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成田空港第3ターミナルは難民であふれかえっていた

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成田空港にバニラ、ジェットスターなど、
LCC(格安航空会社)専用の第3ターミナルが
できたんだけど。


terminal3_3.jpg
4月8日にオープンした成田空港第3ターミナル  出所:成田空港株式会社プレスリリース


今回の北海道行きで、私は成田空港から新千歳空港まで
飛行機で輪行した。その際、4月8日にオープンした
成田空港第3ターミナルをはじめて利用した。

LCC専用のターミナルができたこと自体はいいと思う。
成田空港からのLCCは、これまでエアアジア(現バニラ)
ジェットスターなど、何回か利用したことがあるが、
JAL、ANAなど、大手航空会社のカウンターがならぶ
片隅にちょこっとLCCのカウンターがあるもんだから、
とてもわかりづらかった。また、ゲート前のロビーも
せまかった。さらには、飛行機に乗るには、
ランプバスに乗らなければならないという、
ほとんど虐げられたような待遇だったもんな。

それが専用のターミナルができ、ゲートから直接、
ボーディングブリッジを通って乗れるようになった
のだから、ハードウェアの改善ぶりは著しい。
そこは素直に喜びたいと思う。さらにいうと、
第3ターミナルは24時間オープンである。ということで、
とても便利になった、と言いたいところなのだが。


2015年6月12日午前1時、私は東京駅八重洲北口の
高速バスのりばにいた。ここから午前1時30分発の
「東京シャトル」に乗って、成田空港に向かう。

バスがやってきた。自転車をトランクに入れてもらって、
引換券を受け取り、乗車する。4列シートのごくふつうの
高速バスである。
これで成田まで900円!(予約した人のみ)
めっちゃ安いやんか!
なお、予約していなかった人は、ひとり2000円であった。


ところで、なぜ、こんなに早く成田空港に行くのか。
私が乗る飛行機は、午前7時15分発と出発が早いから
である。これに乗るためには、立川で中央線の始発電車
に乗っても間に合わない。
ということで、成田空港周辺のホテルに泊まるか、
早めに空港に行って、ターミナルで時間をつぶすか、
という2択になる。私は後者を選んだのであった。

午前1時32分。定刻より2分遅れて発車。ほぼ満席であった。
宝町の入口から首都高に入り、そのまま京葉道路経由で
成田方面にむかう。成田空港第3ターミナルには、
定刻の午前2時30分に着いた。

東京シャトルのバスは、直接、第3ターミナルに
行ってくれるから、使いやすいと思う。
電車で行く場合は、「空港第2ビル」駅で降りたあと、
15分くらい、歩くことになる。ふつうのバッグなら
ともかく、自転車を持って15分歩くのは、ちょっときつい。

terminal3_0.jpg
成田空港第3ターミナルへのアクセス   出所:成田空港株式会社Webページ

第3ターミナルにはいると、本当にま新しくて、
きれいだった。入口に近い方から、中国の春秋航空、
韓国のチェジュ航空、ジェットスター、バニラ
の順にカウンターがならんでいる。中国の春秋航空は、
佐賀、高松、広島に飛んでいるから、近々、利用する
ことになるかもしれないな。

床には、なんだか陸上競技のトラックのような
ラインがひいてある。なんとなく、それに沿って
歩いてしまう。

terminal3_1.jpg
成田空港第3ターミナルの内部   出所:成田空港株式会社プレスリリース

さて、ジェットスターのチェックインカウンターが
オープンする午前4時30分まで、ひと寝入りするか。
しかしながら、ロビーの長椅子は、先客に占拠され、
リノリウム張りの床に、人がマグロのように寝ている。

ほとんど難民キャンプだな、と思った。

まあ、私はパレスチナとかカンボジアなど、
本ものの難民キャンプを見たことはないから、
なんとも言えないけど、“行き場を失った人たち”
という意味では、同じことだと思う。

私はジェットスターのカウンター付近で、銀マットを
敷いて横になった。銀マットを敷くのは床に体温を
奪われるのをふせぐためである。
このあたり、空港で難民になるような人たちとは、
私はアウトドア経験の絶対量がちがう。
私はアイマスクをして、すこし眠ろうとした。

.................。
...眠れん。
(-_-;

目の前に終夜営業のローソンがある。それはいいのだが、
絶え間なくBGMを流していて、めちゃめちゃうるさい。
とてもではないが眠れない。
私は自転車をのせたカートを押しながら、寝られる場所
を求めて、ジプシーのように移動した。

すこし奥にはいったところに、フードコートがある。
ここは難民の本場で、長椅子は大勢の人たちに占拠され、
テーブルと椅子には、みんな突っ伏して寝ていた。

terminal3_2.jpg
成田空港第3ターミナルのフードコート   出所:成田空港株式会社プレスリリース


長椅子に寝て、グーグーといびきをかいている強者もいる。
うらやましい神経であるが、これはこれで迷惑な存在である。
周囲の人は、いびきがうるさくて寝られないので
疲れた目をして、スマホでゲームをしている。
みんな、「朝がこない夜はない。」ということを信じて、
少しでもはやく、夜が明けることを願いながら過ごしている。
とてもではないが、これから遊びに行くという雰囲気ではない。


私は、まだシャッターが閉まっているセキュリティゲート
の前に移動した。ここでも、マグロのように人が寝ている。
国内線のゲートは4時30分に開くが、国際線のゲートは
6時30分まで開かない。私は国際線のゲートのシャッター
の前に銀マットを敷いて、こんどはシュラフにくるまって、
横になった。

.................。
...眠れん。
(T_T)

私はこれまで、ずいぶんと旅をしてきて、夜行列車とか、
長距離フェリーとか、人がいっぱいいる状況でも寝てきた。
けど、乗客しかいないところと、基本的に誰でも入れる
ところでは、状況は大きく異なる。

世界中、いろいろな国の人が利用する空港のロビーなんて、
殺されて持ち物を奪われても、文句が言えないではないか。
私は銀マットとシュラフを片付け、もう一度、
ジェットスターのチェックインカウンターの前に移動。
ローソンで午後の紅茶を買ってきて飲みながら、
ぼーッとしていた。

午前4時30分になり、ジェットスターのチェックイン
カウンターがあいた。自転車を受託手荷物として預け、
セキュリティゲートを通って、出発ゲートの前に移動。
ここには、あいている長椅子がたくさんあった。
やれやれ、これで出発まで2時間ほど寝られるわい。
私は出発ゲートの近くの長椅子に横になって、
目をとじた。

terminal3.jpg
出発ゲート前のロビー


.................。
...眠れん。
(´;ω;`)


成田空港第3ターミナルからは、朝6時すぎから
飛行機が頻繁に飛び立っていく。そのたびに、
地上職員が、がんがん案内放送をするもんだから、
うるさくて、とてもではないが寝ていられない。
私は売店で伊藤園のジャスミン茶を買ってきて
飲みながら、ぼーっとしていた。

結局、私は成田空港第3ターミナルでは一睡もできなかった。
飛行機に乗ってから、少しだけ、うとうととしたけれど、
飛行時間は1時間ちょっとだから、
眠った時間は、20分かそこらだろう。
ふらふらの状態で札幌駅に着いた私は、
自転車を組み立て、余市をめざしてこぎ出したものの、
結局、途中の小樽でリタイア。
初日は34kmしか進めなかった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
LCC専用の成田空港第3ターミナルは、難民キャンプの
ような状態であった。私くらい旅慣れた人間でも、
寝られるような状態ではなかった。せっかく遊びに行く
のだから、空港周辺のホテルをとって、ゆっくりとからだを
休めてから出発したほうがいいと思われる。
あるいは、東京シャトルの利用者を対象に「大江戸温泉物語」
というお台場にある施設が1200円で利用できるプランもある。
参考になれば幸いである。

お得な「大江戸温泉物語セットプラン」(京成バス)
http://www.keiseibus.co.jp/kousoku/nrt16_3.html

※ただし、8月と年末のコミケの時期には、大江戸温泉物語
の仮眠処も遺体置き場のような状態になるらしいから、
注意が必要である。www

札幌~青森自転車ツーリング

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札幌から青森まで、自転車で走った。

sapporo.jpg
JR札幌駅にて

●走行データ
  使用した自転車   ロードスポーツ
  チェーンリング    44T-32T (2段)
  カセットスプロケット 11-32T (8段)



今回走ったコース
札幌_青森.gif

16hyou.gif


人が生きていくためには「目標」が必要である。
それは、べつに大きなものでなくてもいい。

1日め 札幌駅~小樽 約36km

2015年6月12日金曜日午前11時。
私はJR札幌駅前で、自転車を組み立てていた。
ここに来るのは、およそ2年ぶりである。
今回は、ここから北海道南部の木古内(きこない)まで
自転車で走り、そこからJR津軽海峡線で輪行。
青函トンネルをぬけ、青森県の蟹田(かにた)まで
列車で行き、さらに新青森まで走ろうと思う。
※輪行とは、自転車を分解して列車などで運ぶ、という意味。

自転車の組み立てが終わり、走り始める。
北海道大学の南側をぐるっとまわり、新川通りを通って
国道5号線に入った。

札幌から小樽までは、ほとんど勾配はないものと勝手に
思っていたが、実際には銭函(ぜにばこ)をすぎたあたりから
登りになり、サミットの張碓(はりうす)トンネルでは、
標高220メートルであった。大した登りではないけれども、
ちょっと油断していたのと、前の夜、成田空港第3ターミナルで
一睡もできなかったので、へろへろになりながら登った。

途中のパーキングスペースでやすむ。
私のほかには誰もいない。
6月なのに、セミが鳴いてやがる。
そうか。北海道は梅雨がないから、
6月でもセミが鳴くんだ。
日陰に銀マットを敷いて横になり、
北国なのに意外なくらいのセミの大合唱を
聞きながらうとうとしているうちに、
2時間くらい、爆睡してしまった。
初日は余市までの約50kmを走ろうと思っていたのだが、
あっさり、リタイアである。
先が思いやられるね。

 
2日め 小樽~蘭越町 約135km

朝6時に小樽を出発。
途中の余市でニッカウヰスキーの余市蒸留所をみる。
昨年、NHKの連続テレビ小説「マッサン」で有名に
なったところで、早朝にもかかわらず、たくさんの
女性ファンが写真を撮っていた。
私はテレビをあまり見ないので、「マッサン」がどんな話
なのかは知らない。けど、たぶん、「夫婦でウイスキーを
つくりました。いろいろありましたけど、幸せになりました」
という話なのだろうな。

積丹半島をくるっとまわる。何年か前に崩落事故があり、
20名が亡くなった豊浜(とよはま)トンネルでは、
なるべく後ろを振り返らないようにして、
一気に通り過ぎた。

岩内(いわない)を過ぎ、いよいよ今回の旅のハイライト、
国道229号線の「岩内改良区間」にさしかかる。
平成25年に完成した区間で、約10kmのうち、
じつに8.5kmがトンネルである。

岩内改良.gif
岩内改良区間

私は地図を見るのが趣味という、ちょっと変わった人間
であり、地図上に記号で表現されたところが
実際にはどんなところなのか、を見に行く、というのが
私の旅の主な目的なのである。観光やおいしいものを
食べることなどにはまったく興味はない。
そんなことをして、いったいなにが楽しいのか、と思う。
もちろん、私のような人間が少数派であることは
自分でもよくわかっている。だから、私はいつも
ひとりで走っているのである。

それはともかく、この区間は、地図でみると異様である。
海岸からすぐに高さ500メートル以上の断崖絶壁が続いており、
落石や崩落などが、しょっちゅう、起こるのである。
だから、山側に新しいトンネルを掘って、旧道は閉鎖してしまう。
結果的にトンネルだらけになってしまった。
沿線人口が少ないことも、それに拍車をかけている。

雷電トンネル(3,570メートル)に入る。
このトンネルは、岩内改良区間では最長である。
想像してみていただきたい。
3.6kmのトンネルを、自転車で走ることを。
10分以上、ずっとトンネルの中なのである。
永遠に出られないんじゃないか、と思うくらい、長いから。

もちろん、自転車にとっては大いに危険である。
トンネル内を、クルマは時速80km以上の猛スピードで
走ってくるから。視認性を向上させるため、反射材でできた
タスキをかけ、自転車の後部とヘルメットの上につけた
赤いピカピカを点滅させながら走る。

刀掛(かたなかけ)トンネル(2,754メートル)を通過。
最後に磯谷トンネル(631メートル)を通って、
無事に岩内改良区間を通過した。この区間を通過するのに、
約30分ほどかかってしまった。www
(つづく)

札幌~青森自転車ツーリング その2

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札幌から青森まで、自転車で走った。その1からのつづき。


3日め 蘭越町(らんこしちょう)
~瀬棚町(せたなちょう) 約123km


北海道の朝は、はやい。
東京よりも高緯度であるうえ、経度もやや東にあるから。
夏至にちかい6月14日だと、朝3時すぎには、もう、空が
あかるくなる。

昨夜は道の駅「シェルプラザ・港」の駐車場で
テントを張って寝た。北海道では、こういった人里はなれた
ところにある道の駅とか、キャンプ場、あるいは
北海道開発局が国道沿いに設置したパーキングスペースが
たくさんあるから、テントを張って寝る場所にはことかかない。

問題はクマである。
道南でも日本海がわは、非常にクマの多いところで、
渓流釣りや山菜採りに山に入った人が、よくクマに
襲われている。クマは、しばしば人の住んでいる近くにも
出現するから、要注意である。

シェルプラザ・港も、ちょっとやばそうだな、と思ったけど、
まあ、クマが出たらそのときはそのときである。
物置きのような小屋の裏に、テントを張って寝てしまった。
自転車で130km以上走ったあとだったので、
朝までぐっすりであった。

shell.jpg
道の駅 シェルプラザ・港にて


テントを片付けて、朝食にする。
すると、前の日に朝食のため買っておいたあんパンと
ソフトカツゲンのうち、あんパンがなくなっていた。
おかしいな、と思って、ふと見上げるとカラスがいた。
じっと見つめると、カラスは、ぷいっと目をそらした。

カラスに朝食を持っていかれてしまったので、
食料が調達できるまで、携帯食のキャンディのみ
で走らなければならない。スマホで調べてみると、
つぎのセイコーマートまで、約14kmである。

午前6時に出発。
すぐにハンガーノック(空腹のため、低血糖状態になること)
してしまった。時速10kmくらいで、ゆっくりと走る。
1時間くらいかかってセイコーマートに着いたときには、
店が輝いて見えた。


道路には、ところどころにウニの殻が落ちている。
「いったい、なんでだろう?」と思っていたのだが、
新しいウニの横に、カラスがいる。
見ていると、クルマがやってきて、ウニを踏みつぶした。
するとカラスは、やった、やった!、という感じで
道路に降りてきて、ウニの内蔵を食べている。

さすがにカラスは、頭がいい。
直江津では、同じようにして、クルミの殻を割って
食べているのを目撃したけれど、北海道ではウニである。
痛風にならなければいいけどな。

