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和歌山~岡山 自転車ツーリング その3

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和歌山から岡山まで、自転車で走った。そのつづき。

3日め 三ノ宮駅~播州赤穂駅 約102km

2015年12月28日日曜日、午前7時40分。
私はJR三ノ宮駅に降り立った。
一昨日は、朝寝坊してしまって、
距離を伸ばすことができなかった。
今日は、がんばって約100kmほど走ろうと思う。

駅前の自転車駐輪場から、自転車を出す。
事情あって2泊させてしまったが、料金は200円であった。
国道28号線を西に走り、長田(ながた)駅のちかくで南へ。
さらに右折して、国道2号線にはいる。
しばらく走ると、須磨海浜公園(すまかいひんこうえん)に出た。
ここは、なかなかきれいなところで、
神戸市民の憩いの場となっている。

さらに西へ。国道2号線は、だんだん車線が減って
ついには2車線になってしまった。
明石海峡大橋が見えたところで、海岸に出てみた。
なんどみても巨大で、よく、こんなものをつくったな、
と思う。橋の真下には、海上プロムナードがある。
朝早くから、中国人観光客がいっぱい来ていた。

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明石海峡大橋にて


さらに西へすすむ。
明石駅をすぎると、川崎重工業の明石工場がある。
カワサキの二輪事業の本拠地である。
二輪博物館に行ってみるか、と思って、
工場の正門で受付の人に申し出た。すると、
「もう、だいぶ前に、神戸のカワサキワールドに
移転しましたわ。」
といわれた。そうであったか。うっかりしていた。

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川崎重工明石工場の正門前にて


西明石駅のところで左折し、国道250号線に入る。
すぐそばを山陽新幹線が走っている。
700系の窓が紺とオレンジに塗り分けられた車両
(700系E編成=ひかりレールスター用)が、
ものすごい速度で走り去って行った。
このあたりの線路は直線が長く、最高速度である
時速300kmを出すらしい。私が自転車で1日かけて
走る距離を、新幹線はわずか20分くらいで走り抜ける。


播磨町、加古川市、高砂市、姫路市と走る。
山陽網干(さんようあぼし)という駅があった。
私にとっては、まだ来たことがない終着駅なので、
ちょっと寄ってみた。
山陽電鉄は、神戸の西代(にしだい)から
姫路までが本線であるが、飾磨(しかま)から
山陽網干までの支線がある。ほぼ15分おきに、
行ったりきたりするという、単純なダイヤである。
改札口からのぞいてみると、キハ47のような顔をした
3000系電車が発車していった。

aboshi.jpg
山陽網干駅

国道250号線にもどる。
揖保川をわたったところで、ブラックサンダーを1個、
食べた。それにしても、りんくうタウンから姫路まで、
埋立地と大工場がずっとならんでいた。
堺泉北工業地域、阪神工業地帯、播磨臨海工業地域
と走ってきたからである。
単調な景色で、退屈きわまりないコースであった。
網干をすぎると、ようやく工場が途切れ、
きれいな海岸線を走る。
やっと、旅情を感じる。
道の駅みつで休憩した。


mitsu.jpg
道の駅みつにて

遠くに家島(いえしま)諸島がみえる。
双眼鏡で見てみると、岬に白い小さな灯台が見えた。
そういえば、灯台守という歌があった。
たしか、小学5年生のときにならった記憶があるのだが。
小さな島の灯台を、真冬の嵐の日でも航海の安全のため、
ひたすら守る人がいるのだ、という内容の歌だった。
私はその歌が好きだった。

灯台守
 こおれる月かげ 空にさえて
 真冬の荒波 よする小島(おじま)
 思えよ灯台 まもる人の
 とうときやさしき 愛の心



灯台守(白鳥英美子)
https://youtu.be/0Otv8k_CdK4

※権利関係は不明です


私たちの音楽の先生は、「まもる人の」の部分を
本来はG7→D7→G7であるが、Dmaj7→D7→Gsus7→G7
というアレンジで伴奏した。長調でありながら、
哀愁を感じさせる、美しいメロディであった。

私がこの歌を好きだった、もうひとつの理由は、
誰もいない小島で、たったひとりで灯台を守る。
そんないい仕事がこの世の中にはあるんだ、と
思ったからである。

前にも書いたように、私は人間に対する関心が
すくなく、大勢のなかでがまんして過ごすよりも、
ひとりでいることを好む。私は子どもの頃から、
そういう傾向があった。灯台守は、そんな自分に
ぴったりの職業だと思った。

離れ小島の灯台にひとりで赴任し、昼は絵でも描いて、
夜は灯台を守りながら、天体観測でもして暮らす。
なんてすばらしい暮らしなんだろう。

私は、ひそかに灯台守になるには、どうしたらいいか、
について調べた。どうやら海上保安庁にはいればいい、
ということがわかった。けれども、私は灯台守になりたい
ということは、誰にも言わなかった。
小学校の卒業文集には、将来の夢として、
「新聞記者の海外特派員」と書いておいた。
そうすれば、先生と親がよろこぶ、と思ったからである。

結局、私は大学を卒業して、ふつうのサラリーマンに
なった。が、ひそかに憧れの職業として、灯台守になる
夢を持ち続けていた。
一方で、灯台はどんどん自動化され、2006年12月に、
長崎県男女群島(だんじょぐんとう)の女島灯台を最後に、
無人化が完了。日本国内の灯台守は消滅した。
新聞でそのニュースを読んだとき、私は人生の夢が、
またひとつ、消えた、と思った。


道の駅みつから先は、曲がりくねった道が続き、
相生市にはいった。IHI相生工場では、大型フェリー
らしき新造船をつくっているのがみえた。
相生と赤穂のあいだには、低い峠があった。
JR播州赤穂駅には、午後4時30分ごろ着いた。
日の短い時期なので、すでに暗くなりかけていた。

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播州赤穂駅にて


駅前の石井自転車預かり所に自転車を預け、
17:06発の新快速に乗った。
大阪駅まで爆睡。あやうく乗り過ごすところであった。
大阪環状線、南海高野線と乗り換え、
富田林市の家内の実家に帰った。

和歌山~岡山 自転車ツーリング その4

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和歌山から岡山まで、自転車で走った。そのつづき。


4日め 播州赤穂駅~岡山駅 約52km

2015年12月29日月曜日、午前9時30分。
私は播州赤穂(ばんしゅうあこう)駅に降り立った。

しょっぱなから、お金の話で恐縮だけど、
私の自転車ツーリングでは、ゴールしたところから
続きを始めるという、自分ルールを決めている。
というわけで、自宅から離れるにしたがって、
そこまで行くのに、交通費がかかることになる。

今回、私は富田林市内にある家内の実家を拠点に
しているわけだけど、昨日、播州赤穂から帰るのに、
交通費が約2,700円もかかってしまった。
播州赤穂は、新快速の終着駅として、
関西の人にとっては、おなじみの駅である。
大阪からの所要時間は1時間半くらい。
けれども、大阪~播州赤穂間の距離は119kmもある。
これは、東京~三島間に匹敵する距離である。

私は一計を案じて、「冬の関西1デイパス」(3,600円)
を購入した。この切符は、関西エリアの普通列車を
自由に乗り降りできるもので、青春18きっぷのミニ版
と考えればよい。自由乗降エリアの西の端は赤穂線の
播州赤穂と山陽本線の上郡(かみごおり)で、
そこまで往復するだけでも、十分、モトがとれる。

きょうは、岡山まで走ろうと思っているので、
帰途の岡山から上郡までの乗車券は、別途、購入する
ことになるが、それでも、おトクである。
関西1デイパスは、春、夏、秋、冬と発売しており、
ほぼ1年中、使うことができる。

冬の関西1デイパス(JR西日本)
http://tickets.jr-odekake.net/pamph/PT15000235/


駅前の石井自転車預かり所に預けていた自転車を出し、
コンビニで、食料と飲み物を調達。
午前10時に播州赤穂駅をスタートした。
国道250号線を西にむかう。
天和という駅の近くを通る。麻雀をされる方にとっては
「てんほう」とよんでしまいそうだが、駅名は「てんわ」である。
小さな峠を越え、岡山県にはいった。

日生(ひなせ)から対岸の鹿久居島(かくいじま)へは、
かつてはフェリーが出ていた。が、2015年6月に、
新しい橋ができた。備前♡日生大橋である。
なんとよむのか。
「びぜん はーと ひなせおおはし」であろうか。
名前は変だけど、斜張橋とふつうの橋を組み合わせた
最新構造の立派な橋である。
けれども、鹿久居島の人口は10人かそこらなので、
残念ながら、誰も通っていない。

kakui.jpg
備前♡日生大橋にて

日生駅に行ってみた。
この駅に来るのは、36年ぶりである。
あのとき私は自転車で走ってきて、この駅で休んでいた。
すると、西の方から自転車乗りがやってきた。
その人は東京の人で、私と年齢も近かったので、
すこしのあいだ、話をした。

その人は、私がこれから行こうとしている
岡山県と広島県について、
「どこそこのユースは、ご飯のおかわりが自由だ。」とか、
「岩徳線(がんとくせん)の駅は無人駅が多いから、
待合室で寝られる。」とか、そんなことを教えてくれた。
あの頃の自転車乗りは、みんな、ビンボーだった。
いまでは、考えられないことであるが。

その日生駅であるが、あのときとまったく変わっていない。
白いコンクリート造りで、入口に半円状のアーチのある
特徴のある駅舎である。なんだか、明るい感じの駅で、
訪れる人をあたたかく迎えてくれるような気がする。
日生の駅前からは、小豆島(しょうどしま)にわたるフェリー
が出ている。

hinase.jpg
JR日生駅前にて


日生駅を出て、国道250号線を西へ。
「カキオコ」という幟(のぼり)が、街中に出ている。
カキオコとは、カキを入れたお好み焼きのことで、
日生独特の食べ物である。
食べてみたい。
私は、カキが大好きである。
スマホで検索すると、いくつかの有名店が出てきた。

けれど、自転車ツーリング中であるので、魚介類を
食べるわけにはいかない。食あたりにでもなったら、
生命にかかわるかもしれないから。
ぐっとつばを飲み込んで、日生の町を走り抜けた。

備前片上(びぜんかたかみ)の町に入る。
品川リフラクトリーズとか、九州耐火煉瓦とか、
耐火煉瓦関係の工場が多い。西片上駅の近くで左折。
しばらく行くと、駐車場の片隅に凸形のディーゼル
機関車が置いてあった。

これは...同和鉱業片上鉄道のDD13ではないか。
なんと、こんなところに放置されていたのか。
片上鉄道は、同和鉱業の柵原(やなはら)鉱山で
産出される硫化鉄鉱を輸送する目的で建設された。
しかしながら、柵原鉱山の採算性が悪くなってきて、
その閉山とともに、1991年6月で廃止された。

このあたりに、片上駅があったはずである。
けれども、ドラッグストアとかスーパーが建っていて、
もはや、痕跡もなくなっていた。

片上鉄道の路盤は、現在は「片鉄ロマン街道サイクリング道」
になっていて、ここから山陽本線の和気(わけ)を経由して、
柵原の近くまで走ることができる。
いつか走ってみたい、と思う。

katakami.jpg
旧同和鉱業片上鉄道のDD13形ディーゼル機関車


国道2号線に入った。
残念なことに、雨が降ってきた。できれば、牛窓(うしまど)
に行ってみたいと思っていたのだが...。
仕方がないので、岡山駅に直行することにする。

