と言われているのだが。
午後1時ごろ、立教大学キャンパスの中心部。
本館である時計台のある校舎の裏、
通称「四丁目」といわれるあたりには、
大勢の学生たちが、授業に出るでもなく、
図書館で勉強するでもなく、
おしゃべりを楽しんでいる。
ゆるい。なんともいえず、ゆるい。
どこがサヨクの大学やねん!
と、ツッコみたくなるくらい、ゆるい。
私は仕事で池袋に行くことがあると、
自分の原点を確かめたくなって、
ときどき、立教のキャンパスに散歩に行くのだが、
私の在学時代から続いている、このゆるさは、
すこしも変わっていないな、と思う。
このゆるさは、OBとしては、心地よい。
けれども、このゆるさのなかで、4年も過ごして
しまったからダメなんだ、と思うこともある。
社会人になってから、ITベンチャー企業の社長とか、
外資系企業の社長とか、多くのエネルギッシュに
生きている人たちと知り合ったけど、
そういう人たちのなかには、立教出身の人は、
ひとりもいなかったな。www
私の息子たちは、立教よりも偏差値が上の大学に
行ったのだが、親として入学式に出席したときに
思ったのは、そういった大学の学生たちは、
立教の学生たちよりも、ずっと、生きること、
学ぶことに一生懸命、という感じだった。
立教のゆるさは、どこからくるのか。
まずは、ちいさな大学であるということが
影響していると思う。
立教の新入生は、入学式を終えると、まずは、
クラスごとに教室に行く。
私は、経済学部経営学科N組だった。
立教の場合、一般教養の外国語、専門課程の
外書購読などの必修科目は、40人くらいの
クラス単位で受講するのである。
まずは、このクラスのメンバーは、すぐに
全員が友だちになったね。
そこから、すこしずつ人間関係がひろがって、
1年くらいすると、経営学科の約400人は、
だいたい、顔見知りになる。
卒業までには他学部の友人も多くなるね。
学生数5万人を超える大規模な大学だと、
周囲はほとんど他人。
サークルとかゼミに所属しないと、
友人もできないだろう。
立教の場合、学生数がすくないから、
小規模の集団に所属しなくても、
だいたい、顔見知りか友人になる。
で、授業が終わると、次の教室に行くのに、
必ず四丁目を通るから、そこで知り合いか友人に
会うと、おしゃべりが始まり、
「つぎの授業、出席を取らないんだけど。」
「じゃ、さぼって喫茶店でもいくかー。」
みたいなハナシになるのである。
ゆるい。なんともいえず、ゆるい。
良くも悪くも、自由でのんびりとした
牧場のような学校なのである。
もちろん、入学してきた時点では、全員、サヨク思想
とは無縁である。
(長くなったから、次回につづく)