北海道のカラスには、こうやって自分で食糧を採っている
自活派と、旅人から食糧を奪う泥棒派がいるのかもしれない。
けれども、自活派はやはり危険がともなうようで、
クルマに轢かれて道端で死んでいるカラスもいた。

道の駅みなとまーれ寿都(すっつ)で休憩する。
ベンチにすわって、カロリーメイトを食べていると
カラスがやってきた。白いまぶたをパチパチさせながら、
こっちを見ている。

仕方がない。
私はカロリーメイトのかけらを投げてやった。
すると、カラスはバスケットボールのサイドステップ
のような感じで近寄ってきて、カロリーメイトの
かけらを食べた。
なおも、カラスは白いまぶたをパチパチさせながら、
こっちを見ている。私は、もう一度、カロリーメイト
のかけらを投げてやった。
カラスはいい印象をもつ人が少ないけど、
意外と人なつこくて、かわいい鳥である。

そうやって、カラスと遊んでいると、デジタル一眼を
持った若い人がやってきた。その人がレンズを向けると、
カラスは、「おっ、なんだなんだ。」という感じで、
すこしはなれたところに逃げてしまった。
その人は、なおもカメラを構えている。

私は、「呼びましょうか?」と言って、
カロリーメイトのかけらを少し離れたところに置く。
カラスは、またサイドステップのような感じで
近寄ってきて、かけらを食べた。
その人は何枚か写真を撮って、私に礼を言うことなく、
無言のまま、行ってしまった。


寿都を出て、日本海に沿って走る。
島牧(しままき)というところを過ぎると、
ふたたび、長いトンネルが続く区間となった。
瀬棚(せたな)というところに着いた。
ここで、道は2つに分かれる。
国道229号線で山越えをするか、
北海道道740号線で海岸沿いに行くか。

海岸沿いに日本一周をするというテーマからすると、
北海道道740号線を行くべきである。
この道は長年にわたり、行きどまりであったが、
2013年4月に日昼部トンネル(1,161メートル)と
太田トンネル(3,360メートル)が完成したことにより
全線開通している。

しかしながら、国道229号線の全線走破も捨てがたい。
このまま江差まで走れば、全線286kmを自転車で
完全走破することができる。
正直いって、迷った。
結局、私は国道229号線で山越えをすることにした。
このあたりは気分である。
頂上にあるトンネル(標高約200メートル)まで、
ずっと登りであった。
「やはり、海沿いに行けばよかったな。」
と後悔した。

トンネルを越えると、一気に下りであった。
下りきったところにセイコーマートがあった。
晩ご飯の幕の内弁当とソフトカツゲンを買って、
道の駅「てっくいランド大成」に行く。
地図によると、キャンプ場があるはずなのだが、
そんなものはなかった。面倒くさいので、物置の裏の
芝生のところにテントを張って、寝てしまった。
(つづく)

札幌~青森自転車ツーリング その3

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札幌から青森まで、自転車で走った。つづき。

4日め  瀬棚町(せたなちょう)
~松前町  約113km


翌朝は、午前5時ごろ起きた。クルマで車中泊をしていた
人たちは、すでに起きて活動している。いったい、なにを
する人たちなのかな、と思っていたら、釣り人であった。

カレーパンと野菜ジュースの朝食を食べていると、
釣り人のひとりがやって来て、私に、
「いやあ、すごいのが釣れちゃったよー。」
と、興奮した感じで話しかけてきた。

聞くと、40センチくらいあるアメマスが釣れたという。
イワナの降海型で、本州ではめったに見ることができない
魚である。それが、ちょっと竿を入れただけで、簡単に釣れて
しまったものだから、釣った本人もびっくりしたようだ。

川崎から来たという、その人は、車中泊をしながら、
クルマで日本全国の川をまわり、釣りをしているそうだ。

「もう退職して、子どもたちも大きくなったから、
好きなことをやっている。で、前からやりたいと思っていた、
釣りをしながらの日本一周をしているんだ。」
という。

私は出発の支度を整え、出発する。
「どちらまで行かれるの?」
「今日は松前町まで。最終的には青森まで走ります。」
「そう。気をつけて。」
「どうもありがとうございます。」


国道229号線を南に走る。道の駅「ルート229元和台
(げんなだい)」で休憩。巨大なオブジェの下で写真を撮った。
釣り針かな、と思ったら、「潮笛」なのだそうだ。
潮笛とはなにか。説明が書いてあったような気もするが、
忘れてしまった。

genwa.jpg
道の駅 ルート229元和台のモニュメント「潮笛」


さらに南に走る。
朝、会った釣り人のことを考えていた。
「もう退職して、子どもたちも大きくなったから、
好きなことをやっているんだ。」と話したあの人は
いきいきとしていた。
年齢的には、私よりも少し上、65才くらいだと思う。
団塊の世代が引退するにつれて、ああいった旅人が
増えている。

「余生」という言葉がある。「盛りの時期を過ぎた
残りの生涯」とか、「残された人生」といった意味である。
平均寿命が短かった時代には、余生は静かに送るもの、
という感じであったけど、いまは平均寿命が飛躍的に伸び、
男性でも、だいたい83才まで生きる。定年退職したあと、
20年以上も生きるのである。この時期は、なにか目標がないと
地獄である。

道の駅「江差繁次郎浜」(えさししげじろうはま)で、
ようやく天気が回復したので、レインウェアを脱いで
自転車にかけて干した。

esashi.jpg
道の駅 江差繁次郎浜にて


近くに温泉施設がある。2日間、風呂に入っていないので
かなり魅力的だった。けれど、入浴してしまうと、
もう、走れなくなりそうなので、やめておいた。

江差の港は、公園になっており、開陽丸という幕末の軍艦
が係留されていた。こんなところにあったのか、と思った。
たしか、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で出てきたと思う。
江差の沖に沈んでいたのを引き上げたそうだ。


kaimei.jpg
開陽丸


JR江差駅に行ってみる。
すると、すでに廃止されていた。
うっかりしていたのだが、JR江差線の木古内~江差間は、
2015年4月をもって、廃止されたのであった。


さらに南に走る。
江差から松前にかけての日本海は、なんだか荒涼としていた。
私自身、ビジネスマンとしての盛りは、とうに過ぎてしまった。
けれども、働かなければ食べていけないので、働いている。
それも、上の子が大学院、下の子が大学を卒業してしまうと、
「もう、いいか。」という気になってくる。
目標を失ってしまうと、人生は、ただ、死を待つだけの日々になる。

折戸浜キャンプ場に着いた。今日はここでキャンプをする。
3日間、風呂にはいっていない。気持ちがわるいが、
濡れたタオルでからだを拭き、乾いたTシャツに着替えて
寝袋に入ったら、いつのまにか寝てしまった。

札幌~青森自転車ツーリング その4

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札幌から青森まで、自転車で走った。そのつづき。

5日め  松前町~青森市  約88km

翌朝は、午前5時ごろに起きた。
昨晩は、若い人たちが酒盛りをやって、大騒ぎを
していたので、気になって寝つけなかった。
朝起きたときには、もう、若い人たちはいなかった。
トラブルにならなくて、すこし、ほっとした。
彼らはクルマで来ていたから、飲酒運転で帰ったのだろう。
人身事故でも起こさなければいいけど。

午前6時に出発。国道228号線を東にむかう。
昨夜の若い人たちは、かなりムチャだった。
けれども、私だって若いときは、けっこうムチャなことをした。
あのころは、毎日、毎日がおもしろく、楽しかったな。

現在の私は年齢をとって、ムチャなことはしなくなった。
私だけではない。同年代の友人の多くは、もう、昔みたいな
バカなことはしない。それだけでなく、社会全体がミョーに
おとなしくなったような気がする。

松前に着く。北海道で最も歴史のあるところで、
小さな城もあり、おもしろいところである。けれども私は
道の駅北前船松前でトイレを使っただけで出発した。
午前7時20分、北海道最南端の白神岬(しらかみみさき)を通過。

吉岡というところには、青函トンネルのメモリアルパーク
がある。入ってみたかったが、まだ、はやすぎるので、
開いていなかった。
福島の道の駅をすぎると登りになる。海抜180メートルの
ところにある福島トンネルがサミットであった。

知内(しりうち)の道の駅で休憩する。
ここには、2014年3月まで、津軽海峡線の知内駅があった。
が、現在では跨線橋、プラットフォームなど、すべてが撤去され、
北海道新幹線の信号場としての工事がすすめられている。

shiri.jpg
道の駅知内にて


木古内駅には、午前11時に着いた。
北海道新幹線の木古内駅開業にむけて工事が
すすめられていて、駅前広場には入れなかった。

kikonai.jpg
木古内駅にて


さてと。
自転車を分解して、輪行袋に入れる。
11時ちょうど発のスーパー白鳥20号には、タッチの差で
乗り遅れてしまった。11時59分発の白鳥22号に乗ること
にして、蟹田までの乗車券のみを買った。2030円であった。

白鳥22号は、5分ほど遅れてやってきた。
自由席に乗り込む。すぐに車掌さんが検札に来たので、
私は乗車券のみをわたす。車掌さんは、
「蟹田までのご利用ですね。」
と確認して、検札印を押す。

じつは、木古内から蟹田までは、乗車券のみで特急の
自由席に乗ることができるのである。快速「海峡」が
なくなった現在、津軽海峡線の木古内~蟹田間には、
普通列車が走っていない。そのため、特例として、
乗車券のみで特急列車の自由席に乗れる。同じような
特例区間には、石勝線の新夕張~新得がある。


ticket.jpg
木古内~蟹田乗車券

午後1時5分、蟹田に着いた。
前の記事で書いたとおり、この駅で降りた瞬間、
私は自転車による日本縦断を達成した。
宗谷岬~佐多岬間、約3,450km(=陸路のみ、
航路および鉄道は含まず)の旅であった。

kanita1.jpg

kanita.jpg
蟹田駅にて


ひさしぶりに感じる充実感であった。
正直いって、こんなにうれしいとは意外であった。
自転車での日本縦断なんか、大したことではない。
誰にでもできることである。
私の場合は、3日から5日くらいずつ、コマ切れで走ったから、
到着点から帰るのと、出発点まで行くのに時間がかかり、
のべ45日もかかってしまった。けれど、すべてを捨てて
集中すれば、30日くらいで達成することが可能である。

自転車で日本縦断したくらいで、こんなにうれしいのは、
やはり、年齢をかさねて、体力が衰えているからだと思う。
若い頃の3000メートルを9分台で走った体力をもってすれば、
自転車での日本縦断なんて、べつにどうってことはない。
できて当然だから、達成してもたいしてうれしくは
なかっただろう。59才の私の体力で達成したからこそ、
うれしいのだと思う。

現在の私は、若いころにくらべて体力も落ちたし、また、
人生において残された時間も少ない。だから、大きな目標をたてて、
それを実現することはできない。けれども、小さな目標であっても、
すこしずつ実現していけば、それでいいのではないか。
そうでないと、残りの人生は死を待つだけになってしまう。

疲れてはいるが、青森までの約28キロを走ることにする。
蟹田で途切れたままだと、次回の旅を始めるのに
苦労するからである。青森で終われば、次回は新幹線で
青森に来て、すぐに旅を始めることができる。
青森には、午後3時ごろ着いた。北海道の日本海がわという、
人口の少ない地域を走ってきた目には、大都会に見えた。

おなかがすいた。なにか、まともなものを食べたい。
自転車旅行中の私は、食あたりを防ぐため、
カロリーメイトとか菓子パンといった乾いたものしか
食べない。晩ご飯だけは、お米のご飯を食べたいので
コンビニの弁当を食べるけど、飲食店に入って食事をする
ことはしない。生の魚介類などは、絶対に食べない。

そんな生活を5日も続けていると、なんでもいいから
まともな食事をしたくなる。それなりのレストランをさがして、
しばらく走っていたが、結局、大衆食堂チェーンの半田屋
に入って、丼のご飯とおかずを3品ほど取って食べた。

handaya.jpg
半田屋での食事



ということで、今回の記事のまとめであるが、
札幌から木古内にかけての日本海沿いは、
険しい地形と長大トンネルが多いものの、
景色がいいところが多い。体力が落ちた50代後半でも、
十分に走ることは可能である。北海道をサイクリング
してみたいと思われる方は、ぜひともコースに加える
といいだろう。


私のつぎの目標は、日本一周である。
これだって、大した目標ではない。
若い人なら、90日から100日程度で達成可能である。
まあ、私に残された時間で達成できるかどうかはわからない
けれど、とりあえず走り続けようと思う。

CB750に2,862円のリアボックス

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CB750に、amazonで買った2,862円のリアボックス
(トップケース)をつけてみた。


rearbox3.jpg

rearbox2.jpg

rearbox1.jpg

結論
なかなかいいんでないかな。


以前、このブログでは、私はこのように書いた。
「パニアとかトップケース(=リアボックス)は、
似合う車種と似合わない車種があると思っている。
BMWのRシリーズとかビッグスクーターなんかには
よく似合うけど、CB750のようなネイキッドタイプの
オートバイには、ああいったハコは似合わないと思う。」

そんなことを書いておきながら、私はずっと前から
「たとえ似合わなくてもいいから、CB750にリアボックス
を取り付けたいなあ。」
と思っていたのである。

だって、便利そうなんだもん。
(^^;ゞ

荷物を乱雑に入れても、フタを締めてカギを閉めて
しまえば、とりあえず、きれいに見えるし。
雨に濡れても、心配ないし。
ずさんな性格の私にぴったりである。
けれども、いざ買うとなると、2万円以上もするというのが、
どうにも納得できなかった。

だって、単なるプラスチックのハコだぜ。
樹脂射出成型で、大量につくれるんだぜ。
どう考えても、製造原価1,000円以下のものが、
G社とかK社とか、海外ブランドのエンブレムを
付けるだけで、2万円以上で売っているんだもんな。

なんだかんだいっても、日本人の海外ブランド崇拝は
なくなっていない。みんな、ホンネでは外車に乗りたいし、
海外の一流ブランド製品を買いたいんだよね。www


ところが、最近、amazonで激安のリアボックスをみかける
ようになった。2,000円とか3,000円
という値段である。
この値段なら、さすがの私もナットクである。
だけど、実際、モノはどうなんだろう。
まあ、安いことでもあるし、とりあえず買って、
取り付けてみて、ダメだったらオークションで
売っぱらってしまおう。そう思って、
48リットルのリアボックス2,862円
をポチッとした。www

reabox1.jpg
amazonで売っている2,862円の激安リアボックス   出所:株式会社ビッグワン


え? なんで、そんな安いもの
ばかり買うのかって?


