旧東海道を歩いた。(二宮~箱根湯本)
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歌川広重作「小田原」(保永堂版) |
小田原に着いた。
まずは、宿場の入り口である江戸見附跡をみようかなと
思っていたのだが、後ろからきた自転車と接触した。
スマホを見ながら、運転していた。
その人はなにも言わず、そのまま行ってしまった。
頭にきて、江戸見附のことがとんでしまって、
立ち寄るのを忘れた。
自転車乗りの私が言うのもなんだけど、
徒歩の旅行者にとっての最大の脅威は、
歩道を暴走する自転車である。
最近では、小銭欲しさに、出前持ちの真似ごとをして、
都会の歩道を暴走する自転車乗りも増えているし。
ああいうのって、私らの世代からすると考えられない。
たかだか、300円か400円くらいの小銭のために、
生命をはって、しかも中抜きをされることの
バカバカしさに、気がつかないものであろうか。
国道1号線からはなれて、旧道にはいる。
「小田原かまぼこ通り」と書いてある。
ああ、ここって、旧東海道だったのか。
小田原かまぼこ通り
たくさんのかまぼこのお店が、軒をつらねている。
けれど、新型コロナのおかげで、景気が悪そうである。
田代総本店というところは、閉店していた。
おそらく、倒産したのだろう。
丸にひらがなの「う」というマークの店である。
食べものにほとんど関心がない私ですら知っている名店
であった。なんだかなあ、という感じである。
国道1号線に合流するところに、小田原宿なりわい交流館
という施設があったので、トイレを借りた。
小田原宿なりわい交流館
右手に小田原城がみえる。
小田原城には、象のウメ子が存命のころ、行ったことがあるな。
もう、ウメ子が死んでから、10年以上経過している。
ということは、もう10年以上、小田原城には行っていない、
ということか。
箱根口ガレージ報徳広場という施設があり、
路面電車のモハ202が展示されていた。
はて、こんなのあったけ?と思ったが、
それもそのはず、この3月にオープンしたときに
展示が開始されたのであった。
箱根口ガレージ報徳広場に展示されているモハ202
前の記事で、「国府津から分岐する御殿場線は
昔の東海道本線であった」と書いたけれど、
それでは、国府津から小田原まではどうしていたのか。
じつは、路面電車が走っていたのである。
小田原電気鉄道であり、現在の小田急および箱根登山鉄道
の前身である。
モハ202は、最後まで残っていた小田原市内線が廃止された
のに伴って、長崎電気軌道に売却された。
鉄道ファンにとっては有名な車両だったけど、老朽化に伴い、
最近、廃車されたと聞いたけどな。
じつは、クラウドファウンディングで集められた資金により
ここで保存されることになったようだ。
幸運なやつである。
板橋見附の交差点で国道をはなれ、ふたたび旧道を歩く。
じわじわと登りはじめる。
ていうか、早川が氾濫したときに東海道が水没するのを
ふせぐため、わざと台地の上にルートをとった感じである。
内野邸という、風情のある建物があった。
この地で醸造業を営んでいた方が明治36年に建てたもので、
歴史的建造物として保存されている。さらに「貸館」として
公開されており、料金は半日で400円から1,000円と割安である。
版画や写真、あるいは工芸品の作品展などに利用できそうだ。
内野邸
上板橋の交差点で国道にもどる。1号線から番号が変わって
138号線になっている。
右がわを箱根登山鉄道が走っている。とはいえ、小田原から
箱根湯本までは、いわゆる登山電車ではなく、赤色に塗られた
小田急1000系が乗り入れており、実質的に、小田急の路線の
一部となっている。
小田原厚木道路をくぐったところで、踏切をわたり旧道にはいる。
日蓮聖人霊跡というものがあった。けど、草ぼうぼうで廃墟状態
であった。
箱根病院があった。国立病院機構である。なんだか、長期療養が
必要な患者向けの病院のようだ。さらにすすむと、小田原の道祖神
というものがあった。奥には風祭(かざまつり)の一里塚も。
風祭という地名を聞くと、私らの世代の者は、風祭ゆきという
女優さんを思い出すな。日活ロマンポルノにも出演したことがある
けれど、本人は都立戸山高校出身のインテリである。
美人という感じでもなく、かといってグラマーという感じでもなく。
でも、なんとなく印象的な人だった。ぐぐってみると、いまでも
映画に出ているようだけど。
入生田踏切における3線軌条区間
入生田(いりうだ)駅の近くで、踏切をわたる。
この区間はレールが3本敷かれている。
この理由であるが、箱根登山鉄道の登山電車区間は
軌間1435ミリの標準軌である。「いしさんこ」と覚えればいい。
それに対して、小田急は1067ミリの狭軌である。(れいろくなな
と覚える)
ということで、狭軌のロマンスカーが箱根湯本まで行く
ためにはどうすればいいか。あるいは標準軌の登山電車が
小田原まで行くためにはどうすればいいか。
ひとつの解決方法は、軌間を変更できる車両を開発すること
である。油圧で軌間を変えることができるフリーゲージトレインは、
1980年代から開発されていた。けど、結局、断念したようだ。
試験車両は、現在、JR九州の熊本総合車両所で休眠状態である。
もうひとつの解決方法は、すなおにレールを3本敷くこと。
私はシンプルな脳みそをしているので、こういった解決方法が
とても好きである。フリーゲージトレインなんか考えるやつは、
アタマおかしいと思うもんな。
ということで、小田原~箱根湯本は、当時としては世界でも
めずらしい3線軌条区間となった。しかしながら、ポイントが
複雑になり、維持費がかかることから、入生田~小田原間の
3線軌条は廃止された。現在、この区間は狭軌のみになっており
ロマンスカーおよびブレーキが強化された小田急1000系のみが
入れることになっている。
箱根湯本~入生田間に3線軌条が残ったのは、入生田に登山電車
の車庫があるから。登山電車は、箱根湯本から入生田まで、
回送で走っている。
注)現在でもみられる3線軌条区間には青函トンネルがある
入生田から、また、じわじわと登りはじめる。
この区間、自転車でも走ったことがあるのだけど、
急坂というほどでもない。けど、じわじわとひざにくる感じで、
けっこう、苦しい区間である。
三枚橋
三枚橋につく。今日はここで終了し、箱根湯本駅からロマンスカー
で帰ることにする。
次回は、いよいよ箱根越えである。
だいぶ、脚力はもどってきて、今回は楽勝で約17kmを歩いた。
けれど、箱根越えは、標高差800メートルを登って下らなければ
ならない。トレーニングをしてくる必要があるな。
14:44のロマンスカーで町田まで出て、横浜線で八王子まで出た。
電車の発車時間が迫っていたのと、家内に温泉まんじゅうの
お土産を買わなければいけなかったので、箱根湯本での写真は
撮り忘れた。