伊部駅(いんべえき)を通りかかる。
このあたり、備前焼で有名である。
なんか、皿でも買っていこうかな、と思ったのだが、
年末なので、ほとんどの窯元が休みだった。

さらに、国道2号線を西にすすむ。
備前おさふね刀剣(とうけん)の里、備前長船刀剣博物館
という案内標識があった。以前、オートバイで来たときも、
気になったのだが。
今回は、時間もあることだし、ちょっと寄ってみようかな、
と思って、行ってみた。年末で休館日であった。
備前大橋で吉井川(よしいがわ)をわたる。

国道250号線と国道2号線の分岐にさしかかった。
ちょっと、面食らう。牛窓に行くつもりだったので、
このあたりは、ちゃんと下調べをしてこなかったのだ。
スマホで国道2号線バイパスは自転車と歩行者が
通行禁止であることを確認し、国道250号線にすすむ。

岡山駅には、午後2時すぎに着いた。
こんなに早く、ツーリングを終わるのは、はじめてである。
なんだか、冴えない終わり方であった。

okayama.jpg
岡山駅西口にて

自転車を輪行袋に入れ、上郡までの乗車券970円を購入。
山陽本線の相生行き普通列車に乗る。
相生からは、播州赤穂始発の新快速で大阪に。
午後8時すぎに、富田林市内にある家内の実家に着いた。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
和歌山から岡山にかけては、大半が工業地帯だけど、
大阪市内は、かつて水の都とよばれた雰囲気を偲ばせるし
網干(あぼし)を過ぎたあたりから、瀬戸内海の雰囲気がある。
ほぼフラットなコースなので、中高年でも十分に走る
ことが可能である。関西をサイクリングしてみたいと
思われる方は、コースに加えると、いいかもしれない。

エンド金具の自作

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「エンド金具」を自作した。


ふるくなって、使わなくなったLEDライトの軸を end1.jpg


万力ではさんで、ジグソーでカット。
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あーあ、切っちゃった。
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カインズホームで買ってきた、チクワ状のスポンジゴム(70円)
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パーツクリーナですべりをよくして、LEDライトの軸にさしこむ。
end5.jpg


で、ふるくなって使わなくなったコレ。
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さきほどのチクワ状のパイプ&ゴムと組み合わせると・・・
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自転車用エンド金具の完成。
end9.jpg
<かかった費用>
カインズホーム 円筒状スポンジゴム 70円


まあ、こんなもん、わざわざ自分でつくるのは、
私のようなバカだけで、ふつうの人は
買うでしょうけどね。
amazonだと、送料込みで936円。
1日で届きますw
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旅好きになった理由

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「ボートの三人男」という小説があるのだが。


いきなり、50年ほど前に話がとんで恐縮だけど、
小学館発行の「少年少女世界の名作文学」という
全集があった。私たちの世代にとっては、
公立の図書館などには、必ずおいてあったから、
読んだことがある方も多いことと思う。

いまの若い方はご存じないだろうから、
簡単に説明すると、厚さ4センチくらいの本で、
1冊のなかに3~4編の長編小説が収められている。
そんな本が50冊もあるのである。

sekai.jpg
少年少女世界の名作文学 (小学館)



で、私は小学校5年生から6年生にかけて、これを全冊、
読破している。

え、なぜかって?
私の母が買ってきたからである。

じつは、私の母の実家は本屋なのである。
そういったことから、むかしから、母は本を買うお金に
糸目をつけないところがあった。

とはいえ、1冊が500円くらいの本が50冊。
総額で約2万5千円。
いまの貨幣価値になおすと、10万円を超えるだろう。
子どもに与える本としては、決して安い買い物ではない。
私の家は、決して裕福ではなかったのだが、
そんなものを、いったい、どうやって買ったのか。

記憶をたどると、どうも、母が自分で買ったのではなく、
実家から勝手に持ってきたっぽい。
私の祖父も、店にある商売物を勝手に持って行こう
とする自分の娘に対して、孫である私のため、
と言われると、なにも言えなかったようであるw

ま、とにかく、50冊もの本が、突然、私の机の横に
どん、という感じで置かれた。私はびっくりすると同時に、
「え、これ全部、読むのかよ。」
と思ったね。

正直いって、これ以来、私はぶ厚い本に対して、
トラウマになり、厚さ4センチ以上の本をみると、
それだけでイヤになるのだが、ま、とにかく、
買ってもらった以上は、全部、読まないといけない。
もったいないもんな。

ということで、私は学校から帰ると、50冊の本を、
片っ端から読み始めた。私の人生において、あれほど
本を読んだ時期は、ほかにない。
まあ、中学に入ると、部活とか受験勉強で読書どころ
ではなかったから、小学校5~6年というのは、
じっくりと本を読むには、ちょうどいい時期だった
のかもしれないね。


で、この全集のなかに、「ボートの三人男」という小説
が収録されていた。

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ボートの三人男 (中公文庫)


少年少女世界の名作文学の収録作品は、
全体的にマジメな話が多いのであるが、
そのなかで、ジェロームの「ボートの三人男」は、
あきらかに異色だった。

「ボートの三人男」のあらすじであるが、3人の男と
1匹の犬が、ボートに乗ってテムズ川をくだる、という、
ただ、それだけの話である。
その3人と1匹が、道中、いろいろな騒動をまきおこす
のだが、それがとてもおもしろかった。
私は、この全集のなかで、「ああ無情」(ヴィクトル・ユゴー)
のような暗い話は、さっさと読みとばしていたが、
「ボートの三人男」だけは、何回も読み返した。


あれから、50年が経過した。
現在の私は無類の旅好きとなり、日本全国を旅している
のだが、それは、この小説の影響が大きいような気がする。
旅のスタイルが似ているのである。

ボートの三人男は、テムズ川をくだりながら、
川原でテントを張って寝ていた。私はこの年齢になっても
キャンプなど、外で寝ることを好むのだが、それは、
この小説の影響だと思う。

また、ボートの三人男は、テムズ川の流れにまかせて、
ゆっくりと下っていく。私も自転車やオートバイを使って
ゆっくりと移動することを好むが、それも、三人男の影響
なのかもしれない。

私はいまでも、友人たちとキャンプをして、バカ話をするのが
なによりも好きである。これもやはり、三人男の影響
なのかな、と思う。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
「ボートの三人男」という小説は、100年以上も
前に書かれた小説であるが、旅が好きな人に
とっては、いまだに、なかなかおもしろい。
よろしければ、ご一読をおすすめする。
英語で読める方は、グーテンベルクならば無料である。

Three Men in a Boat (Project Gutenberg)
http://www.gutenberg.org/ebooks/308


じつは、私はカヌーなどを使って、ゆっくりと川をくだる旅
にも興味がある。けれども、どうも、日本の川は急流が多く、
ゆっくりとくだるには不向きのようだ。
かといって、野田知佑氏のように、アラスカのユーコン川を
くだるというのは、まさに命がけであり、一般人には無理。

ということで、何日かかけて、のんびりと川をくだるという旅
に適した川というのは、世界でも意外とすくないようである。

ブレーキの引きずりが出たのだが

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ひさしぶりにオートバイに乗ろうと思って、
車体を引き出そうとしたら...。


ん...動きづらい。
いったい、どうしたんだろう。

家内を呼んできて、二人がかりで車体を引っぱりだす。
そして、メインスタンドをかけて、車輪をまわしてみると、
前輪のディスクブレーキが引きずっていた。

やれやれ。

家内は修理を手伝わされるのがイヤなので、
「おー、さむい、さむい。」と言って、
さっさと家のなかに入ってしまった。


ブレーキの引きずりの原因は、いろいろと考えられるけど、
いちばんありがちなのは、キャリパーの固着である。
しばらく乗っていないのであれば、ほぼ100%、それであろう。

調べてみると、ハンドルの上にあるマスターシリンダは
きちんと動いている。ということで、原因はキャリパーの
固着に決定。ブレーキレバーを、おもいっきり握ってやってから
はなすと、なんとか前輪はまわるようになった。

その状態で、すこし走ってみたけど、やはり気持ちがわるい。
その日、出かけるのはやめにした。
で、ホンダ店に行って、ピストンシールとダストシールを注文。
すべてのシールを交換することにした。


部品が届いたので、作業開始。
CB750のフロントブレーキは、2ポッドの片押し式
フローティングディスクブレーキで、キャリパーは2つ。
ということで、4つのピストンがある。
まずは、ブレーキからピストンを抜いて、
ピストンシールとダストシールを交換。
ピストンはきれいに汚れをとり、
シリコングリスを、うすーく塗る。

ブレーキパッドとパッドピンにはモリブデン系の
耐熱グリスを塗り、もとどおり組み立てる。


seal1.jpg
ピストンシールとダストシール
※写真では、よくわからないけれども、ブレーキフルードが
 結晶化したものが付着していた。引きずりの原因?


pod1.jpg
ピッチクリーナーで汚れをとったピストン

silicon.jpg
シリコングリスをうすーく塗る

air.jpg
もとどおり組み立てたあと、エア抜き


ということで、作業終了。
ブレーキは正常になり、引きづらなくなった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
ブレーキの引きずりの原因のうち、キャリパーの固着
の修理は、わりと簡単である。それだけ。

恐縮だけど、いちおう、決まり文句だから。
この記事を読んで、あなたが自分でブレーキキャリパー
の修理をされたことにより、オートバイが故障したり、
あるいは事故を起こしたり、あなたがケガをしても、
takは責任を負いません。

同じ引きずりでも、ディスクローターの歪みなどに
よるものは、修理がむずかしく、かつ、費用が高くつく。
点検して、異常を感じられるようであれば、
早めに修理に出した方がいいだろう。

オートバイから降りることにした

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白内障が進行したため、オートバイから降りる
ことにした。


このごろ、左眼がかすむ。
「おかしいな。」
と思って、老眼鏡をはずして、レンズを拭いてみた。
以前は、それできれいに見えるようになったのだが、
今回はダメだった。そこで眼医者に行ってみた。
すると、
「だいぶ白内障が進行していますね。
まあ、年齢が年齢ですから、
仕方ないですよー。」

だと。それだけ言われて、「はい、次の方~」であった。


白内障の主な原因は、加齢によるものである。
はやい話が老化だね。w
また、アレルギー体質の人は白内障になりやすいらしい。
私は若いころから、春先になると、必ず眼がかゆくなる。
それで眼医者に行くと、きまって、
「はいはい、花粉症ね。お薬出しておきますねー。」
と言われる。そして、「はい、次の方~」である。

あの眼医者、あっさり診察しすぎである。

それはともかく、若いときから花粉症で、
アレルギー性結膜炎の眼薬のお世話になっている私が
この年齢になって、白内障になるというのは、
ごく自然なことなのだろう。

ま、とにかく、こまったもんである。

待合室に置いてあった「白内障の方へ」というパンフレット
を読む。白内障を治療するには、超音波で水晶体を削り、
人工のレンズを入れるのだそうだ。イラストを見ているだけで、
ガクガクブルブルである。

男性の平均寿命から考えて、あと20年ちょっとしか
生きられない私が、そんなオソロシイ手術を受ける気には
とてもなれない。
ということで、ほうっておくしかない。
かすむとはいえ、左眼の視力そのものは、いちおう、
0.8ほど出ている。右眼は異常がなく、視力は1.0。
だから、日常生活に支障はないから。
けれども、私にとって最大の問題は、白内障がどの程度、
運転に影響するのか、である。


じつは、昨年の誕生日に運転免許の更新をしたのだが、
そのとき、中型免許以上の所持者に義務づけられている
深視力(しんしりょく)の検査に落ちてしまった。
検査官に再検査室に行くよう命じられ、そこで、
すこしだけ大きくてわかりやすい検査機で再チャレンジ
の機会を与えられ、ようやく合格できたのだった。
おかしいな、と思っていたのだが、いま思うと、
あのときすでに、左眼の白内障がかなり進行していた
のかもしれないな。