だから、このブログでは何度も言っているけど、
高いものを買って、いいのはあたりまえ。
そんな情報は役に立たないし、取りようによっては、
単なる自慢話にすぎない。
安いものを買って、それが使えるのか、使えないのか。
具体的にどこが不満だったのか。
それを書いてこそ、インプレ記事になると思うのである。
だからこそ、みなさんの人柱になる覚悟で、安いものを
買うのである。単にビンボーなだけなのでは? という
意見には、決して耳を貸さないのである。wwwwww


2日後、amazonからでっかい箱にはいった
リアボックスが届いた。さっそく、あけてみる。
第一印象。
あまり安っぽい感じはしない。


プラスチックそのものはポリプロピレンであり、
そんなにいいものではない。が、表面はつるっと
した感じではなく、金型によりこまかく刻まれた
革シボ模様により、それなりの高品質感がある。
買う前は、CB750のボディと同色の赤で塗ることも
考えていたのだが、予想以上の見ためだったので、
このまま使うことにした。

私のCB750には、英国レンテック社製のリアキャリア
が装備されているので、これにベースプレートを取り付ける。
ソケットボルトの頭とワッシャーは、私の趣味により、
つや消しの黒で塗装した。

carier.jpg
英国レンテック社のリアキャリア

rearbox4.jpg
ベースプレートを取り付けた状態


ちなみに、ベースプレートの取り付け金具であるが、
図のような方向にするといいと思う。まあ、これについては、
DIYでリアボックスを取り付けようとされるような方に
とっては、言わずもがな、だよね。

maru.gif
ベースプレートの取り付け方


海外の一流メーカーの製品は、ガチャっとワンタッチで
着脱できるけど、この製品は、やはり価格相応であり、
M6のボルト1本(下の写真、赤丸で囲んだもの)で
ベースプレートに固定するようになっている。
が、私はそれでは不安なので、ベースプレートにフランジ
ナットを4コ叩き込み、リアボックスの底に穴をあけ、
M6のボルトを4本、追加した。
ま、このあたりは私の性格なんで、あまり気にしないで
ください。wwww

rearbox6.jpg
ベースプレートにフランジナットを4つ叩き込む

rearbox7.jpg
M6のボルトを4本追加

リアボックスを装着して、実際に走ってみる。
なんだか、ガタガタ音がするな。
調べてみると、ハコの上下が完全に密着しておらず、
その隙間がガタガタ鳴ることがわかった。
このあたりは、コストダウンのせいだろうな。
さて、どうするか。

こういうときは、黙ってダイソーである。
店にはいって、なにか使えそうなものを探すと、
厚さ3ミリのクッションテープがあった。
こいつはいい。
ハコの上下がかみあう部分にクッションテープを貼ると、
ガタガタ音は、まったくしなくなった。

tape.jpg
ダイソーで買ったクッションテープ



ということで、今回の記事のまとめであるが、
amazonで買った2,862円のリアボックスであるが、
なかなかいいものであった。参考になれば、幸いである。
CB750というバイクに、リアボックスが似合うかどうか
については、読者のみなさまのご判断におまかせしたい。


ところで、このリアボックス、Ray'sというブランド名
が付けられている。が、ここはGとかKではじまる名前に
してほしかった。たとえば、Giva(ジバ)とか、
KRAUSE(クラウゼ)とか。www

そのあたりは、日本メーカーの方がえげつないよね。
スズキがテンプターというトライアンフそっくりの
バイクを出したときには、思わず笑ってしまった。
Tempter は誘惑者という意味だけど、要するに
Tではじまる言葉なら、なんでもよかったんだろうね。
しかも、このバイク、もろSR400のパクリである。
スズキも、やるときはやるもんである。

単3電池式デジカメ買ったった

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旅行に便利な単3電池を電源とするデジカメを買ったのだが。


ax-600.jpg
富士写真フイルム Finepix AX600


先日の北海道行きでは、写真をあまり撮れなかった。
原因はデジカメの充電切れである。

出発前、仕事でバタバタしてしまって、
デジカメを充電するのを忘れてしまった。
それでも、モバイルバッテリーを持っているから大丈夫、
と思っていたのだが、スマホ用のUSB to MicroUSBの
ケーブルは持っていたものの、デジカメ用の
USB to miniUSBのケーブルを忘れてしまった。
ということで、二重のミスをしてしまって、
デジカメを充電できなかったのである。

まあ、デジカメがなくても、スマホがあれば
写真を撮ることはできる。ていうか、いまどきは
スマホで撮る方が主流なのだけど、ちゃんとした写真
を撮ろうと思ったら、やはりデジカメは必要である。
ということで、旅行用に、充電切れに悩まずにすむ
単3電池を電源とするデジカメを購入することにした。


とはいえ、単3電池を電源とするデジカメは
もはや絶滅危惧種のようで、調べてみると、
ニコンのCOOLPIX L32と、富士写真フイルムの
FINEPIX AXシリーズ。残っているのは、この2つ
だけだった。

で、価格を調べてみると、ニコンのCOOLPIX L32が
約9,000円。富士写真フイルムのFINEPIX AXシリーズは、
現行のAX250が1万3,000円前後。旧製品のAX600が
7,000円前後で売られている。

ということで、FINEPIX AX600に即決。
え、理由だって?
だって、安いんだもん。www


ということで、ポチッとすると、すぐに製品が届いた。
結論。なかなかいいのではないか。

単3電池を入れ、SDメモリーカードを入れれば、
撮影準備は完了。単3電池はアルカリ乾電池と
ニッケル水素電池をメニューで選ぶことができる。
ユーザーインターフェースは良好で、操作は直感的に
理解できる。

仕事の帰りに、ためしにちょっと撮ってみた。
なかなかの画質で、よく写るね。
ていうか、曇天の夕方という悪条件下で、
手持ちで気軽に撮って、こんだけ写ってくれれば、
十分である。なんの不満もない。

toyo1.jpg

※クリックすると、あたらしいタブが開き、生の画像データ(約4Mバイト)
が表示されます。



「顔キレイナビ」とか、いろいろな撮影モードが
あるけれど、正直いって、よくわからん。
まあ、私はコンパクトデジカメはP(プログラム)モード
しか使わないから、ほかにどんな機能が付いていようが
いまいが、関心はないけど。

ちなみに、私はデジタル一眼でもA(絞り優先AE)モード
しか使わない。それ以外の撮影モードが必要な理由は
わかるんだけど、めったに使わないね。
私はTTL露出計が出はじめた時代から写真を撮っている
から、まずは絞り値から決める、という、昔からの習慣は
簡単には変えられないんだよね。


そうそう。ひとつだけ不満がある。
それは、オートブラケットがないこと。
適正露出とオーバー、アンダーと計3枚、
自動的に撮ってくれる、あの機能である。
私がいままで使ってきたデジカメには、
すべてオートブラケットがついていたから、
デジカメのなかでも、とりわけマニアが使う
イメージのあるFinepixにそれがついていなかった
のは、正直いって意外だった。

まあ、なきゃないで、手で補正すればそれでいい
わけだから、べつにかまわないけどね。


ま、とにかく、この時代において、単3電池式のデジカメ
を製品ラインアップからはずさずに出し続けている
富士写真フイルム、それとニコンには敬意を表する。
あんたら、旅人のことをよくわかってるよ。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
単3電池式のデジカメは、充電切れの心配がなく、
旅行に持っていくのに便利である。それだけ。


ちなみに、私が富士写真フイルムのカメラを買ったのは、
これで2台めである。1台めはフジカGW690。
1970年代に発売された6×9センチ判の距離計連動式カメラ
である。私は風景写真を撮るために、そのカメラを買った。
もちろん、まだ持っているし、ちゃんと動く。デジタル時代
になって、出番はほとんどなくなったけど。

富士写真フイルムは、写真用フィルムメーカーという
イメージを持っておられる方が多いだろうし、事実、
その分野では、米国コダック社に次ぐ世界第2位の
メーカーだったわけだけど、カメラメーカーとしての
歴史も長いのである。最近になって、カメラを作りはじめた
電機メーカーとか、電話機のオマケとしてカメラをつけた
スマホメーカーなどにくらべると、写真を撮るための道具
をつくることについては、やはり一日の長があるね。

たとえば、露出(EV値)の補正。
スマホで露出を補正しようとすると、
まずは「メニュー」を出して「露出」を選んで
「+か-」を選ぶという、3アクション。
そんなの、やってられないよね。
ていうか、スマホで写真を撮られるような方には、
そんな機能があることすら、知らない人も多い
のかもしれないけど。

FINEPIX AX600だと、露出の補正はメニューを選ぶ
ことなく、十字キーの▲▼のボタンにより一発でできる。
つまり、最もよく使う十字キーに、露出の補正機能を
割り当てているのである。
そのあたりは、さすがに長年にわたり、写真用フィルムと
写真を撮るための道具をつくり続けている富士写真フイルム
だな、と思う。

岸里玉出駅の謎

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南海電鉄に岸里玉出(きしのさとたまで)という駅が
あるのだが。


kishi0.jpg

今年の夏も、どこにも出かけなかった。
私の場合、毎年、夏になると仕事が忙しくなるから、
仕方がないんだけど。
唯一、自由な時間だったのは、大阪に仕事で出かけて、
前から気になっていた岸里玉出駅で降りてみたこと。

この駅、私が子どものころにはなかった。
ていうか、岸ノ里と玉出は、別の駅であった。
いったい、いつのまにいっしょになったのだろう。
そして、なんでいっしょにさせられたのだろう。
そこが気になっていた。


話は一気に50年ほど遡り、昭和40年ごろのことになる。
私は小学校5年生のときから、中学を卒業するまで、
大阪の高石(たかいし)というところで暮らした。
当時の高石は、まだ田んぼが多く、はっきり言って
田舎であった。大きな店は、まったくなかったので、
休日には南海電鉄の本線に乗って、大阪南部の繁華街
である難波(なんば)まで出ることが多かった。

高石から難波に出るには、普通電車に乗って、
つぎの羽衣で急行に乗りかえるのが一般的である。
しかし、のんびり屋の私の両親は、急行だと座れない
ことが多いので、そのまま普通電車に乗って、
難波まで行くことが多かった。
ま、高石から難波までだと、急行に乗り換えても、
所要時間は10分くらいしか、変わらなかったけど。

普通電車は堺を出ると、七道(しちどう)、住之江、
住吉公園(当時。現在は住吉大社)、天下茶屋(てんがちゃや)、
新今宮(しんいまみや)、終着の難波の順にとまっていった。
というと、現在、南海本線を利用されておられる方は、
「あれ? 粉浜、岸里玉出はどうしたんだ?」
と思われるだろう。

とまらなかったのである。

当時、住吉公園よりも遠くに行く「普通」電車は、
粉浜、玉出、岸ノ里にはとまらなかった。
その3駅にとまるのは、難波から出る住吉公園行きの
ちょっと古くて短い編成の「各駅停車」であった。

難波から住吉公園までは複々線化されていて、
住吉公園よりも遠いところから来る普通電車は
外側の通過線を通っていく。そこには、粉浜と
玉出、岸ノ里駅のプラットフォームがなかった。
このあたりは、東京でいうと、中央線の快速電車が
プラットフォームのない東中野、大久保、代々木、
千駄ヶ谷などにとまらないのと似ている。

ま、それはともかく、前述のように、当時、
岸里玉出という駅はなかった。岸ノ里と玉出は
あくまでも別の駅であったのだ。
いったいなぜ、このような駅ができたのだろうか。



2015年8月25日午後3時20分、私は南海本線の
岸里玉出駅に降り立った。
隣のホームには、汐見橋(しおみばし)行きの電車が、
すでに入線している。さっそく見に行ってみることにする。

じつは、南海電鉄の高野線の始発駅は難波ではない。
汐見橋という、この私ですら、どこにあるのか
よくわからない駅なのである。
その汐見橋行きの電車は、この岸里玉出から出ている。

2201と2251と書かれたちょっと古い電車は、
全長は17メートルしかなく、ドアも2つしかない。
出発時刻になると、ウォォーンと、ちょっと意外なほど、
力強いモータ音をあげながら走り去って行った。
かつて、難波から極楽橋までの直通急行運用に
あたったズームカーの増結車、通称「角ズーム」に
まぎれもない。こんなところで余生を送っていたのか、
と思って、私はびっくりした。


zoom.jpg
角ズームこと2200系電車(旧22000系)

(長くなったので、次回につづく)

岸里玉出駅の謎 その2

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南海電鉄の岸里玉出(きしのさとたまで)駅のこと。
前回からのつづきである。

2200.jpg
角ズームこと2200系(旧22000系)電車

前回は、岸里玉出駅の汐見橋線ホームで
角ズームを見てびっくりしたところで終わった。
私は鉄(=鉄道ファン)ではあるのだが、
鉄道を使って旅行をするのが好きなのである。
要するに乗り鉄であるので、車両の運用などには疎く、
どこになにが走っているのかは、さっぱりわからない。

けれども、長年にわたり鉄をやっている、
つまりは、鉄の病をこじらせているから、
車両に関する知識も、ある程度はある。
とりわけ、私が子どもの頃に親しんだ古い車両の
ことはよくわかる。だから、そんな車両が第一線を
はずされ、さびれた支線で運用されていたりすると、
びっくりするし、また、懐かしいのである。

角ズームこと、2200系電車(旧22000系)は、
1969年から製作され、南海高野線の難波から極楽橋
までの直通急行運用にあたった、元エースである。
高野線の難波から橋本までは、ふつうの平坦区間であるが、
橋本から極楽橋の間は、関西私鉄随一の山岳線であり、
50パーミル(=5%)を超える急勾配や、
半径100メートル以下の急カーブなどがある。

ということで、難波から極楽橋までの直通運転をするには、
急勾配を登ることができる強力なモーターと、
急カーブをまわることができる短めの車両であり、
さらには、平坦区間を時速100km以上で走ることができる
特別な車両が必要なのである。
南海電鉄では、このような車両をズームカーと呼んでいる。
ズームカーとは、平坦地から急勾配区間にいたるまで、
安定的に走ることができる性能をもっているという意味
である。


ズームカーは1958年より製作開始された21000系(丸ズーム)、
1969年より製作開始された22000系(角ズーム)、
そして、1990年製作開始の2000系(ハイテクズーム)と発展し、
今日まで、南海電鉄を代表する高性能車両としての伝統を
継承している。

そんな角ズームが汐見橋線を走っていたのは、
正直いって意外だった。汐見橋線にとって角ズームは
明らかにオーバースペックである。強力なモーターも
持てあまし気味であったし。

調べてみると、角ズームは現在、わかやま電鉄貴志川
(きしがわ)線(2006年3月までは南海電鉄貴志川線)
および南海の多奈川(たながわ)線においても使われている
ことがわかった。角ズームは、もともと2両一組の増結用編成
であったし、シートもロングシートだから、ローカル支線に
おいても、使いやすかったのだろう。

なんだか、実力がありながらも評価されず、VVVFという
最新の技術を搭載した若手のハイテクズームに追われて
しまった元エースという感じである。が、
「汐見橋線? そんなところを走れるかい!」
と言って、大井川鉄道、一畑電鉄(いちばたでんてつ)などに
売られていった21000系にくらべて、

「仕事でっか。なんでもやりまっせ。
え、汐見橋線? ...はい、どこでも走ります。
だってワタシ、ズームカーですもん(笑)。」

とか言って、本当に汐見橋線を走っている角ズームは、
なんだか、大阪っぽくていいな、と思ってしまうのである。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
岸里玉出駅では、南海電鉄のかつてのエースであり、
高性能電車の代名詞であった角ズームこと、
2200系車両をみることができる。

