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遠軽~釧路自転車ツーリング その8

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遠軽から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。

5日め  根室~霧多布(きりたっぷ)  約116km

納沙布岬では、30分ほど滞在した。
いつものことだが、自転車で来たので、いろんな人に話しかけられた。
質問はだいたい、以下の3つである。
 1. どこから来たのか。
 2. 日本一周をしているのか。
 3. これからどこに行くのか。

1.については、「東京からです。けれども今回は遠軽まで
飛行機と列車で来て、そこから走り始めました。」
2.については、「いいえ。今回は釧路までです。」
3.については、「根室にもどります。」
というのが正確な答えである。だから、そう答える。

が、質問する方としては、もっと遠くから来て、
「日本一周をしています。これから鹿児島にむかって走ります。」
みたいな答えを期待しているので、なんとなく不満そうである。
そうしていると、ランドナーに大荷物を積んだ自転車乗りが
やって来た。彼は、本当に途中中断なしの日本一周を
やっているようである。ということで、質問ぜめへの対応は
彼にまかせ、私は北方館に避難した。

トイレを借り、出発する。
「北方領土は日本の領土」と書いたポケットティッシュが
置いてあったので、ひとつ、もらっておいた。

根室にむかって、ふたたび荒涼とした風景のなかを走る。
途中、北方原生花園というところがあった。
花が咲いていればきれいなのかもしれないが
6月13日の段階では、なにも咲いていない。

じつは、私は出発前に、ここをGoogleマップで見て、
「駐車場とトイレもあるし、キャンプができそうだな。」
と思っていた。だが、現地に来て、考えがかわった。
こんなところでテントを張って、ひとりで寝ていたら、
殺されてオホーツク海に放り込まれても、文句を言えない。
自転車乗りの方々は、ここでキャンプをするのは
やめておいた方がいいと思う。
午前11時40分ごろ、根室の町にもどった。
根室半島を一周したわけである。

さらに先にすすむ。
根室駅をすぎたところで、落石(おちいし)という案内標識に
したがって左折する。案内標識にロシア語が書いてある。
根室では町中でも、かなり頻繁にロシア語をみかける。
そんなにロシア人が多いのだろうか。

根室からは、北海道道142号線を走る。
昆布盛という駅で休憩した。
牛山 隆信氏の秘境駅ランキングで第55位である。

kombu.jpg
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昆布盛駅


朝夕の通学時間帯だと、高校生の乗客がいるのかも
しれないが、いまは、昼過ぎ。だれもいない。
ひっそりと静まりかえっている。
プレハブの待合室があるが、ほとんど使われている
感じがしない。
時刻表が貼ってある。
列車は釧路方面が1日4本。根室方面が5本。
それだけ。
なんだか、廃止間近という感じがするな。

現在、JR北海道は2017年3月のダイヤ改正に合わせて、
利用客が少ない無人駅10駅を廃止する方針を発表している。
根室本線については、島ノ下駅、稲士別駅、上厚内駅が
その対象となっている。

昆布盛駅は、2017年3月廃止の対象には入っていない。
しかしながら、かなりあぶない感じがする。
まあ、JR北海道は、ひとりでも定期乗車券による
利用客がいる限り、廃止はしない方針のようだけど。
昨年3月まで、たったひとりの女子高生のために
存続していた旧白滝(きゅうしらたき)駅の例もあるし。
けれども、彼女の卒業と同時に、旧白滝駅は廃止になって
しまったから、北海道の無人駅の先行きがきびしい
ことにはかわりはないけれど。

落石から先は、原生林のなか、こんな感じの道が
約10kmつづく。

ochi.jpg
落石~別当賀(べつとうが)間の北海道道142号線


その間、人家はおろか、農作業用の小屋すらもない。
これほどまでに、なにもないところは北海道でもめずらしい。
いつ、ヒグマに遭遇して襲われても、文句が言えない。
思えば、あぶないことをしているな、という気がしてきた。
初田牛(はったうし)の駅の前を左にまがり、
霧多布(きりたっぷ)にむかう。

初田牛から霧多布までは、アップダウンの連続であった。
高さ50メートルくらいの台地状の地形を、ちいさな川が
侵食した谷がいくつもある。幹線国道であれば、
橋でわたってしまうのだが、ローカルな地方道だから
地形に忠実に道がつくってある。ということで、1kmごとに
50メートルほどの谷を登り降りしなければならない。

こう書くと、大したことないように思われるかもしれないが、
こういう道が、いちばん疲れるのである。
走行距離100kmを超えると、脚がとまってきた。
地獄の入り口が見えかけたところで、霧多布湿原に出た。
たいらな道になり、ほっとする。

シカの群れが、私を見て逃げていく。
ちいさい子鹿もいたから、家族なのだろう。
突き当たったところを左折。北海道道1039号線にはいる。
霧多布大橋をわたり、霧多布の町に。
さらに岬にむかってすすみ、霧多布キャンプ場についた。

遠軽~釧路自転車ツーリング その9

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遠軽から釧路まで、自転車で走った。そのつづき。

6日め  霧多布(きりたっぷ)滞在

霧多布キャンプ場は、無料だった。
昨日、キャンプ場に着いたとき、管理人さんに
ノートに住所と名前を書くように言われた。
書き終えると、料金を徴収されることなく、
「じゃ、ゆっくりしていってくださいね。」
と言われた。
ということで、ゆっくりすることにする。
誰もいなかったので、私は炊事場のちかくの
平らなところにテントを張った。

kiritap1.jpg
霧多布キャンプ場にて

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霧多布灯台

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霧多布岬


ごらんのとおり、霧多布岬周辺は、北海道でも屈指の
きれいなところである。2kmほどはなれているけれど、
霧多布温泉という入浴施設がある。
霧多布の町まで出れば、セイコーマートがある。

いうことなし、である。

私は2泊することにした。
5日連続で走ってきたので、ちょっと疲れていたし、
今回の旅では、予備日を1日とっていたから。
それに、私は無料ということばに弱いのである。

お昼まで、文庫本を読んですごす。
昼ごはんを食べに、霧多布の町まで出た。
郵便局でお金をおろすなどの雑用をこなしてから、
霧多布温泉ゆうゆに行く。
料金は、大人500円であった。

ルパン三世のポスターが、たくさん貼ってある。
ここに来るまで知らなかったのだが、霧多布のある
浜中町は、ルパン三世の作者、モンキー・パンチ氏の
生まれ故郷なのだそうだ。

ルパン三世については、かなり昔、漫画アクションで
読んだことがあるのだが、原作はアニメーションと
ずいぶん、イメージが違っていた。
原作のルパンは、アニメのようにべらべらしゃべったり、
「不~二子ちゃん」などど、おどけたりしなかった。

漫画家とアニメーターは、別のジャンルのアーティストである。
漫画家であり、アニメーターでもあった手塚治虫氏の作品は、
漫画作品とアニメ作品のイメージの差がすくない。
けれども、漫画家とアニメーターが別の場合、
イメージの差が大きい。
スタジオジブリの作品がいい例であろう。

ルパン三世の場合は、キャラクターだけを流用した、
まったく別の作品と言うべきであり、作者である
モンキー・パンチ氏としては、さぞや複雑な心境
だっただろうな、と思う。
霧多布温泉には、その日の夕方までいた。
夕日がきれいだった。


7日め  霧多布~釧路 約88km

翌朝はすこし寝坊して、午前7時ごろ出発した。
北海道道123号線を、厚岸(あっけし)をめざして走る。
霧多布湿原をみおろす展望台があった。
その名のとおり、霧でよく見えなかった。

kiritap4.jpg
琵琶湖展望台より


散布(ちりっぷ)という地名が続く。
渡散布(わたりちりっぷ)、火散布(ひちりっぷ)、丸山散布(まるやまちりっぷ)。
散布とは、アイヌ語で湿地を意味する「チリップ」ということらしい。
火散布橋をわたる。
橋の下では、漁師さんたちがバフンウニを割って、
身を取り出していた。

火散布から先は、高さ50メートルくらいの海食崖
の上を走る。ときどき海が見えるけど、海面まで、
めちゃめちゃ高く、簡単に自殺できそうだ。
あやめヶ原というところに行く分岐点に駐車場と
トイレがあったので、休憩した。
今日は、北海道に来て、はじめてよく晴れた。

