、八雲町だけ、
ということらしい。

「日本海側は、熊石(くまいし)町じゃね?」
と思ったけど、家に帰ってから調べてみると、
熊石町は現在、八雲町と合併しているのであった。
なるほど。

私は2015年6月に、札幌から木古内(きこない)まで
北海道の日本海側を自転車で走っている。
そのとき、旧熊石町も走ったけど、八雲町になって
いたことは、ぜーんぜん、気がつかなかった。
熊石漁港、熊石小学校、熊石郵便局。
どこにも八雲町なんて、書いていなかったけどな。


さらに、南にすすむ。
DF200型機関車が牽引する長大な貨物列車が
走っている。さきほどから、貨物列車がやたらと多い。
さすがに函館本線は、北海道経済の大動脈である。

北海道は、じつは本州に頼り切っている。
かつては、青函連絡船が3日欠航しただけで
物資が不足し、物価が上がったという。
現在は、青函トンネルが開通したので、
そういうことはなくなったけれど、
函館本線が北海道経済の命綱であることは
なんら、変わりがない。

そういえば、北海道新幹線が開通したら
この区間は、どうなるのだろうか。
貨物列車があるから、廃止にはならない
だろうけど、旅客の需要は激減するだろう。
第三セクター化しても維持できるとは思えない。
ということで、旅客列車のみ廃止になるのかもしれないな。



午後5時ちょっと前に、森(もり)にさしかかった。
ここで、大きなミスをしてしまった。
路面が荒れた部分があり、前輪をおおきく
とられてしまったのである。
晴れていたら、立て直せていただろう。
けれども、雨が降っていたので、
前輪をスリップさせてしまった。

前輪をスリップさせたら、ふつうは転ぶ。
それは自転車でもオートバイでも変わりはない。
私は右側、つまり、車道がわに転倒してしまった。

「あ、死んだな。」
と思った。

北海道のクルマは、トラックでも時速80km以上で
ぶっとんでいる。とまってくれるわけがない。
これは、もう、しかたがないね。

意外に落ち着いていた。
私は62才になる.。
子どもたちは、すでに独り立ちしているし、
いま、私が死んでも、大きな影響はない。

それにしても、こんなところで死ぬなんて、
いかにも、私らしいな、と思う。
家内は、すこし悲しむかもしれないけど、
結婚して、38年。
ま、十分、いっしょに生きた。
カンベンしてくれるだろう。


私は、タイヤがからだの上を通過するのを待った。
0.5秒、1秒、2秒...。
ん、通過しないな。
後ろを振り返ると、ヘッドライトをハイビームにした
大型トラックが停まっていた。
運転手は、目を大きく見開いていた。

私は急いで起き上がって、自転車を起こし、
運転手に、お礼の意味で手をあげてから、
路肩に逃げた。
プロのドライバーだと、荷が傷むのと、
追突されるのを嫌がって、ふつうは轢くんだけど。
いい人でよかったな。

ケガをしていないか、チェックする。
手の指は?
よかった。左右5本ずつ、ある。
首、肩、背中、オッケー。
足首、オッケー。

ひざは? おっと、ダメだ。
右ひざをすりむいて、すこし出血している。
でも、レインウェアを着ていたから、
大けがというほどでもない。
ラッキーである。

場所は、国道5号線の鳥崎川の橋梁の手前
100メートルくらいのところであった。
私は自転車をガードレールに立てかけ、
転倒の原因となった、路面の荒れを見に行った。
白線の内側であるにもかかわらず、
路面補修のあとがあり、3cmくらい、段差がある。

これは、ふつう、転ぶわ。

晴れていれば、気がついただろう。
けど、雨だったから、見えなかった。
気を取り直して、自転車に乗り、
歩道を500メートルほど走って、
道の駅「YOU・遊・もり」に行った。
トイレに行って、レインウェアを脱ぎ、
すりむいたひざを、水道水できれいに洗った。
マキロンで消毒し、大きめのキズテープで覆った。

やれやれ。

もう、40年以上、自転車とオートバイに乗っている
けれど、こんなにハデに転倒したのは初めてである。

それにしても、自転車で車道がわに転倒したら、
ふつうは、クルマに轢かれて死ぬんだけどな。
なぜか、私は生きている。
「なんでだろう。」
と思った。
まだ、やり残していることがあるのだろうか。

私は自分が生き残った理由を、このとき以来、
ずっと考えている。けれども、まだ、答えが
出せないでいる。

(つづく)

本土最西端に行ってきた

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本土最西端の神崎鼻(こうざきばな)に
行ってきた。


kouzaki.jpg
神崎鼻公園にて



6月20日から27日まで、ちょいと九州まで行って、
自転車で走ってきた。で、本土最西端の神崎鼻に
行ってきた。

日本一周とか、日本外周をやろうとしている旅人は、
最低限、以下の4つのポイントはまわらないと、
いけない。そういうことになっているのである。

1.本土最北端 宗谷岬 (北海道稚内市)
2.本土最東端 納沙布(のさっぷ)岬 (北海道根室市)
3.本土最西端 神崎鼻 (長崎県佐世保市)
4.本土最南端 佐多(さた)岬 (鹿児島県肝属郡南大隅町)


私は、1.の本土最北端、2.の本土最東端および
4.の本土最南端には、すでに自転車で到達している。
残りは、3.の本土最西端の神崎鼻だけであった。

ということで、行ってきたわけだけど、
正直いって、宗谷岬、佐多岬、納沙布岬に行ったとき
ほどの感動はなかったな。

知名度、低すぎである。

宗谷岬、佐多岬、納沙布岬は、すこし旅が好きな人
ならば誰でも知っているし、じっさい、行ってみた
ことがある人も多いだろう。

けれども、神崎鼻は誰も知らない。
長崎県佐世保市のはずれ、旧小佐々(こさざ)町に
あるんだけど、私のような「地図を見るのが趣味」
という者でも、どこにあるのか、よく知らなかった。