幸運なことに、角ズームのうち2208と2258の編成が、
観光電車「天空」として改造され、2009年7月3日より
橋本~極楽橋の本線運用に復帰した。
1969年に製作された角ズームの性能が、現在でも十分
通用することが証明されたのである。角ズームの面目躍如
といったところであろう。

p_now_13_b.jpg
観光電車「天空」
出所:南海電鉄 鉄道博物館


※岸里玉出駅の謎について書くつもりが、
 ズームカーの話になり、どうも脱線してしまった。
 次回は、本気で岸里玉出駅の謎にせまってみたいと思う。

岸里玉出駅の謎 その3

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南海電鉄の岸里玉出(きしのさとたまで)駅のこと。
前回からのつづきである。


kounaizu.gif
現在の岸里玉出駅の構造  出所:南海電鉄


高野線の始発駅が汐見橋(しおみばし)という駅であり、
岸里玉出で南海本線と接続していることは、
2つ前の記事に書いたとおりである。
しかしながら、現在の汐見橋行きの電車は、
南海本線のさらに外側にプラットフォームがあり、
完全に支線の扱いである。(上の図参照)

いったい、いつのまにこんなことになってしまったのか。
私が子どもの頃は、汐見橋行きの電車は高野線にある
専用のプラットフォームから出ていたものだが。
あのプラットフォームは、いったいどうなってしまった
のであろうか。



汐見橋行きのプラットフォームで角ズームの発車を
見送ったあと、私は長い通路をわたって、
高野線のプラットフォームに行ってみた。
エスカレータを上がったが、まったく見覚えがない。
おかしい。
高野線は私が子どもの頃には、すでに高架であった
はずなのだが。まったく見覚えのない、新しい駅に
なっている。

なおも歩くと、プラットフォームの端から先が閉鎖
されていて、そこには、古いプラットフォームが残っていた。
それを見た瞬間、私は40年前の記憶がよみがえった。
そう。ここに高野線の岸ノ里駅があったのだ。
たしかに見覚えがある。


kishi4.jpg
高野線岸ノ里駅のプラットフォーム
※現在は閉鎖されている


そして、現在の新しいプラットフォームがあるあたりに、
汐見橋に行く電車専用のプラットフォームがあったはずだ。
そのあいだは、長い連絡用通路でつながっていたと思うのだが。
...あった。
プラットフォームの下に、連絡通路の痕跡がある。

kishi5.jpg
現在のプラットフォームの下に残された連絡通路の痕跡

kishi09.jpg
下り線の連絡通路の痕跡(外側からみたところ)
出所:Googleマップ


謎のひとつはとけた。
私の子どもの頃の岸ノ里駅は、このような構造になっていた
はずである。


岸ノ里.gif
かつての岸ノ里駅の構造   ※takの記憶、その他、ネット上の資料による


こまかいことはわからないのだが、まずは、当時の
南海本線は高架ではなかった。これは確実である。
高石から南海本線に乗って難波まで行くとき、
私は上の図のいちばん左側、すなわち、本線の通過線を
走っていたのであるが、粉浜駅、玉出駅、岸ノ里駅は
いずれも地上にあった。

そして、南海本線と高野線は岸ノ里駅で立体交差していた。
高野線は当時から高架であり、南海本線の上をまたぐ
かたちで、汐見橋方面にいく線路が走っていた。
そして、その高架線の上に、汐見橋行きの電車の
プラットフォームがあったのである。

つまり、当時の高野線の汐見橋と堺東、橋本方面に行く
線路は分断されていなかった。私の子どもの頃には
汐見橋から住吉東行きの電車が走っていたと記憶している。

一方で、高野線のプラットフォームは、汐見橋行きの
プラットフォームから、離れたところにあった。
当時から高野線の電車は、難波から堺東、橋本方面に
直通運転をしており、上の図でいうと「連絡線」と
書いた線がメインルートであったから。
この連絡線は複線であったから、かなり複雑な配線
であったと思われる。
※すみません。このへんは記憶が定かではないです。

当時の岸ノ里駅で高野線から南海本線に乗り換えるには、
とても長い通路を歩かなければいけない。けれども、まったく
差し支えなかった。高野線から南海本線、あるいは
その逆の乗り換えは、新今宮で行うのが普通だったから。

私の子どもの頃、天下茶屋(てんがちゃや)は小さな駅であり、
急行は停まらなかった。天下茶屋に急行が停まるように
なったのは、地下鉄堺筋線がのびてきて、天下茶屋が
乗り換えターミナルになってからである。

ということで、当時はみんな新今宮で乗り換えていたのだが、
だからといって、岸ノ里~新今宮間の往復乗車券を
別途、購入しなければならない、ということはなかった。
このあたりは、運賃特例だったのか、あるいは単に黙認
されていただけなのか。いまとなっては、はっきりしない。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
南海電鉄の岸里玉出駅は、大きな変遷をくりかえして、
現在の構造になっており、いまも、その痕跡をみる
ことができる。
その例として、かつての汐見橋行きのプラットフォーム
と高野線のプラットフォームをつなぐ連絡通路の跡が
高野線の上り線のプラットフォームの下にあるのと、
かつての高野線岸ノ里駅のプラットフォームを
南がわにみることができる。
もし、ご興味を持たれたら、実際に行かれて確かめて
みることをおすすめするものである。

岸里玉出駅の謎 その4

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南海電鉄の岸里玉出(きしのさとたまで)駅のこと。
前回からのつづきである。


tamade1.jpg
1964年ごろの玉出駅
出所:南海電鉄


前回の記事を出したあと、読者様から情報をいただいた。
要約すると、以下のとおり。

・高野線の岸ノ里駅には、もともとプラットフォームはなかった。
 記事中でtakさんが紹介している高野線難波直通列車用の
 旧プラットフォームは、1970年に完成したものである。
・汐見橋~住吉東の電車は、1970年以前、岸ノ里駅に
 高野線のプラットフォームがない時代に走っていた。
・高野線の岸ノ里駅のプラットフォームが完成した1970年以降は、
 汐見橋方面の列車は、すべて岸ノ里で折り返し運転となっている。
 →ということで、takさんの記事は、やや時系列が乱れている。


そうなのか。
(^^;

とりあえず、事実とことなることを書いてしまって
申し訳ありませんでした。お詫びを申し上げます。
m(_ _)m

それにしても、岸里玉出駅の謎は、想像以上に深い
ものがあるな。駅が移転した例は、塩尻駅、博多駅ほか、
たくさんあるけれど、短いあいだに、これほどまでに
駅の構造を変更し、最後は駅名まで変えてしまった
というのは、岸里玉出駅のほかにはないのではないか。

どうやら岸里玉出駅の謎は、ブログの記事でとりあげるには
あまりにも奥が深く、壮大なテーマであったようだ。
ま、そうはいっても、書き始めた限りは、なんとか
まとめないといけない。今回は岸里玉出駅の最後の謎、
「玉出駅の謎」について取り組むことにする。
私の得意分野である地図をもとに、お話しすることにしよう。



そもそも、玉出駅はどこにあったのであろうか。
1912年(大正1年)の地形図を見てみることにする。

tamade6.jpg
1912年(大正1年)発行地形図

南海電鉄は、1885年に難波~大和川間に開通した阪堺鉄道
(はんかいてつどう)と、1900年に汐見橋~大小路間に開通した
高野鉄道をルーツとしている。ということで、1912年発行の
地形図には、両方の鉄道がすでに記載されているね。

あれ? 岸ノ里駅がないじゃん。
じつは、さきにできていた阪堺鉄道も、あとからできた
高野鉄道も、相互の乗り換えをとくに意識していなかった
ようなのである。高野鉄道には、現在の岸ノ里駅のちかくに
「あべの駅」があった。一方で、南海本線には玉出駅が
すでに存在していた。だから、
「どうしても乗り換えたい方は、あべのから玉出まで歩いて
ください。」
という感じだったのかもしれない。

高野鉄道としては、玉出か天下茶屋に寄ってから、
堺東方面にむかうことはできなかったのか。
地形図をみると、あべの駅の南側は標高が20メートルくらい、
急に上がっている。防災関連に興味を持っておられる方には
有名な、上町断層(うえまちだんそう)である。

地図を見るのが趣味という者は、こういった高低差
みんな、大好きである。www

この高低差により、高野鉄道はレールを敷くのに、かなり苦労
したことがうかがえる。北からのびてきた線路は、1kmほど
手前から築堤を登ってきて、南海本線を頭ごしに越え、
さらに南に伸びている築堤を登って、現在の高野線ホームの
あたりで、やっとのことで、断層崖の上に出ている。
とてもではないが、玉出にも、天下茶屋にも、寄り道する余裕
はなさそうだ。

この築堤は、どうなったのか。
もちろん、いまもちゃんと残っている。
Googleマップ 短縮URL https://goo.gl/maps/6nB6h1fw2H82




tamade7.jpg
1947年(昭和22年)発行地形図

1947年発行の地形図をみると、岸ノ里駅ができているね。
でも、鉄道会社は南海鉄道、高野鉄道ではなく、
どちらも近畿日本鉄道(=近鉄)となっている。
じつは、南海鉄道と関西急行鉄道は合併して、一時的に
近畿日本鉄道となったのである。しかしながら、その後、
高野山電気鉄道が旧南海鉄道の路線を継承するかたちで、
南海電気鉄道が再発足している。

歴史に“たられば”はないけれど、もし、この区間を、
南海鉄道、高野鉄道という異なる2社が敷設したのではなく、
近鉄のような同じ会社がつくったとしたら、
南海本線の上を通り越して、連絡駅もつくらない、
といった不粋なことはせず、すんなりと平面交差にして、
ちゃんと乗り換えができるようにしただろう。
そうなれば、岸ノ里駅は現在の天下茶屋のように、
乗り換えターミナルとして、大きく発展しただろうね。

ま、とにかく、玉出駅と岸ノ里駅ができた。
けれども、南海本線がわは、もともと玉出駅があったところに、
むりやり岸ノ里駅をつくったもんだから、両駅のあいだは
非常に短い。およそ300メートルくらいしか、はなれていないね。



tamade4.jpg
岸里玉出駅付近航空写真(1975年)
出所:国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」

もうちょっと新しい時代になると、航空写真が残っている。
1975年の航空写真をみると、街並みも現在とちかくなって
きているね。
これでみると、玉出駅は、現在の岸里玉出駅の玉出口のところ
にあったことがわかる。駅のちかくにある玉出公園との
位置関係から、それは明らかである。前回、私が書いた
かつての岸ノ里駅の構造も、これを見れば一発でわかるね。ww



tamade5.jpg
岸里玉出駅付近航空写真(現在)
出所:Googleマップ

そして、現在の航空写真である。
南海本線の高架工事が完成し、岸ノ里駅と玉出駅は
いっしょにされて、岸里玉出駅となった。もともと
300メートルくらいしか離れていなかったからね。

現在の南海本線のプラットフォームは、その名残で
異常に長く、300メートルくらい、ありそうだ。
しかも、プラットフォームの端の階段から玉出口まで、
およそ50メートルの通路を歩かないといけない。
高野線がわのプラットフォームも、同様な理由で異常に長い。
しかしながら、これではいくらなんでも長すぎるので、
南側の100メートルくらいを閉鎖している。

現在の玉出口の西側は、小さな公園のようになっている。
これはおそらく、旧玉出駅の駅舎と駅前広場であったのだろう。
私は岸里玉出駅の玉出口を実際に降りてたしかめてみたけど、
旧玉出駅の跡はなにも残っていなかった。駅舎があったと
おぼしきあたりは、交番になっていたね。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
岸里玉出駅は、大きな変遷を経て現在にいたっている。
それは南海電気鉄道の歴史そのものであるといえよう。
また、今回の記事を読んでいただければ、
地図を見るのが趣味という者は、いったい、なにを
見ているのか、についても、ある程度、おわかりに
なっていただけたのではないかと思う。
病気をこじらせていない一般の読者の方々にとっては、
理解の範囲を超えているかもしれないけれど。www


タネあかしをすると、岸里玉出駅のこういった変遷について、
私は古い地形図を見て、行く前にある程度、知っていた。
え? じゃ、なんで行ったのかって?
実際に行って見てみたかったから、である。
地図を見るだけでは満足せず、「どんなところなのか
実際に行って見てみる」というのは、私の人生における
ひとつのテーマなのである。

原付のタイヤを交換したった

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ホンダTODAYのタイヤを交換した。


わが家の原付、ホンダTODAYの後輪タイヤが、
だいぶすり減ってしまった。
まだ、スリップサインは出ていないけど、
サイドウォールの部分がひび割れてきている。
TODAYは現在、下の子が通勤に使ってるので、
はやめに交換することにした。

タイヤはDURO(デューロ)。
台湾製だけど、なかなか、いいタイヤである。
TODAYの場合、サイズは80/100の10インチ。
amazonで1,990円と安売りしてたんで、ポチッとした。
ついでに、ゴムバルブもポチッ。
2個入りで280円であった。
以下、交換方法を写真で紹介する。


tire1.jpg
新兵器ビードブレーカー
ドラえもんの声で脳内再生してください。www
威力は抜群で、ポコッといって、いともあっさりと
ビードが落ちたね。

tire2.jpg
タイヤレバーの使い方
私の場合は、大1本と小2本を使う。


tire4.jpg
古いタイヤをはずしたところ
反対側はゴムハンマーでどついてやると、たいがい
あっさりとはずれるね。


tire5.jpg
ゴムバルブを交換
バイクの場合はTR412というサイズを使う。


tire6.jpg
新しいタイヤをホイールに組み込む
私の場合、回転の方向を間違えないように、
タイヤとホイールに矢印を書いておく。
え、理由? 間違えたことがあるから。www

tire7.jpg
新しいタイヤをバイクに付けたところ
ビード上げは、ガソリンスタンドで空気入れを
借りてやった。写真を撮る余裕はなかったね。www

tire8.jpg
マフラーを付けたところ
TODAYの場合は、マフラーをはずさないと
ホイールがはずれないんだよね。
マフラーをはずしたついでに、耐熱スプレーで
塗装しておく。(錆び防止のため)


<かかった費用>
タイヤ DURO製80/100 10インチ 1,990円
ゴムバルブ  TR412             140円
計                       2,130円



ということで、今回の記事のまとめであるが、
原付のタイヤ交換は簡単である。
そんだけ。

恐縮だけど、いちおう、決まり文句だから。
この記事を読んで、あなたが自分でタイヤ交換を
したことにより、オートバイが故障したり、
あるいは、あなたがケガをしても、
takは責任を負いません。


タイヤ交換に必要な道具は、写真に写っているものが
すべてである。タイヤレバーとゴムハンマー。
あとは、ゴムバルブを入れるときに使うペンチくらい。
ビードブレーカーは、あれば便利だけど、
なくても、まあ、大丈夫。
気長に踏んづければいいから。www