厚岸まで、一気にくだる。
厚岸は、このあたりでは大きな町である。
厚岸大橋をわたると、イオンがあった。

atsukes.jpg
厚岸大橋にて

厚岸からは、国道44号線を走る。
釧路まで45km。ゴールが近づいてきた。
尾幌というところからは、10km以上、ずっと登りが続いた。
標高150メートルまで上がって、やっと、くだり始める。
釧路の平野部に入ると、霧が出てきた。

釧路では、幣舞橋(ぬさまいばし)のすぐちかくにある
ゲストハウスに泊まった。1泊素泊まりで2,500円。
オーナーは気さくで、とてもいい方だった。
同室だったのは、ブルネイから来た青年。
オーナーに誘われて、お茶を飲みにダイニングに
降りていくと、東京から来たという英語が達者な女性と
いっしょになった。みんなで英語で話をしていると、
日本にいるという感じがしなかった。

翌朝は、釧路駅から高速バスで札幌へ。
さらに新千歳空港まで列車で行って、
16:55発のスカイマーク便で茨城空港に戻った。
茨城空港の駐車場に1週間とめてあった自分のクルマに
自転車をのせて、運転席にすわるとほっとした。


ということで、東京に無事に戻ってきた。
知床峠から羅臼まで、ヒグマの目撃情報があった
にもかかわらず、自転車で下ってしまったのは、
いまから考えると、むちゃくちゃヤバかったな。www
年齢をとってくると、だんだん、生への執着が少なく
なってくる。気をつけないといけないな、と思った。

白内障の手術を受けてきた

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白内障の手術を受けてきたのだが。

今年の3月、白内障が進行して、視力が悪化したため、
オートバイから降りることにした」という記事を書いた。

あれから、9ヶ月。
もちろん、オートバイには、まったく乗っていない。

読者の方々より、「白内障の手術は簡単ですよ。」という
アドバイスもいただいたけど、やはり眼の手術はこわい。
それに、「どうせ、もうすぐ死ぬんだから。」という
諦めもある。

このあたりの気持ちは、なかなか、わかってもらえない
かもしれない。

現在の私は、2人の子どもを育て終え、
父親としての役割は終わった。
もう、生きていても、意味がない存在なのである。
あとは、なるべく迷惑をかけないようにして、死ぬだけ。
高いお金をかけて、眼の手術をしても仕方がない。
本気で、そう思っていた。
そんな私が、どうして眼の手術をうける気になったのか。


6月に北海道に行って、遠軽から釧路まで、
自転車で走った。道中はほとんど時速15kmくらいで
ゆっくりと走ったのだが、途中、知床峠から羅臼まで
下る国道334号線で、私は時速60kmでとばした。
ヒグマの目撃情報があったからである。

そう。自転車でも、下り坂だと時速60kmくらい、
かんたんに出るんだよね。私は忘れていた。
左眼の視力がほとんどない状態で、
時速60kmでカーブに入っていくとき、
私は危険を感じた。

北海道ツーリングから帰って、私は家内に相談した。
「白内障の手術を受けたいんだけど...。
8万円くらい、かかるんだけど、いいかな。」
「いいから、はやく受けてきちゃいなさいよ。
費用は、あなたの入っている医療保険でカバー
できるんだから。」

そうか。医療保険に入っていたんだった。
私は忘れていた。
こういうとき、家内はまことに頼りになる存在なのである。www

ということで、手術をすることに決定。
病院選びにはいる。
立川近辺で、眼科が充実している病院というと、
まずは、三鷹にあるK大学病院。
ここのアイセンターの充実度は、都内でも有数である。
それと、小平市の公立S病院。公立で庶民的だけど、
白内障手術の症例は数多い。
あるいは、個人開業医で優秀な医師の手術を受けるか。

とりあえず、かかりつけの眼科の医師に相談することにする。
東京では、かかりつけの医師の紹介状がないと、
病院での診療、手術は、ほぼできない。
なぜか、そういうことになっているのである。

私 「先生、手術をうける決心をしました。」
医師「あそう。じゃ、どこで手術うける?」
私 「それを先生に相談しようと思いまして。」

病院に紹介状を書くだけで、1万5千円が手に入るから、
心なしか、うれしそうである。
かかりつけの医師は、立川市内のS医療センターはどうか、
とすすめてきた。悪くない選択だと思うが、
あそこは眼科の医師が少なく、手術の症例も少ない。
私の方から、三鷹のK大学病院のアイセンターはどうか、
と聞いてみた。
すると、あそこは網膜剥離とか、緑内障とか、
むずかしい手術をうける人で、いつも混んでいる、
とかいう。

ということで、結局、家から近いこともあり、
小平の公立S病院に紹介状を書いてもらった。
まさか、ここから地獄をみることになるとは、
そのときの私は、思ってもみなかったのであった。
(後半につづく)

白内障の手術を受けてきた 2

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白内障の手術を受けてきたのだが。
そのつづきである。

2016年6月23日午前10時、私は小平市の
公立S病院にいた。
病院の受付でかかりつけの先生に書いていただいた
紹介状を出し、眼科の待合室に行く。
名前をよばれて、まずはひととおりの視力検査を受け、
さらに、医師の診察を受けるため、
診察室に入って行った。

白内障の手術を希望していること、その経緯などは
紹介状にすべて書いてあるだろうから、
とくに話すこともない。きわめて事務的に眼の診察をする。

医師「...。じゃ、早速ですけど、手術が可能かどうか
調べますので、血液検査を受けてください。」
私 「はい。」

血液検査とは、要するにHIVウィルスとか、
ウィルス性肝炎とか、血液で感染するような病気を
持っていないかどうかをチェックするためであろう。
これはまあ、パスするだろうな。

カルテを持って眼科を出て、採血室に行く。
結果が出るまで、1時間くらいかかるので、
セブンイレブンでコーヒーを買って飲んだ。
1時間後に名前を呼ばれた。

医師「takさん、手術はできませんねえ。」
私 「え?」
医師「最近、健康診断とか受けてます?」
私 「いちおう。ここんとこ、ちょっとサボってましたけど。」
医師「あなた、糖尿病になってますよ。」
私 「え、え、え?」

なんと、HbA1Cという項目が10%以上になっているという。
(正常値は5.8%以内)

医師「白内障の手術の前に、糖尿病をなおしてもらわないと。
内分泌内科の予約をとりますので、そっちにまわってください。」
私 「...はい。」


それにしても、知らないあいだに、血糖値がそんなに
上がっているとは、思ってもみなかった。
HbA1Cとは、簡単にいうと過去3ヶ月くらいの血糖値の
平均値であると考えればいいらしい。
記録をみると、前回の健康診断では、HbA1Cは5.9%
だったので、ぎりぎり引っかからなかったようだ。

私の場合、自転車旅行中は、しょっちゅう、血糖値が
下がりすぎて、ハンガーダウンを起こしているけれど、
ふだんの私は、食事はたっぷりとっているし、
甘いものも大好きである。とりわけ、清涼飲料水が
大好きで、ドクターペッパーを24本入りのケースで
買っている。知らず知らずのうちに、血糖値が高めの
生活をしていたらしい。


それにしても...。(汗)
若いときは血糖値が低めで、すぐにいらいらしていたのに。
最近、そういうことがなくなり、おれも人間がまるくなったなあ、
と思っていたら、なんと、糖尿病になっていたでござる。
いやはや、なんとも、である。
3日後、内分泌内科の診察を受けた。

医師「うーん、よくないですねえ。」
私 「はあ...。」
医師「とりあえず、入院ですね。」
私 「えーーーー!」
医師「インスリンを打ちますので、様子をみないと。
それと生活改善のため、栄養指導などをうけていただきます。
ということで、入院していただきます。」
私 「...はい。」
医師「入院中、1日の摂取カロリーを1700kcal以下にします。
それと、運動療法ですね。ウォーキングを1日1万歩以上。」
私 「はあ。」
医師「HbA1C6%台をめざしましょう。まだ若いんですから。
がんばってください。」

なんだか、えらいことになってきた。
人生初の入院が糖尿病とは。
とほほ、である。
(さらにつづく)

白内障の手術を受けてきた 3

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白内障の手術を受けてきたのだが。そのつづき。

2016年6月28日午前10時、私は小平市の公立S病院に
入院した。
入院することは、会社関係、仕事関係には知らせなかった。
どうせ、知られてしまうけれど、いまはまずい。
いま関わっているプロジェクトから外されたくないし、
1週間かそこらの入院だから、周囲によけいな心配を
かけたくなかった。