神崎鼻(Google Maps)
https://goo.gl/maps/no1NjLyQRogKndN88


ま、日本一周をしている人以外は、
ほとんど知らないだろうね。

私としても、とくに行きたいところではないけど、
日本外周をしている以上、行かなければならない
ところなんで、とりあえず、行ってきましたわ、
という感じである。

実際に行ってみると、周囲は広い芝生の公園に
なっており、きれいなところだった。
意外と、いいところだったな。


けれども、肝心なものがない。
そう、灯台である。
神崎鼻付近は、平戸島(ひらどじま)との間の
せまい海峡となっており、重要な航路ではない。
ということで、灯台が設けられていないのである。

このあたりで、有名な灯台というと、
なんといっても、五島列島の大瀬崎(おおせざき)灯台
である。
かつて、中国に出征していった兵士たちは、
日本の地の見納めとして、大瀬崎灯台を望み、
そのまま、帰らぬ人となった人も多い。

そういったドラマがないと、最果ての地という
感じがしないんだよなー。

ま、とりあえず、神崎鼻に行ってきたので、
自転車で、本土4極にすべて行ったことになる。
日本外周の達成まで、もうすこしである。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
本土最西端は、長崎県佐世保市の神崎鼻である。
そんなにおもしろいところではないが、
ご興味のある方は、行ってみるのもいいかもしれない。

DYデミオのATフルード交換

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デミオ(DY3W)のATフルード交換について。


ATF3.jpg
約3万キロ走行した状態のATフルード


ATフルード(以下、ATF)の交換については諸説ある。
私らの世代の者は、2~3万キロごとに交換、
と教わってきた。けれども、最近のクルマは
ATの性能向上が著しく、10万キロごとでよい、
などと言われている。あるいは、長期間にわたり
無交換のクルマならば、いっそ、交換しない方がいい、
とも言われているね。

ウチのデミオの場合は、新車時から3万キロごとに、
私自身の手で、ATFを交換してきた。
いろいろな意見があるATFの交換だけど、
液体である以上は、必ず劣化するはず。
やはり、古くなったフルードは、交換した方がいいと思う。

そんなに高価なものではないし。

ということで、アイシンのATF 4リットル入り(約3,700円)
を1缶購入。それと、よく洗って、完全に乾燥させた
2リットル入りのペットボトルの空き瓶を2つ用意。
あとは、カインズホームで漏斗(ろうと)を買ってきて、
準備完了である。

aisin.jpg


交換方法は簡単で、クルマの下にあるドレーンプラグから
ATFを抜いて、注入口から入れる。
単純そのものである。
ただし、ATFの量についてはシビアなので、
そこは気をつけなければいけないね。

Drain.jpg
ドレーンプラグ


DYデミオの場合、カタログデータでは、
ATFの総量は、約7リットル。
けれども、ドレーンから抜いても、そんなに出ない。
いちばん上の写真が、実際にドレーンから抜いた量なんだけど、
おおよそ、2.5リットルくらいだね。
おそらく、ラビリンス(迷路)といわれるような、
複雑な油圧回路からは、簡単にはATFが抜けない
ようになっているんだろうな。

私はバカ シンプルな脳みそなので、
「抜いた量と同量のATFを入れれば、
それでいいべさ。」
と考えている。それで、よく洗って乾かした
ペットボトルに古いATFを入れ、量と重さをはかる。
そうして、同量よりも、すこしだけ少なめのATFを
注入口(レベルチェックゲージの穴)から入れる。

ATF2.jpg
ATFの注入口


ATFを注入したら、ATのセレクターをPからLまで、
順番に入れていく。この操作を繰り返すことにより、
複雑な油圧回路に、ATFが満たされるということなんだけど。
どうなんだろうね。

とりあえず、レベルチェックにはいる。
この作業は、エンジンをかけたまま、
Pレンジに入れた状態で行う。
20℃と65℃の位置に目盛りがふってあるので、
フルードが冷たい状態では20℃の位置に、
熱い状態では65℃の位置にくるよう、レベルを調整する。


こういうものの常として、入りすぎているとよくない。
だから、少なめに入れて、20CCずつ加えていき、調整する。
最後に、実際に1kmくらい走行して、ATFの温度を上げ、
もう一度レベルチェック。
ウチのデミオの場合は、そこでレベルが下がるので、
もう一度、20CC、加える。この作業を何回か繰り返し、
レベルが安定すれば、終了である。

2.5リットルの交換だと、デミオのATF総量の約1/3くらい
にすぎないけど、それでも格段にきれいになる。
クルマ好きの方がやっている方法、しばらく走って、
もう一度、新しいフルードを入れるといった、
もったいないことはしない。
次回に持ち越しである。
約15万キロ走行して、それでトラブルを起こしたことはない。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
ATFの交換については、いろいろな意見があるけれど、
ウチのデミオの場合は、3万キロごとに全体の1/3(2.5リットル)
のATFを交換。それで約15万キロ走ったけど、
トラブルは起きていない。
参考になれば、幸いである。

気になる島

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飛行機で福岡に行くとき、
気になる島の上を通るのだが。

petro.jpg
男島(白島)  地図 https://goo.gl/maps/v8TZ6M41FwvdDRkD9


年に1回か2回、仕事で福岡に行く。
で、飛行機に乗るわけだけど、
福岡空港にむけて降下しているとき、
眼下に写真のような島が見える。

これは、いったい、なんなのか。

おそらく、飛行機で福岡に行かれる、ほとんどの方が、
疑問に思っておられるのではないだろうか。
けど、調べたという方はすくないだろう。
みんな、忙しくて、それどころではないもんな。

そのような方のために、
私が調べてみた。


...あ、ご興味のない方は、どうぞ他の記事に
行ってくださいね。www

じつは、これ、国家石油備蓄基地である。

 独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構
 http://www.jogmec.go.jp/library/stockpiling_oil_065.html


「国家」と名前がつくところがすごいね。
まるで、中国とか旧ソ連の施設みたいである。
日本の石油備蓄基地には、国家備蓄基地と
民間備蓄基地があり、上記の独立行政法人が
管理・運営しているのは、国家備蓄基地である。
民間備蓄基地とは、鹿児島県の喜入(きいれ)にある
JX喜入石油基地などだね。

で、この島の国家石油備蓄基地であるが、
洋上に四角い船を浮かべて、そこに原油を備蓄している。
で、その船があまりにも巨大なものだから、
飛行機からも、よく見えるというわけ。