所要時間は、私の場合、マフラーをはずす時間も含めて
20分くらい。スタンドに行ってビード上げをする
時間まで含めると、30~40分くらいだね。

11万1,111キロ

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うちのデミオのオドメータが
11万1,111キロメートルとなった瞬間。


111111.jpg

それだけである。

冬タイヤを交換したった

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冬タイヤ(スタッドレスタイヤ)を交換した。


tyre2.jpg
ファルケン ESPIA EPZ  出所:住友ゴム工業㈱


デミオの冬タイヤ(スタッドレスタイヤ)が限界を超えた。
今年で7シーズンめだもんな。
(^∇^)

おそらく、ほとんどグリップしないだろう。
あぶないから交換することにした。
なんだか、このところタイヤ交換ばっかりしているね。www
まあ、季節のかわりめだから。
こういう用事って、かさなるときはかさなるもんである。

選んだタイヤはファルケン ESPIA EPZ
これまではいていたのと、同じモデルである。

このタイヤ、ネットではあまりいい評価をされていない。
けれど、私としては、6年間はいた経験からいって、
なかなか、いいタイヤであると思っている。
コチコチに凍った路面だとすべりやすいけど、
圧雪路面とか、シャーベット状の路面だと、
それなりに噛む。

まあ、雪道とか凍った道でもスピードを出せる
運転が上手な方には、あまりおすすめはできない。
けど、私は運転がどヘタだから、
雪の積もった道で、時速60km以上、出したりなんかしない。
だから、とくに不満はなかったので、同じモデルにした。

1本4,500円 (送料込み)と安かったし。
ここは、ヒジョーに重要なのである。www

ということで、4本まとめてポチッ。
ついでに、ゴムバルブもポチッ。4本セットで280円。
合計 18,280円。

2日後、タイヤ4本とゴムバルブが送られてきた。
以下、交換方法を動画で紹介する。

前半


後半


このあとの工程だけど、ビード上げはガソリンスタンド
の空気入れを借りて行った。それで完成である。
(動画を撮る余裕はなかった)




ということで、今回の記事のまとめであるが、
冬タイヤの交換は、自分でやると安あがりである。
それだけ。

恐縮だけど、いちおう、決まり文句だから。
この記事を読んで、あなたが自分でタイヤ交換を
したことにより、クルマが故障したり、あるいは
事故を起こしたり、あなたがケガをしても、
takは責任を負いません。


前の記事では、「スタンドの空気入れだとビードが
上がらない。」って書いていたのでは、って?
空気が勢いよく出る空気入れを持っているスタンドを
近所中、探しまわりました。wwww

ま、東京に住んでいると、冬タイヤって、
あまり必要ないけどね。
雪が降ったら、タクシーか電車で行けばいいから。www
冬のドライブ旅行でも、いまどきの幹線道路は、
ほとんど除雪されている。冬タイヤが必要だと
感じることは、あまりなくなった。
まあ、夏タイヤで雪に降られたら、
それで終わっちゃうけどね。www

みなさん、どうしてます? 信号のない横断歩道での歩行者優先

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オートバイでツーリング中、信号のない横断歩道で、
待っている歩行者がいたため、一時停止をしたら、
後方からクルマに追い越されて、交通事故を誘発しかけた。


先日、北関東をオートバイでツーリングしていた
ときのこと。
私は片側1車線の国道を先頭で走っていた。
すると、前方に信号のない横断歩道があり、
左側の歩道に、子どもたちが渡ろうとして
待っていた。私は横断歩道の直前で停車し、
子どもたちを渡らせようとした。
(道路交通法38条 横断歩道等における歩行者等の優先)

すると...
後方から来たクルマが、追い越しをかけてきた。
そして、横断を開始していた子どもたちを無視して
通過しようとする。子どもたちは、クルマに
気がついていない。

私は、あわててクラクションを鳴らし、
子どもたちに危険をしらせた。
子どもたちは横断歩道の途中で立ち止まり、
なんとか、ことなきを得た。
ということで、私はあやうく人身事故を誘発
してしまうところであった。



以前に、「運転におけるローカルルールについて
という記事を書いたことがある。運転における
地域差というものは意外に大きく、
オートバイやクルマで旅行する者にとっては
注意が必要である、という内容であった。
そのときは、愛媛県の「伊予の早まわり」と、
長野県の「松本ルール」、および愛知県の
「名古屋走り」について、とりあげたのだが。

じつは、信号のない横断歩道における歩行者優先
についても、都道府県ごとの差が、かなり大きい。
私自身の経験からいって、北関東の3県においては、
信号のない横断歩道に歩行者がいても、
停止しないクルマが圧倒的に多い。
そんなところで、オートバイに乗っていながら
一時停止し、歩行者を行かせようとしたから、
交通事故を誘発しかけたのである。

ビミョーなことを書いているという
ことは、ちゃんと認識している。


上にも書いたように、横断歩道での歩行者優先は
道路交通法37条で決まっており、違反すると、
反則金と違反点は、以下のとおりである。

反則金……大型1万2千円、普通9千円、二輪7千円
違反点……2点(横断歩行者等妨害等)

ということで、信号のない横断歩道で歩行者が
待っているのを見かけたら、必ず、停車して
歩行者を横断させなければならない。

けれども、みんながやっていないことを
自分だけがやると、道路上では危険である
ということも、また、真実なのである。
オートバイでツーリングする際には、
そこはちゃんと考えて
走らないといけない。



なぜ、私は信号のない横断歩道で歩行者優先をするのか?

じつは、捕まったことがあるのである。www
まだ、クルマに乗り始めて、まもないころであった。
そのとき、私は信号のない横断歩道にさしかかり、
右側、つまり対向車線がわに歩行者が待っている
のに気がついた。しかしながら、街路樹のかげになって、
よく見えなかったので、かなり直前になって気づいた。
ということで、急に停止すると、後続車にぶつけられる
恐れがあったし、さらには、対向車も停まらなかった。
対向車が停まらないのに、歩行者と反対側の車線を
走っている私が停まっても、意味がない。(と思った)
ということで、そのまま行ってしまった。

すると、50メートルほど先に警察官が待っていて、
にこにこ笑いながら停止を命じられ、「横断歩行者妨害」
で青キップを切られた。
減点2点。7千円(当時)の反則金であった。

人は痛いめにあって、はじめてわかることがある。
大学を出たばかりで、手取り10万円そこそこの給料
でありながら、7千円という反則金はまことに痛く、
以来、私は信号のない横断歩道で歩行者が待っていると、
必ず、停まるようにしている。

これは、おそらく私だけではない
東京23区内では、ほとんどのクルマは信号のない
横断歩道において、歩行者優先を実践している。
とりわけ、タクシーの運転手さんは必ず停止して、
歩行者を行かせるから。
みんな、痛いめにあっているのである。www

このように書くと、地方に住む読者の方々にとっては、
「そんなバカな。」
と思われるかもしれない。
無理もなく、私の知る限り、東京以外の地方で、
信号のない横断歩道で歩行者優先をしなかったため、
取り締まりにあった、という話は聞いたことがない。

理由のひとつは、おそらく、警察官の数である。
人口1万人あたりの警察官の数は、当然のことながら
首都である東京が最も多い。このせまい地域に、
4万6千人もの警察官がいるのである。
そして、彼らは、検挙するクルマの数と集める反則金
の額にノルマがあるのである。

ということで、東京では、クルマが違反をしそうな
ところには、必ず、警察官が待っている

と言っても過言ではない。信号のない横断歩道なんて、
警察官にとっては、格好の狩猟場であろう。



さて...
みなさんは、オートバイでツーリング中、信号のない
横断歩道の歩行者優先については、どのように
されておられるであろうか。

私は、単独で走っているときは、必ず停まる。
先頭で走っているときは、ミラーで後方の状況をみて、
なるべく停まるようにしている。けれども、
先頭で走っているのではなく、後続車がいるときは...。
あるいは、歩行者が待っているのが右側で
対向車が停止しなかったら...。

ま、状況に応じた走り方をしている
とだけ言っておく。
今回は、ひさしぶりにオートバイに乗っていたのと、
北関東を走っていることを、つい忘れてしまって、
歩行者を危険なめに遭わせてしまったのであった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
信号のない横断歩道における歩行者優先については
地域差がある。オートバイでツーリングしているときは
走っている地方の地域性に応じて、実情にあった運転
をすることが重要である。
逆に、地方から東京に出てきたクルマやオートバイ
にとっては、都内(とりわけ23区内)の信号のない
横断歩道においては、歩行者優先をしないと取り締まり
にあうことがあるので、注意が必要であろう。


最初のケースで、もし、事故になってしまったら
私はどうなっただろうか。おそらく、かなりの確率で、
私にも責任があるということになっただろう。
理由は、横断歩道の前後5メートルは
駐停車禁止
であるから。

事故を起こしたクルマに、
「このオートバイが横断歩道の直前で“停車”したから、
歩行者が見えず、はねてしまったんだ。」
と主張されると、合理的な反論ができない。
歩行者優先のため停止したのか、あるいは単純に
停車したのかは、客観的な判断がむずかしい問題である。

「なんでもいいから、県外ナンバーのオートバイの
せいにしてしまえ。」
と思われたら、それで終わりである。
そういった意味でも、オートバイでのツーリング中は、
杓子定規に道路交通法を守るのではなく、
状況に応じて、適切な判断をしながら運転をした方
がいいと思われるのである。

追記1
今回の件、私も凄く気を付けています。
特に2輪の場合は歩行者が危険なだけでなく、
自分自身がぶつけられる危険性が有るからです。
(H.Kさん)

バイクの場合、やはり追突が怖いので、ミラーで
後方確認して、後続車がいたら...以下略
(K.Mさん 岡山在住)

そのほか、同様なご意見2通をいただいた。

→そうなんですよね。

二輪の場合、まじめに一時停止して、後続車にぶつけられたら、ただではすみません。そのようなことから、慎重に走らざるを得ないと思われます。


追記2
車線の中央から右よりに寄ってから一時停止すれば、
後続車にも歩行者優先だとわかるのでは?
(匿名さん)
というご意見をいただいた。

→それで追突されたら、こっちが死んでしまいます。

後続車に、「停車ではなく、歩行者優先のため、一時停止しますよ。」という意思を見せるため、車線の中央から右に寄って停まるというのは、いい考えだと思います。後続車が、まともな運転者であれば、それで停まってくれるでしょう。

しかしながら、まともではない運転者であれば、なんの考えもなく追い越してくるでしょうし、さらに、その後ろのクルマは、状況を理解せずについてくるでしょう。そのような状況に陥ってしまって右側に寄っていますと、追突される危険性が飛躍的に高くなります。オートバイに乗っている場合、そこは考えざるを得ません。

たしかに、道路交通法では、歩行者を保護する義務があります。が、そのために、なにもわれわれオートバイ乗りが命までかける必要はないでしょう。停まるのであれば車線の左よりか、中央です。


追記3
大阪在住ですが、極力停まっています。
私もかつて白バイのノルマに貢献した事があるからです。
が、同時に怖い目に有ったこともあるので
(原付スクーターでおばさんに掘られました)
バックミラーを見て緊張します。いざというときは
安全さえ確保できそうなら発進しています。
(A.K.さん 大阪在住)

→ほぼ、私と同じですね。

いちど、取り締まりにあうと、そのトラウマから抜け出すのは容易ではないです。今回のような記事を書いていながら、私も単独で走っている場合は、かならず停まっています。
問題は先頭でない場合と、後続車がある場合、そして対向車が停まらない場合です。
wikiによると、およそ9割のクルマが信号のない横断歩道における歩行者優先を無視しているのに、オートバイに乗っていながら、歩行者優先のために停まると追突される危険性が高いし、また、歩行者にとっても、必ずしも安全ではない、と思われるのです。

それにしても、大阪でも、そんな取り締まりがあるのですね。

A.K.さんも、「記事の話題とはちがいますが、大阪ではレーンの多い交差点の右折時には、直進車両が途切れそうなら矢印信号が出なくとも、どんどん対向車線の左折と同時に交差方向へ入っていかねば追い越されてしまうので、未だに緊張します。」と書いておられますが、私も大阪市内を走るのは、すごく緊張します。ていうか、なるべく阪神高速を走るようにして、下道は走りません。そういう土地柄でありながら、たまたま見つけた些細な違反を取り締まるというのも、なんだかなあ、と思いますね。


追記4
横断歩道手前で停車しているクルマの横を
通過する際は、一時停止義務があるのでは?
というご意見をいただいた。

→よくご存じですね。たしかに一時停止義務があります。
(道路交通法第38条第2項)。


しかしながら、これこそ、誰もまもっていないのではないでしょうか。
少なくとも、この規定があるのだから、横断歩道の手前で、安心して停止していい、という状況ではありません。そこは考えないといけません。
そもそも、この規定が出来たのは、歩行者優先のため一時停止している車両の陰から、横断歩行者が飛び出す(?)ことによる事故を防止するためです。逆にいうと、そういった事故が多いからこそ、第2項として、追加されたのです。
実際には、信号のない横断歩道の手前で歩行者優先のため一時停止したことにより、事故を誘発するケースというのは、かなり多いのではないかと思われます。試験場で運転免許の更新時に見せられるビデオでも、そういう事故のことが紹介されていました。


しくじり先生 <オートバイ編>

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「しくじり先生」という番組が流行っているようだが。


野球のプレミア12で、小久保監督がやらかしてしまったね。
おそらく5年後には、「しくじり先生」への出演が確定
であろう。
それはともかく、あの番組、なかなか深いところがあり、
生きることのむずかしさを感じさせてくれる。

現在の私は、オートバイのツーリングにおいては、
いつもひとりで走っている。
べつに、人間嫌いというわけではない。
気の合う仲間がいれば、いっしょに走ってもいい、
と思っている。だが、なかなか、そういう機会に
めぐまれない。
第三者からみると、しくじっていると
みられても仕方がない
といえよう。

そこで今回は、なぜ、私はしくじってしまったのか。
それをふりかえってみたい。では、授業スタートである。



最初に買ったオートバイがシブすぎた

12_57.jpg
ホンダ GB250クラブマン 出所:本田技研工業

私が最初に買ったオートバイは、
ホンダのGB250クラブマンであった。
はっきり言って、シブすぎるオートバイ
を買ってしまったね。

GB250クラブマンのユーザーの多くは中高年。
いわゆるマニア、正確な英語でいうと、
エンスージアスト(enthusiast)である。

こういったオートバイを買うような人は、
本当にオートバイが好きなのであり、
買ったオートバイをベースにマフラー、キャブなどを
いじり倒す。
当然のことながら、そういったユーザーは少ない。
私は、そもそも仲間が少ない環境を、みずから選んで
しまったのであった。

私自身は、オートバイそのものは、好きでもなんでもなく、
旅につかう道具として、オートバイを選んだのである。
とてもではないが、GB250のファンにはついて行けない。
ということで、フルノーマルのまま乗っていた。
するとある日、ツーリング先で会ったフルカスタムの
GB250に乗っている人に、
「キミ、わかってないねー」
と言われてしまった。
私は同じオートバイに乗っている人にすら、
仲間はずれにされてしまったのである。