入院と聞いて、いちばんびっくりしたのは家内である。
私はバカだし、オートバイの運転はどヘタだし、
なーんのとりえもない人間だけど、とりあえず健康だった。
そんな私が、いきなり入院することになってしまったので
家内にとっては衝撃であったようだ。
めずらしく、病院まで、ついて来てくれた。

看護師さんに入院生活の説明を受けて、腕にバーコード
のついたリストバンドを付けられる。

私  「なんだか、刑務所に入るときみたいですね。」
看護師「いえ、知りません。刑務所に入るときも、
こういったものを付けるんですか?」
私  「ええ。交通違反がオレンジとか、薬物違反が緑とか、
犯罪によって、色が違うらしいですよ。」
看護師「なんで、そんなこと、ご存じなんですか。」
私  「い、いや。聞いた話です。あくまでも聞いた話。」
看護師「...。」

どうやら、よけいな話をしてしまったようである。
病室に案内され、ここがあなたのベッドです、と言われた。
同室の方は、眼の手術を受けた人とか、
重症の糖尿病患者とか、いろいろだった。
ひとりひとりに、どうぞよろしくお願いします、と
挨拶してまわった。

さてと。
家族に心配をかけるようでは、人間失格である。
すこし、マジメにやらないといけないな、と思った。
糖尿病には、なりやすいタイプの人があるらしく、
享楽的な人、楽天的な人は糖尿病になりやすいし、
また、なかなか治らないらしい。
なにを言っても、「まあ、ええやん。」とか言うような人が
いちばんやばいのである。
ここで、早く退院できないようだと、生涯、糖尿病に
悩まされることになるかもしれない。

それに、なんだか思わぬことになってしまったけど、
私の目標は、糖尿病をなおすことではない。
白内障の手術を受けることなのである。
とにかく、さっさと退院しないと。

ベッドに横になり、ボーッとしていると、昼食が出た。
「注射がありますから、まだ、食べないでくださいね。」
と言われた。
看護師さんがやってきて、血糖値を測定される。
「ちょっと、チクッとしますよ。」
と言われ、指先に針のようなもので、パチンッと穴をあける。
ちょっとチクッどころか、めちゃめちゃ痛いやんか。
さらに、お腹のあたりに、インスリンを注射される。
そうして、やっと、「どうぞ、召し上がってください。」
という許しが出た。

メニューは、かぼちゃの煮たのにひき肉の餡をかけたものと、
ご飯。それとサラダ。
「え、これだけ?」
と思うくらい、少なかった。

5分くらいで食べてしまった。ほかにやることがないので、
ベッドで横になり、本を読む。
60年間、生きてきて、こんなにのんびり過ごすのは初めてである。

晩ごはんは、鰆(さわら)の切り身の焼いたもの。
おどろくほど、小さかった。それにもう1品、なにかあって、
ご飯とみそ汁。それだけ...。
結局、入院初日はお腹が空きすぎて、よく眠れなかった。
(さらにつづく)

白内障の手術を受けてきた 4

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白内障の手術を受けてきたのだが。そのつづき。

病院の朝は、はやい。
午前6時には起床で、看護師さんが体温と血圧を測りにくる。
血圧は、いつものとおり、最高で110くらい、
最低で80くらいである。けれど、体温が36.5℃だった。

私  「私、平熱は35.8℃くらいなんですが。
もしかしたら、いま、微熱があるのかもしれません。」
看護師「病院に来るとね。みーんな、体温が上がるんですよー。」

よくわからないけど、どうやらそういうことらしい。
朝食の前に血糖値を測られ、インスリンをうたれる。
午前9時になると、運動の時間である。
スポーツウェアに着替えて、歩数を数えるための万歩計と、
万一、低血糖発作を起こしたときのためのブドウ糖
補給ゼリーを持って、病院の外に出る。

5,000歩以上歩く、というのが、私に与えられた課題である。
が、運動というからには、心拍数を110以上に上げ、
軽く汗をかくまでやらないと、意味がない。
私は水の入ったボトルを首から下げ、毎日、走った。

運動というのは、できない人には、絶対にできないらしい。
が、私の場合、中学、高校とバスケットボールをやっていて、
死ぬ一歩手前まで走らされたので、べつに苦にはならない。
病院から西武線の小平駅まで往復して、約3.8km。
それで、ちょうど5,000歩であった。
その距離を毎日、午前と午後に走った。1日約7.6km。
入院中、このジョギングは、いい気分転換になった。

3日めの血糖値測定で100mg/dlをきるようになり、
インスリン注射はもういいだろう、ということになった。
担当医師の診察を受ける。

医師「食事はどうですか。」
私 「もの足らないですね。いつも、あの倍は食べてますから。」
医師「いまの食事量が、takさんのからだを維持するのに、
ちょうどいい量なんです。これからも、いま以上の量を
食べてはダメですよ。」

それを聞いて、ああ、もうオレには食べる楽しみというものが
なくなったんだな、と思った。
私の場合、食べることに、あまり興味がないからいいけど、
人によっては地獄だろう。生きる楽しみが、なくなるかも
しれないな。

それからも、毎日、マジメに運動療法を続けた。
午前と午後に病院を出て、汗びっしょりになって帰ってくる
私を見て、なにやら重い病気で入院している人から、
「あんた、本当に病気なの?」
と言われた。
同室の糖尿病患者からは、
「なんで、あんたみたいな人が糖尿病なんだ?」
と言われた。

インスリン注射なしでも、血糖値が100mg/dlをコンスタントに
切るようになった。この生活を続けられるならば、まあ、いいだろう、
ということになり、一週間後、無事に退院することができた。
さらに、自宅で食事療法と運動療法を続け、約1ヶ月で
体重が8kgほど落ち、2ヶ月後には、HbA1Cも6%台になった。

ということで、ずいぶんと回り道をしたけれど、
どうやら、白内障の手術を受けられるようになったのである。
(さらにつづく)

白内障の手術を受けてきた 5

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白内障の手術を受けてきたのだが。そのつづき。

2016年10月21日午前9時40分、公立S病院に行く。
ふたたび、眼科の医師の診察を受ける。

医師「ずいぶんと早く、糖尿病がよくなったんですねえ。」
私 「はい、どうもありがとうございました。
おかげさまで、地獄を見ましたけど。」
医師「じゃあ、白内障の手術をしましょうか。日帰りコースで
いいですか。」
私 「よろしくお願いします。」

ちなみに、費用であるが、公立S病院の場合、日帰りコースで
約4万4千円だった。リーズナボーである。
看護師さんから手術までのスケジュールを説明され、
その日は帰った。


12月5日午後2時。いよいよ手術の日である。
生まれてはじめて、自分のからだにメスを入れる。
それが、よりによって眼の手術とは...。
とほほである。
看護師さんが、眼薬で麻酔をする。
手術着に着替え、いよいよ手術台の上に。
といっても、なんだか床屋さんのイスのようだったけど。
私の執刀医は女性だった。

ちなみに、病院というところは、本当に女性が多い。
医師、看護師、薬剤師、検査技師、その他もろもろ、
みんな女性である。
私は60年間、生きてきて、これほど女性が多い職場
というのを、はじめてみた。
日本社会というのは、男性、女性でかたまりやすいものである。
サラリーマンという男性中心の社会にいると、いまだに女性は
少ないんだけど、病院という女性中心の社会にくると、
いるわいるわ、うじゃうじゃいる。
こんなところに、かたまっていたのかよ、と思った。


そうそう、手術である。
左眼をとじられないように、SMの鼻フックのようなもので
まぶたを固定され、眼が生理的食塩水で満たされた。

私 「心の準備をしますから、切るときは言ってくださいね。」
執刀医「...いいから、明るいところを見て、じっとしていて
ください。」

先生がメスを持ち、じゃ、いきます、と言った。
その瞬間、私のからだは、ぐぐぐっと固くなる。

執刀医「そんなに緊張しないで。からだが固くなると、
動いてしましますから。なにも考えずに、ぼーっと
していてください。」

...そんなのムリっす。
これから自分の眼を切られるというのに、なにも考えずに
ぼーっとできるくらい、人間が出来ていたら、
いまごろ、もっとえらい人になってると思います。