それにしても、どんだけ大きいんだよ。

地図で確認すると、船の幅は約80メートル、
長さは約400メートルもある。
高さはよくわからない。
そんな船が、全部で8隻もある。

ちなみに、こんな方法で石油を備蓄しているのは
世界中で日本だけらしい。
そりゃそうだよな。
対艦ミサイルとか、魚雷の格好の標的だもん。

いま、韓国との関係が悪化するなかで、
韓国最大の軍港チャンウォンから目と鼻の先にある
この島で、こんな無防備な方法で石油を備蓄する
というのは、いかがなものか、とも思う。
けどまあ、備蓄のコストとか、周辺住民からの反対
などといった事情を考えると、
このような方法しかないんだろうな。

ちなみに、この島は無人島であり、
一般の人が行くことはできない。
けれども、見学されたい方のために、
白島展示館という施設がある。

白島展示館
http://www.shirashima.co.jp/museum/



ということで、今回の記事のまとめであるが、
福岡空港に行くとき、眼下に見える島の施設の正体は
国家石油備蓄基地である。以上である。

ガラクタ人生

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リサイクルショップから、ギター(2,160円)を救出した。




先日、ジナーを買ったリサイクルショップに、
また行ってみた。交換レンズや三脚などの
掘り出しものがないかな、と思ったのだ。

あいにく、カメラのジャンク箱は、本当のゴミばかり。www
カメラ用品はあきらめて、店をひととおりまわってみる。

すると...。
なんだか、なつかしいものがあった。
ヤマハ G-90A。1970年代のクラシックギターである。
私がむかし持っていたギターと、同じ製品である。
そう。私はむかし、ギターを弾いていたのだった。


展示されていたヤマハ G-90Aは、ボロボロであった。
無理もない。もう、50年ちかく前の楽器なのだから。
税込みで、2,160円の値札がついていた。

表板と裏板を指で叩いてみる。
かわいた、いい音がする。
ネックのゆがみもない。
エントリーモデルだけど、この時代の国産ギターは
それなりに、いい材料を使っているのである。
表板はスプルースの合板、ボディはレッドウッドの合板。
指板がエボニー(黒檀=こくたん)ではなく、
レッドウッドなのは、エントリーモデルだから、
仕方がないね。

ま、私自身はギターを弾くのは好きだったけど、
ギターそのものは、好きでもなんでもない。
だから、2万円以上のギターは買ったことがない。
ということで、エラそうなことは言えないけれど。

展示されていたヤマハ G-90Aは、あまりにも
ボロボロだったので、ちょっと考えてしまったけど、
結局、買って帰って、救出することにした。

汚れやカビ、ホコリを落とし、塗装を水性ニスで補修。
見ためは、まあまあ、きれいに甦った。
あたらしい弦をはって、チューニングしてみる。
なかなか、いい音で鳴ってくれる。


ちなみに、私はオートバイの運転だけでなく、
ギターを弾くのもどヘタである。


しかも、およそ40年ぶりだから、指がまったくうごかない。
おさえる位置も、すっかり、忘れてしまった。
かろうじて覚えていた「アルハンブラの思い出」
の一節だけ、弾いてみた。
クラシックギターをやったことがある者なら、
誰でも弾くことができる曲である。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
リサイクルショップで売られていたギターを救出した。
それだけ。


なんだか、このごろ、大判カメラとか、ギターとか、
ヒト様がガラクタとして捨てたものを拾ってばかり。
ていうか、私自身の人生そのものが、ガラクタなのか。

現在、私は62才。
男性の平均寿命である81才までは、
とても生きられそうにないから、
残された時間は、あと10年から15年くらい。
もう、そろそろ、なにか生きた証を残していかないと、
まずい時期に来ているんだけどな...。

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その8

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。
そのつづき。

4日め  呉~玖波(くば)  約58km

day4.gif



前回の旅行記(呉~坂町)の更新から、ずいぶんと
時間が経過してしまった。理由は、平成30年7月豪雨により、
坂町から呉市にかけて、大きな被害があったからである。
そんなことがあった後に、いい年齢をした大人が自転車で
旅をした話を書くなど、不謹慎であると思ったのだ。

しかしながら、あれから6ヶ月以上が経過し、
復旧もされてきたようだ。そろそろ、いいのではないか、
という気もする。

私の自転車旅行記の記事について、読者からの評価は
賛否両論がある。批判的なご意見の代表としては、
「個人的な日記のようなものを、ネット上に書くべき
ではない。」というものである。ごていねいに、
「こういうものは、チラシの裏にでも書いて、
そのまま、ゴミ箱に捨てた方がいいですよ。」
というアドバイスまで、いただいた。

一方で、「楽しみにしています。」というご意見も、
少数ではあるが、存在する。
私としては、批判的なご意見も、ごもっともだと思う。
しかしながら、書きはじめた以上は完結させたい。
ということで、坂町から玖波まで、あと1回か2回、
お付き合い願いたい。


2017年12月30日午前7時ごろ、私は広島県安芸郡の
JR呉線の坂(さか)駅の前にいた。
坂駅は、かつては、ひなびた駅であった。
私は1970年の8月に呉線に乗っており、
坂駅を訪れている。
当時、坂駅は島式ホームが1つしかない小さな駅で、
ホームに木でできた駅名標が立っており、
「さか」と書かれていた。
呉線には、坂のほか、広(ひろ)とか、呉(くれ)とか、
漢字で1文字の駅が多い。なんだか、とても印象的で
あった。

現在の坂駅は、近代的な駅舎で、快速安芸路ライナーの
停車駅である。呉線というと、首都圏、関西圏を引退した
通勤型電車が黄色く塗られて走っている、というイメージ
だったけど、近年における呉線の列車および駅の近代化は、
めざましいと思う。

陸上自衛隊のでっかい基地を通りすぎると、
海田市(かいたいち)に着く。
道がすこしややこしい。
案内標識にしたがって、広島方面にすすんでしまうと、
自動車専用の国道2号線(東広島バイパス)に入ってしまう。
自転車乗りが、自動車専用道路に迷いこむ例は多いけど、
これは道路の案内標識にも問題があると思うのだ。