 注:似たようなオートバイとしては、SR400がある。



2台目に買ったオートバイでしくじった

cb750_2040129.jpg
ホンダ CB750 (RC42) 出所:本田技研工業

私つぎに買ったオートバイは、前回の反省からCB750
より一般的なユーザーが買うオートバイを選んだ
つもりであった。しかしながら、これがまた、
大きな問題であった。

私自身は自動車教習所に行かず、運転免許試験場
で限定解除をした。だから知らなかったのであるが、
CB750の最大のユーザーは、じつは自動車教習所。
つまり、全国の教習所で教習車として
使われていたオートバイなのであった。

まだ新車で乗っていたとき、ツーリング先で
会ったオートバイ乗りに、
「えっ、これって教習車じゃないの?」
と言われてしまった。さらには、
「このバイク(CB750)を見ると、
教習所を思い出すから、
いっしょに走りたくない。」

と言われてしまった。

かわいそうに。よっぽどイヤなことが
あったんだろうな...。



はじめてのグループツーリングでしくじった

そんなことから、私はグループで走るのが
苦手になり、ひとりで自分の好きなところを走る
日々が続いていた。そんな私が、もっともはまったのが、
国道走破である。ということで、ひとりで日本全国の
国道を走るツーリングをしていた。
そんな日々を書き綴ったのが、この「国道な日々」
というブログなのである。

そんなある日、ある人から、「グループツーリング
に参加しないか。」という誘いを受けた。
CB250クラブマンに乗っていた頃には、全くなかった
ことである。いろいろと考えたけど、とりあえず
参加してみることにした。

関越自動車道の高坂SAに集合。
参加者の乗っているオートバイは、ホンダCBR600RR、
スズキGSX-R1000、カワサキZX-10...。
なんだか、とてつもなく、いやな予感がした。
簡単に自己紹介をし合って、といっても、
私以外は、みんな顔見知りのようだった。
それでは、ということで、まずは赤城高原SAを
めざして出発した。

リーダーに、「初参加のtakさんが先頭でお願いします」
と言われたので、私は先導してCB750をスタートさせた。
すぐに、サービスエリア内の横断歩道に
歩行者が待っていたので、私は一時停止。
すると、みんな追い抜いて行ってしまう。
私は歩行者を行かせてから、あらためてスタート。
加速車線に入るところで、リーダーが待っていた。

リーダー「なにをやっているんですか、あなたは。
     しっかりついてきてください。」
私   「...はい。」

それからは、リーダーについていったのだが、
ここでは書けないようなスピードで、走る走る。
クルマがシケインと化していたね。www
赤城高原SAに着いて休憩。
ここだけの話であるが、40分かからなかった。www

リーダー「すみません。すっかり遅くなりました。」
一同「(笑い)」
リーダー「どなたが一番乗りでしたか。」


なんと、信じられないことであったが、
この人たちは、高速道路で競争をしていたのである。
全員、リターンライダーであるということであったが
その昔は、走り屋でならしていたという。
道理でみんな速そうなオートバイに乗っているはずである。

リーダー「じゃ、次のセクション、行きますか。」
私   「あ、ちょっといいですか。」
リーダー「なんですか。」
私   「私、ふだん、出したことがないスピードで
     走ってきたので、ちょっと吐き気がして、
     胃が痛いんですけど。」
一同「(笑い)」
私   「ということで、大変、申し訳ないんですが、
     ここでリタイアということでお願いします。」
一同「(笑い)」
リーダー「わかりました。もう少しウデを上げてから
     参加してくださいね。じゃ、みなさん、
     行きましょうか。」


ということで、はじめて参加したグループツーリングで
私はしくじってしまったのであった。

まあ、ありがちなことであると思う。
私が参加したグループは、いわゆる走り屋のグループ
であり、交通違反、免停なんかしょっちゅう。
おまけに時々、死人が出るという。
私を誘った人は、私を入れることで、自分は
抜けたがっていた。なんだか七人ミサキ
のようなグループなのであった。
グループツーリングでも、参加するグループを
間違えると、えらい目にあうのである。

※七人ミサキ:集団亡霊。1人を取り殺すと七人ミサキ
 の内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が
 七人ミサキの内の1人となる。そのために七人ミサキの
 人数は常に7人組で、増減することはない。





俺みたいになるな!

ということで、これからオートバイに乗り始める
という方に申し上げる。
まずは、どういうオートバイを買うかであるが、
これについては、はっきりしている。

ハーレーを買いなさい。

ハーレーに乗っている人は、とにかく群れになる。
ということで、自然にグループツーリングのお誘い
がかかるし、また、ハーレーに乗っている限り、
グループツーリングの参加者から、速く走ることを
求められることは、まずない。
ていうか、速く走ろうとする人は、ハーレーなんか
乗らない。だから、初心者でも十分ついていけるから。

それにハーレーに乗っていると、周囲からみても、
いかにもオートバイが好き、という感じがして、
いいものである。
実際には、ハーレーに乗る人の多くは、オートバイ
なんかどうでもよく、グループツーリングに参加する
ための刺し身のツマでしかないんだけど。

とりわけ、ツアラーのFLH系、ネイキッド
のスポーツスター系
を買うことをおすすめする。
FLH系はエレクトラグライドとロードキングに分かれるが、
日本人でエレクトラグライドに乗るのは、かなりの度胸
を要する。
とりわけ、女性でエレクトラグライドに乗っていると、
「峰不二子か、おまえは。」
とか言われるので、注意が必要であろう。
ロードキング系に乗れば、ハーレーのことをなにも
知らない人であっても、それなりに格好がつく。

ソフテイル系とダイナ系といった
シブい車種については、すこし考えた方
がいいかもしれない。
こういった車種を好む方というのは、往々にしてマニア、
正確な英語でいうとエンスージアストである。(しつこい!)

いってみれば、GB250クラブマン、SR400と
性格が近く、オーナーはひとりで走る傾向がつよい。

上質の黒い革ジャンを着て、白髪まじりの髪に
おわん型のヘルメットをかぶり、独特の排気音を
響かせながら、ひた走っていく姿を見ると、
正直いってしびれる。
しかしながら、こういうオートバイを買うと、
結局はひとりで走らなければならなくなる可能性
が高いので、注意が必要である。



グループツーリングに参加しなさい

オートバイを買った以上、なるべくなら、
グループツーリングに参加した方が楽しいのは、
言うまでもない。私がはじめて参加した七人ミサキ
のようなグループは、まあ、ちょっと問題外だけど、
まともなグループであれば、ちゃんと遵法運転をするから。
ハーレーのグループであれば、まず、間違いない。

ある方が、私のブログにお便りをくださったことがある。
内容を、かいつまんで紹介すると、

「あなたは、なぜ、いつもひとりで走っているのですか。
グループツーリングに参加したら、いかがですか。
いろいろな人と知り合うことにより、人間のネットワークが
できます。それは、きっとあなたの人生を豊かにします。
ひとりでバイクで走って、いったい、
なにが楽しいのですか。


それと、あなたは自分の身のまわりのものに、
もう少し、お金をかけるべきです。
いい年齢をして、国産のバイクに乗っていると、
なめられます
それなりのグループに参加するためには、
ハーレー、BMWといった車種を

ローン
で買いなさい。

そういったバイクに乗っている人の多くは
年収1千万円を超えます。
そういった人たちとの交流は、メリットが大きいし、
人生を豊かにします。」


まるで、Yahoo知恵袋に書かれたアドバイスのようである。
私としては
「よけいなお世話だ。」
と思ったから、返事も出さなかったけど、
よくよく考えてみると、たしかに一理ある

オートバイを買って、グループツーリングに
参加しようという人の本音は、まさに、こういった
ところにあるのであり、そういった意味では、
じつに参考になる意見である、と思ったものである。

ま、私はこういった自分と考え方がちがう人を
受け入れることができない人が嫌いなのだが、
それは、私という人間が個性的であり、
多くの人に受け入れられないことの裏返しなのである。



反省:もともと人間に興味がなかった

私という人間は、周囲に温厚で人柄がよい
というイメージを持たれている。それもそのはずで、
私は人の悪口はあまり言わないし、
誰に対しても、自分の感情を顔に出さず、まあまあ、
無難に接することができるから。
まあ、自分でいうのもなんだけど、
模範的な社会人なのである。

しかしながら、じつは、そこに私という人間の
大きな欠点が潜んでいるのである。


私は、誰にでも親切で温厚に接する反面、
とくべつに親しいという友人がすくない。
大学時代からつき合っている友人が数人、
社会人になってからできた友人が数人。
それ以外は、あたりさわりのない
人間関係を維持しているにすぎない。

そう。もともと私は、
人間に対する興味が少ない
のである。

私は中学・高校時代を通じて、誰と誰がカップル
になったとか、仲がいいとか、そういうことに
すごく疎かった。
どうでもよかったからである。
他人の悪口を言わないのは、もともと人間に興味が
ないからである。そいつにどんな欠点があろうが、
私にとっては、どうでもいいからである。

そんな人間がオートバイに乗ると、
どうなるか。


ひとりで走るしかないじゃないですか。www

集団のなかで楽しむことができる人というのは、
一定のタイプがある。オートバイに乗ったからといって、
人間そのものが変わるわけはないのである。



結論:
人生、しくじらないためには、
常に多数派にいなければいけない。


少数派にいながら、わが道をいく、などと言って
いる人の多くは、単に負け惜しみを言っているだけ
のであり、それは、自分になんらかの問題があって
多数派に入ることができない葛藤の裏返しなのである



ということで、今回の記事のまとめであるが、
これからオートバイに乗る方は、買おうとする
車種について十分考えないと、しくじることになる。
グループツーリングに参加することができる
車種を選ばないと、私のようにしくじってしまうから
注意が必要であろう。

しくじり先生 <自転車編>

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前回に続き、しくじり先生 <自転車編>である。


しくじり.jpg
出所:TV朝日   LINEスタンプ(フリーダウンロード)


前回の記事、しくじり先生 <オートバイ編>は
一部の読者には、好評であったようだ。
ということで、今回はしくじり先生 <自転車編>
を書くことにする。

現在の私は、自転車のツーリングにおいても、
いつも、ひとりで走っている。
けれども、べつに人間嫌いというわけではなく、
気の合う仲間がいれば、いっしょに走ってもいい、
と思っているのだが、なかなか、そういう機会に
めぐまれない。
やはり、第三者からみると、しくじっている
と思われても仕方がないといえよう。

なぜ、私は自転車においても、しくじって
しまったのか。それをふりかえってみたい。
ただし、前回の<オートバイ編>よりも、
若干、内容が深く、難解であるかもしれないことを
あらかじめお断りしておく。

それでは、授業スタートである。


最初のツーリングが楽しすぎた

私がはじめて自転車でツーリングをしたのは、
約40年前に遡る。当時、私は大学生であり、
旅行が趣味であった。

2年生の夏休みに、旅行に出ようと思ったのだが、
お金がまったくなかった。こういう場合、多くの人は、
休み前にアルバイトをして、旅費をためるのであろう。
私は、どうも、そういった計画的な生き方が
できない
。ていうか、苦手なのである。

それでも、旅に出たかった。
ということで、私は自転車の後ろにテントと
シュラフを積み、吉祥寺のアパートを出た。
自転車は、ふつうのママチャリであった。
しかしながら、中学・高校時代を通じてバスケット
ボールで鍛えた脚力により、なんとか、長距離を
走ることができた。

私は神奈川県、静岡県を過ぎ、3日めの午後、
豊橋まで、たどり着いた。
このツーリングは、まことに楽しかった。
いまでも、忘れることができない。
とりわけ、浜松の中田島砂丘で見た海が、
とてもきれいだったことは、強く印象に残っている。

そして、この旅により、私は自転車を使えば、
交通費と宿泊費をほとんどかけずに
旅行ができるということを知ったのであった。
私はここで、大きな間違いをしてしまったといえよう。

では、次のページ。


長距離の旅行にチャレンジした

大学3年生の夏休みであった。
私は旅行用の自転車(ランドナー)を購入し、輪行袋に入れて、
東海道本線を大阪まで乗り、さらに大阪南港から鹿児島まで、
フェリーに乗った。そして、鹿児島港で自転車を組み立て、
本土最南端の佐多岬まで走ったのであった。

自宅から自転車で走ると、あまり遠くまで行けない。
けれども、自転車を分解して、目的地の近くまで
列車やフェリーで運べば、もっと遠くまで
行くことができる、ということを、私は覚えたのであった。
私はここでも、大きな間違いをしてしまったのであった。

では、次のページ。



50代になり、また自転車に乗り始めた

大学を卒業して、私は社会人となった。
私は自転車(ランドナー)を処分し、趣味の世界から
足を洗った。そして、同世代の多くの者と同様、
まじめに働き、結婚して子どもをつくって、
年老いていく、という道を選んだのである。

要するに、降りてしまったのである。

降りてしまったのが、単に自転車だけなのか、
あるいは人生そのものなのかは、
いまだにはっきりしない。

その後の私の人生であるが、自由に生きたい、と
切望していながら、自由に生きることができた時間は、
きわめて短い。
私は月曜から金曜日まで、毎日、遅くまで会社に残り、
土曜日、日曜日は、月曜日の朝いちの会議に使う
ための資料づくりに追われた。たまに、時間があると、
上司との接待に付き合わされた。

これは、私と同じ世代の方々にとっては、
みんな同じではないかと思われる。

というのは、私たちの世代の大学進学率は40%を
超えている。これは、すぐ上の団塊の世代の
大学進学率が15%くらいであるのと、大きく異っている。
しかも、1学年の人数は、いまの子どもたちの倍くらい、
いるのである。ということで、みんな、ものすごく激しい
競争を勝ち抜かなければ、生きていけなかったのである。

私らの世代は、ふつうに勉強ができる人は、たいがい
大学に行ったし、それがみんな、ホワイトカラーをめざした。
当然のことながら、会社にそんなにたくさんの
ホワイトカラーはいらない。だから、どんどん脱落していく。

まあ、なんだってそうだけど、覚悟を決めて落ちてしまえば、
案外、ラクな世界なのかもしれないけど、私たちの世代は
下に落とされるのが怖かった。ということで、みんな、毎日、
必死で働いたのであった。

しかしながら、私は50代になって、また、
自転車に乗り始めた。

このときの心境については、正直いって、説明しづらい。
ま、すこしだけ自由になりたかった
とだけ、言っておく。

私は安物のクロスバイクを、ドロップハンドルに改造して、
週末に自転車での小旅行を楽しんでいた。

はい、次のページ。


グループツーリングに参加した

そんなある時、私のブログを読んでおられるという方から、
「いっしょに走りませんか。」というお誘いをうけた。
私は少し考えたけど、とりあえず、参加してみることにした。