ふたたび、メスを持った手が近づいてきた。
ぐぐぐっとからだが固くなる。
そして、チクッとした。
あ、いま切られたんだな、と思った。
人によっては、まったく痛みを感じないらしいけど、
私の場合は、かなり痛かった。

2ミリくらい、切開すると聞いていた。
ということで、一瞬で終わるのかな、と思ったら、
結構、時間がかかる。

心拍数と血圧をモニターしている。
手術開始まえ、心拍数は90くらいで、ピッ...ピッ...という
感じだったけど、切開されるときには、120くらいまで
上がって、ピッピッピッピッと、めちゃめちゃ速くなっていた。
アドレナリン、出まくりである。

執刀医「...大丈夫ですか?」
私 「はい、大丈夫です。」
執刀医「いま、いちばん大事なところですから、じっとして
いてくださいね。」
私 「はい。」

なおも、メスで、なにやらやっている。
横にベテランらしい男の先生がついていて、
いろいろとアドバイスをしている。

執刀医「ここは、これでいいでしょうか。」
指導医「うーん、まあ、そんなもんでいいんじゃないかなー。」

おいおい、ちゃんとやってくれよ~~~。
(T△T)

切開工程が終わり、いよいよ、直径2ミリくらいの
針を入れて、超音波で水晶体をくだき、吸い出す工程に入る。
超音波でくだいているとき、患者に恐怖を与えないためか、
ホニャララ、ホニャララというミュージックホンのような
音がする。
よけいに怖いわ!

超音波で水晶体をくだく針は、なんだか三角形をしていて
真ん中に穴があいている。そういうのが、手術中、
ずっと見えているのである。60年生きてきて、
これほどの恐怖をあじわったのは、はじめてである。

執刀医「これで、どうでしょうか。」
指導医「うーん、まあいいかー。」

たのむから、ちゃんとやってくれよぉ~~~。
(T△T)


最後に、なにかを入れられると、傘がひろがるように
眼内レンズが開くのが見えた。

私 「あ...いま、レンズがひろがるのが見えました。」
指導医「うん、もう大丈夫だよー。」

それで終わりだった。眼帯と包帯をされ、無事に手術終了。
人によっては、5~10分くらいで終わってしまうらしいけど、
私の場合、約30分、かかったね。

指導医「ちょっと、真ん中あたりの濁りが強かったから。
時間がかかっちゃったけど、もう終わりだから。
お疲れさんー。」
私  「ど、どうも。お手数をおかけしました。」

担当の看護師さんに、「はい、どうぞ、立ってください。」
と促されるが、一瞬、私は立てなかった。
手術着は、汗でびっしょりであった。
最後に、血圧と脈拍をチェック。
血圧は、145まで上がっていたね。www
(さらにつづく)

本年もどうもありがとうございました

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いつも、当ブログをお読みいただき、どうもありがとうございます。
すこし長めの挨拶になって恐縮だけど、
私は、今年で60才。還暦になった。
これまでの人生をふりかえってみると、
生きるのに必要なことって、幼稚園でほとんど学んだような気がする。

私は東京都板橋区の稚竹幼稚園(わかたけようちえん)の出身である。
クラスは桜組。担任は佐藤先生であった。
佐藤先生は、一見、やさしそうだけど、
躾(しつけ)面では、非常にきびしい先生であった。
 きちんと挨拶をする。
 なにかしてもらったら、ありがとうと言う。
 順番をきちんとまもる。
そういった、この社会で生きていくためにに必要なことは、
私は、そのほとんどを、佐藤先生からまなんだような気がする。

あれから55年。
たとえば、私はこの年齢になっても、たとえば渋滞しているとき、
「ええい、割り込んでやろうかな。」
と思っても、その瞬間、「ちゃんと順番にならびなさい!」という、
佐藤先生のカン高い声が、頭のなかで響くのである。
そして、割り込むことができないのである。

あるいは、アウトドアで遊んだあと、ゴミを片付けるのが面倒くさく、
そのままにして帰ろうかな、と思うと、
♪おかたづけ~ おかたづけ~
という佐藤先生のひくオルガンの音と歌声が、頭のなかで響く
のである。そして、ついつい、片付けてしまうのである。

要するに、この世の中にはルールというものがあり、
みんなで生きていくためには、それを守らないといけない。
そして、他人に迷惑をかけてはいけない。
そういうことを、私は幼稚園で学んだ。
私は佐藤先生に、いまでも、とても感謝している。

現代は個人主義の時代であり、集団生活におけるルールを
守らない人が多い。あるいは、ルールを守ることよりも、自分の都合を優先する。
そういう人が増えている。

けれども、そういうのに私はついていけない。
個性の時代だか、なんだか知らないけれど、
知ったふうなクチをきくまえに、ちゃんとルールを守れよ。
他人に迷惑をかけるんじゃねえよ。
ついつい、私はそう思ってしまうのである。
そういうのは、だんだん時代遅れになってきているのかも
しれないけれど、私は生き方を変えることができないのである。



みなさまからの励ましのメッセージのおかげで、
今年も1年間、記事を書き続けることができました。
感謝申し上げています。
みなさまにとって、来年がいい年でありますように。
そして、どうか、みなさまが健康でありますように。

白内障の手術を受けてきた 6

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白内障の手術を受けてきたのだが。そのつづき。

2016年12月5日午前8時30分。手術の翌日である。
看護師さんが、眼帯をとる。
その瞬間、はっきりとした像がひろがった。
おおっ、見える、見えるぞ。

けれども、なんだか違和感がある。
像が青っぽいのである。
オリジナルの右眼で見える像の色温度が、
太陽光の5000K(ケルビン)だとしたら、
あたらしい左眼で見える像の色温度は、
ストロボ光の5500Kくらいである。
ホワイトバランス調整機能があるならば、
「曇天」に合わせたいくらいである。
けれども、まあ、贅沢は言ってられない。

視力検査をする。
もともと、私の左眼はかるい近視であり、
視力は0.5くらいであった。
けれども、新しい左眼は、1.0ほど出ている。
まさしく、♪見えすぎちゃってこまるの~、状態である。
医師の診察を受ける。

医師「どうですか。具合は?」
私 「おかげさまで、とてもよく見えます。」
医師「違和感はありますか。」
私 「なんだか、像が青っぽいですけど。」
医師「じょじょに慣れますよ。」
私  「そんなもんですか。」
医師「はい、そんなもんです。」



で、どうなったかであるが、たしかにじょじょに慣れてきた。
まず、像の色温度の差であるが、3日で慣れた。
左右の色の感じ方に差がなくなってきたのである。
それでも、厳密にいうと、ちょっと色温度が異なる。
だから、画家とかデザイナーなど、色を扱う仕事の人は、
入れる眼内レンズについて、医師と十分に相談した方が
いいかもしれない。

それと、手術後すぐは、夜間、点光源を見たときに、
スジが出た。眼内ケンコーバリクロス状態であったけれど、
これも1週間で消えた。ということで、手術後1週間で
不自然な感じはほとんどなくなった。

若干、不自由になったことというと、眼鏡が手放せなくなった。
眼内レンズは固定焦点だから、左眼のピント調整機能が
なくなったためである。

眼鏡は、2つ必要になった。
ひとつは、パソコンのディスプレイを見るとき用で、
+0.5という弱い老眼鏡(乱視矯正入り)。
もうひとつは、手元の本や書類を見るとき用で、
+1.5という強い老眼鏡である。
ということで、とても不便である。
けれども、フォーカスがあまい状態だと、脳がひじょうに
つかれるから、仕方がないと思う。
そのかわり、運転するときは眼鏡が必要なくなった。


2017年1月12日。手術後、1ヶ月経過し、ほぼ普通の生活に
もどることができた。
約9ヶ月ぶりに、オートバイに乗ってみる。

怖くて仕方がない。
(^^;

よく、こんなもんに30年以上も乗ってきたな。
もちろん、私の運転がどヘタなせいだけど。
けれども、なれるにしたがって、オートバイを操る楽しさが
よみがえってきた。