片眼がかすむ状況でも、クルマを運転するには、
それほど支障はないと思う。
けれども、オートバイはやめておいた方がいいかもしれない。
立体視の能力が落ちることにより、バランス感覚がくるうから。
ぶっちゃけ、まっすぐに走れないもんな。

ま、運転が上手な人なら、片眼が見えないくらい、
どうってことないのかもしれない。けど、私は運転が
どヘタだからね。


もともと、私は旅をするための道具として、たまたま
オートバイを選んでいただけであり、オートバイ
そのものは好きでもなんでもない。
だから、オートバイから降りるといっても、それほど未練はない。
自転車、JR、飛行機、クルマなど、旅をするための手段は
ほかにも、いくらでもあるからね。

オートバイに乗り始めて、通算37年、約20万kmを走行した。
その間、転倒を1回、立ちゴケを2回したけれど、
幸運なことに、無事故で通してきた。
無理をして、大きなケガをしないうちに降りた方がいいよ、と
神様が言っているのかもしれない。
そう思って、思い切って決心した。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
年齢による体力の衰えにより、いつかは誰もが
オートバイから降りることになると思われる。
私の場合は、白内障の進行による視力の低下により、
オートバイから降りることにした。
以上である。


それにしても、視力の低下により、オートバイから
降りることになるとは、思ってもみなかったな。
私の場合は、筋力の衰えにより、200kgを超える車体を
起こすことができなくなって、降りる決心をするのだろう
と思っていたのだが。
そして、オートバイから降りるときには、ステージの中央に
キーを置いて、黙って立ち去る、といったドラマチックな
演出をしようと思っていたんだけどな。www

ちょっと、視力が落ちたくらいで、ビビって降りるとは、
オートバイ乗りとして、情けないの極み乙女である。
けれども、私らしいといえば、らしいのかもしれない。


追記1
「白内障の手術は簡単ですよ。1日もはやく、手術を受けられることをお勧めします。」
というご意見をいただいた。(同様なメッセージ5通)

→どうもありがとうございます。すこし、考えます。

白内障に悩んでいる方は意外と多いようで、60才代で60~70%、70才代で80~90%の人が白内障の症状がある、ということである。白内障の手術は、角膜に注射針のようなものを入れて、水晶体を超音波で破壊し、人工の眼内レンズを入れるというもので、現在は簡単に終わるようだ。
ただし、眼内レンズはピント調整機能がないから、30センチくらいのところに固定焦点となる。ということで、術後は強い近視となる。ちょっとかすむけど、正常な視力を維持するか、近視となるがクリアな視界を確保するか。そのあたりは、トレードオフの関係となる。
私の場合は、要するに手術が怖くて、ビビっているだけである。白内障の手術、女性は平気で受けるらしいが、男性の場合は、怖くなって、直前に泣き出したりする人も多いらしいのである。

参考:「白内障のはなし」 千寿製薬株式会社
http://www.senju.co.jp/medical/tool/003.html


私はコレでオートバイをやめました ~白内障のはなし

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前回の記事で、白内障が進行したことにより
オートバイに乗るのをあきらめた話をしたのだが。


それについては、読者の方々より、いろいろな
ご意見をいただいた。そのなかで、いちばん
多かったのは、
「白内障の手術は簡単だから、
はやめに受けた方がいいですよ。」

というものであった。

どうもありがとうございます。
さすがに、読者のみなさんは、よくわかっていらっしゃる。
手術については、少し、考え中です。

その話はおいといて、今回の記事では、白内障により
片眼の視力が悪くなっている状況でオートバイに乗ると
どうなるか、について、私の経験談を書いてみたい。
中高年でオートバイに乗っておられる方にとって、
参考になることがあるかもしれない、と思うからである。



まず、白内障の進行中は、ほとんど自覚症状がない。
この病気の怖いところは、いつのまにか深刻な状況に
なっていることだね。
私が最初に白内障と診断されたのは、約10年前。
50才になる直前だった。例の眼医者に行ったとき、
「うーん、左眼に白内障が出ているねー。」
と言われた。

「え?! そうなんですか。」
「うん。自覚症状ない?」
「ええ、まったく。」
「ふーん、じゃ、まあいいか。様子をみましょう。」
とだけ言われ、「はい、次の方~」であった。

帰ってから、私は白内障について、ネットなどで
情報を集めた。そして、自分ではどうしようもない、
ということがわかった。その後、忙しかったこともあり、
私は自分が白内障であることを、いつのまにか
忘れていた。



2年ほど前から、私はオートバイで高速道路などを
走るとき、まっすぐに走っていないことに気がついた。
もちろん、ふらふらという感じではない。
私は高速道路の3.5メートル幅のレーンだと、
左端から1.5メートルくらいのところを走るのだが、
気がつくと、1.2メートルくらいのところを走っていたりする。
自分で自分の運転を観察してみると、
1分くらいの周期で、50センチから1メートルくらいの幅で
蛇行していることに気がついた。

「いよいよ運転のどヘタさに
ターボがかかってきたかなあ。」

と思っていたのだが、実際には白内障が進行した
ことにより、左眼の視力が悪くなり、立体視の能力が
落ちていたんだね。
だから、まっすぐに走れなくなった。

現在は、50センチから1メートルくらいの幅で蛇行する
だけだけど、これが1メートルから2メートルくらいに
なってくると、あきらかに危険である。

ちなみに、この時点では、
左眼の視力が落ちていたことには、
まったく、気づかなかったね。


視力検査をしたときも、左眼は0.8あったし。
じつは、現在も視界がかすんでいるだけで、
視力そのものは、0.8出ている。
けれども、脳のほうで、そういった像は使いものに
ならないから、必死でキャンセルしているのである。
だから、立体視の能力に影響が出る。

ちなみに、こういう状況だと、脳がとてもつかれる
らしい。2年ほど前から、長時間、オートバイを
運転していると、やたらと疲れるようになった。
立川から大井川鉄道の接阻峡温泉まで往復した
だけで、クタクタになったね。
「年齢のせいで、集中力が落ちている
のかなあ。」

と思っていたのだが、ようするに視力が落ちていたんだね。



片眼の視力が悪くなることにより、立体視の能力が低下
してくる。それは、運転操作にどのように影響するのか。
結論から先にいうと、個人差が大きいようだ。
まったく平気である、という人もいれば、
怖くて仕方がないという人もいる。

人間の眼は、左右60ミリくらい離れていて、
モノがずれて見えることにより、立体的に見える。
この立体視の能力については、高い人と低い人
がいるようで、高い人にとっては、片方の眼の
視力が急に落ちると、とても怖い。

私自身は、左眼が0.8、右眼が1.0の視力がある。
だから、もともと立体視の能力が高い。
中学、高校時代は、バスケットボールで
シューターとしてならした。
中型免許の限定解除をしたときも、
深視力の検査を難なくクリアしている。

ま、とにかく、私は生まれてから59年間、
立体視の能力がすぐれていることを前提に
生きてきた。だから、左眼の視力が落ちて、
立体視の能力が低下すると、怖くて仕方がない。
現在は、駅の階段の上り降りも、手すりに
つかまっているような状態である。

それに対して、もともと、片方の視力が0.1くらい
しかない、みたいな人だと、そもそも、立体視に
たよって生きていない。だから、片方の眼が白内障
になって視力が落ちても、平気らしいのだ。

立体視の能力が落ちる人は、見えるものの大きさ
により、距離を判断する。だから、常に距離を測ろう
とする対象物に近づく傾向がある。
いつも、前のクルマとの車間距離をつめて走るのは、
だいたい、こういう人みたいだね。



現在の私は、まっすぐに前を見ている状況(図1)
では、立体視の能力は、それほど落ちていない。

eyes1.gif
図1

けれども、ななめに見る図2の状態になると、
とたんに落ちてくる。

eyes2.gif
図2


オートバイの運転でいうと、ミラーを見たとき、
後ろのクルマとの距離、速度差がどれくらいあるのか
が、わからなくなってきた。
まあ、像の大きさで判断すればいいのかも
しれないけど、もともと、立体視の能力が高くて、
ミラーに映る像だけで、後ろのクルマとの距離と
速度差を判断できていた人間が、それが出来なくなると、
怖くて仕方がないのである。

まあ、これについても、
個人差がありそうだけどね。


フルカウルのスーパースポーツ車なんかだと、
もともと、ミラーが見づらいし。
また、そういうオートバイに乗っている
運転が上手な人は、いちいち、ミラーなんか見て
走ってないもんな。www

私の場合は、運転がどヘタだから、立体視の能力
に頼りきっていた。だから、それが出来なくなった時点で
危険なのである。
座頭市は、映画のなかで、
「み、耳やられちゃ、おしまいだかんな。」
と言ってたけど、私の場合は、
「め、眼やられちゃ、おしまいだかんな。」
なのである。

そういった意味で、白内障で眼をやられてしまった私は、
もう、オートバイには乗ることができない。
仮に白内障の手術を受けたとしても、
左眼は強い近視になるから、立体視に影響が出る。
その状態でオートバイに乗るのは、やはり危険で
あると思うし、また、
そうまでして、オートバイに
乗ることもあるまい
と思うのである。



ということで、今回の記事のまとめであるが
個人差はあるものの、白内障になってから
オートバイに乗るのは危険である。
それだけ。


じつは、現在の私は、クルマの運転についても、
なるべく、ひかえるようにしている。そんな状態で、
「続・国道な日々」というブログが書き続けられる
のかどうか。

ま、それはともかく、運転操作になるべく影響が
少なくなるように、いろいろと工夫はしている。
私の場合は、瞳孔が大きく開いている状態だと、
多少、像がはっきりする。だから、昼間は濃いめの
サングラスをかけて走っている。

サングラスの色は、アンバー系がいいようだ。
まぶしさが少なくなるね。ダイソーで、いろいろな色の
サングラスを10コくらい買ってきて、試してみた結果
であるけど。
また、渓流釣りのときに使っていた偏光グラスも
試してみた。ま、これについては、晴れた日で、
太陽光の反射がきつい日は、多少、マシな程度かな。

ま、根本的な解決方法は、賢明な読者の方々の
おっしゃるとおり、手術しかない。それはわかっている
のだけど、手術のイラストを見ているだけで、
タマがヒュンとなる。www

ま、とにかく、少し考え中なのである。

大糸線に乗ってきた

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JR大糸線(おおいとせん)に乗ってきた。

ひさしぶりに乗り鉄にでかけた。
前の記事で述べたように、現在の私は白内障の
進行により、オートバイから降り、また、クルマにも
乗ることをひかえている。鉄道に乗るしかない。
ま、青春18きっぷのシーズンでもあるし、
ちょいと乗ってくるか、という感じででかけた。

で、どこに行くか。

tetsudo.com(鉄道.com)というサイトがある。
このなかで、好きなローカル線(西日本編)という
テーマで投票が行われているが、現在、トップで
あるのが大糸線である。

大糸線とは、信濃大町と糸魚川(いといがわ)を結ぶ
路線であり、姫川(ひめかわ)に沿って走る風景の
美しさには定評がある。
そういえば、南小谷(みなみおたり)~糸魚川間の
非電化区間には、ずいぶんと長いこと、乗っていない。
ひさしぶりに姫川の激流でも、見にいくか。