集まった方々が乗っている自転車の多くは、
20万円を超えるロードスポーツ車と、
ミニベロといわれる高級な小径車であった。
さらに、みんなカラフルな自転車ウェアを着ている。
そんな場に、安物のクロスバイクを改造した旅行用の
自転車に乗り、しかも、ふつうの運動用ジャージを着て
あらわれた私は、あきらかに場違いであった。
みんな、ゴミでも見るような目で、私を見た。

一方の私は私で、少々、あきれていたのである。
長年、自転車に乗っておられる方なら、わかってくださる
と思うけど、自転車用ウェア(ジャージとかレーパン)なんて、
ふつうに自転車に乗っている人にとっては、
まず、必要のないものである。
あれは、あくまでも競技をする人たち
着るものであり、むしろ、ふつうの人が着ると恥ずかしい。

集まった人たちが、自転車競技をやっているわけ
ではないことは、脚を見れば一目瞭然だし、
あるいは、趣味でレースに参加している人もいる
のかもしれないが、勝てる水準に達していないことは
明らかであった。

ま、とにかく、昨日、今日、自転車に乗り始めた
人たちが、揃いも揃ってジャージにレーパンを
着ているのに、私はあきれてしまったのであった。

午前中、15kmほど走って、昼食。
「え?、もうメシを食うのかよ。」
と思ったけど、私はだまっていた。

結局、私は午前中のみ参加して、
「すみません。昼からはひとりで走りたいので、」
ここで失礼します。」
と言って、別れた。
参加者は、やっかいな人がいなくなったので、
ほっとしていたようだ。

ということで、私はしくじってしまったのである。
読者の方々は、私がやってしまった大きな間違いに
お気づきになられたであろうか。

では、次のページ。


なんでも、かたちからはいる

ここで、現在の自転車の流行について、考えてみたい。
現在の状況は、私に言わせれば、自転車に乗ることを
楽しんでいる人が増えているわけではない。
自転車に対してお金をかけ、嗜好品として楽しんでいる
人が増えている。
それだけである。

実際には、いま自転車に乗っている人たちというのは、
かなり高い収入を得ている人が多い。
そういう人が趣味の世界にはいるときは、
みんな、かたちからはいるのである。

要するに、最初から20万円以上のロードスポーツ車を購入し、
華やかなウェアに専用のアクセサリなどで飾り立てる。
グループツーリングというのは、あくまでも、
そういうのを見せびらかすための場であり、
決して、走るために集まるのではないのである。

これは、ひと昔まえのアウトドアブーム
通ずるものがある。山岳の上級者が買うような
高価なテントとシュラフ、あるいはチタン製の
シェラカップといった装備を揃えて、週末に
近場のキャンプ場でキャンプをする。
それは買い揃えた装備をみせびらかすためであった。

いずれにしても、そういったファッションショーの
ような場に、純粋に自転車に乗るためのウェアと、
長距離を走るための自転車に乗ってあらわれた
私がバカだったのだ。
要するに、カン違いしていたのであった。

では、次のページ。


自転車は旅をするための道具ではない

そう。
私のカン違いとは、「自転車は旅をするための道具」である
と思ってしまったことである。現在の自転車の流行について
そういうとらえ方をするのは、あきらかに誤りである。

私自身は、はっきり言って、自転車なんか、
好きでもなんでもない。
だから、自転車にお金はかけない。
そんなお金があったら、旅費にまわす。

大学時代に私が自転車で走っていたのは、単に交通費を
浮かすためにすぎなかった。じっさい、あのころの私は、
「自転車をこぐのはきついなあ。
クルマかオートバイに乗りたいなあ。」

と思っていたのである。そうしなかったのは、要するに
お金がなかったからである。

でも、そういう旅はとても楽しかった。

ゆっくりではあるが、自分の脚ですすんでいくのは
なんともいえない充実感があった。
私は、大学2年のとき、豊橋まで自転車で走ったことが、
自分の旅の原点であると思っている。現在、私が自転車に
乗っているのは、あの頃の旅の続きをやっている
からである。

しかしながら、いま、自転車に乗っている人の多くは
自転車で旅なんかしない。ていうか、みんな、自宅の近辺を
30kmか40kmくらい走って、それで終わりである。

そんな距離を走るのに、20万円以上のロードスポーツ車
なんて、本当は必要ない。あれは、あくまでも、競技として
乗っている人が、時速40km以上のスピードを出して、
1日200km以上、こぐための自転車なのだから。

とりわけ、本格的な競技につかうフルカーボンフレームの
自転車なんか、1回コケたらそれで終わりだから、
そんなもんで公道なんか、走れるわけはない。
いま、自転車に乗っている人の多くは、要するに
ブランドものの自転車を見せびらかすために
乗っているのであり、そういった意味では
コレクター
に近いといえよう。

はい、次のページ。


そしてひとりで走りはじめた

結局、私はひとりで走ることになった。

そりゃそうである。www

自転車に乗っている人は、たくさんいるけれど、
自転車で旅をする人は少ない。
だから、ひとりで走らざるを得ない。
当然のなりゆきであろう。

そして、これは私たち、偏差値重視の教育を受けた
世代の悪いところなのかもしれないけれど、
なにごとも目標を設定して、それを達成しないと
気がすまない。そういったことにより、自分を高める
ことができる、と教えられてきたからである。

ということで、私は自転車による日本縦断
目標に設定して走り続け、この6月に達成した。
つぎの目標は、当然のことながら日本一周である。

そんなやつと一緒に走りたい
と思いますか?wwwwww


結局、私はひとりで走るしかなくなったのである。

では、次のページ。


俺みたいになるな!

ということで、これから自転車に乗り始めるという方に
申し上げる。俺みたいになるな!と。
まずは、基本的なところから申し上げると、
自転車は走るためのものではない。

非常に現実的な問題として、いま、自転車に乗って
おられる方のなかで、1日100km以上の距離を走る人
なんか少ないから。そういう状況を、まず認識されてから、
自転車を買わないと、失敗してしまう。

で、どういう自転車を買うかであるが、
これについて言及するのは、オートバイとちがって、
非常にむずかしい。

「弱虫ペダル」という漫画があるが、主人公および
登場人物は、乗っている自転車のブランドにより、
キャラクターが設定されている。どんな自転車に乗るかは、
それほど重要な問題なのである。

それでも、ひとつ、おすすめをあげよ、というなら、
トレックを買いなさい。

トレックのブランドイメージは、現在の自転車界
のトップである。ランス・アームストロングが乗っていた
ことにより、現在の自転車乗りの憧れとなった。

ただし、トレックの廉価モデルは、コンポーネントの
質が落ちるので、なるべくなら、20万円くらいのモデル
を購入した方がいい。
(まあ、そんなに長距離を走らない人にとっては、
コンポの質なんか、どうでもいいことかもしれないけど)

おなじく一流ブランドとして、スペシャライズド
キャノンデールもあげられる。しかしながら、
スペシャは地味なイメージだし、キャノとなると、
自転車屋のオヤジにすすめられて買っただけで、
好んで乗ってる人は、あまりみかけないように思う。

ピナレロ、チネリ、コルナゴなどといった
イタ車に手を出すのは、初心者はやめた方がいい。
とにかく高いから。

いま、自転車の旅というと、火野正平さんが出ている
NHKの番組が有名であるが、彼の乗っているチャリオ
っていう自転車は、トマジーニというイタリアの超一流
メーカーの製品で、しかもフレームはバラ組みである。
フレームだけで30万円くらいするから。
おまけに、カンパニョーロというのイタリア製のコンポを
使っているから、総額で50万円くらいだろうか。

さすがはNHKである。視聴者からの受信料があるから、
予算は使い放題である。www


反省:
「ライフスタイルを表現する
ためのアイテム」という思想
についていけなかった


前述のように、私の反省点すべきとしては、
「自転車は旅をするための道具」であると思って
しまったことである。その理由は、最初に行った
自転車の旅が、とても楽しかったからであった。
いちどでも、その楽しさを知ってしまった者は、
そこから抜け出すのは困難である。

現代社会のすべてに共通しているのであるが、
モノというものは道具ではない。
自分のライフスタイルを表現する
ためのアイテム
なのである。

たとえば、ハーレーを買う人はオートバイを買って
いるのではない。“ハーレーのあるライフスタイル”を
買っているのである。

そこは、間違ってはならない。

道具として必要な条件は、まずは壊れないこと。
快適に使えること。そして、機能が同じであれば
安価なことである。
しかしながら、ライフスタイルを表現するための
アイテムとしては、そんなもん、重要でもなんでもない。
少々壊れようが、快適でなかろうが、あるいは、少々
高価であっても、そんなことは問題ではないのである。

もっとも重要なことは、「記号性」である。
それを持つことにより、自分はどう見られるのか。
どのようなベネフィットがあるのか。
そういったことの方が、はるかに重要なのである。


結論:
人生、しくじらないためには、
発想の転換をはからなければ
いけない。


いま、ガソリンは1リットルあたり110円くらいである。
だから、高額なハイブリッド車を買っても、償却できない。
つまり、250万円のハイブリッド車を買うよりも、
150万円くらいのふつうのエンジンのクルマを買うほうが、
はるかに賢い。そんなことは、誰もがわかっている。

しかしながら、現実的には、いまや営業車でもない限り、
ハイブリッド車でなければ売れない。それは、一般的な
消費者にとっては、ハイブリッドという記号性が重要
であるからだ。

つまり、ハイブリッド車は「賢い」という記号であり、
それに対して、ふつうのエンジンのクルマは「貧乏」
という記号である。
実際には、ハイブリッド車に乗る人の多くは、私と同じ
大卒のサラリーマンであり、大して賢くはない。
けれども、だからこそ、ハイブリッド車を欲しがるのである。

ま、功利的に考えても、150万円も出して「貧乏」という
記号の商品を買うよりは、250万円出して「賢い」という
記号の商品を買った方がいい。少なくともおトクである。

そういった発想の転換をしなければいけない。

そういった意味では、安価なクロスバイクをドロップハンドル
に改造して乗るよりも、トレックに乗った方がいい。
本当に道具としての使いやすさは、クロスバイク改造車の
方がはるかに上であり、長距離を快適に走ることができる。
ロードスポーツ車は、慣れないとケツが痛くなるし、
23ミリのタイヤは、公道ではハンドルをとられまくる。

けれども、自転車に乗ったことがない人、あるいは自転車に
乗っていても、大した距離を走らない人にとっては、
そんなことはどうでもいいことだし、そういう人にとっては
クロスバイクなんて、貧乏人が乗るゴミにしか見えない。

それよりは、誰もが一流と認めるブランドであるトレックの
ロードスポーツ車を買った方が、はるかに賢いし、おトクである。
そのような発想の転換をしないと、人生、しくじってしまうから、
注意が必要であろう。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
これから自転車に乗ろうという方は、買おうとする
車種について十分考えないと、しくじることになる。
また、乗ろうとする自転車が、どのような記号性を
持っているのか、よく吟味しないと、グループツーリング
に参加することもできなくなるから、注意すべきであろう。


追記1
大学2年のとき、ひとりでママチャリでロングツーリングに出た時点で、すでに、しくじっているのではないですか。
というご意見をいただいた。

→たしかにそうかもしれません。が、それだと、テキスト1ページで終わってしまいます。wwww

その方によると、「ふつうの大学生なら、夏休みには友人と遊んだり、彼女とデートしたり、あるいはクラブの合宿に行ったりするものです。なのに、たったひとりで自転車で旅に出た時点で、すでに、しくじっています。友人をつくろうとせず、多数派に所属する努力をしないで、ひとりでいることを選ぶとは、人として終わっていますね。」というご意見である。

まことにスルドい、ご意見であると思う。

しくじり先生 <オートバイ編>にも書いたけれど、私自身は、そもそも人間に対する興味が少なく、大勢のなかに混じって我慢しながら過ごすよりは、ひとりでいることを好む傾向がある。そういった意味では、もともと、しくじりやすい人間であることは、事実なのである。

ただし、そういったことではいけない、ということも、私はよくわかっていて、他人に対しては、いつも礼儀正しく、挨拶もきちんとするし、言葉遣いもていねいである。人として、最低限のマナーはしっかりと守っているから、他人に嫌われることはない。また、仕事をさせれば、意外と優秀だったりする。人間に対する興味が少ないから、ヒトの顔色をみて仕事をしたり、あるいは社内に敵をつくったりしない。だから、信頼されるのである。
そういった意味では、私は人間に対する興味が少なく、ひとりでいることを好むけど、人として終わっている、ということはないと思う。

ただし、趣味の世界にまで、そういった処世術を持ち込むことを好むかというと、そうではなく、できれば自由にやりたいし、気の合う人だけで、いっしょに過ごしたいと思う。そういった意味では、他人からどのように見られるか、を気にして、高級な自転車に乗り、きれいな自転車ウェアに身を包み、高級なアクセサリーを身につけて、いつも集団で走る人たちと私は、気が合わないのである。

「じゃあ、そう書けばいいじゃないか。」とか言われそうだけど、それじゃあ、おもしろくないし、そういった風潮に対して、一発、皮肉ってやりたかったのである。

もうひとつ。
大学時代の私は、クラブやゼミに所属し、友人も多く、また、合宿にもちゃんと参加している。それなりに充実した学生生活を送っていた。にもかかわらず、大学2年のとき、ひとりで豊橋まで自転車で走ったのは、「遠くに行ってみたい」という思いを、おさえることができなかったからである。

この方のおっしゃるとおり、この時点で、たしかに私は、しくじっている。けれども、私は卒業と同時に、自転車を処分し、まっとうな生き方を選んでいるし、その後、35年以上にわたり、よき社会人、よき家庭人、よき父親として生きてきた。だから、あのときのしくじりは修正されている。

ていうか、若いころに、多少、しくじっても、それが許される余裕があるからこそ、人生はおもしろいのではないのか。

ま、とにかく、そんな私が30年ぶりに自転車に乗り始めたら、周囲の自転車乗りは、みんな、チャラチャラしたやつばっかで、他人の顔色ばかり見て生きていやがる。こういう人たちは、決して、しくじらないのかもしれないけど、その人生は、おもしろくもなんともないだろう。

ということで、私は少々、あきれているのである。
今回の記事の意味は、若い人にとっては、少々難解かもしれないけれど、そういうことなのである。

大阪市の渡船

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大阪市の運営する渡船(とせん)に乗ってきた。

tosen.jpg
木津川渡船にて


新年、あけましておめでとうございます。
今年もオートバイや自転車を使った旅
が好きな方にとって、読むと、ホンの少しだけ
タメになるBlogをめざして、記事を書いていきたい
と思います。
どうかよろしくお願い申し上げます。
m(_ _)m


じつは、年末に和歌山から岡山まで、
自転車で走ってきた。
約250kmの旅だったけど、その話はまた今度にして、
今回は、その旅の途中で大阪市が運営している渡船
に乗ってきた話をすることにする。

2016年1月現在、大阪市内には、市の運営する
8か所の渡船場がある。さすがに水の都と
呼ばれた大阪である。全盛期には31の渡船が
市営事業として運営されていたという。