白内障が進行したことにより、バックミラーに映る像だけで、
後ろのクルマとの距離と速度差が判断できなくなった。
そのことがオートバイから降りる決心をした最大の理由であった。
が、どうやらもと通りになったようだ。
つい、楽しくなって、海まで走ってしまった。

cb750_ocean.jpg


海を見ながら、考えた。
私は父親としての役割を終え、そして年齢をとった。
そのことにより、生きることに消極的になっていたようだ。
もちろん、あと、何年かすれば、私は死ぬ。
さらにいうと、あと10年もすれば、いまほど自由に
からだが動かなくなるだろう。

けれども、残された時間、できるだけ楽しんで生きよう。
そのため、旅をするための道具として、オートバイを
復活させよう。そう思った。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
白内障の手術は簡単である。
白内障の進行により、オートバイ、自転車などに乗るのを
あきらめておられる中高年の方は、ぜひとも手術をうける
べきであろう。
人生に対する考え方は、人それぞれである。
それは当然であるけれど、それでも、後悔しないように
生きることは、大事なことである。
私はそう思うのである。

三脚をウシにしてみた

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スリックのグランドマスターが2,500円で
手に入ったのだが。

アマさんがジッツォの三脚を2,000円で手に入れられた記事
を読んで、私も中古カメラ屋さんに行ってみた。
すると、ジッツォはなかったものの、スリックのグランドマスターが
2,500円(脚のみ)で売っていた。
即買いである。www

grandmaster.jpg
スリック グランドマスター
※1983年発売 新品時の価格 約4万円


この季節、素手で持つと冷たいので、なにか巻くことにする。
ちょっと考えて、自転車のバーテープを巻くことにした。
amazonで、191円で売っていたので、まとめ買いして
5本ほど、ストックがあったから。
白とか黒とか、単色を選べば無難なんだけど、
ちょっと遊んで、黒/白の柄模様にしてみた。

bartape.jpg
自転車バーテープ 左右2個セット(ブラック/ホワイト)
http://amzn.asia/evx2emG

その結果。三脚がウシになってしまったね。www

grandma2.jpg
ウシになったグランドマスター


三脚って、なかなか買い替えないアイテムである。
基本的にカメラが乗りさえすれば、それでいいわけだから、
そんなに買い替える必要がないんだよね。

私が現在使っている三脚は、高校時代に買ったスリックの
マスターで、もう、40年以上も私と行動をともにしている。
ここまで使ってしまうと、もう、からだの一部みたいに
なってしまって、買い換えることができなくなるね。

今回、購入したグランドマスターは、脚の重量が約3kg。
雲台(うんだい)をつけると、3.5kgから4kgちかくなる。
自転車やオートバイで持ち運ぶのは、ちょっとしんどいので、
クルマでの撮影旅行専用にしよう。

雪の白川郷

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白川郷(しらかわごう)に行ってきた。

2016年12月28日午後1時。私は中央自動車道を走っていた。
白内障になってから、クルマやオートバイに乗るのを
ずっとひかえていた。けれども、手術をうけたことにより、
視力が回復したので、ひさしぶりの長距離ドライブに出たのである。
翌日の夜までに、大阪に着けばいい。
私はすこし、寄り道をしていくことにした。

雪が見たいな、と思った。
甲府昭和インターでおりる。
南アルプス方面に行けば、雪があるかな、と思ったのだが、
意外に積もっていなかった。

国道20号線を北上する。
道の駅白州(はくしゅう)で休憩。
松本から高山方面へ。
国道158号線を走るのは、ずいぶんとひさしぶりである。
すでに夕刻になっていたが、雪に覆われた北アルプスは、
きれいだった。

安房峠道路をこえて、平湯へ。本格的な雪道になった。
気温が氷点下になり、完全に凍結していた。
冬タイヤをはいているけれど、慎重に運転する。
高山までおりると、雪はなくなった。

なんとなく、高山清見(たかやまきよみ)道路へ。
この区間は2007年に開通したが、私はこれまで
走ったことがなかった。かつての国道158号線とは、
くらべものにならないほど、快適な道が続いていた。

清見八日町トンネルをぬけて、飛騨清見(ひだきよみ)
インターチェンジで降り、国道158号線の旧道をはしる。
荘川(しょうがわ)で国道156号線に入り北上した。
御母衣湖(みぼろこ)沿いは、本格的な積雪路面であった。

道の駅白川郷で休憩。
そういえば、白川郷の集落がライトアップされる、とか、
ニュースでいってたな。
私は萩町城址展望台に、のぼってみた。
ライトアップはされていなかった。
スマホで調べてみると、ライトアップされるのは
年に6日だけ。しかも、1月に入ってからであった。
残念である。
ていうか、行き当たりばったりで旅をしている
私がわるいんだけどね。

世界遺産飛騨白川郷ライトアップサイト
http://lightup.asia/


ライトアップされていなくても、雪が積もった合掌造り
の集落は、いい絵になる。
私は、シャッターチャンスを待つことにした。
クルマのなかでシュラフと毛布に身をくるみ、すごす。
深夜になると、マイナス10℃まで気温が下がる。
うとうとしながら、夜明けを待った。

午前5時30分。外に出る。
夜が明けるにつれて、だんだん明るくなってくる。
雪が積もっている状況での夜景撮影は、もっともいい
時間帯を判断するのがむずかしい。ということで、
ヘタな鉄砲も数うちゃ当たる方式で、露出とホワイト
バランスをかえて、バシャバシャ、シャッターを押す。

shiraka.jpg

<撮影データ>
 撮影日時:2016年12月29日 午前6時17分
 撮影機材:オリンパス E-510
      ZUIKO DIGITAL ED14-42mm
 露出時間:45秒 絞り:F4.8
 ISO感度:100
 ホワイトバランス 晴天



もうちょっと雪が積もっていれば、最高なんだけどな。
残念である。
こんどは、ライトアップされたところを撮りにこよう。

白川郷からは、国道156号線、国道304号線、福井県道27号線、
福井県道22号線、国道8号線、国道161号線(湖西道路)、
国道1号線、国道170号線を経由して、家内の実家がある
富田林市に着いた。

「エレベーターフック」を自作した

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三脚につける「エレベータフック」を自作してみた。

I have a hook. And I have a nut.
natHook.jpg

ズン!
natHook2.jpg

...フ、フックナット?

ではなくて、これはれっきとしたカメラのアクセサリー
なのである。スリックでは「エレベーターフック」、
ベルボンでは「エンドフック」という商品名で売っている。
ちなみに、ジッツォでは「センターポールエンドフック」、
マンフロットは...知らん。

作り方は簡単で、DIY店でフック(100円)と、
1/4インチの高ナット(60円)を買ってきて、
ハンダ付けする。
それだけ。

え? どうやって使うのかって?

三脚のエレベーター下部につけて、おもりを吊るす。
それだけで、三脚はぐっと安定する。
おもりは、そのへんに落ちてる石とか、
なければ、カメラバッグでもいい。

tripod.jpg
エレベーターフックを使って三脚を安定させたところ

基本的に、三脚は重い方が安定する。
ということで、望遠レンズを使う人は、大きくて重い
三脚を使うことが必須となる。
だいたいの目安として、35ミリ換算で200ミリ望遠までだと、
スリックのマスター、それ以上だと、グランドマスターが
必要になるね。

さらにいうと、夜景など、長時間露光をする人は、
1クラス上の三脚が必要になる。
ぶっといパイプの大型三脚で、スリックだとプロシリーズ。
あるいは、おフランスのジッツォなどだね。

けれども、ものごとには限度というものがある。
クルマならともかく、鉄道などで旅行をするのに、
そんな重い三脚を持って歩くわけにはいかない。
ジッツォなんか持ったりしたら、電車に乗るのも
ひと苦労である。
ということで、旅行がすきで、かつ風景写真を撮る人は、
小型の三脚に、おもりをぶらさげて安定させる
アクセサリーが必需品になるというわけ。

これまで、私はスリックのマスターにストーンバッグ
をつけて撮っていた。それだと、35ミリ判で
300ミリの望遠まで、6✕9センチの中判だと、
100ミリまでなら、なんとかなる。
けれども、今回、買ったグランドマスターは
ストーンバッグだと、重心が高い感じがする。
ということで、エレベーターフックをつけてみようと思ったわけ。

ま、買ってもいいのだけど、正直いって、こんなものに
1,000円も出す気にはなれないので、自作してみた。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
三脚を安定させるフックは、各社とも商品として
出しているが、ハンダ付けができる人ならば、
簡単に自作できるから。


え、いまのカメラには手ぶれ防止機能がついている
じゃないかって? だから、三脚みたいなもん、
使うやつは、時代遅れだって?