2016年4月1日 15時6分、私は糸魚川駅にいた。
南がわには、ま新しい北陸新幹線糸魚川駅が
どーんという感じで建っている。
かつての古くさい駅舎とか、これまた古くさい
気動車がたむろしていた赤レンガの車庫とか、
そういうのは、すべてなくなっていた。
ちょっとさびしいけど、糸魚川の人たちにとっては、
新幹線ができて、よかったにちがいない。

すでに15時16分発の南小谷行きの列車が
4番線に入線しており、ブルルルルルという感じの
アイドリング音をあげていた。
関西の方にはおなじみの、キハ120形気動車である。
やすっぽい感じがするので、私としては、
あまり好きな車両ではないのだが、
まあ、仕方がない。
列車は定刻に出発した。

oito2.jpg
キハ120形気動車(300番台)


私たちの世代にとっては、糸魚川というと、
糸魚川~富士川間の「フォッサマグナ」を
思い出す。その線を境に日本列島は大きく
曲がっている、とされていたのだが、
最近では、そのようには教わらないらしい。
しかしながら、険しい地形であることは
まぎれもなく、姫川がきざんだ深い谷を
列車はよじ登っていく。
この列車の終点の南小谷は標高510メートル。
たった35kmで、それだけのぼるのである。

頸城大野(くびきおおの)を過ぎると、
いよいよ山のなかに入っていく。
自動車ほどもある、大きな岩が河原に
ごろんごろん、という感じでころがっている。
この岩は、どこから来たのだろうか。
おそらく、上流から流されてきたのだろう。
大雨が降って、水だけでなく泥がまじると、
大きな岩でも、簡単に流されるらしいのだ。
小滝(こたき)をすぎると、列車は鉄橋をわたった。

oito.jpg
運転席からみた姫川とトンネル


列車は時速20kmくらいで走る。
制限速度が、それくらいに設定されているのだ。
おそらく、保線の手間をはぶくためだろう。
「がんばれ大糸線」という看板が出ている。
それもそのはずで、大糸線はいつ廃線になっても、
おかしくない状況なのである。
台風、地震など、なにかあるたびに不通になるし、
強い風が吹くと、よく列車が止まる。
さらには、保線の関係で突然運休したりする。
鉄道ファンとしては、いまのうちに乗って
おいた方がいい路線の上位にくるのである。

北小谷(きたおたり)という、なにもない駅に着いた。
旅人がひとり、降りていった。
駅の近くに、なにかあるのだろうか。
さらに20分ほど走って、終点の南小谷に着いた。
糸魚川からの所要時間は、約1時間。
並走する国道148号線も、かなりの悪路であり、
糸魚川までは50分くらいかかるから、
まあ、健闘しているほうであろう。

南小谷へは、新宿から「あずさ」が1往復だけ
乗り入れてくる。だから、東京に住む人にとっても
聞いたことがある駅名であろう。
乗客のほとんどは、途中の信濃大町や
白馬(はくば)で降りてしまうけど。

現在は定期列車はないけれど、ときどき、
名古屋からの「しなの」も乗り入れてくる。
人がほとんど住んでいないわりには、
大都市からの特急がとまるという、
贅沢な村である。



ということで、今回の記事のまとめであるが
大糸線の南小谷~糸魚川間は、非常に景色がいい。
いつ廃線になってもおかしくない路線だから
いまのうちに乗っておくといいだろう。


南小谷からは、ひきつづき松本まで大糸線。
松本からは篠ノ井線、中央線経由で立川まで帰った。
行きの八高線、上越線、信越線、えちごトキめき鉄道
とあわせて約670km、普通列車のみの旅であった。

ticket.jpg

直江津の人魚の像は塗装されていた

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直江津の船見公園(ふなみこうえん)には人魚の像
があるのだが。

marmade2.jpg
船見公園の人魚の像

先日の乗り鉄の途中、直江津で長時間の待ち時間
があった。13時33分着の14時25分発。
およそ、52分間、あいてしまった。

これくらいの待ち時間でめげていては、
乗り鉄はやってられない。
私自身の最高記録としては、深名線(しんめいせん)の
朱鞠内(しゅまりない)駅で4時間以上、
待ったことがある。

鉄道は、自分ではなにもしなくても、
勝手に進んでくれるから、まことに便利だけど、
ダイヤグラムというものがあり、
自由には進んでくれない。そこが欠点だね。

直江津では、JRとえちごトキめき鉄道に分かれて
しまったぶん、列車の連絡が悪くなったような
気がするな。
ま、とにかく52分間、時間をつぶさなくては
いけなくなった。私は途中下車をして、
日本海を見に行くことにした。

直江津駅から海岸までは、歩いて15分くらい。
私は、3年前に家内といっしょに行った
船見公園まで歩いた。
いい天気であった。
公園に着いたときには、かるく汗ばむほどであった。
日本海は青かった。

かたわらに人魚の像がある。
そういえば、そうだった。

小川未明(おがわみめい)作の「赤い蝋燭(ろうそく)と人魚」
という話がある。老夫婦に育てられ、行商人に売られて
しまった、人魚の娘の物語である。

私は、この話を小学校5年生のときに読んだ。
「少年少女世界の名作文学」のなかに収録されて
いたからである。読んだあと、なんともいえない
不快感が残った。

アンデルセンの人魚姫の話も、最後は人魚が泡に
なってしまうので、残酷な苦い結末だけど、
報われない愛と犠牲がテーマの美しい話である。
けれども、「赤い蝋燭と人魚」は、人間の醜い欲と
エゴがテーマだから、救われない。
私は子どもごころに、
「なんでこんな話が名作なのか。」
と思った。

その後、50年近い月日が経過し、私は
「赤い蝋燭と人魚」の話をすっかり忘れていた。
そして、3年前に家内とここに来たとき、
この人魚の像をみて、思い出したのであった。

あのとき、人魚はぼろぼろに錆びていたけど、
今回、来てみたら、緑青(ろくしょう)色のペイントで
塗られていた。
ブロンズ像をペイントで塗ってしまっていいのだろうか。

marmade1.jpg
3年前に来たときの人魚の像

これは評価が分かれるところだろうね。

きれいになった、とみることもできるけど、
安っぽくなったとみることもできそうだ。
いずれにしても、海からほど近い、
こんな場所に、銅と錫(すず)の合金である
ブロンズの像を置くのだから、
サビるのは仕方がないと思う。

人魚の像は、海の方をむいており、
なんだか、さびしそうである。

marmade3.jpg
なんだかさびしそう



ということで、今回の記事のまとめであるが、
直江津の海岸には、人魚の像があり、
定期的に塗装されているようである。
それがいいかどうかは、評価がわかれそうである。


ところで、人魚の像は思春期前後の少女を
モデルとしたものと思われ、膨らみかけの胸に
ちいさな乳首がある。錆びていたときには、
あまりめだたなかったけど、塗装したら、
なんだかめだってしまったね。ww

年頃の子どもが見たら、ちょっと恥ずかしがる
かもしれない。ディズニーの人魚姫のように、
貝殻のブラジャーで隠すわけにはいかなかったのか。

児童ポルノ禁止法もあるから、この人魚の像の
写真を撮るときは、胸が髪で隠された右側から
撮った方がいいかもしれないね。

marmade4.jpg
右側から

筒石(つついし)駅はあいかわらず湿っぽかった

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えちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインに、
筒石という駅があるのだが。


tsutsu.jpg
筒石駅


筒石駅は、そのスジの人たちには有名な存在である。
どういうスジかというと、鉄道ファンのなかでも、
とりわけ、駅に興味があるという人たちである。
ま、きわめて少数派なんだけどね。

で、なんで有名なのかというと、この駅、
全長約11キロメートルの頸城(くびき)トンネルの
なかにあるのである。


じつは、筒石駅は最初から、トンネル内にあったわけ
ではない。以前は、海岸寄りの地上にあった。
しかしながら、このあたりはフォッサマグナとよばれる
断層が非常に多い地層のため、地盤がよわい。
そのため、しばしば地すべりを起こし、そのたびに
当時の北陸本線は不通となっていた。

これではたまらん、ということで、当時の国鉄は、
名立(なだち)駅と能生(のう)駅の大半をトンネルで
抜けてしまおうと考え、1969年に頸城トンネルが完成した。
で、中間にあった筒石駅は、頸城トンネルのなかに
移設されたというわけ。

地理院地図




2016年4月1日午後2時41分、私の乗っていた列車は
筒石駅に着いた。
駅員さんが出迎えに出ている。
JRからえちごトキめき鉄道になり、この区間を走る
特急列車はなくなった。にもかかわらず、駅員常駐の制度
が維持されていることに、私はすこしおどろいた。

筒石駅は、長大トンネルのなかにあるという特殊な
環境のため、列車の通過時に強風が吹く。
東京の地下鉄でも、強風が吹くことはある。
けれども、JR時代の頸城トンネルは、特急列車が
時速130kmでぶっとんできたのである。
そのため、トンネル内の風速は、最大で秒速30メートル
を超えていた。それで、乗客の安全を確保するため、
駅員さんが常駐していたのであった。

現在のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインは
停車および通過する車両の多くは、ET122系という
短い気動車である。
電化区間なのに、なぜ気動車なのかというと、
糸魚川駅構内で交流と直流が切り替わるためである。
えちごトキめき鉄道は、高価な交直両用電車を
購入するための費用を捻出することができなかった
のであった。

似たようなケースとしては肥薩おれんじ鉄道があるが、
ま、それはともかく、列車のほとんどが短い編成、
しかも速度が遅い気動車になったのだから、もう、
トンネル内に強風が吹くことはない。
しかもワンマン運転なのだから、
出入り口以外をフェンスで囲ってしまえば、
駅員が常駐するほどのことはないと思うのだが。

それにしても、湿っぽい。
プラットフォーム全体が水で濡れている。
前述のように、このあたりはフォッサマグナとよばれる
地質のため、トンネルは何箇所もの破砕帯を通過している。
そのため、常に地下水が湧き出ているのである。


じつは、私は1997年8月31日にも、この駅に来ており、
そのときは、改札口で入場券を買って、
おそろしく長い階段をおりて行った。
階段が終わると、重い鉄の扉があった。
それを開けると、ほとんど照明のない、ほの暗いプラット
フォームがあり、そして、全体が地下水で濡れていた。
なんともいえない、不気味さがあった。
その場に貞子が出ても、すこしもおかしくなかった。

「なんだか、ものすごい駅だな。」
と私は思った。
現在の筒石駅の湿っぽさは、あのときと、すこしも
変わっていない。

トンネル内にある駅は、現在はこの筒石駅のほか、
JR東日本上越線の土合(どあい)駅と
湯檜曽(ゆびそ)駅、北越急行ほくほく線の
美佐島(みさしま)駅、野岩鉄道会津鬼怒川線の
湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)駅がある。
それと武蔵野線の新小平(しんこだいら)駅は、
ホームの1/3くらいがトンネルの中だから、
半トンネル駅といってもいいだろう。
いずれにしても、トンネルの中の駅というのは
きわめて少ない。

※津軽海峡線の吉岡海底駅、竜飛海底駅は
北海道新幹線の開通に伴い、2014年3月をもって
廃止された。
※地下鉄の駅は除く



私自身は、このうち、ほくほく線の美佐島駅を除く、
すべての駅に降りているが、プラットフォーム全体が
湿っぽいのは筒石駅だけである。筒石駅のこの湿っぽさは
遠くから来て、味わうだけの価値はあると思われるのである。



ということで、今回の記事のまとめであるが
えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの筒石駅は
トンネルの中にあり、いつも湿っぽい。
機会があれば、ぜひとも、その湿っぽさを体験して
いただければと思う。