正解は、新海田交差点の地下道をくぐって、直進。
国道2号線の大正交差点も直進し、
瀬野川を明神橋(みょうじんばし)でわたって、
国道2号線の旧道(現在は広島県道164号線)に入る。

日本製鋼所広島製作所の前を通る。
旧日本海軍の大砲をつくっていたメーカーである。
現在の広島製作所は産業用機械が主力になったものの、
まだ、自衛隊向けの砲をつくっているらしい。
砲につかう鋼は非常に特殊なものらしく、
高い技術力が必要な領域である。日本では日本製鋼所の
広島製作所だけが作ることができるようだ。

向洋(むかいなだ)は、マツダの本社があるところだ。
マツダミュージアムというのがある。
入ってみたいけど、完全予約制である。
しかも、年末年始で休館であった。

ところで、マツダの本社のある府中町(ふちゅうちょう)
は、現在は広島市にぐるりと取り囲まれている。
オセロゲームだと自動的に広島市になってしまいそうだけど、
頑(がん)として、府中町のままである。
マツダがあることにより、法人税・固定資産税等の収入
で町財政は安定しており、広島市との合併には否定的な
意見が多いようだ。
午前8時20分、広島駅に到着した。

hiroshi1.jpg
広島駅にて


せっかくなので、すこしだけ、広島の観光地に行こう。
といっても、広島城も平和祈念公園も、もう、何回も
行っている。結局、原爆ドームに行った。
私にとっては3回めの来訪である。

hiroshi2.jpg
原爆ドームにて


午前9時、広島を出発。宮島方面にむかって走る。
途中、コンビニに入って休憩する。
ロードスポーツに乗った人がいた。
お互い、軽く会釈する。けれど、私が、
「こんにちは。いいチャリですね。」
と言うと、とたんにむっとして、無視された。

そうだった。
ロードスポーツ乗りは、自転車のことを「バイク」と言う。
彼らは自分の愛車をチャリとか、チャリンコとか言われるのを、
極端に嫌うのだ。自分たちのことは、バイク乗り、もしくは
ローディーなどと言う。w

一方で、私のように自転車で旅をしている者は、
自転車のことを、チャリとかチャリンコ、あるいは素直に
自転車と言う。自分たちのことは、チャリダー、あるいは
自転車乗りと言う。有名な女性サイクリストである
熊沢正子氏の著書には

 『チャリンコ族はいそがない』(山と渓谷社1988年刊)
 『チャリンコ族はやめられない』(山海堂1993年刊)
 『チャリンコ族は丘を越える』(山と渓谷社1995年刊)


がある。この3冊は、自転車で旅をする者にとっては、
伝説の名著である。もちろん、私も持っており、
何度も読み返している。


ま、それはともかく、ロードスポーツ乗りの自転車のことを、
チャリと言ってしまった私も不注意であったが、
途端に口もきかなくなる、というのも、相当、おとなげない。
どうも、ロードスポーツ乗りと、われわれ自転車の旅人は、
水と油というか、相性が悪いようだ。

ちなみに、自転車のことは英語でBicycleであるが、
英語圏の人は、短くBikeという。
ということで、ロードスポーツ乗りが自転車のことを
「バイク」と言うのは正しい。
けれども、日本語でバイクというと、ふつうはオートバイのこと。
オートバイと自転車の両方に乗る私からすると、
ロードスポーツ乗りが、自分の自転車のことを「バイク」と
言っているのを聞くと、思わず笑ってしまう。

一方で、オートバイは和製英語であり、正確な英語でいうと、
Motorcycleである。けれども、日本語として定着していないので、
なかなか使いづらい。
フェリー乗り場で、切符売り場のおっちゃんに、
「クルマ? バイク?」と聞かれて、
「モーターサイクルです。」とか言うやつがいたら、バカである。

長くなったけど、要するに、ムリすんなよ、ということである。
自転車のことは、自転車、もしくはチャリ。
オートバイのことは、バイク、もしくはオートバイ。
日本では、それでいいのだ。

午前11時、宮島口(みやじまぐち)駅に着いた。

岡山~玖波(くば)自転車ツーリング その9

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岡山から広島県の玖波まで、自転車で走った。
そのつづき。

4日め  呉~玖波(くば)  約58km


前回からのつづき
宮島は、松島、天橋立とならび、日本三景のひとつとして
数えられる景勝地である。JRと広島電鉄の宮島口駅より
JRのフェリーが出ており、わたったところが有名な
厳島(いつくしま)神社である。

フェリーのりばには、「JR宮島フェリーのりば」のほか、
JR Miyajima Ferryという英語表記、
JR宮島渡船という中国語表記、
それと韓国語表記の案内看板が立っている。
前に来たときは、こういうものはなかったな。

日本語、英語、中国語、韓国語の4カ国表記は
首都圏JRの駅のほか、都営地下鉄にもみられる。
けれど、ちょっと、中国と韓国の客を優遇しすぎ
という感じである。
フランス人、ドイツ人、あるいはスペイン語圏の国々
からの観光客が見たら、差別ととられるおそれがあるな。

私は現地語である日本語と国際共通語である英語の
2カ国語表記で十分ではないのか、と思うのだが。


miyajima.jpg
JR宮島フェリーのりばにて


それはともかく、宮島は周囲が約30kmという
意外に大きな島である。
人口は約2,000人。
島を一周する道路はない。
かつて、GB250に乗っていたとき、私はフェリーで
宮島に渡り、島の道路を走ってみた。
北側も南側も、林道で行き止まりになっていたな。

宮島は人口のほとんどは、北がわの一部に集中しており、
あとは無人島に近い。猿やシカなどの野生動物が多いから、
自転車で走るのは、やめておいた方が無難であると思われる。


さらに、国道2号線をすすむ。
大野浦というところに、「14番目の月」という
レストランがあった。私はユーミンのファンなので、
無視できない。
しかも、牡蠣(かき)直売と書いてある。
吸いこまれるように、入ってしまった。

自転車を置いて、店のなかに入ってみると、
大きなカキが水槽のなかで活きた状態で売られており、
客が自由にとって、会計をしたあと、
店内のコンロで焼いて食べる、というシステムに
なっている。