しかしながら、その後、橋が架けられるなどにより、
減少を続け、現在では8ヶ所が残っているのみと
なっている。以下は、現在、運営されている渡船と
その地図である。

tosenjou.jpg
現在運行中の渡船場マップ 出所:大阪市

1.天保山(てんぽうざん)渡船場
2.甚兵衛(じんべえ)渡船場
3.千歳(ちとせ)渡船場
4.落合上(おちあいかみ)渡船場
5.落合下(おちあいしも)渡船場
6.千本松(せんぼんまつ)渡船場
7.船町(ふなまち)渡船場
8.木津川(きづがわ)渡船場



ちなみに、この渡船はすべて無料である。
大事なことだから、もう一度いう。
無料である。

私は無料という言葉によわいのである。
ということで、この渡船に乗ってみることにした。


2015年12月26日午後0時30分、私は大阪市の渡船で
いちばん南にある、木津川渡船場にいた。今日は、
ここから大阪市内を抜け、神戸まで走ろうと思う。

木津川渡船の昼間の出発時刻は、ほぼ45分おき。
つぎの船は、午後0時45分発であった。
待合室には誰もおらず、私ひとりだった。
「これは、私ひとりの貸し切りかな。」
と思っていたら、出航5分前に、小径車に乗った
自転車乗りがやってきた。

地元の人で、よく渡船に乗って、散歩がてら
走っているという。ということで、その人に船町渡船場と
天保山渡船場までの道順を教えてもらった。
渡船場の場所は、とにかく、わかりづらいからである。

時間になると、対岸から船がやってきて、
桟橋に横付けされた。舷側にはタコのような、
大阪市のマークが書いてある。
乗客は、私と、その小径車の自転車乗りのみであった。

すぐに出航して対岸にわたった。
つぎの船町渡船場まで、急いで走る。
船町渡船は20分毎の出発だから、乗り遅れても
それほど待つことはないのだが、できれば、
午後1時発の船に乗りたかったから。
やはり、乗り場の位置はわかりづらかったが、
さきほど教えてもらった道順どおり、
地図ロイドにより、現在地を確認しながら走る。
すると、小さな乗り場に着いた。

午後1時ちょうど出発。
船の名前は八坂丸で、定員は48名であった。

funamachi2.jpg
funamachi.jpg
船町渡船(八坂丸)にて


つぎの千歳渡船はパスして、直接、天保山渡船に
むかうことにした。途中、なみはや大橋という
大きな橋をわたる。

namihaya.jpg
なみはや大橋
※ここを自転車で上がった。 (^^)


IKEAの近くから登り始めたが、けっこう、勾配が急であった。
振り返ると、若いロードスポーツ乗りが追ってきている。
抜かれたくない。
ということで、ダンシングで一気に駆け上がる。

橋の頂上に上がると、ヒザがガクガクになり、はあはあと
息があがってしまった。自転車を降りて、景色を眺める。
すると、さきほどのロードスポーツ乗りが、私の後ろを
通っていく。息があがっているのがバレるのがイヤだったから、
平然としていた。そいつが10メートルくらい離れてから、
もう一度、はあはあ、ぜえぜえと激しく息をしてしまった。

なみはや大橋の上からの景色は、大阪市内を一望できて
きれいだった。夜景はもっときれいだろうな、と思った。

namihaya2.jpg
なみはや大橋の上からのながめ


なみはや大橋をおりてから、天保山公園にむかう。
地図ロイドのおかげで、公園の位置はすぐにわかったのだが、
かんじんの渡船の乗り場がわからない。
水上消防署の職員の方に尋ねると、親切に教えてくれた。
1時40分に乗り場に着いた。つぎの船は2時発である。

天保山渡船は、たくさんの乗客が待っていた。
理由は、北がわの乗り場はJR桜島駅、
南がわの乗り場は、地下鉄中央線の大阪港駅に近く、
交通が便利で、観光客にも人気があるからである。

出航直前になると、レンタサイクルに乗った
外国人の観光客グループがやってきた。
やや訛りのつよい英語で、
「こんな小さなフェリーが、どうのこうの...」
「これで渡ればホテルが、どうのこうの...」
とか言っていた。対岸にユニバーサルシティがあるから
その近くのホテルに泊まっているのだろう。

定刻になり、渡船に乗船。すぐに出航する。
天保山渡船は、大阪市の渡船のなかでは、
いちばん長い距離である。
波がつよく、結構、揺れた。
スリルも観光客にとっては、魅力のうちなのかもしれない。

tempo1.jpg
天保山渡船

tempo2.jpg
波が高く揺れる


対岸にわたると、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
(USJ)がちかい。
私自身は、まだ、USJに行ったことがない。
そもそも、テーマパークにあまり興味がないのと、
混雑が激しく、待ち時間が多いと聞くからである。

私の上の子がUSJに行ったときには、
通常のワンデイパス(7,200円)のほか、
ユニバーサル・エクスプレス・パス(5,200円)というのを、
別途、購入したという。
なんでも、それを持っていると、専用の列にならぶこと
ができるので、待ち時間を短縮できるのだそうだ。
それがないと、ハリーポッターなどの人気アトラクションは、
3時間くらい待つのだという。

まさしく、地獄の沙汰も金次第。www

けれども、私はそういうのが苦手である。
正直いって、そうまでして見るほどのものか、とも思うし。
ということで、私はUSJには、まだ、行ったことがない。

USJの従業員通用門の前を通り、突き当りを右折。
新日鉄住金や住友電気工業の大工場の前をとおって
国道43号線にはいり、JR三ノ宮駅まで走った。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
大阪市の渡船は、現在、8ヶ所で運行されていて、
かつての水の都をしのぶことができ、しかも無料である。
機会があれば、乗ってみるのもいいと思われる。

和歌山~岡山 自転車ツーリング その1

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和歌山から岡山まで、自転車で走った。

hinase.jpg
JR日生(ひなせ)駅にて

●走行データ
  使用した自転車   ロードスポーツ改造車
  チェーンリング    44T-32T (2段)
  カセットスプロケット 11-34T (8段)


okayama.gif
今回走ったコース


1日め 和歌山港駅~堺駅 約72km

2015年12月26日金曜日、午前8時。
私は南海電鉄和歌山港駅で、自転車を組み立てていた。
ここに来るのは、およそ5年ぶりである。
今回は、ここから岡山まで走ろうと思う。

まずは、駅前のループ橋をぐるぐると登り、
紀の川を渡る。河口から海の眺めは雄大だった、
紀の川を渡ると、新日鉄住金の大工場に沿ってすすみ、
国道26号線にはいる。すぐに左折して、
南海加太線(かだせん)とともに、加太をめざす。
加太は、大阪近郊では有名な海水浴場であり、
友ヶ島への航路が出ている。
最近では新鮮な魚を食べさせる店が多いことで、
注目されている。

加太をすぎると、山のなかへ入っていく。
大川トンネルという、やや長いトンネルをぬけると、
ふたたび海沿いの道になり、大阪府にはいる。
とっとパーク小島という道の駅で休憩した。
とっとパークとは、要するに魚釣り公園のことのようだ。
大阪の人は、釣りが好きである。

さらに北上し、多奈川、深日港(ふけこう)とすすむ。
深日港はかつて、徳島、淡路島へのフェリーが出ていたが、
明石海峡大橋の開通により、廃止されてしまった。

ふたたび、国道26号線にはいる。
岬公園は、南海沿線に住む人には、
おなじみの公園である。私も高石に住んでいた頃、
何回か、来たことがある。現在は新しい住宅が
たくさんできていた。
淡輪(たんのわ)、箱作(はこつくり)と、
めずらしい駅名が続く。さきほどの深日もそうだけど、
このあたり、読みにくい地名が多い。
樽井(たるい)駅のちかくで左折。
りんくうタウン方面にむかう。

りんくうタウンとは、関西国際空港の開業に
合わせて、大阪府企業局などが埋立造成して
できた新しい都市である。バブルの時代に
計画されたものであるから、その計画は、
かなり大きな変更を余儀なくされている。
すこし早いけど、ここで昼食にした。

rinku.jpg
りんくうタウンにて


午後0時ごろ、りんくうタウンを出る。
大阪府立大学りんくうキャンパスの前を通る。
なんだか、大学というよりも、IT関係で急成長した企業
の本社のような建物だな、と思った。
いま、大阪府立大学と大阪市立大学を統合して
「大阪都大学」にしてしまおう、という構想があるらしい。
中途半端である。
どうせなら、大阪大学に統合してしまえば、
OB、OGの反対もないと思うのだが。

貝塚、岸和田、泉大津と大阪湾沿いに走り、
高石(たかいし)市内に入っていった。
前にも書いたけど、私は小学校5年から中学3年まで、
高石市に住んでいた時期がある。かつて、私が住んでいた
ところが、いま、どうなっているのか見てみたかったのだ。

高石小学校の前を通り、南海本線の踏切の手前を
右にまがる。高石駅の西がわは、なんとなく、
昔の雰囲気が残っている。
コロナという写真屋さんには、小学6年生の頃、
ネオパンSSSの増感現像をたのんだことがあった。
高石駅の東がわは、変わりすぎていて、まったく
わからなかった。

母校である高石中学に行ってみようと思った。
が、町が変わりすぎていて、さっぱり道がわからない。
むかしは田んぼだったところが、
すべて住宅地になっているからである。
ようやく高石中学を見つけて、正門の前に立ってみた。

なんだか、あまり変わっていない。
正門を入った左手が、軟式テニスのコートになって
いるのもかわっていなかった。その奥が体育館。
中学時代の3年間、私はあそこでバスケットボール
の練習に明け暮れた。

1年生で入部した当時、私は身長はそこそこあったけど、
特別に足が速いわけでも、体力があるわけでもなかった。
だから、毎日毎日、シュートの練習を重ねた。
上級生の練習が終わってから、1日200本、シュートを
投げていたのである。そのため、着実にシュートが
うまくなり、1年生の秋には、上級生にまじって、
試合に出られるようになった。

いま考えると、スポーツ推薦で進学することを
めざしていたわけでもないのに、なんで、あんなに
熱心に練習していたんだろう、と思う。
あのエネルギーと時間を勉強にまわせば、
もっと上位の高校、大学に行けただろうに。
つくづく、バカなことをしたものだと思う。

ま、人間ってのは、後悔するようにできている。
また、青春時代に多少、失敗しても、それが許される
余裕があるからこそ、人は生きていけるのだと思う。

takaishi.jpg
母校である高石中学の正門にて

高石市を出てから、国道26号線を北上して堺市に入り、
午後3時ごろ、南海本線の堺駅に到着。
駅前にある駐輪場に自転車を預け、堺シャトルバスで
南海高野線の堺東(さかいひがし)駅に出て、
富田林市にある家内の実家に戻った。
(つづく)

和歌山~岡山 自転車ツーリング その2

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和歌山から岡山まで、自転車で走った。そのつづき。


2日め 堺駅~三ノ宮駅 約47km

2015年12月27日土曜日、午前11時。
私は南海電鉄堺駅の駐輪場から、自転車を出した。
駐輪料金は100円だった。「1日100円」だから
一泊二日で200円かと思っていたのだが、
1日とは24時間という解釈らしい。
驚くほど安い料金で、しかも一晩、安心して駐輪する
ことができた。

すぐに走り始める。
それにしても、出発時刻がこんなに遅くなるとは。
家内の実家で、若干、寝坊してしまったのと、
近くだから、つい、油断してしまった。

国道26号線を北上。大和川を渡る。
住之江区に入ったところで、おじさんたちが
公園でたき火をしているのが見えた。
ヤバそうだな、と思って、国道26号線をはなれた。
危険に近寄らないということは、旅人にとって、
きわめて重要なことである。

これについて、帰ってから家内の妹のダンナに、
「いま、住之江あたりの治安はどうなのか?」
と尋ねてみた。やはり、あまりよろしくないようだ。
けれども、彼は、
「大阪では、ふつうのおじさんでも、よく公園で
たき火をしてますよ。」
とか言う。

そうなのか、とも思ったけど、
そんなことはねーだろー、とも思う。
大阪の公園で、おじさんたちがたき火をしている
のを見て、旅行者は回避すべきかどうか。
なかなか、結論を出しにくい問題である。

それはともかく、さて、どうしたものか。
予定では、国道26号線を北上して、新今宮で
国道43号線に入ろうと思っていたのだが。
まあ、予定といっても、私の自転車ツーリングの場合は
漠然としたもので、いかようにも変更可能だけど。
なにしろ、予定を構成する重要な要素である「約束」
というものが、どこにもないのだから。

ま、とにかく、思わぬことから、予定変更を余儀なくされた。
とりあえず、南港通(なんこうどおり)を西にむかう。
が、このまま南港フェリーターミナルからコスモスクエア方面
にむかってしまうと、大阪港咲洲トンネル(おおさかこう
さきしまトンネル)も、夢咲トンネル(ゆめさきトンネル)も、
自転車と歩行者は通行禁止である。
ということで、咲洲(さきしま)から出られなくなってしまう。

地図ロイドとにらめっこをして、私が出した結論は、
「渡船を使う」であった。
以下、渡船を使って神戸に抜けたルートをしめす。
前の記事にも書いたけど、なかなか楽しいルートであった。

渡船マップ.gif
渡船を使って大阪市内を抜けるルート


天保山渡船で桜島にわたってから、
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの横を通って、
国道43号線にもどる。
国道43号線は、大阪と神戸をむすぶ主要国道で、
東京でいえば湾岸道路、名古屋でいえば名四国道
にあたる。大阪では、よんさんとか、ニ国(にこく
=第二阪神国道)などと呼ばれている。

国道43号線は、幅員が50メートルもあるうえ、
路肩もひろいから、走りやすい。けれども、
高い防音壁があるから、なにも見えない。
景色を楽しむのはあきらめて、ひたすら走る。

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る


有名な高村光太郎の詩の一節が、ふと頭にうかんだ。
自らの進む道は、自分の力で切りひらいていく、という
生き方と、その苦悩を表現している。
私の自転車ツーリングにおいては、私の前に道はあるし
私の後ろにも道はある。私がやるべきことは、ただ、
ペダルを踏むだけである。
なにも悩むことはない。

阪神電車沿いに、尼崎、武庫川と通り過ぎる。
いつもブログを愛読させていただいているamaさんが、
このあたりに住んでいらっしゃるはずだ。
ハーレー・ダビッドソン FXRSローライダーが
走っていないかな、と思って、注意して見ていた。
が、私はまだ、amaさんに会ったことがない。
だから、会ってもわからないだろう。

甲子園球場の前を通る。
私は阪神ファンから西武ファンに乗り換えたので、
若干、バツがわるい。ちょいと失礼しますよ、
という感じで入っていって、写真を撮った。

koshien.jpg
阪神甲子園球場にて

JR三ノ宮駅には、午後4時半ごろ着いた。
駐輪場の場所がわかりづらかったけど、
ダイエー神戸三宮店の前に、三宮駅前自転車駐車場
を見つけて、そこに自転車を預けた。
JRに乗り、新快速で大阪駅に出て大阪環状線で新今宮に。
南海高野線に乗りかえて、富田林市にある
家内の実家に戻った。
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