えちごトキめき鉄道では、筒石駅での入場券購入者
に対し、絵はがき状の「入坑・入場証明書」を希望者に
配布している。これも、ご興味があれば、入手される
のもよいと思われる。

また、頸城トンネルが完成したあとの旧北陸本線は
自転車専用道路になっている。(久比岐自転車道)
この道は、鉄道時代のトンネルが、そのまま使われて
いたりして、なかなかおもしろいところである。
こちらもご興味があれば、ぜひとも走ってごらんに
なるといいだろう。

2万3,300円のノートPC、買ったった

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AcerのCloudbookが2万3,300円で売っていたので、
思わず、ポチッとしてしまった。


As_AO1-131_gray_nonglare-photogallery-01.png

<スペック>
OS: Windows 10 Home
CPU: Intel Celeron N3050 プロセッサー デュアルコア1.60 GHz
メインメモリー: 2GB
ディスプレイ: 11.6"HD 1366x768 16:9 無反射

私自身はデスクトップPC派で、現在、メインで
使っているのは、Core i5のミニタワーである。
外出時のモバイルデバイスについては、
ほとんどスマホで間に合わせている。

ということで、ノートPCは、たまにしか使わない。
現在の私は、子どもたちが使っていたレノボのネットブック
(Ideapad S10-3 2010年製)をもらい受けて、
HDDをSSDに換装して使っている。
まあ、これで十分である。

ということで、ノートPCを買う必要性は、
あまりなかったんだけど、AcerのCloudbookが、
Joshin Webであまりにも安かったもんで、
つい、ポチッとやってしまった。www

結論。なかなかイイんでないかな。


いま流行のディスプレイ部分がパコッとはずれて
タブレットPCにもなるオシャレなやつじゃない。
ふつうのクラムシェル型ノートPCなんだけど、
そのぶん、軽くて使いやすい。

スペックは、いまどきのPCとしては、かなり低い。
けれども、IT弱者の私にとっては、これで十分である。
結局、ノートPCでなにをやるか、によるよね。

現在の私が、ノートPCでやることというと、
メールとGoogle Keepといったメモアプリ。
それとGoogleカレンダーをみるだけ。
それ以外のアプリは、めったに使わないもんな。

だから、本当は、Windowsである必要もない。
Chrome OSのChromebookという選択肢もあるんだけど、
ま、Windowsを捨てる必然性もないからね。
要するに、価格さえ安ければ、なんだっていいのである。


ということで、Cloudbookのスペックは、私にとっては
十分なんだけど、ノートPC1台で、すべてをすまそう
という方にとっては、あきらかにスペック不足である。
そこんとこは、注意する必要があるね。


それと、箱を開けてみてビックリしたんだけど、
Cloudbookって、イーサネットのポートも
DSUB15ピンのRGBアナログポートもない。

いやあ、びっくりしたなあ。
(゜o゜)

まあ、HDMIポートが付いているから、DSUB15ピンの
RGBアナログポートは、さすがに必要ないか。
けれども、イーサネットのポートがないのは、
ちょっと、まいったね。

ていうのは、私は外付けの光学ドライブを持っていないので、
いつもは、ノートPCを有線LANでつなぎ、デスクトップ機の
光学ドライブを「共有」にして、そこからCD-Rに入った
アプリケーションをインストールしていたんだけど。
それが出来ないんだよなあ。

結局、私はノートPCを無線LANでつなぎ、
デスクトップ機のファイアウォールを一時的にオフにして、
無理やり接続し、アプリケーションをインストールした。
本当は、こういうことをしてはいけないんだけど、
まあ、仕方がないよね。


それにしても、わりきったPCだよなあ。

クラウドのネットワークストレージに接続することを
前提としているから、ストレージもSSDで32GBしかないし。

現在のノートPCって、デスクワーク用のA4フルサイズノートと、
もうすこし小さいモバイル系にわかれるのだろうけど、
モバイル系については、タブレット、スマホとの差別化が
むずかしくなっている。ある意味では、キーボードの付いた
タブレットと考えた方がいいのかもしれない。
そういったコンセプトを追求したマイクロソフトのサーフェスは
とてもイイと思うんだけど、ちょっと高いよな。

結局、家でPCを使う私としては、スキャナー、プリンタ、
外付けHDDなどの周辺機器を付けまくることができる
デスクトップ機がメインになるのは動かしがたいし、
そういった意味では、外出時にしか使うことのない
ノートPCなんて、ブラウザとGoogle keepなどの
メモアプリがあれば、それでいい。
だとしたら、スマホ、タブレットでも十分なんだけど、
そこそこ使えるキーボードが欲しいから、
ノートPCがあると便利である。
要するに、そういうことなんだよね。

インテルは、次世代低消費電力プロセッサ「Apollo Lake」を
2016年後半にリリースし、Cloudbookに搭載するという。
そういったことから、現在のCloudbookってタタキ売り状態であり、
だから、2万3,300円で売っているんだろう。
ということで、これで十分、とわりきれる人にとっては、
とってもお買い得だと思う。



ということで今回の記事のまとめであるが、
AcerのCloudbookが、いま安い。
ノートPCはこれで十分、とわりきれる人にとっては
お買い得である。


イーサネットのポートについては、USB→RJ45の
コンバータを購入してしまった。
有線LANの安定性、信頼性については絶対に捨てがたいし、
クラウド上のネットワーク・ストレージに頼りきらず
デスクトップPCのデータを複数のPCで共有している
私にとっては、いちいちファイアウォールのレベルを
落として接続するのは、やってられない。
Cloudbookのコンセプトはいいと思うんだけど、
クラウドについては、まだまだ全面的に信頼できない
保守的な私なのである。www

スカイマークで輪行した

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茨城(いばらき)空港から新千歳空港まで、
スカイマーク航空で輪行した。


6月8日から16日まで、北海道に行ってきた。
で、遠軽(えんがる)から釧路まで、自転車で
約560km走ってきた。

その話は、また今度にして、今回の記事では、
スカイマーク航空による輪行(自転車を運ぶこと)
について、あらためてレポートしたい。
その方法と料金が、2011年1月の記事とは
変わっているからである。


スカイマークでの輪行は、以前は「スポーツ用品」
という特定品目として定められていて、
その料金は700Cサイズの自転車が2,000円、
折りたたみ式自転車が1,500円となっていた。
しかしながら、2015年4月より改訂され、
現在はふつうの受託手荷物に含められることに
なっている。

重量は1人につき20kgまで無料である。
ここは大事なので、もう一度いう。
無料である。

ジェットスター、ピーチ、ヴァニラ、春秋航空などといった
LCCに自転車を乗せて輪行しようとすると、航空券代のほか、
受託手荷物料金として2,000~4,000円かかる。
そういったことを考えると、航空券の料金によっては、
スカイマークはおトクであるといえる。

※ただし、サイズに制限があり、50×60×120cm以内に
 おさめないといけないのと、20kgを超えると
 超過料金がかかる。(重量超過1kgにつき500円)



今回、私は茨城空港~新千歳空港まで、「SKYバーゲン45」
で予約し、航空券代は8,600円であった。
LCCにくらべて、若干、割高ではあるが、前述のように
スカイマークは受託手荷物が20kgまでは無料である。
ということで、トータルで考えると大差はない。

スカイマークによる輪行は、以前はサイズに制限が
なかったため、前輪のみはずすだけの輪行も可能であった。
が、現在は50×60×120cm以内におさめなくてはいけない。
私の自転車の場合、長さ120cm以内、幅50cm以内という
のは問題ない。が、ヨコ60cmというのがちょっときびしい。
シートチューブだけで52cmあるもんな。

結局、サドルをいちばん下までおろして、なんとか、
ぎりぎりセーフであった。ていうか、5~6センチほど
はみ出していたんだけど、搭乗前のX線検査装置を
通ったので、なんとか許してくれた。

carry1.jpg
輪行袋に入れた状態

carry2.jpg
輪行袋から出した状態




ということで、今回の記事のまとめであるが、
スカイマークによる自転車の輪行は50×60×120cm以内に
おさめて、重量20kg以内ならば無料である。
参考になれば幸いである。


今回、茨城空港発着便を選んだのは、茨城空港は
駐車場が無料であるからである。
成田空港の近くの駐車場に1週間とめると、
だいたい4,000円くらいかかるし、羽田だと1万円を超える。
そういったことも考えると、クルマを使って茨城空港発着の
スカイマーク便で輪行するのは、ラクだし、おトクである。

湧網線(ゆうもうせん)を走ってきた

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旧国鉄の湧網線の廃線跡を走ってきた。


yumo.gif
湧網線 出所:JTB時刻表


湧網線とは、国鉄(日本国有鉄道)時代に存在した
鉄道路線であり、名寄本線の中湧別(なかゆうべつ)から
網走にいたる路線であった。1987年3月、慢性的な赤字
により、他の多くの北海道のローカル路線とともに
廃止された。

もう、30年ちかく昔の話であるが、
私はひそかに国鉄の全線完乗をめざしていた。
ひそかに、というのは、30才を超えた男にしては
あまりにも子どもじみたことをやっているので、
なるべく、人には話さないようにしていたからである。
私は国鉄全線の8割、距離にして1万6千キロほど
乗ったのだが、結局、全線完乗は達成できなかった。

その最大の障壁になったのは、北海道のローカル路線
である。東京からの距離があまりにも遠かったのと、
列車本数が極端に少なかったから。

湧網線は、北海道のローカル線の代表格であった。
湧別から網走という、ほとんど最果てともいえる地域
を走っているうえ、列車も1日5往復くらいしかなかった。
私は名寄本線、石北本線、釧網本線には乗ったものの、
湧網線には、結局、乗らずじまいだった。
景色がよいことで有名な路線だったので、
ぜひとも乗ってみたい、と思っていたのだが。



2016年6月9日午前6時、私は道の駅「かみゆうべつ温泉
チューリップの湯」にいた。
ここは湧網線の起点であった中湧別駅があったところ
である。今日はここから網走まで、なるべく湧網線の跡を
たどりながら、自転車で走ってみようと思う。

道の駅には、かつての中湧別駅の駅舎と駅名標などが
残っている。北海道には、鉄道の駅であったところが
現在は道の駅になっているところが多い。
この近くだと、興部(おこっぺ)もそうである。

yubets.jpg
中湧別駅名標


しばらくは、国道238号線を走る。
芭露(ばろう)駅の旧駅舎は、かつて簡易宿泊所として
使われていたので、多くの自転車やオートバイの旅人
が訪れたものと思われる。が、現在は、「サポートセンター
ばろう」という、老人ホームらしき施設ができていた。

サロマ湖に出る。
私は国道からはなれて、月見ヶ浜道路にはいった。
この道は湧網線の廃線跡にできた道である。
サロマ湖沿いに走る区間であり、景色がよい区間であった。

計呂地(けろち)駅は、駅舎、ホームとも、
ほぼ完全なかたちで残っており、交通公園として
整備されていた。ホームには、C58型蒸気機関車と
客車が2両、保存されており、客車には宿泊する
ことができる。

yumo3.jpg
計呂地交通公園(湧別町)
http://www.town.yubetsu.lg.jp/50shisetsu/6nou-kankou/kerochikotsu.html


ここから湧網線の路盤は、はっきりしなくなった。
床丹(とこたん)駅はどこにあったのか、さっぱり
わからない。あきらめて、常呂(ところ)までスキップする。

常呂からは、いよいよ湧網線探訪のハイライトである。
湧網線の廃線跡が自転車道(オホーツクサイクリングロード)に
転換されているのである。ということで、自転車の旅人は、
およそ30kmにわたって、列車になったつもりで
湧網線の廃線跡を走ることができる。


cycle.jpg
オホーツクサイクリングロード入口
出所:googlemaps

北海道Webページ内 自転車道の紹介



常呂駅の跡は、現在はバスターミナルになっている。
現在は、網走駅まで1日7往復のバスがあるうえ、
北見駅方面にも路線がある。湧網線があった時代よりも、
案外、便利なのかもしれない。