自転車旅行中の私は、魚介類は口にしないことにしている。
食あたりでもおこすと、生命にかかわるからだ。
けれども、今回の旅行は、今日のお昼で終わりである。
そろそろ、JRの駅に行って、青春18きっぷで列車に乗り、
大阪にある家内の実家に帰らなければならない。
私は、すこしだけ、はめをはずすことにした。

カキは栄養豊富で低カロリーである。
カキを原料にしたサプリのコマーシャルで、
エロいおねえさんが、
「男性がよろこぶ成分の亜鉛がたっぷり!」
とか言ってたし。

おねえさんは、具体的にどうよろこぶのかは、
はっきりと言っていなかった。
そのCMでは、効果について語っている人が映ったけど、
「個人の感想です」と、ちいさく表示されていたし。
だから、本当に男性がよろこぶのかどうかは懐疑的だけど。

私は、1コ400円の最高級のカキを3コ買って、
会計をすませた。店員さんに案内され、席につく。
焼くまえに殻をはずして、半分にしてくれるのかな、
と思っていたのだが、店員さんは、カキをまるごと、
ごろん、ごろん、とコンロにのせて、
「どうぞ、ごゆっくり。」
と言って、去っていく。
これだと、カキが破裂してしまうと思うのだが。

年末の休日で、家族連れがいっぱい来ている。
案のじょう、ときどき、カキがボンッと破裂する音が
店内に響く。そのたびに殻が飛び散り、子どもが
悲鳴をあげる。

なんだか、命がけである。

これほど危険な思いをしてまで、カキを食べなければ
いけないのか、と思った。けれど、これが広島流の
焼き牡蠣なのかもしれない。だから、文句を言うべきでは
ないだろう。

焼き上がったカキを、1個はそのままで、
もう2個は、しょうゆとレモンをかけて食べた。
めっちゃ、美味しかった。

oister2.jpg
oister3.jpg
焼き牡蠣


牡蠣を3つ食べて、元気が出た。
ふたたび走りはじめ、12時30分、JR玖波駅に着いた。
今回の旅は、ここまでとする。
自転車を分解し、輪行袋に入れる。
13:08の糸崎行き普通列車に乗った。
糸崎、姫路で乗り換え、大阪駅には19:58に着いた。

kuba.jpg
JR玖波駅にて


今回の旅は、岡山でホテルのルームキーを返し忘れるわ、
笠岡でヒッチハイカーに1,000円をふんだくられるわ、
食事をとらないで走っていたら、ハンガーノックで
動けなくなるわ。
で、呉駅前でやすんでいたら、110番通報されて、
警察官に追いかけられるわ、と、さんざんだったな。

けれども、人間、時間が経過すれば、いやなことは
たいがい、忘れてしまうものである。
そして、瀬戸内海の海の美しさとか、
広島のカキの美味しさとか、
そんないいことだけを覚えていて、
また、旅に出るのだろうな。
ま、そういう単純な人間でなければ、
自転車で旅なんか、しないんだけどね。

2,160円で買ったギターでアルハンブラを弾いてみた

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リサイクルショップからギター(2,160円)を
救出した記事で、「アルハンブラの思い出」
の一節を披露したのだが...


どヘタな演奏をアップするんじゃねー。」
というお叱りのメッセージを、たーくさんいただいた。
(^△^) wwww



言われると思った。

前の記事でも書いたように、私はオートバイの運転も、
ギターを弾くのも どヘタである。
それはわかっているけど、今回、私はおよそ40年ぶりに
ギターを弾いたのである。その点は考慮していただきたい
のだけど、さすがにSo-netブログの読者は、
情け容赦がないね。wwwww


言われっぱなしだと、ちょっとくやしいので、
すこしは、ましな演奏をアップしようと思った。
そこで、もういちど譜面を読み直し、1日1時間、
1週間くらい、練習した。




なんだか、ミスだらけだけど。wwww
ま、とにかくどヘタな私が、およそ
40年ぶりにギターを再開したのであるが、
なんとか、弾けるようになったね。
小脳の記憶って、意外と消えないもんだね。

若いころにギターを弾いていたけれど、もう、
何十年も弾いていない、とおっしゃる方。
意外と大丈夫ですよー。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
楽器の演奏など、小脳に関係する記憶は
長い年月が経過しても、意外と消えないものである。
退職して時間に余裕があり、若いときに
ギターをやられていたという方は、もう一度、
はじめてみるのも、いいかもしれない。


「アルハンブラの思い出」は、上級の曲では
ないんですか? というご質問もいただいた。
この曲、トレモロをきれいに弾くのが
むずかしいので、そう言われることもあるが、
運指そのものは、初級レベルである。

私くらいのレベルの演奏であれば、
ギターを持つのが初めてという方でも、
3~4週間ほど練習すれば、だいたい、
弾けるようになりますから。

私のようなどヘタでも弾けますからー。

寒風山トンネル(5,432メートル)を通ってきた その1

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国道194号線の寒風山(かんぷうざん)トンネル
を通ってきた。


kanpuzan.jpg
寒風山トンネルにて


ここんとこ、ちょっと忙しくて、
ブログの更新が滞ってしまったね。
私は営業職ではないので、3月の決算期末に
忙しいということはないんだけど、
今年はなんだか、やたら、バタバタしていた。

消費税が上がる前に契約だけすませておく、
みたいな仕事が多くて、それに伴う業務が
増加しているのである。このぶんだと、
消費税が上がったら、深刻な不況になって
しまうような気がするな。

ま、それはともかく、4月に入って、
休みがとれたので、ちょいとオートバイで
出かけることにした。

で、どこに行くか。
まだ、北は寒い。必然的に南に行くことになる。
四国か、南九州か。

とりあえず、立川から西に向かって走り、
名古屋をすぎて、亀山から無料の名阪国道へ。
さらに天理ジャンクションで、高速道路の無料区間
である京阪奈(けいはんな)自動車道に入った。
私は無料という言葉によわいのである。
で、和歌山からフェリーで四国に渡った。