じつは、カメラにもよるけど、手ぶれ防止機能って、
超音波モーターとか、アクチュエータが常に自己発振
(微振動)をしている。だから、完全にシャープな像は
撮れないんだよね。
とりわけズームレンズで、なかのレンズを動かす方式だと、
大きな問題になる。

ということで、鳥とか昆虫なんかを撮る人ならともかく、
風景を撮る人の多くは、手ぶれ防止機能をオフにして
三脚を使っているね。

もちろん、手ぶれ防止機能がスグレものであることは
わかる。標準レンズで、1/15秒といったシャッターが
気軽に押せるというのは、大発明だよね。
けれども、風景を撮っていると、F22とかF32といった
絞りを使うから、昼間でも1/8秒とか1/4秒といった
シャッターをきることがざらだから。
時代遅れと言われようが、なんと言われようが、
三脚は手放せないのである。

静岡リハビリツーリング

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静岡県の由比(ゆい)まで走った。

fuji1.jpg
薩埵(さった)峠からみる富士山


2017年1月22日日よう日。
白内障の手術をうけて、視力が回復したので、
オートバイでツーリングに出ることにした。
ひさしぶりのツーリングなので、無理をせず、
全体で300kmくらいにおさえようと思う。
いってみれば、リハビリツーリングである。www

で、どこに行くか。

東京から、ちょいと出かけるとなると、
まずは奥多摩か丹沢である。
が、この季節、奥多摩はやばい。
日陰のカーブで、いきなり凍っていたりする。
丹沢も、奥のほうに行くときびしい。
ということで、必然的に南にむかう。

八王子バイパスを過ぎ、橋本五差路の交差点。
国道16号に行けば三浦半島。
国道129号に行けば湘南。

どっちに行こうか。

結局、国道16号がめっちゃ混んでいたので、
国道129号線にした。
平塚で西湘バイパス方面に行く。

西湘パーキングエリアは、休日になると、
いつも、たくさんのオートバイが集まる。
関西の針テラスとならんで、オートバイ乗りの聖地
みたいなところである。

私はCB750という地味な車種に乗っているので、
正直いって、こういうはなやかな場所は避けている。
けれど、この日は、ひさしぶりにオートバイに乗ったので、
ちょっと、寄ってみた。
たくさんのオートバイに混じって、CB750を駐車すると、
「ああ、またオートバイに乗りはじめたんだな。」
という実感がわいた。

seisho.jpg
西湘パーキングエリアにて

ハーレーのグループが爆音を轟かせて走り去って
行ったあと、CB750のエンジンをかける。
キュルルル、フィン、フィーン。
その排気音のあまりの迫力のなさに、
思わず笑ってしまった。

西湘バイパスから箱根新道、国道1号線、
伊豆縦貫自動車道(無料区間)と走り、
沼津岡宮インターチェンジへ。
降りたところにあるローソンで休憩。

ふたたび、国道1号線へ。
富士山がきれいに見えている。
由比で、走行距離は150kmになった。
今日は、ここまでにしておこう。

東海道広重美術館へ。
ここには、以前に入館したことがあるから、
なかには入らなかったけど。
美術館前の水路には、なぜか、亀がたくさんいた。

hiroshige.jpg
東海道広重美術館(由比本陣跡)

turtle.jpg
水路にいる亀

ちょうど正午になった。
桜えびのシーズンは、まだである。
今日は波が高いので、しらす漁も出ていない。
ということで、あきらめて、コンビニでおにぎりと
お茶を買って、お昼ごはんにした。

それにしても、富士山がよく見える。
薩埵(さった)峠まで行ってみた。
ここに来るのは、ずいぶんひさしぶりである。
以前に来たときは、なにもないところだったけど、
今回、来てみると、駐車場ができており、
公園のように整備されていた。


さて、帰ろう。
いつも、昼間、めいっぱい走るから、
帰りが遅くなってしまう。
今日はリハビリツーリングだから、
無理をせず、明るいうちに帰ることにした。

富士から国道139号線へ。
夜だと凍っているかもしれないけど、
今日は天気がいいから、大丈夫だろう。
途中、あさぎりフードパークというところに
寄ってみた。この施設、2年ほど前にできたのだが、
最近、話題になることが多い。
いろいろなお店があるが、私はあさぎり牛乳工房
にはいって、朝霧牛乳(165円)を飲んだだけで
出てしまった。

あさぎりフードパーク
http://asagiri-foodpark.com/

青木ヶ原の樹海は、さすがに寒かった。
2日ほど前に雪が降ったようで、
路肩には、雪が積もっていた。
道路には雪はなかったけれど、
路面が融雪剤の塩化カルシウムでまっ白だった。
帰ったら、エンジンとホイールを洗わないと。

河口湖から八王子方面へ。
午後6時に家に着いた。
なんだか地味なツーリングだったけど、
ひさしぶりにオートバイで300kmほど走れたので
まずまずであった。

CB750に2,646円のリアボックス(28リットル)

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2015年7月に、amazonで買った2,862円のリアボックス
(48リットル)をつけてみた記事を書いたけど。
http://kokudoh2.blog.so-net.ne.jp/2015-07-29


じつは、その後、リアボックスは出動の機会が少ない。
日帰りのツーリングに、48リットルというサイズは、
若干、大きすぎるのである。
そこで、同じメーカーの製品で、28リットルのリアボックスを
2,646円で購入。荷物の量に応じて、付け替えることが
できるようにしよう、と思った。


61vLbI8tq-L._SL1000_.jpg
Ray’s (レイズ) リアボックス 28L トップケース
出所:株式会社ビッグワン


商品が送られてきたので、早速、装着してみる。
ベースプレートは、48リットルのリアボックスと共通かな、
と思っていたのだが、若干、ちがっていた。
そのため、改造が必要になる。

といっても、8ミリくらいの穴を
1コあけるだけ、だけどね。www


例によって、M6のボルト1本だけで固定するように
なっているが、私的には不安である。
ということで、M6のボルトを2本、追加した。
ま、このあたりは私の性格なんで、あまり気にしないで
ください。

box2.jpg
リアボックス(48リットル)のベースプレートにリアボックス(28リットル)を付けたところ
 ※取り付けボルト(赤丸)の位置が異なるため、穴をあけて改造している。
 ※M6のボルト(黄色丸)を2本追加している。


box3.jpg

box4.jpg

box5.jpg
CB750にリアボックス(28リットル)を付けたところ


box6.jpg
リアボックス(48リットル)とリアボックス(28リットル)の比較


実際に走ってみると、心配されたガタガタ音も
ほとんどぜず、いい具合である。
レインウェアと上着1枚を入れて日帰りツーリングに出て、
家族に対する言い訳のため、羊羹とかお茶を
買って帰るには、ちょうどいいサイズだね。www



ということで、今回の記事のまとめであるが、
amazonで買った2,646円のリアボックス(28リットル)は、
わずかな改造により、リアボックス(48リットル)と
ベースプレートを共用でき、付け替えることができる。
参考になれば幸いである。

恐縮だけど、いちおう、決まり文句だから。
この記事を読んで、あなたが自分でリアボックス
を改造されたことにより、荷物が脱落、あるいは
事故を起こしたり、あなたがケガをしても、
takは責任を負いません。

流氷をみてきた 1

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北海道に行って、流氷をみてきた。

driftice1.jpg
流氷


ちょっと、唐突な書き出しで恐縮だけど、
モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンの映画に
「The Bucket List」というのがある。
邦題は「最高の人生の見つけ方」。
意図的なのかどうかは、わからないけれど、
原題と邦題は、ちょっとニュアンスが異なっている。
原題を直訳すると、“死ぬまでにやってみたいこと”。

映画のストーリーは、余命6ヶ月を宣告された2人の男が、
死ぬ前にやり残したことを実現するために、旅に出る
というものである。

私が死ぬまでにやってみたいことのひとつに、
「流氷を見る」というものがある。
北海道オホーツク海の流氷は、冬の一時期にしか
見ることができない。
現在の私は、幸いなことに余命6ヶ月とか、
そういう状況ではないけれど、私が死ぬまでに
訪れる冬は、あと何回もないかもしれない。
急がないといけない。