さらに自転車道を走る。
能取(のとろ)駅跡ではホームの残骸があったが、
雨が降ってきたので、カメラを出すのが億劫になり、
写真は撮らなかった。その先の駐車場でトイレ休憩をした。

yumo1.jpg
オホーツクサイクリングロード(旧湧網線廃線跡)


能取湖沿いを走る。
湖が見えて、景色がいいのかな、と思っていたのだが、
林のなかを走っているので、湖はほとんど見えなかった。

自転車道は、おおむね、きちんと整備されている。
が、路肩にフキだとか、巨大なイタドリといった雑草が
生い茂っており、道幅がせまくなっている。
もっとも、このフキと巨大なイタドリは、北海道のどこの
道路の路肩にも生えているのだけれども。


卯原内(うばらない)の駅跡に着いた。
ここも交通公園となっていて、9600型蒸気機関車と
客車が1両、保存されている。
9600型、通称キューロクである。
ボイラーの火室を大きく、動輪を小さくしたため、
独特の胴長短足のスタイルである。
機関車の大きさのわりに牽引力が強いので、
石炭などの長大貨物列車が多く、そのわりに線路が
貧弱だった北海道では、多くの9600型が活躍した。
北海道の人にとっては、9600型はなつかしい機関車
なのかもしれない。

yumo2.jpg
卯原内交通公園にある9600型蒸気機関車

yumo4.jpg
卯原内駅名標

9600型は、前述のようにあまりスタイルがよくないため、
鉄道マニアのあいだで人気がなく、
現在、走っている動態保存機がない。
そのため、9600型が実際に走っているのを見たこと
がある人は、私の世代よりも古い人だけであろう。
私自身は1972年に北九州に行ったとき、走っている
9600型を見ている。腰高で小さな動輪を一生懸命
まわしながら走る姿は、なんともいえずユーモラスであった。

卯原内からも、自転車道はさらに続いている。
湖眺橋(こちょうばし)という能取湖を一望するきれいな橋
をわたり、しばらく走ると、網走市街に入った。
大曲橋という橋をわたると、自転車道は終わる。
午後2時すぎに網走駅に着き、湧網線の旅は終わった。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
湧網線は、景色がよいことで有名な路線であったが、
現在は、その多くが自転車道に転換されている。
ということで、自転車の旅人は、およそ30kmにわたって
ありし日の湧網線を偲びながら走ることができる。
ご興味がある方は、訪ねてみるのもいいかもしれない。

遠軽~釧路 自転車ツーリング

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遠軽(えんがる)から釧路まで自転車で走った。


odaito.jpg
道の駅おだいとうでバテるtak


hokkai.gif
今回走ったコース

1日め 遠軽~能取(のとろ) 104km
2日め 能取~ウトロ 101km
3日め ウトロ~羅臼(らうす) 30km
4日め 羅臼~根室 142km
5日め 根室~霧多布(きりたっぷ) 116km
6日め 霧多布滞在 10km
7日め 霧多布~釧路 88km
  合計 591km


●走行データ
  使用した自転車   ロードスポーツ改造車
  チェーンリング    44T-32-22T (3段)
  カセットスプロケット  11-34T (8段)



1日め 遠軽まで

2016年6月8日午前9時、私は茨城空港にいた。
今日は、ここから新千歳空港に飛び、
さらには遠軽まで、鉄道で輪行しようと思う。

茨城空港は、常磐線の石岡駅の近くにある。
自衛隊の百里基地の民間共用化により、
2010年より、スカイマーク航空、春秋航空などが
運行している。
東京から、やや離れたところにあるが、
距離的には、成田空港と大差はない。
今回、茨城空港発のスカイマーク航空便を選んだのは、
茨城空港は駐車場が無料であるからであった。

午前10時15分、搭乗開始。
スカイマーク航空では、窓側の席、真ん中の席、
通路側の席の順で搭乗するよう案内される。
しかしながら、団体のおじさんたちは、そんなもん、
無視して、どんどん乗ってしまう。
結局、通路側の席を予約した私が乗るころには、
すでに、ほとんどの席はうまっているうえ、
頭上の棚に荷物を置くスペースはなかった。
まあ、200席の737だから、なんとかなったけれど、
777のような大型機だと、大混乱になっただろうな。

sky.jpg
茨城空港にて


午前10時40分、ほぼ満席の乗客をのせた737は離陸し、
11時55分、ほぼ定刻に新千歳空港に着陸した。
バゲッジクレームで自転車が出てくるのを待つ。
12時15分発の快速エアポートに乗れば、
札幌駅を13時ちょうどに出る特急カムイに乗れるのだが、
まあ、これは無理だろうなと思っていた。
結局、私の自転車が出てきたのは、12時15分ごろ
であった。

12時25分発の快速エアポートで札幌にむかう。
次の特急オホーツクは15時08分発で、約2時間の
待ち時間がある。どこかでラーメンでも食べたかったけれど
自転車を持っているから、動きづらい。
めんどうくさいので、札幌駅の6番線で約2時間をすごした。

14時50分ごろ、網走行きの特急オホーツク5号が
入線してきた。昔なつかしい、キハ183系であった。
首都圏では、国鉄時代につくられた車両をみる
ことは、もはや、まれであるが、ここ北海道では、
特急列車にも堂々と使われている。
自由席のシートは、かなりくたびれていた。

こういうとき、純粋な鉄道ファンであれば、
引退まぢかの車両に乗れてよかったな、と思う
のかもしれない。私はというと、
「せっかく高い特急券を買ったのに、こんなボロい
車両にのせるなんて...」
と思ってしまう方である。
15時08分、なつかしいディーゼルエンジンの音を
ひびかせて、オホーツクは発車した。


183.jpg
JR札幌駅に入線するキハ183系 特急「オホーツク」


札幌から遠軽までは、約260キロある。
キハ183系は、ボロ車両にしては意外なほどの
高速で進んでいくが、それでも3時間30分ほどかかる。
上川をすぎると、つい、私は、つい、うとうとしてしまった。
すると、ガツンという音がして、急停車した。
すぐにアナウンスがあり、
「ただいま線路内に入っていたシカと接触しました。
おそれいりますが、異常がないか確認が終了するまで、
しばらくお待ち下さい。」
というアナウンスがながれた。

私が石北本線に乗ると、なにかが起こる。
前回は落ち葉で車輪がすべって、上り勾配を
登れなかったのだが。
結局、オホーツクは約20分遅れで遠軽駅に着いた。
私のせいで列車が遅れたようで、なんだか申し訳なかった。
自転車を組み立て、明日からのツーリングに備える。

engaru.jpg
JR遠軽駅にて

そうそう。なぜ、遠軽なのかを説明するのを忘れていた。
私の場合、ゴールした地点から、次の旅を始める
という自分ルールを決めているのだが、
前回(2012年10月13日から19日まで、札幌~遠軽590km)
のゴールが遠軽だったからである。
今回は、遠軽から始めて、釧路まで走るつもりなのである。

遠軽~釧路自転車ツーリング その2

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遠軽(えんがる)から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。


2日め  遠軽~能取(のとろ)  約104km

北海道の朝は、はやい。
というと、どこの朝でもいっしょではないか、と
ツッコまれそうだけど、北海道の朝はマジで早いのである。
経度の関係で東京よりも30分くらい、はやく日が昇る。
遠軽のような北海道東部の町では、午前3時すぎには
もう、明るくなってくる。

2016年6月9日、私は午前4時に起き、5時に出発した。
中湧別(なかゆうべつ)までは、かるい下り勾配である。
上湧別チューリップ公園に、なんだか、でっかい建物がある。
はて、以前に来たときには、気がつかなかったけど。
建物の前まで行ってみると、屯田歴史博物館と
かいてあった。興味があったけど、まだ、朝5時台である。
当然のことながら、開いていなかった。

中湧別からは、前の記事にも書いたように、
湧別線(ゆうもうせん)の廃線跡をたどって行った。
計呂地(けろち)交通公園で休憩する。
ランドナーがとめてある。
持ち主が来たので、すこし話をする。
神戸から来た、というその人は、私よりも年上に見えた。
日本一周に挑戦中なのだそうで、現在、29日めだという。
その日数で神戸からここまで来たのなら、大した脚力である。
「お互い健康に気をつけて、少しでも長く、旅を続けたいですね。」
と言って、別れた。

c58.jpg
計呂地交通公園にて


サロマ湖沿いに、国道238号線を走る。
ほぼ平坦だとばかり思っていたが、けっこう、アップダウン
があった。これは、要するに、サロマ湖に流れ込む、
何本かの川が侵食した谷があるからである。

1万数千年前には、海水面がいまより数十メートルも低い所に
あったため、サロマ湖は陸地となっていた。その後、気候が
暖かくなり、海面が上昇するのに伴って、陸地に海が進入し、
サロマ湾が形成された。さらに海流が海岸付近の砂を移動させ、
砂州と呼ばれる細長い地形ができ、外海と仕切られることで
サロマ湖が作られたわけである。
サロマ湖は、広大な水面だが、深さはもっとも深いところで
20メートルくらいしかない。あと何千年、何万年かしたら、
河川が運んできた土砂により、サロマ湖はなくなってしまう
のだろう。

saroma.jpg
サロマ湖


常呂(ところ)に着いた。ここはカーリングが盛んなことで
有名である。常呂カーリングホールというものがあった。
なかを見学させてもらうと、4つのレーンがあり、
なかなかの規模であった。
カーリングの競技場というものをみるのは初めてであった。
経験が大きく影響すると思われるスポーツだけに、
こういった施設があるのは貴重だと思う。

cirling.jpg
常呂カーリングホール


常呂からは、能取湖沿いにオホーツクサイクリング
ロードを走る。能取湖は、秋になると、いちめん真っ赤になる
サンゴ草で有名である。サンゴ草は、なんだか、
スギナのようなかたちをした植物で、食べられるらしい。
あまり食べる気にはなれないけど。
いったん網走に行ってから、なるべく海岸沿いに
日本を一周する、というテーマにより、能取岬をめざす。

雨が激しく降ってきた。 初日は、どうも調子が出ない。
走行距離が100kmをこえると、脚がまわらなくなってきた。
午後3時、レイクサイドパーク・のとろキャンプ場に着く。
能取岬をまわってから、網走市内で泊まろうと
思っていたのだが、今日はここに泊まることにする。

受付をすると、キャンプ場の人は、
「本当に、この雨で泊まるんですか?」
と驚いていた。けれど、私の持っているスノーピークの
テントは雨には強い。横風には弱いけど。
なるべく風のあたらないところにテントを張る。

食料を買ってくるのを忘れてしまった。
ここからいちばん近いセイコーマートは、
卯原内(うばらない)にあるが、そこまで約5km。
めんどうくさいので、非常食のカロリーメイト2本と
あんぱんを食べ、そのまま寝てしまった。
(つづく)

遠軽~釧路自転車ツーリング その3

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遠軽(えんがる)から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。

3日め  能取~ウトロ  約101km

翌朝は、5時に出発するつもりであったが、
レイクサイドパーク・のとろキャンプ場があまりにも快適
であったため、つい、寝坊してしまった。
テントを片付け、7時に出発する。
今日も天気が、いまひとつである。
とりあえず、能取岬にむかって、北海道道76号線を走る。