ということで、今回は四国に行って、国道194号線
(高知~西条)を完走したのと、無料で通れる国道では
最長の「寒風山トンネル」を通ってきた話をする。

いちおう、国道ブログだもんな。

忙しくて、なかなか旅に出ることができなくて
どヘタなギターの演奏なんかアップしたり
しているけど。wwww



国道194号線は、高知市から愛媛県西条市にいたる
一般国道である。
かつては、ひどい悪路であった。
とりわけ、寒風山越えは、1.5車線の道が
標高1,000メートルくらいまで、延々と続いていて、
さらに、狭い旧寒風山トンネルで抜けていた。
おまけに、12月から3月までは閉鎖であった。
しかしながら、1999年に現在の寒風山トンネルが開通。
前後の道路も整備されて、現在は快走ルートになったね。

悪路で名高かった国道439号線(通称ヨサク)も
ずいぶんとよくなった。近年、四国の国道の改良は
めざましいね。

で、この寒風山トンネルは、全長5,432メートル。
現在、日本国内で供用されているトンネルのなかでは
第17位である。
しかしながら、1位から16位までは全部、高速道路か
有料道路のトンネルであり、寒風山トンネルは
無料で通れる、いわゆる国道のなかでは最長である。

tunnnel.gif
日本国内トンネル長さランキング


私は旧寒風山トンネルは通ったことがある。
そのときに、国道194号線も完走しているのだが、
新しい寒風山トンネル、および改良区間は
これまで通ったことがなかった。
ということで、今回、行ってきたね。

え、それだけのために四国に行ったのかって?
悪いか?
(^^;



2019年4月2日午前5時に高知を出発。
しばらくは、国道33号線を走る。
国道194号線は、伊野(いの)で分岐するまでは、
国道33号線と重複区間なんだよね。

ちなみに国道には、こういう重複区間が
結構、たくさんあって、複数枚の国道標識が
が表示されていたりする。そういうのを、
業界用語で「串刺しおにぎり」という。[要出典

国道33号線と194号線の重複区間には、
串刺しおにぎりはなかったな。私が気がつかなかっただけ
かもしれないけれど。

伊野で分岐したあとは、清流で名高い仁淀川(によどがわ)
に沿って走る。サクラがきれいであった。
出来地(できじ)というところで仁淀川とわかれ、
支流の上八川川(かみやかわがわ)沿いに走る。

広瀬で国道439号線と分岐する。
ここから池川(いけがわ)までも、かつてはひどい悪路
だった。けれど、新大峠(しんおおとうげ)トンネル
(2002年開通 2,928メートル)ができたおかげで、
快適に走ることができるようになった。

新大森トンネルを抜けると、大森川に沿ってはしる。
ここで水系が変わり、これまでは仁淀川の水系で
太平洋に注いでいたが、ここからは吉野川の水系で
徳島にいたる。

まだ、高知県吾川郡いの町である。
いの町、どんだけ広いんだよ。

(つづく)


[要出典] どこの業界?

寒風山トンネル(5,432メートル)を通ってきた その2

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国道194号線の寒風山(かんぷうざん)トンネル
を通ってきた。そのつづき。


<地形図(参考)>

おおきな地図をみる   出所:国土地理院 


本川(ほんがわ)から、国道194号線は、
吉野川の本流に沿って走る。
もともとは、土佐郡本川村であったところで、
本川はその中心集落である。
現在のいの町は、伊野町とこの本川村、
および吾北(ごほく)村が合併してできた。
高知平野から愛媛県との県境まで続く、
広大な町である。

道の駅木の香(このか)で休憩。
この道の駅は、目の前が清流で、
しかも、源泉かけ流しの温泉がある。
なかなか、いいところだ。

ふとみると、バス停がある。
こんな山奥にも、路線バスが来ているのだ。
ちょっと、驚いたね。
みると、嶺北観光自動車(れいほくかんこうじどうしゃ)
という会社が運行していて、1日わずか1往復。
しかも夕方のみ。

どうやら、土讃本線の大杉駅から大川村を経由して、
ここまで来ているらしい。50km以上の距離である。
いったい、何時間、かかるのだろう。
しかしながら、こんな山奥にまで、公共交通機関が
来ているということ自体、おそるべきことである。

日本の公共交通は、赤字になれば、容赦なく減便や
廃止が行われる。ということで、現在、全国的に
路線バスの大幅な減便や廃止がすすめられているのだ。

けれども、四国では若干、流儀がちがうようで、
相当な山奥で、あきらかに赤字であっても、
路線バスが走っているね。
まあ、四国は鉄道の密度がひくいので、
バスがなくなってしまうと死活問題という地域
が多いことも影響しているのだと思うけど。

午前10時ちょうど、道の駅木の香を出発。
すぐに寒風山トンネルの入口に着いた。
寒風山トンネルと書かれた石碑の前で証拠写真を撮った。

ちなみに、ここから旧道を登って行って、
旧寒風山トンネルの手前を左に入ると、
瓶ヶ森(かめがもり)林道である。

通称、UFOライン。
最高地点の標高が1,690メートルという、
オフ車乗りにとっては聖地、というか、
超有名な林道である。

私は1994年に瓶ヶ森林道を走ろうと思って
ここに来た。けれども、あのときは天気が悪くて、
国道194号線を旧寒風山トンネルまで登った時点で、
疲れてしまって、瓶ヶ森林道に入って行く気力が
失せてしまった。
当時の瓶ヶ森林道は、かなり荒れたダートの林道
だったので、ホンダGB250で入っていくのは、
少々、きつかったし。

現在の瓶ヶ森林道は、幅員はせまいままではあるが、
ほぼ舗装されたらしい。
行ってみたいな、と思う。
けれども、現在はまだ、4月上旬。
上の方は、雪が残っていると思われるし、
運転がどヘタな私が、750CCのオートバイで
林道に入っていくというのは、
さすがに自殺行為だと思う。
ということで、やめておいた。