2014年2月4日午後11時。私は大洗フェリーターミナルにいた。
これから苫小牧に行く。私のクルマもいっしょである。
就航船は「さんふらわあ ふらの」である。

furano.jpg
さんふらわあ ふらの


ネットで予約していたので、乗船手続きはスムーズであった。
乗船名簿に記入し、QRコード付きの予約確認書と車検証を
提示すると、すぐに発券された。
私は60才であるので、「プラチナ割引」が適用。
旅客運賃が10%割引、乗用車運賃は5%割引になる。
ということで、料金は25,410円(5m未満の乗用車・エコノミー)であった。
八戸~苫小牧のシルバーフェリー(4m未満の乗用車 20,000円)、
仙台~苫小牧の太平洋フェリー(5m未満の乗用車 26,300円)、
あるいは青森~函館の津軽海峡フェリー(6m未満の乗用車 16,460円)
との比較になるが、八戸や青森まで行く燃料代、高速代を考えると、
大洗~苫小牧の航路はおトクだと思う。

午後11時30分、乗船開始。
やはり、冬に北海道に行くモノ好きは少ないらしく、
がらがらに空いていた。
私はフェリーに乗ると、必ず出港のようすを見ることにしている。
「さんふらわあ ふらの」には、バウスラスターが2つ、
スターンスラスターが1つ付いている。
1万3千トン以上の大型船でありながら、
器用に岸壁をはなれ、タグボートなしで出港した。
疲れていたので、船室にもどり、すぐに眠る。

翌朝、午前8時頃めざめた。甲板に出てみる。
スマホのGPS機能を使って測位してみると、
気仙沼の沖であった。
三陸の複雑な地形が間近にみえる。
意外と陸に近いところを航行している。
もっと沖を走っているのかな、と思っていたのだが。

「さんふらわあ ふらの」の、もともとの名は「へすていあ」という。
東日本フェリー時代に造られた船で、
船のファンである私は、いつか乗ってみたい、と思っていた。
けれども、ずっと乗る機会がないまま、
何年も過ぎてしまった。

「さんふらわあ ふらの」は、いつのまにか、ずいぶんと
ふるくなってしまっている。
5月には引退し、新造船と交代するようだ。
おそらく、海外の船会社に売られていくのだろう。
引退するまえに乗ることができてよかったな、と思った。

furano2.jpg
furano3.jpg
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furano5.jpg
航行中の「さんふらわあ ふらの」にて


午後7時半、苫小牧フェリーターミナルに着いた。
さいわい、雪は積もっておらず、路面は乾いている。
とりあえず、網走にむかって走りはじめる。
(つづく)

流氷をみてきた 2

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北海道に行って、流氷をみてきた。そのつづき。

なぜ、私は流氷が見たいのか。
(個人的なことであるから、ご興味のない方は、
 ここまでジャンプしてください。)

私が流氷のことを、はじめて知ったのは、中学時代である。
当時から私は鉄道が好きだったので、鉄道関係の雑誌を読み、
時刻表でダイヤを調べて、ときどき旅行に出かけていた。

あるとき、私は鉄道雑誌に載っていた1枚の写真に
目を奪われた。それは、厳冬期の北海道において、
網走と釧路をむすぶ釧網本線を走る列車であった。
流氷でうまった海を背景に、C58型蒸気機関車が牽引する
混合列車(客車と貨車が混ざった構成の列車)が走っている。

私自身は、鉄道ファンのなかでも、乗り鉄(鉄道をつかった
旅が好きなグループ)に属するので、C58型蒸気機関車とか、
混合列車のことなどは、どうでもよかった。
それよりも、背景の流氷に、つよく惹かれた。

「そうか。冬のオホーツク海では、氷で海が埋まるんだ。」

私は、百科事典などで流氷のことを調べた。
毎年、2月ごろ、シベリアのアムール川でできた氷が、
紋別から知床あたりにかけてのオホーツク海沿岸に押し寄せ、
水平線まで、まっ白な氷で埋まる。
そして、朝日や夕陽があたると、流氷はあかく輝くという。
私は、それを見てみたいと思った。

それからの私の人生には、高校受験、大学受験、就職、結婚、
長男の誕生、次男の誕生、子育て、子どもの進学などなど、
いろいろなことがあった。だから、流氷を見に行くのは、
45年後の、いまになってしまったのである。



流氷に関する情報は、以下のように集めればよい。
まずは、海洋情報センターのページにいき、
現在の流氷の状況を調べる。
さらに、ツイッターなどで流氷の状況を発信されて
おられる方のサイトにいき、情報を集めてから、
出かけるかどうかを決めればよい。
ただし、そうやって情報収集を万全にして出かけても、
流氷は風向きなどにより、簡単に岸からはなれてしまう。
だから、見ることができるかどうかは、運次第ではある。

以下の図は、2017年2月4日時点での流氷の状況である。
これを見ると、網走から知床にかけて、厚い流氷が接岸している
とみることができる。ということで、苫小牧フェリーターミナル
に降りた私は、とりあえず、網走をめざして、クルマを走らせた
のであった。

drift_map.gif
2017年2月4日における流氷の状況
 出所:海氷情報センター http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN1/1center.html


2017年2月6日午後、私は道の駅「流氷街道網走」にいた。
ここは、紋別とならんで、流氷観光の拠点となっている。
港のなかには、大きな蓮の葉のような氷が浮かんでいる。
しかしながら、私の期待に反して、流氷は接岸していなかった。
どうやら、昨夜、西からの強い風が吹いて、沖に流されて
しまったようだ。

尋ねてみると、現在、岸から3キロメートルくらいのところに
流氷帯があり、砕氷船おーろらに乗れば見ることができるらしい。
どうしようか。
スマホで予約サイトを見てみると、まだ、空席がある。
しかしながら、私は流氷が接岸しているところが見たい。
とりあえず、私は流氷街道網走を出て、斜里・知床方面に
むかって、クルマを走らせた。

aurola.jpg
砕氷船おーろらと蓮の葉状の流氷

 砕氷船おーろら予約サイト https://www.ms-aurora.com/abashiri/index.html


知床のウトロに着く直前、オシンコシンの滝付近で、
流氷が岸まで来ているのが見えた。
けれども、水平線まで覆われる流氷原という感じではない。

driftice4.jpg
オシンコシンの滝付近にて

ま、仕方がない。
今日は北風が強いから、知床で待っていれば、明日にでも、
流氷が再接岸するに違いない。待ち伏せ作戦である。
ということで、この日はウトロで泊まった。
(つづく)

流氷をみてきた 3

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北海道に行って、流氷をみてきた。そのつづき。

driftice8.jpg
知床プユニ岬からみた流氷と日没

<撮影データ>
 撮影日時:2017年2月7日 午後4時33分
 撮影機材:オリンパス E-510
      ZUIKO DIGITAL ED14-42mm
 露出時間:1/8秒 絞り:F5.6
 ISO感度:100
 ホワイトバランス 自動
 PLフィルタ使用



2017年2月7日の早朝、私は知床のウトロにいた。
海岸に出てみる。
湾内は、白い流氷で埋まっている。
だが、200メートルほど先は、ふつうの海である。
スマホで調べてみると、流氷帯が3kmほどのところまで
来ており、風向きからみて、今日の夕方にも、
再接岸することが予想される。
流氷帯が再接岸すれば、水平線まで埋まった流氷原が
みられるはずだ。けれども、確実であるとはいえない。

ま、しょうがない。
なんたって、相手は流氷なのだから、文句の言いようもない。
私は、待つことにした。

待っているあいだ、ヒマだったので、海岸に付いている
流氷の写真を撮った。

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午後3時すぎ、沖にあった流氷帯が海岸に接近してきた。
いそいでプユニ岬に戻ると、すぐそこに流氷帯が来ている。
もうすぐ、陽がしずむ。
三脚を立て、撮影の準備を開始。
あいにく雲が多く、きれいな夕焼けにはならなかった。
けれども、雲の切れ間から太陽が出たとき、
一瞬だけ、流氷原が赤く染まったのをみた。

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(つづく)

流氷をみてきた 4

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北海道に行って、流氷をみてきた。そのつづき。

2017年2月8日早朝。私は斜里(しゃり)から網走に
むかって、国道244号線をクルマで走っていた。
前日の夕方、流氷が赤く輝くのを見て、私は満足した。
ということで、もう、用はない。東京に帰ることにする。
けれど、スマホで調べてみると、今日は斜里から網走にかけて、
流氷が接岸しているようだ。ということで、帰る道すがら、
それを見て行こうと思う。