オホーツク海に出たところで長いトンネルがあり、
それを抜けたところで左折。牧場のなかを走る道
を通って、能取岬に出る。
晴れていれば、景色がいいのだが、今日は視界が
わるくて、なにも見えない。

能取岬に着いた。
2002年9月に来て以来だから、じつに14年ぶりの
再訪である。霧のため、なにも見えなかった。

notor.jpg
能取岬にて


道道76号線にもどり、網走にむかう。
ゼッケンをつけた中高年の団体が歩いている。
ひとりのおばさんが、私にむかって、
「がんばって~!」
と声をかけてくれた。
にっこりと笑って、手をふっておいた。
網走市街に入る。網走市役所の前をとおって、
国道244号線に入った。

朝から、なにも食べていない。
国道沿いなら、コンビニくらいあるだろうと
思ったのだが、なにもない。
おかしいと思って、スマホで調べてみたら、すこし、
内陸に入ったところに、何軒かのコンビニがある。

じつは、網走の街は標高40メートルくらいの
海岸段丘の上にあるのである。それに対して、
いま、走っている国道244号線は海岸沿いにある。
市街地と国道をつなぐ道は、ほとんどない。
あったとしても、標高差40メートルを自転車で
登る気にはなれない。

ボトルをのぞいてみると、チロルチョコレートの
抹茶もちが1個、残っていた。それを食べながら、
さらにスマホで調べてみると、10km先の北浜駅
のちかくに、セイコーマート北浜店がある。
どうやら、そこまで走った方がよさそうだ。

と思って走り始めたけど、結局、ハンガーノック
(空腹のため、低血糖状態になること)を起こしてしまった。
時速10kmくらいで、ゆっくりと走る。なんだか、命からがら、
セイコーマート北浜店に着いた。

斜里(しゃり)までは、ほぼ平坦な道。
そこから国道334号線にはいり、知床方面にむかう。
ややアップダウンがあり、30kmほど走ると
オシンコシンの滝がある。バスが何台もとまっていて
ちょっと意外なほど、たくさんの観光客が来ていた。

oshink.jpg
オシンコシンの滝


ウトロに着く。
セイコーマートウトロ店で、晩ごはんのお弁当を買って、
国設知床野営場に向かう。坂を登り切ったところに、
外国人のサイクリストがいた。

外国人サイクリスト 「Hello!」
私     「...ハロー」

こういうとき、英語で平然と話しかけてくる外国人旅行者の
気持ちは、いまいち、よくわからない。
すこし話してみると、イタリアからの旅行者で、自転車で北海道を
一周しているのだそうだ。が、英語とイタリア語しか話せない、
という。

イタリア人「今日はとても寒いです。どこに泊まろうか、考えている
    ところなのです。」
とかいう。なんだか、ややこしいことになりそうなので、
私   「私は、この先にあるキャンプ場に泊まります。
    それじゃあ、いい旅を。」
と言って、別れた。

キャンプ場に行って、テントを張り、とりあえず弁当を食べる。
そして、石鹸とタオルを持って、ウトロ温泉夕陽台の湯に行った。
すると、さきほどのイタリア人サイクリストがいた。

イタリア人 「私もキャンプ場に泊まることにしました。バンガローを
     選んだのですが、料金が3,200円もするうえ、暖房もなにもない。
     とても寒いです。」
私    「テントサイトは400円でしたよ。」
イタリア人 「信じられない! 差が大きすぎます!」
とか言って、怒っていた。

そんなこと、私に言われてもなあ。

日本のキャンプ場はそんなもんですよ、と言っても、納得できない
ようであった。
ひさしぶりに英語が通じる話し相手をみつけて喜んでいるようで、
風呂から出たあともロビーで話をした。

イタリア人 「なぜ、風呂から出たあと、牛乳を飲むのですか?」
私    「日本の伝統です。」
イタリア人 「ふーん。」

よけいなお世話である。

イタリア人 「私のカードだと、セブン-イレブンでないと、お金が
     おろせないんです。どうしたらいいですか。」
私    「Visaとか、大手のクレジットカード会社なら、郵便局の
     ATMでおろせますよ。郵便局なら、日本全国どこに
     でもありますし。」
イタリア人 「日本語のメニューしかないと、わからないんです。」
私    「最初にEnglishというボタンを押すと、英語の操作メニュー
     が出ますよ。」
イタリア人 「ふーん。」

なんだか、大丈夫なのかな、と思うけれど、こんな状況でも北海道一周
をしてしまうのが、イタリア人なんだろうな。

イタリア人 「日本はいい国です。みんな親切だし、犯罪もない。
     とても感じがいい。」
私    「どうもありがとう。けれど、高齢化がすすんでいて、
     だんだん衰退している感じですけどね。
イタリア人 「ふーん。」

いろんな話をして、午後9時にテントに帰った。
明日はいよいよ、知床峠越えである。
標高750メートル。今回の旅の最大の難所である。
睡眠をとって、体力をつけておかないと。
(つづく)

遠軽~釧路自転車ツーリング その4

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遠軽(えんがる)から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。


4日め  ウトロ~羅臼(らうす)  約30km

翌朝は7時に出発するつもりであったが、
起きたら、強い雨が降っていたので、
ちょっと、めげてしまった。
私は、雨に濡れたテントをたたむのが大嫌いなのである。
国設知床野営場は料金が400円とやすいし、
すぐちかくに温泉もある。今回の旅行では、
予備日を1日とっているので、このまま、もう1日、
滞在してしまおうか、と思った。
が、10時ごろになると、雨も小降りになってきた。
そこで、テントをたたみ、気合を入れて出発した。

セブン-イレブン ウトロ店で、コロッケパンと
野菜ジュースを買って、朝食をすます。
それと、水を1リットル、チロルチョコレートや
カロリーメイトなどといった携帯食料を買い込む。
今日は、これから標高751メートルの知床峠を越える。

知床峠はウトロと羅臼(らうす)のあいだにある峠で、
景色のよいことで有名だし、夏になれば、
多くの観光客が訪れる。ということで、ご存じの方も
多いことだろう。オートバイ乗りにとっては、
誰もが一度は訪れたいポイントになっている。
が、自転車乗りにとっては難所である。
ウトロから知床峠までは、約13km。
平均勾配は、だいたい5.8%である。

ウトロを出て、北にむかう。
幌別橋をわたると、いよいよ登り勾配がはじまった。
前のギアを32T、後ろのギアを26Tに入れて、
もくもくとペダルを踏み続ける。
見晴橋をわたったところで、後ろを振り返ると
ウトロの町がきれいに見えた。

utor.jpg
見晴橋からみたウトロの町



知床五湖への道の分岐点に、知床自然センター
という施設があったので、少し休憩した。
すぐちかくで、エゾシカが草を食べている。
5メートルくらいまで近寄ったが、逃げない。

シカという動物は、知能があまり高くないらしく、
ものごとの限度を知らないところがある。
人間が危害を加えないと、どんどん、人の住んでいる
ところに入ってくる。ということで、シカは畑を荒らしたり
することが、サルなどにくらべて、非常に多い。
知床半島は国立公園だから、動物の捕獲などは禁止
されている。そのようなことから、シカはいい気になって
どんどん人間の住む領域に進出している。

それだけなら、まだいいのだが、シカを追って、
ヒグマがやってくるから始末がわるい。
現在、知床ではヒグマが人のすぐ近くまで
やって来るので、問題になっているのである。

deer.jpg
エゾシカ


知床自然センターを出て、なおも、もくもくとペダルを踏む。
標高290メートル、370メートル、500メートル。

290.jpg
標高290メートル

370.jpg
標高370メートル

500.jpg
標高500メートル


なんというか、それほどきつい峠ではなかったな。
もっとも勾配がきついところで7%くらいで、
あとはだいたい4~5%の勾配が続いていた。
今回の知床峠越えに備えて、前のチェーンリングに
スーパーローの22Tを付けてきたんだけど、
結局、最後まで使わなかったな。
だいたい、前32T、後ろ23Tか26Tで登れた。
ロードスポーツでも、コンパクトクランクなら、
余裕だと思う。


峠が近づいてきた。おそろしく寒い。
気温は5℃以下である。
あとで聞いたところでは、6月に入ってから雪が降ったそうで、
ところどころ、残雪が残っていた。
道が凍っていなくて、よかった。

snow.jpg
残雪


午後1時ごろ、峠についた。
晴れていれば、羅臼岳がきれいに見えるはずだが、
雨と霧で、なにも見えなかった。

shiret.jpg
知床峠にて

つづく

遠軽~釧路自転車ツーリング その5

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遠軽(えんがる)から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。


4日め  ウトロ~羅臼(らうす)  約30km

三脚を立てて記念写真をとっていると、「わ」ナンバーの
レンタカーがやって来た。女性3人が降りてきて、
私をみると、
「おつかれさまでーす。」
と言った。

私  「ああ、こんにちは。」
女性A 「すごーい。自転車でここまで登ってきたんですか。」
私  「いやあ、下からここまで2時間くらい、かかりましたけど。」
女性A 「これから、どちらに降りるんですか?」
私  「羅臼のほうに降りますが。」
女性B 「ヒグマ、いましたよー。キャハ!」
私  「え...ほんとですか。」
女性C 「ええ。道の近くに本当にいましたよー。キャハハ!」
私  「...。」

もし、それが本当なら、キャハハッ!ではないと思うのだが。
私なら、たとえ逆方向であっても、
「よろしければ、安全なところまで、このクルマに乗って
いかれますか?」
くらい、言うと思う。けれども女性たちは、記念写真を
撮り終わると、
「じゃ、がんばってくださいねー。キャハハハハッ!」
と言って、走り去って行った。


しばらく考えたものの、とりあえず、降りるしかない。
午後1時30分、下り始めた。
羅臼がわは、ウトロがわにくらべて勾配が急なようで、
かなりのスピードが出た。
時速50km以上。
それを追い越して行った大阪ナンバーのプリウスが
いたのには恐れいったけど、ともかく、ヒグマに
追いかけられたくないので、私は必死でとばした。
午後1時50分、無事に熊の湯に着いた。

峠からここまで、約20分。
サイクルコンピュータによると、距離は約13kmである。
平均時速39km。最高時速62km。
ヒグマの恐怖があったからこそである。


今日は、もう、ここで終わろう。本当は標津(しべつ)まで
走るつもりだったんだけど、ちょっと疲れた。
私は向かい側の羅臼温泉野営場に入って行った。
まだ管理人が来ていなかったので、
自転車と荷物だけ置いて、熊の湯に行く。

kumano.jpg
熊の湯


熊の湯は、無料の露天風呂である。
とはいえ、男女別である。
女湯と書かれた建物をすぎると、いきなり男湯で、
全裸の男が5人いた。みんな、すっぽんぽんで、
前を隠していない。

一瞬、たじろいだけど、どうやら、これが正しい熊の湯
の入り方らしい。「こんにちは。」と言って脱衣場に入る。
私も全裸になり、タオルで前を隠さずに湯にむかう。
5℃以下の峠から降りてきて、ちぢこまっていたので、
手ですこしほぐしてから、入っていった。

いろんなところに書かれているように、
熊の湯は、とても熱い。
45℃くらいある。
湯につかった瞬間、手足がしびれる。
がまんして、全身をつけた。

先にはいっていた人は、ほとんど地元の人だった。
「家に風呂はあるが、わかしたことはない。
毎日、ここに来る。」と言っていた。
だろうなあ。こんないい温泉が近くにあって、
しかも無料なのだから。