証拠写真の撮影を終えて、寒風山トンネルに入っていく。
全長5,432メートルというのは、さすがに長く、
オートバイで、約5分かかるね。

寒風山トンネルは、歩行者および自転車が
通行できるトンネルとしては日本最長なので、
ここを通りたいと思っている自転車乗りも多い
ことと思う。

じつは、私もそう思っていて、今回、オートバイで
訪れたのは、自転車で来るための下見を兼ねていた
のであった。
しかしながら、ここを自転車で通るのはやめておこう、
と思った。はっきり言って、危険すぎる。

寒風山トンネルの高知がわの入り口は、標高720メートル。
愛媛がわは、標高が530メートル。
つまり、約190メートルの標高差があり、
トンネル内は、ずっと3.5%の勾配になっている。

自転車で3.5%の勾配というのは、かなりきついので、
高知がわから入って、愛媛がわに下っていくというのが
無難であろう。下っていくときの速度は、ロード用のタイヤだと、
時速30~40kmくらいになると思う。

しかしながら、トンネル内のクルマのペースは速く、
みんな、時速80~90kmくらいでぶっとんでいる。
このような状況で、自転車で車道を走るというのは、
まさしく、自殺行為である。

それでは、歩道を走るのはどうか。
寒風山トンネルの歩道は、幅80センチくらいしかなく、
自転車で走るのは、かなりきつい。
もし、走るとしたら、シートを下げて、
いつでも足をつけるようにしたうえで、
明るい前照灯をつけて、ゆっくりと走るしかないね。

そんな状況で、すぐ横を大型トラックが走るのである。
車道のレーンの幅は片側3.5メートルだから、
車幅2.49メートルの大型トラックだと、
1メートルそこそこのところを、時速80~90kmで
通過していくのである。

まさしく、命がけだね。

それでも行く、というならば、止めはしないけど、
死んでも文句は言えないような環境であることは
覚悟しておく必要があると思われ。


およそ5分かけて、寒風山トンネルを通過した。
あとは、西条にむかって降りていくだけ。
西条には、午前11時30分ごろに着いた。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
国道194号線の寒風山トンネル(5,432メートル)は、
無料で通れる国道のなかでは、日本最長である。
周囲はとても景色がよく、UFOラインとよばれる
瓶ヶ森林道も近くにある。機会があれば、でかけて
みるのもいいかもしれない。

何才まで運転するか

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何才まで、オートバイとクルマに乗り続けるか。
それが問題である。


池袋で高齢者の暴走事故があったね。
被害に遭われ、亡くなられた方のご冥福をお祈りする
とともに、ご遺族の方々には、お悔やみを申し上げる。

事故車はプリウス。
事故を起こした人は、
「アクセルがもどらなくなった。」
と供述しているらしい。

これって正確にいうと、回生ブレーキがきかなくなった、
ではないのか。

じつは、私の家内の妹の旦那のクルマがプリウス
なんだけど、そのセレクター(=シフトレバー)は、
以下のようなモードになっている。

 R=リバース
 N=ニュートラル
 D=ドライブ
 B=エンジンブレーキ

私は、R、N、Dは問題なくわかったけど、
Bがわからなかったね。

説明を聞くと、
「バッテリーが満充電のときは、回生ブレーキ
が効かないので、意図的にエンジンブレーキを使う
モードですわ。ま、ほとんど使いませんけど。」
ということだった。

要するに、プリウスというクルマは、
回生ブレーキを使っている関係で、
ブレーキが効きづらくなることがあるらしい。
Bはそれを防ぐためのモードである。
なんだか、プリウスって、クルマというよりも
インバータ制御の電車に近いシステムだよな。

いっしょにドライブに行ったとき、
運転をかわってくれ、と言われたけど、
私はプリウスのシステムが、
すぐには理解できなかったので、
怖くて代われなかったね。
「いやあ、運転がどヘタだから。
かんべんして。」
と言って、あいまいに笑うしかなかったわ。www


クルマとかオートバイの運転操作そのものは、
標準化された動作の連続であり、
主として小脳の記憶による。
だから、高齢化により、急速に衰えるという
ことはないと思うんだけど、
新しい技術を採用したシステムに対する理解とか、
その特性の把握というのは、主として大脳の機能による。
だから、理解できなくなった時点でアウト、なんだよな。

また、これからは高齢者の運転に対する
社会的な批判がますます高まるだろうし。
オートバイの場合は、倒したときに引き起こせるだけの
体力も必要である。

オートバイは70才まで。
クルマは75才まで。


が、ひとつの区切りかもしれないなあ。
それ以上の高齢になると、えらく保険料が高くなるか、
あるいは保険会社が引き受けてくれなくなる
かもしれないし。

私は現在、63才。
オートバイ終了まで、あと7年。
それまでに、行くべきところには行っておきたいなあ。

オヤジになったなあ 2

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また、ひさしぶりに仲間と飲んで、
自分がいかにオヤジになったかを
語り合った。

「駅の階段を、一気にのぼれなくなった。」とか、
「物を持って動かすとき、よいしょっという
かけ声がでるようになった。」とか、
いろいろな話が出た。
みんな、いちいち、うなずく。
私の番になり、話しはじめる。


私  「スマホ決済とかいうやつなんけど。」
みんな「あー、なんとかpayとかいうやつな。」
私  「どうも、信用できなくてなあ。」


すると、みんな、「なんでだ?」とツッコんでくる。

私  「いや、だって、なんでそんなもん、
    使わなければいけないんだよ。」
みんな「便利じゃねえか。」(一斉に)
私  「ふつうにクレジットカードを使えば
    いいじゃないか。
    あるいは交通系電子マネー(SUICAなど)とか、
    流通系電子マネー(Nanakoとか、Waonとか)
    もあるのに、なんでいまさら、誰も使わなかった
    QRコードなんか普及させようとするんだよ。
    ぜってー、なんかウラがあると思う。」
みんな「いいじゃねえか。便利なんだから。」(一斉に)


なるほど。みんなは、便利かどうかが、
価値判断の基準なんだ。
私なんか、必要かどうか、で判断するけどな。


私  「そもそも、スマホ決済なんて、ニセ札が多くて、
    現金が信用できない某国とか、ICカードリーダーが
    普及していない某国とかで始めたもので、
    日本で普及させる意味なんか、ほとんどなくね?」
みんな「そういう国から、いっぱい観光客が来て、
    支払い手段でモメて困ってるから、
    お国が無理やり普及させようと
    しているんだよ。」
私  「そんなもん、オレの知ったことか。」
みんな「おまえは、日本国政府を支持しないのか。」(一斉に)