国道244号線は、カチンカチンに凍結した路面に、
新しい粉雪が乗っていて、それが強風にとばされ、
地吹雪になっているという、最悪のコンディションであった。
そんな状況であっても、地元のクルマは時速80kmくらいで
走っている。

私はというと、オートバイの運転だけでなく、
クルマの運転もどヘタだから、
時速60kmから70kmくらいで走っている。
すると、地元の大型トラックにまで、追い越されてしまった。
北海道の運転文化は、本当に独特であると思う。


浜小清水(はまこしみず)駅のちかくで、海に出た。
私は道の駅「はなやか小清水」にクルマをとめ、
運転用の靴から登山靴にはきかえて、小高い丘に登った。
そこには、フレトイ展望台という施設がある。
なんだか、三角形のピラミッドのような建物であるが、
流氷をながめるための、いいスポットになっている。
展望台までの坂道は凍っていたので、登るのは結構、
大変だった。

フレトイ展望台にのぼると、本当に水平線まで
海が氷で埋まっていた。
中学のとき、鉄道雑誌でみた景色と同じである。
私は45年間、ずっと、これが見たかったのだ。

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浜小清水 フレトイ展望台にて


私のBucket List
1.流氷をみる
2..........
3..........

   

1.流氷をみる
2..........
3..........



ということで、私は東京に帰ってきた。
私が「死ぬまでにやってみたいこと」のリストのうち、
ひとつが実現したのは、よかったと思う。
けれども、そのために私は、大洗~苫小牧間758kmを
フェリーで往復し、さらにクルマで北海道内を約900km。
立川~大洗間往復で約320km、つまり、約2,700kmもの
距離を移動した。それで、やったことといえば、
ただ、氷を見ただけ。

「つまらないことに、こだわっていたな。」と思う。
これこそ、正常な人間の考えることなのかもしれない。
けれども私は、人生における「忘れもの」をひとつ、
取り返したような気がした。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
北海道のオホーツク海沿いでは、例年、2月から3月にかけて、
流氷を見ることができる。ネットで情報を集めてから、
出かけてみるのもいいと思われる。

オジロワシ、オオワシ、キタキツネ

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流氷が接岸するのを待っているあいだ、ヒマだったので、
鳥や動物を撮ったのだが。


知床のプユニ岬で、流氷が接岸するのを待っている
ときのことである。
ふと、崖下をみると、尾の白いトンビがいる。
「あれがオジロワシなのかな。ワシにしては
小さいみたいだけど。」
私は鳥に詳しい友人のMakiさんにメールで聞いてみた。
すぐに返信がきた。
「それ、オジロワシですから。すぐに写真とって!」

eagle0.jpg
オジロワシ


オジロワシの写真を撮っていると、地元の人が来た。
たずねるてみると、
「ああ、あれね。オジロワシの幼鳥です。」
と、こともなげに言われた。
そして、その人は上を指差して、
「ちなみに、いま、あなたのアタマの上を飛んでいるのが、
天然記念物のオオワシですけど。」

見上げると、さきほどからトンビかな、と思っていた鳥が、
じつは、オオワシなのであった。
このあたりでは、オジロワシもオオワシも、
めずらしくも、なんともないらしい。
オオワシは、ピュッピュッピュッピュッと鳴いて、
私のアタマの上を、くるくるとまわった。
「トンビとワシの区別もつかねえやつがいるよ。www」
と言われているようであった。

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オオワシ


キタキツネは、どこにでもいる。
エサをねだりに、クルマのすぐ近くまでやってくるし。
寄生虫が怖いから、無視するのだが、
なかなか、はなれないので、困るほどである。
写真を撮るのは、簡単であった。

fox.jpg
キタキツネの子どもたち



ということで、今回の記事のまとめであるが、
知床では、いろいろな鳥や動物の写真を撮ることができる。
もし、知床に行かれたら、挑戦されてみてはいかがであろうか。


上の写真、あまり出来がよくない。
木にとまっているオジロワシはぶれているし、
高速で飛んでいるオオワシは、ピントが合っていない。
とっさのことだったので、撮るときに、
カメラのセッティングを変更しなかったのだ。

私はふだん、デジタル一眼レフを持っているとき、
レンズの絞りを「F8」、シャッターを「Aモード」、
AFは「AF-S」モード、ISO感度は「100」で固定、
IS(手ぶれ防止装置)は「オフ」にしている。
ほとんど、とまっている風景しか撮らないし、
暗ければ、三脚を使うからね。

鳥など、高速で動くものを撮るには、
シャッターは「Sモード」で1/1000秒以上に。
AF(自動焦点)は「AF-C」モードにして、
自動的に追尾するようにするといい。
また、ISO感度は「自動」にして、上限値を
800から1600くらいに。
ISは当然のことながら「オン」にするべきである。

今回、私はワシを見て、とりあえず、絞りを開放にして、
そのまま、手持ちで撮った。AFとISO、ISの設定は
変更しなかった。

その結果であるが、ほとんどのカットはブレブレだし、
ピントも甘かった。せめて、ISをオンにすべきだったわ。
やはり、ふだんは動くものを撮るセッティングにして、
カメラを持つべきなのかな。
あるいは、「まずは絞り値から決める」という、
フィルムカメラ時代からの習慣そのものが、
すでに時代遅れなのか。
いっそ、すべて自動の「AUTO」モードにして、
カメラに任せるべきなのかな。

...悩ましい問題である。

デジ一眼「動くもの」用と「風景」用の設定

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前回の記事で、いろいろな方から、ご意見をいただいた。
どうもありがとうございました。

思わぬところで、地雷を踏んでしまったようだけど。www
そこで、デジ一眼の「動くもの用」と「風景用」の
私なりに考えてみた。
私が持っているオリンパスのE-410とE-510には、
カスタムリセットという機能があるので、
1を「動くもの用」に、2を「風景用」に割り当て、
これからは、ふだんは1にして、カメラを持つことにする。
異論はみとめる。


 

カスタムリセット1
(動くもの用)

カスタムリセット2
(風景用)

撮影モード Pモード+プログラムシフト Aモード
手ぶれ補正 IS1(上下左右) OFF
     
ISO感度 自動 100固定
ISOリミッター 400 100
ホワイトバランス 自動 自動
発色 ニュートラル VIVID
ノイズフィルタ 標準 OFF
     
測光 平均 スポット
AF C-AF MF
AFターゲット 自動 中央
オートブラケット EV1.0ずつ3枚 EV1.0ずつ3枚
低振動モード OFF 1秒


それにしても、いろんな機能があるもんだね。
私の場合、写真を撮ることは好きだけど、
カメラそのものは、べつに好きでもなんでもない。
だから、いつもAモードに入れっぱなしだったし、

 1.絞りを合わせる
 2.プレビューボタンで被写界深度を確認する
 3.シャッターを押す


という、一眼レフの基本的な操作さえできれば、
それで、なにも文句はなかった。

ニコンのユーザーだったから、絞り優先派だし。
ミノルタが開発した「Pモード+プログラムシフト」のことは、
もちろん知っていたけど、
「どんな人が使うんだろ」
と思っていた。

いただいたお便りのなかには、「アタマが固すぎる」
というご意見もあったけど、中学生のときから45年間、
一眼レフを使い続けているのである。
ある程度、経験主義になるのは、勘弁してもらいたい。
m(_ _)m


たしかに最近の技術の進歩は、すごいものがあるけれど、
最近のミラーレス+EVファインダー機のなかには、
プレビュー機能が省かれている、なんていうものがある。
絞り値と被写界深度の関係のことなんか、
もう、誰も気にしていないのかもしれない。
私のような、古いユーザーは、
「じゃ、なんで一眼レフで写真撮るのよ。」
と思ってしまうけど。

ま、「ポートレートモード」とか、「風景モード」とか、
「スポーツモード」とか、いろいろな撮影シーンに対応した
撮影モードが、そういうことを考えなくてもすむように
なっているのかもしれないね。

けれども、スマイルショットとか、どんどんよけいな機能
が増えていくのをみると、
「いらんわ。そんなもん!」
とか思ってしまう。

やはり、アタマが固くなっているのかもしれないなあ。
(-_-;
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