その夜、他にやることもないので、熊の湯に2回、
入りに行った。
熊の湯は、「熊の湯を守る会」により維持されて
いるようで、毎朝、清掃があるようだ。
「キャンプ場にお泊まりの方、ご協力よろしく
お願いします。」と書かれている。
明日は、遅れを取り戻すため、根室までの
約140kmを走りたい。朝、はやく出発したいので、
掃除はカンベンしてもらおう。
午後9時に眠りについた。
(つづく)

遠軽~釧路自転車ツーリング その6

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遠軽(えんがる)から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。


5日め  羅臼(らうす)~根室 約142km

翌朝は午前5時に起き、6時に出発した。
「熊の湯を守る会」が、キャンプ場利用者に協力を求めている
毎朝の熊の湯の清掃については、気になっていた。
が、今日は遅れを取り戻すため、根室までの約142kmを
走りたい。申し訳ないけれども、パスさせていただく。
すみません。次回は、必ず手伝いますんで。

セイコーマート羅臼店で朝食。
最近のコンビニが売るコーヒーのレベルは飛躍的によくなった。
日本全国どこでも、100円でそこそこの味のコーヒーが飲めるので、
本当にありがたい。

羅臼から国道の番号が334号から335号にかわる。
今日走るコースは、とりたてて観光地もない。
140km以上を走るので、時速15kmから20kmくらいの
ペースでのんびりと流す。
羅臼から標津(しべつ)の間は、標高80メートルくらいの
小さな峠があったけど、だいたい平坦な道であった。
標津には、午前10時ごろ着いた。

r244.jpg
国道335号線と244号線の交差点


標津から国道244号線に入り、南にすすむ。
長く伸びた砂嘴(さし)となっている野付(のつけ)半島は、
大学時代に歩いたことがある。あのとき、私と友人の2人は
野付半島の根元の位置にある尾岱沼(おだいとう)の
ユースホステルに泊まった。
ペアレントの話では、岬の先端にちかいトドワラまで、
渡し船が出ているので、それで渡って、歩いて帰ってくれば、
半日のコースである、ということであった。

私と友人は、かるく考えて、その話にのってしまった。
が、トドワラからユースホステルまでは、20km以上もあった。
私たちはもくもくと歩きつづけ、帰ってきたときには、
すでに、夕方ちかくになっていた。
しかたなく、尾岱沼ユースホステルに連泊した。

当時の尾岱沼ユースホステルには、ここが気に入ったから
といって、1ヶ月くらい滞在している人が、ざらにいた。
客だけでなく、ヘルパーもみんな、そんな人たちだった。
あの時代のユースホステルは、社会に適合できない
若い人のたまり場のようなところがあった。

ひとりで旅にでて、気に入ったところがあれば、
何ヶ月も滞在する。宿泊費がなくなればヘルパーとなり、
無償で働くかわりに、食事と寝る場所を提供してもらって、
滞在し続ける。あの時代は、そういった若い人がたくさんいた。
現在、ユースホステルは少なくなり、そういう人は
いなくなった。

ああいった、社会に適合できない若い人たちは、
いまの世の中では、どこにいるのだろうか。
おそらく、どこにも行くことができず、家でひきこもって
いるのだろうな。

私は、若い人が人生のある時期、社会に適合できなく
なるのは、当然のことだと思っている。逆にいえば、
そういった時期をまったく経験しないで、社会に出てくる
ような人は、どこかおかしいのではないか、と思う。

若い時に人生につまづき、旅に出て、1年や2年、
まわり道をしても、あとでいくらでも取り返せる。
ようするに、ゆっくり生きればいいのである。

それすらも許されず、小さな挫折をすると、
家にひきこもるしかなくなる、いまの若い人たちは
かわいそうだな、と思う。

国道からはなれ、尾岱沼の市街に入って行った。
かつての社会不適合者の巣窟、尾岱沼ユースホステルが
いま、どうなっているか、気になったからである。
見覚えのある町のなか、観光船のりばをすぎて、
たしかこのへん、と思ったところにはなにもなく、
山小屋のような建物は、影も形もなくなっていた。


さらに南にすすむ。
セイコーマートがあった。誘蛾灯にひきこまれる
蛾のように、店に入っていってしまう。
自転車旅行中の私は、食中毒をふせぐため、
いつもはカロリーメイトとか菓子パンのような
乾いた食べ物しか口にしない。
が、セイコーマートには100円くらいのパスタがある。
おそらく、店には冷凍で入荷され、店頭に出すときに
レンジでチンしているのだと思う。大手チェーン店だから、
衛生面では安心であろう。

私は、「チキンたっぷりペペロンチーノ」という商品が
気に入ってしまった。108円で、ちょっと少なめの
パスタに塩味の鶏肉がトッピングされている。
自転車乗りにとっては、まさにちょうどいい量だし、
コストパフォーマンスは抜群である。
私は食べることにあまり興味がないので、気に入った
商品があると、続けて買ってしまう傾向がある。
チキンたっぷりペペロンチーノは、6回めの購入である。
さすがに飽きてきた。つぎのセイコーマートでは、
トマトとミートボールのパスタにしよう。

道の駅おだいとうで休憩した。
天気がよければ、国後島(くなしりとう)がみえるはずなのだが、
あいにく、なにも見えなかった。
すこし陽射しが出てきたので、レインウェアと
ウィンドブレーカーを干して、かわかす。
居心地のいい道の駅で、なんとなく、1時間くらい
滞在してしまった。

odaito.jpg
道の駅おだいとうにて


さらに南に走る。
別海町(べっかいちょう)は、原野をひらいてつくった
牧場が多い。とにかく、やたらと牛がいる。
自転車で走っていると、その牛たちがみんな、私を見る。
クルマやオートバイが通りすぎても、牛は興味をしめさない。
が、自転車に乗った旅人が通ると、興味を持つようだ。
「あんなもので走って、バカな人間だなあ。」
とでも思っていやがるのだろうか。

あいつらこそ、人工授精による妊娠と出産を繰り返され
強制的に乳をとられるのである。
で、乳が出なくなったら、それで終わりである。
かわいそうなやつらである。

さらに南にすすむ。
いつヒグマに遭遇してもおかしくない原生林のなかを走り、
厚床(あっとこ)に着く。
かつては、ここから中標津まで、標津線が走っていた。
そういえば、標津線にも乗ったことがなかったな。

尾岱沼ユースホステルに行ったとき、行きは標茶(しべちゃ)から
根室標津(ねむろしべつ)まで鉄道で行き、そこからバスで行った。
帰りは、ユースホステルの人に開陽台(かいようだい)と
裏摩周展望台にマイクロバスで連れて行ってもらって、
計根別(けねべつ)の駅でおろしてもらった。
だから、標津線には乗らなかったのである。

あのとき、標津線に乗っておけばよかったな、と思う。
まさか国鉄が民営化されて、北海道の鉄道路線の
ほとんどが廃止されてしまうなどとは、当時は、
思ってもみなかったもんなあ。
標茶~根室標津間も含めて、このあたりの鉄道が
すべて廃止されてしまった現在となっては、
こんなことを書いてもはじまらないけど。

厚床から、国道44号線に入る。
スワン44ねむろという、変わった名前の道の駅で休憩した。
近くの風蓮湖には、冬になれば白鳥がいるのだろうけど、
いまは夏だから、なにもいない。まだ明るかったけど
車中泊の準備をするクルマの旅人がいっぱいいた。
車中泊にむいている道の駅というものがあり、
ここは、最適である。
さらに東にすすみ、日が暮れたころ、根室に着いた。
(つづく)

遠軽~釧路自転車ツーリング その7

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遠軽から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。


5日め  根室~霧多布(きりたっぷ)  約116km

日本一周とはなにか。
じつは、その定義は、人によりまちまちでなのある。
わりと多いのは、「日本全ての都道府県を踏破すること」
であるが、その場合、経路についてはあいまいである。
また、沖縄県を含めるかどうかは、
大きな分かれ道になる。

私がやろうとしているのは、海岸線沿いに自転車で
一周する「日本外周」である。この場合、経路については
日本一周よりも明確である。
しかしながら、海に面していない8県(栃木、群馬、埼玉、山梨、
長野、岐阜、滋賀、奈良)については、当然のことながら
経路から外れる。ということで、日本一周の条件は満たさない。

また、海岸線沿いに行くといっても、北海道、本州、
四国、九州の4島以外に行くとなると大変である。
日本のすべての島嶼を含めると、海岸線の総延長は、
3万キロちかくなるからだ。
走破することは、事実上、不可能であろう。

そもそも、「日本」を正確に定義すると、日本一周を
実行するのは、きわめてむずかしくなる。
日本最北端は択捉島(えとろふとう)のカモイワッカ岬であるが、
現在はロシアが領有権を主張しており、日本人は自由に
行くことはできない。

最東端は南鳥島であるが、自衛隊と米軍、気象庁の
関係者以外は、立ち入ることができない。
最南端は沖ノ鳥島。漁業関係者でも見たことがある者は
少ないだろう。

日本最西端は与那国島(よなぐにじま)の西崎(いりざき)。
これはふつうの人でも行くことができる。
けれど、西崎まで行くならば、南西諸島、沖縄諸島、
八重山諸島を、すべて走破しなければ、意味がない。

ということで、日本一周とか日本外周といっても、
明確な定義があるわけではなく、また、正確に定義すると
実行するのはきわめてむずかしい。
が、それでも最低限行かなければいけないポイント
というものがある。日本一周とか日本外周をやろうと
している旅人は、以下の4つのポイントはまわらないと、
格好がつかない。そういうことになっているのである。

4point.gif

1.本土最北端 宗谷岬 (北海道稚内市)
2.本土最東端 納沙布(のさっぷ)岬 (北海道根室市)
3.本土最西端 神崎鼻 (長崎県佐世保市)
4.本土最南端 佐多(さた)岬 (鹿児島県肝属郡南大隅町)




2016年6月13日午前7時30分ごろ、根室の宿を出た。
北海道道35号線を走り、納沙布岬にむかう。
なんというか、荒涼とした風景のなかをすすむ。

霧でよく見えないので、沼なのか湿地なのか、
よくわからないところを走る。
「駅前ターミナル」という行き先表示の出た
根室交通のバスが走っていった。
当然、根室駅前のことなんだろうな。
「フラリ」というバス停があった。
なんだか、フラリとこんなところまで来てしまった
みたいで、ちょっとおかしくなった。

途中の集落で「根室名物エスカロップ」という幟(のぼり)を
たてている飲食店をみた。エスカロップとは、
ケチャップライスに豚カツをのせて、ドミグラスソース
をかけた料理である。
私はケチャップライスも豚カツも大好きなので
食べてみたいけれど、自転車旅行中なのでパス。
セイコーマートうちやま歯舞(はぼまい)店で、
トマトとミートボールのパスタを買って食べた。

さらに、東にすすむ。
珸瑶瑁という町があった。
珸瑤瑁郵便局、珸瑤瑁小学校。
なんとよむのだろう。
しばらく考えていたけど、わからない。
あたりまえである。最初から知らないのだから。
家に帰って調べてみたら、「ごようまい」であった。

しばらく走ると、納沙布という標識があり、
お、いよいよ納沙布岬だな、と思った。
けれど、さらに2kmくらい走り、「おかしいな、まだかな。」
と思ったところで右折して、そこが納沙布岬であった。

2016年6月13日午前9時03分、私は本土最東端の
納沙布岬に到達した。
他の2つのポイント、本土最北端の宗谷岬、
本土最南端の佐多岬はすでに訪れているから、
残るポイントは本土最西端の神崎鼻だけになった。

nosap.jpg
納沙布岬にて

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