いや、そういうわけじゃないけどな。
まさか、みんなに非国民扱いされるとは、
思わなかったわ。www


私  「そういうわけじゃないけど、
    某国と違って、日本の紙幣は簡単には
    偽造できないし、日本人には信用があって、
    みんな、国際的に通用するクレジットカード
    を持ってる。
    なんとかPayなんか使うより、ふつうに現金か、
    クレジットカードで支払えば、それでよくね。」
みんな「クレジットカードを持てないような国民が、
    オリンピックで、大挙してやってくるんだから、
    しょーがないだろーが。」(一斉に)
私  「...なるほどな。」
みんな「そこで納得するのかよ!」(一斉に)


そうか。日本はもう、日本人のためだけの国じゃないんだ。
国際化というのは、こういうことを言うんだなー。

私  「と、とにかく、オレは日本人にとって
    必要性がない決済サービスを使おうなんて
    思わないから。
    海外のアプリ開発会社に、個人情報を盗まれたり
    したら、大変だし。」
みんな「ああ、おまえもオヤジになったなあ...。」

(一同うなづく)

うるせーよ!

自由の学府がサヨクの大学にされてしまった 1

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私の母校である立教大学に対する評価がゆれている
のだが。


「正論」という雑誌がある。
2018年6月号には「大学政治偏向ランキング」という
記事があった。
「まあ、西の立命館、東の法政だろうなー。」
と思って読んでみたら、なんと、立教大学が
堂々の1位となっているではないか。

かつては、自由の学府といわれた。
校歌にも、そう歌われているし。
しかしながら、現在はサヨクの大学というイメージが
すっかり強くなってしまったね。


このブログでは、何度か書いたけど、
私は立教大学の出身である。
母校がサヨクの大学と言われるのは、
OBとしては強い違和感があるし、
そのように書くマスコミには、
大きな誤解があると思うので、
すこしだけ、実情を説明させていただきたい
と思う。



まずは、立教大学(以下、立教)がどういう学校
なのかについて、すこしだけ紹介させていただく。
立教は東京6大学のなかで、いちばん小さい大学
である。学生数は、約2万人。
5万人以上いる早稲田や、7万人以上いる日大に
くらべるとひときわ少ない。
それでも、新座キャンパスの拡充などにより、
学生数は増えたほうである。
私らの頃は1万2,000人くらいしか、いなかった。

学生数がすくない=知名度が低い、ということで、
立教がどんな大学なのか、は、あまり知られていない。
関西在住の方は、ほとんど名前も知らないだろう。
私の家内の母は、私のことを“聞いたこともない大学”
の出身である、と思っている。
2年前に家内の妹の娘が、関西学院大学に進学した。
そのとき、
「あんたも、もっとがんばって、関学くらいの大学に
行ったらよかったんやー。」
と言われてしまった。
ま、いまさら誤解を解いても仕方がないので、
「そうですね。○○ちゃん、がんばりましたよね。
合格できて、よかったですね。」
と言っておいたけど。


実際には、立教はMARCHといわれる早慶に次ぐ
東京の私立大学グループのなかでは、
いちばん偏差値が高い。
だいたい、60~65(河合塾調べ)である。
とりわけ、女子には人気がある。

ネットの世界では、私立大学出身=バカという
レッテルが貼られるし、ま、私自身はたしかに
バカなんだけど、立教は、入るのは
それなりに難しい大学なのである。

伝統的に推薦入学をあまり取らないから、
(だからスポーツが弱い!)
高校から受験するには、きびしい一般入試を
突破しなければならないし。

入学してから、周囲の者に聞いてみると、
松本深志とか、膳所とか、野沢北といった
県下トップクラスの公立高校で、
上位20位以内にはいた、というやつが多かった。
都立だと、立川とか国立などのトップクラスで
上から1/3くらい。
あるいは、女子学院とか、浦和明の星といった
女子の名門私立校出身の子も多かったね。

私自身は、大阪のトップではない公立高校から
一浪して立教に入った。ま、バカである。

正直いって、予備校の模試では、偏差値65には
達していなかった。
けど、英語と地理が得意だったから、
たまたま、まぐれで合格できたのであった。
(立教は英語と地歴科目の配点が大きく、
しかも英語は長文読解の問題が4問も出る。
英語を英語として読んで、サクサクと回答して
いかないと時間が足りなくなるので、
英語が苦手な者は、まず合格できない)

あ、それから、立教はキリスト教の大学であり、
日本最古のミッション・スクールである。



立教がサヨクの大学といわれる要素としては、
経済学部に伝統的にマルクス経済学(マル経)の
先生が多いことがあげられる。
私自身は経済学部経営学科(現在の経営学部)
の出身なのだが、当時は経済原論(=マル経)は
必修だったね。

とはいえ、先生はそれほど厳しくなくて、
マルクスの「資本論」の内容のうち、
「労働には具体的有用労働と抽象的人間労働がある」
ということと、
「資本主義社会の根本的矛盾は、生産の公的性格
と領有の私的性格にある」ということが
試験できちんと書ければ、だいたいBをもらえた。
(立教の評価はABC。優良可の「良」にあたる)

私の経済原論の先生は、有名なマル経学者である
山本二三丸(やまもとふみまる)先生であった。
学生たちからは、尊敬されていたな。

当時の立教の先生たちは、サヨクというよりも、
社会に対して批判的なのであった。
立教では、他学部の授業も卒業の単位に加える
ことができたので、私は社会学部の観光学という
授業も取ったけど、その先生は、
「日本の温泉観光地は、資本主義社会の出す
膿(うみ)の吸い取り紙的な機能を果たしてきた。」
とか言っていたな。www

それと、社会に対して批判的なのは、
キリスト教の学校だから。
キリスト教の自由、平等、博愛の精神は、
社会主義、共産主義とむすびつきやすい。
加えて、マルクス経済学の先生が多かったことから
自然とリベラルの方向に行ったのだろうな。

(長くなったから、次回につづく)

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